雪に紫煙

佐藤令都

01

 イライラしたからタバコを買った。


 仕事帰りに一杯ひっかけて行く気にもなれず、適当に駅前のコンビニに足を伸ばした。

 ちょっとの間自分を忘れられるようなもの。

 酒でも煙草でもどちらでも良い。ただ酔いたい気分。

 雪の交じった風が栗色の前髪を撫でた。

 ──冬の匂いがした。


 ああ、タバコ買って帰ろ。


 20時過ぎのがらがらの商品棚を突っ切って、真っ直ぐにレジに向かう。

 研修中の名札をつけた多分高校生。

「煙草、58番ひとっつください」

 真面目そう。だけど手に取った銘柄を見て怪訝な顔をした。「女のクセにきっついの吸うんだなぁ」みたいな。

 心の中で、顔に似合わず不良のくせに、と呟いてみた。

 ぴったり代金だけ支払ってレシートは貰わない。そのまま黙って帰る。地味な嫌がらせをしてイライラがちょっとだけおさまった。


「何やってんだろ」


 ため息混じりに乾いたビニール傘を開く。

 消雪パイプの生暖かい温度をブーツの先で確かめながら、人気のない表通りを歩く。

 時たま吹く風で110デニールの黒いタイツに白い斑模様が浮かんだ。傘の柄を持つ指先も同様、外気が刺さるように触れる。


 雪の日は雲が厚い。鉛色の空に切れ目はない。

 幼少の頃より見慣れた色、変わらない空気の冷たさ。

 雪は物理的遮蔽物であって心理的遮蔽物にもなれる。

 東京の人間が雪国に行くと精神を病む。なんて馬鹿な話だといつぞやのワイドショーを見ながらケラケラ笑っていたが、今日ばかりは分からんでもない。


 大きいとは言えない最寄り駅にはイルミネーションなんて無く、そもそも吹雪では出歩く阿呆はなかなかお目にかかれない。例え今日がクリスマスでも。


 ベリーホワイトクリスマス。何それウケる。


 ホワイトアウトした視界。ビニ傘1本では防ぎきれない雪、雪、雪。笑止千万、我惨め。

 安っちいアパートが恋しい。誰もおかえりは言ってくれないが早くただいまが言いたい。


「ねぇ、私頑張ったよ?」


 数年越しの片想いは玉砕。電話越しに振られた。

 薄々気づいてたが、あまりにも呆気ない。想い人の恋を応援してあげる苦い幕引き。最悪中の最悪。親友エンド。後味悪い。全然綺麗な思い出にならないじゃん。


 降り始めてから誰も歩いていないような道をザクザクと踏み付ける。雪の冷たさを爪先に感じる。靴底からは憂鬱な明日の音がした。


 ──どうせ誰も見てないだろ?


 傘を閉じて小さな雪山に思い切り突き刺す。

 こんな道、車なんて通らないだろ?

 既に感覚のない手のひらで拳大の雪玉を作る。硬く、硬く。胸の中で渦巻く感情を全て込めるように。

 黒のチェスターコートは程なくして白くなり、10数メートル先には小さなクレーターが幾らかできた。

 破壊神になった気分。

 ──これでトドメだ。

 大きく振りかぶって色の変わったコンクリに叩きつける。鈍い音と共に白が飛び散る。

 犬のようにぶるりと身体を震わせて雪を払う。忘れかけたビニ傘はこの道の向こうの扉を開くまで。


「ただいま」


 真っ暗な部屋には誰も居ない。

 わかっていた。知っていたさ。

 部屋にオレンジ色の光をともし、温風を巡らせる。

 戸棚から百円ライターを探し、握りしめる。カバンから小箱を取り出してポケットにしまう。灰皿は……空き缶でいいや。冷蔵庫から缶ビール1本。

 冷たいコートは部屋の中に。火照った体はベランダに。

 ぬるい風を出す室外機くらいがちょうどいい。

 プルタブを開ける。炭酸のはじける音がした。

 軽い運動後の喉がいつもより少しヒリついた。構わずに缶の半分ほどを煽るようにして飲む。


 全然酔えない。

 空っぽの胃の中に液体だけが満たされた感じ。


 もういいや。うん、もういいや。


 銀色の口の中に目を落とす。真っ暗くてなにも見えなかった。缶を耳元で揺らすとタプタプと音がした。


 あんまり美味しくないんだよなぁ。


 そう思う割には喉を鳴らして飲んでしまうのは何故だろう。


 もう無くなった。


 君への気持ちも泡と一緒に無くなればいいのに。


 ポケットから紺色の小箱とライターを取り出す。

 プラスチックの容器に液体を確認。カチカチと試しに火をつける。数年ぶりだけどまだ生きている。

 1本取り出し中指と人差し指の間に深めに挟み込む。揺れる小さな赤い火を煙草の先に灯す。

 息を深く吸って、吐き出す。

 一口目はむせた。

 十年前の冬の日と同じ香りが鼻腔をくすぐった。


 ヤニくせぇ。でも嫌いじゃない。


 フィルターに優しく口付けて、紫炎を燻らす。


 煙草はいつも失恋の香りだ。



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