(7)
最後に局長が口にしたアーサーという名を思い出し、何か引っかかった。ありふれた名前だが、どこかで聞いたような――
『たとえばアーサー……シャロンさんのお父上亡き後、後継者が見つかっていません。シャロンさんが後継者だったのですが』
『僕は
心臓が跳ね上がった。
紛争の発端となったのはフラクス家の領地だ。あの男が紛争以降バスティーユに囚われていたとすれば、時期は一致する。娘がいるアルビオン人の貴族。あの蒼い目は、何となく艦長に似ていないでもない。それに二人ともフランツの顔を見て、母マリーを思い出していた。母の実家と家同士で付き合いがあったのではないか?
しかし、艦長はこうも言っていた。
『……つまり番人同士だと殺し合えない。いいことを教えてあげよう。番人になってから僕を殺したくなったら、ふつうの人に命じてやらせればいい。そしたら僕を殺したその人が、めでたく次の番人だ』
まだ番人でないフランツには、他の番人を殺して記憶を引き継ぐことができるということだ。ならば、あの男を殺した時点で記憶を継いでいないと話が合わない。
肩の力が抜け、ため息が漏れた。
師匠や艦長から頼まれずとも、局長から聞き出したいことは山ほどある。しかし、正攻法では到底無理だ。父のことが落ち着いたら、あの貴族の男について調べてみよう。母の知人を調べていけば分かるだろう。
あの時の感覚がまだ残っている――ほとんど手応えはなかったけれども――右手を強く握りしめた。魔剣は国を出る前に局長に預けている。二度と握りたくないし、握ることもないと思っていたが、この先そうはいかないのかもしれない。
だとしても自分が負う役目を、運命や他人に決められたくない。たとえ神であってもだ。そもそも神は殺生を禁じているじゃないか。
当面の目標は、父に会って生きて帰ること。そのために機密局を利用してやるくらいのつもりでいなくては。
だから、まだあんたに死なれちゃ困るんだよ、クソ親父。
車窓の外を流れていく風景は、いつのまにか緑の多いのどかな田舎から賑やかな街並みへと変わっていた。王都にはあと小一時間もすれば着くだろう。
「どうかな」
シャロンが着替えを終えたらしい。振り向くと、緋色のワンピースを纏った彼女が立っている。いつもは頭頂部で髪を結んでいるが、今はうなじのあたりで緩く編まれている。瞼や頰、唇に施された化粧は緋色のワンピースと調和が取れていて上品だった。襟ぐりは鎖骨がきれいに出るラインで、袖は細い手首が見えて女性らしい。フランツはしばらく黙って見惚れていた。
「何か言ってよ」
「綺麗です。すごく」
正直な感想を言ったのだが、シャロンは急に耳まで赤くして、目を泳がせた。
「き、綺麗?」
「はい」
「そ、そう、ふーん」
シャロンは何故か機械式のようにぎこちない動きで回れ右をし、ぎこちない動きのまま慌ただしく荷物をまとめ始めた。
「どうしたんですか?」
「別に! そんなことより早く片付けたら?」
フランツは思わず笑った。分かり易すぎる。
「今度から、毎晩電話していいですか? そしたら毎晩綺麗だって言えます」
「な……何言ってんの?」
「だって、せめて声くらい聞きたいです」
「国際電話って、料金が馬鹿にならないよ。知らないよ」
「そんなのどうだっていいです」
突然、脱ぎ捨てたままにしていたシャツが飛んできて顔に直撃した。
「うわっ」
「言うことがストレートすぎるの。恥ずかしいからちょっと黙って。早く片付けろ」
入管では、係員の男に不快なくらいじろじろと見つめられたが、特になにかを聞かれることもなく無事に通過することができた。
行っていいと言われた時に微笑を浮かべて頭を下げると、係員が分かりやすく真っ赤になったのは、可笑しかった。普段なら、こいつは本当に男かと言いたげな目で胡散臭そうにじろじろ見られるので、いちいち礼を口にするようにしている。どちらにせよ不快なことには変わりない。
