(2)

 フランツは眉根を寄せた。何を言っているのだろうか。自己評価が極端に低いと言うべきか。もしシャロンがこの場にいたら、彼を張り倒すことだろう。

 古本をめくっていたルピナスが顔を上げた。

「趣味なら、あるじゃないですか。毎日一冊読まないと寝られないんでしょう?」

「読書が趣味だって言う男は、月に一冊くらいしか読んでないから気をつけなよ。あと、本を読まない人間は人間じゃない。以上」

 ルピナスは手にしていた本をパタンと閉じた。

「はあ……。わかりました、今夜は黙って飲んでいてくださって結構です」

 前から思っていたが、この男はいわゆる、自覚のない天然のなのだろう。老若男女関係なく人を惹き付ける何かを持っている。気さくで話しかけやすそうな笑顔と、ふと見せる陰のある横顔。柔らかい物腰で相手を油断させるが、一方で腹の底は見せない。その親しみやすさとミステリアスさの危ういバランスは、人を魅了する。

 あまり面と向かって話したことはないが、ハロウィンの夜の屋上での会話から考えて、頭はいいほうだ。であれば、すべて狙ってやっている可能性も捨てきれない。フランツにとっては、ガリウスとはまた違うタイプの苦手な種類の人間だ。

「あの。あなたは部下のみなさんから慕われていますよ」

「それは全部、血筋と地位のおかげ。あと、足りない脳味噌をそれなりに使って仕事してるからさ。承認欲求でやってるだけだ」

 卑屈な言い方をするあたりも、フランツが避けたくなるタイプだ。顔に出ないようにしたつもりだが、おそらく隠しきれていない。別に嫌われたところで構わないのだが、師匠に迷惑をかけたくはない。

「そんなこと、誰も思っていませんよ。結果が同じなら、たとえ偽善であっても悪いことではないと思います。剣の先生が、よくそう言っていました。それに動機を自分で把握しているなら、誰かに責められても気にならないし、見返りが得られなくて誰かに八つ当たりすることもないでしょう?」

 艦長は、ほんの少し首を傾けてフランツを見上げた。王国貴族にしては短いが、帝国貴族にしては長い髪が邪魔そうだ。

 赤い髪は、人種多様な帝国でも悪目立ちすることだろう。昔から赤毛の人間は頭に血がのぼりやすいとされており、揶揄の対象にされやすい。彼にどこか気弱で自信がなさそうなところがあるのは、もしかすると、そのせいかもしれない。が、人の上に立つ年齢になっても気にし続けることではないだろう。迷信を信じて外見を馬鹿にする輩は、無視すればいい。

 前髪の向こうのマリンブルーの瞳は、嘘をついていないか分析するかのように数秒間、フランツに焦点を合わせた。こういう視線も苦手だ。フランツは目を逸らした。

「そういえば言われたんだよ、リアナに。もしも私が振り向いたら、あなたは、その途端に興味をなくすんでしょうって。追われる女神のままでいるのも一苦労なんだって。いい加減、自分自身を好きになれってさ。君はどういう意味だと思う?」

 フランツは首を捻った。

「……つまりリアナさんは、あなたを好きだと仰っているんじゃないですか? もしくは、好きになりたいと」

 艦長は、今度は無感情な瞳でフランツを見上げた。

「そうだったら死んでもいいな」

 本当にそう思っていそうだ。そういえば出会った日も、死にたいと呟いていた。彼は、死ぬことの意味を理解しているのだろうか――おそらく、理解している。そういう目をしている。そしてその上で、望んでも許されないから、絡め取られたしがらみに引きずられるようにして生きているのだろう。なぜか余計に腹が立った。

「シャロンさんのためにも、死なないでください。だいたい、リアナさん本人に直接聞くべきです。本当はお互いに想い合っているんじゃないですか?」

「いや……それはない。あと、これはゲームなんだよ」

 彼は指を組んで肘をカウンターについた。

「勝っても負けても終わってしまうゲームだ」

 フランツは苛立ちを隠すべく、できるだけ抑揚のない調子で答えた。

「終わりじゃなくて始まりですよね」

「君はまだわかってないんだよ。いや、わからないほうがいい。僕はこのゲームが続いていないと人生に飽きて死にたくなる」

「どういう意味です……?」

「僕はアーサーと違って凡才だ。凡才が人の上に立つ方法は二つ。一つは努力、もう一つはハッタリで人を騙すことだ。上手に嘘をつくスキルを身に付けるだけでいい。くだらない人生だよ。騙してる罰として、他人のミスも全部背負うし、上から言われれば、やりたくないこと――たとえば人殺しでも、やらないといけなくなる。いっそアーノルドみたいな機械になれば、どれだけ仕事がはかどることかと、よく夢想する」

 生きている感覚を取り戻せるのは、友人と冗談を言って笑っている時、酒を飲んでいる時、それから恋に溺れている時だけだ――そう言うと、彼はグラスを空にした。

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