先に通過していたシャロンは得意げな顔で振り返り、手で小さくガッツポーズを作った。
ロータリーでも特に問題なく馬車を拾い、機密局が拠点の一つとして使っている一般住居へと向かうよう伝えた。が、御者が扉を閉めようとした時、通行人が彼を呼び止めた。
「乗り込まれたお嬢さんが落としたのだと思うんですが」
「ああ、渡しておきましょう。ご親切に」
「いや、いちおう顔を確認してもいいですか?」
フランツとシャロンは顔を見合わせた。シャロンは扉を僅かに開け、隙間から顔を出した。
「どうしたんですか?」
「そちらに金髪のお嬢さんが乗っていらっしゃいますよね?」
「……っ!」
鳥打帽を目深に被った男は扉に手をかけ、中に乗り込んできた。フランツは、体勢を崩しかけたシャロンの腕を引き、男の首にナイフを当てがった。男は口元を歪めて笑う。
「おやおや、勇ましいお嬢さんだ。ずいぶん物騒な獲物だな。落し物を渡すだけなのに」
だが、その手には鈍く光るナイフが握られていて、フランツの鼻先に突きつけられていた。御者が悲鳴を上げる。
「面倒ごとはよしてください!」
「静かにして!」
シャロンは素早く身を捻ると男を座席に組み伏せた。すかさず、フランツは隠し持っていたベルトで男の両手両足を縛り上げる。
「ただの痴話喧嘩よ。急いでるから馬車を出して。早く」
「し、しかし」
御者は警務官を呼ぼうと足を浮かせている。
「私は警務省国境警備隊のフラクスよ。ちょうど、この悪質なストーカーを追っていたの。中で尋問するから、早く馬車を出して」
よく考えれば支離滅裂な内容なのだが、シャロンの勢いに圧倒された御者は慌てて御者台に飛び乗った。停車していた他の馬車の御者たちが騒ぎに気付いて、こちらを見ている。遠くで警務の赤い服がちらついた。
「お礼は弾むから、人目につかない道で飛ばして」
シャロンは窓から顔を出して叫んだ。
「へ、へえ」
馬車が走り出す。フランツに全体重をかけられている男は呻き声を上げた。
「シャルル・フランソワ・ロラン、変装しても無駄だぞ。のこのこと捕まりに戻ってくるとは大した度胸だな」
「俺もわざわざ戻ろうとは思いませんでしたよ。ですが、今回は戻らないと、あなた方に見つかる前に姉に殺されそうでしてね」
「おおかた女王陛下に呼び出されたんだろう?」
「いえ、姉から電話で脅迫されました」
「とぼけやがって」
フランツは男の腹に膝で体重をかけた。男は声にならない悲鳴を上げた。
「そいつに見覚えあるの?」
「いえ。でも公夫人の手の者でしょうね」
「どうする?」
「あなたの顔を見られています。上司に引き渡します」
ガリウスか局長なら、うまく処理してくれるだろう。フランツは膝にさらに体重をかけながら男に訊いた。
「どこからついてきていたんですか? 駅? その前?」
「は……残念だが、警務には通報済みだ。フラクスさんよ、残念だがあなたにも疑いがかけられるぜ」
シャロンは肩をすくめた。
「私は家族のお見舞いに付き合ってるだけだよ」
「でも、あなたまで国外追放されては困ります。俺が脅迫して連れてきたことにしてもらいましょう。厄介なことになりました」
「名乗ったのがまずかった?」
「それは仕方ありません。追っ手が来る前に一旦馬車を替えましょう」
フランツは鳥打帽の男を気絶させると、御者席の背後にある小窓を下げ、代金を上乗せして手渡した。
「ウォーターゲートの辺りで降ろしてください」
御者は奇妙な顔つきでフランツを見た。その顔つきの意味が分かり、フランツは苦し紛れな言い訳をひねり出した。
「男のストーカーからしつこく追われていたので女装して逃げていたんです」
シャロンは小さくため息をついた。
「喋っちゃ駄目って言ったのに……」
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