第11話

 息を弾ませたミサキはラボの鉄扉の前に立つとポケットから鍵を取り出した。鍵を開けようとするが手が震えているせいで鍵穴にうまく挿せない。何度も上下を間違えたり鍵を落とす。ミサキは落ち着け落ち着けと何度も心の中でつぶやき、無理やり空気を吸い込み呼吸を整えようとする。

 ようやく鍵が入ると右に回しガチャンと解錠する。

 ミサキが安堵の吐息を小さく漏らしたと同時に肩を掴まれた。

「ミサキ! 良かった。無事だったか」ミサキが振り返るとソウジが立っていた。服はところどころ破れ、顔や手は傷だらけになっていた。

「ソウジ! あなたこそ傷だらけで……。大丈夫なの?」

「このくらいどうってことない。あのデカいのはしばらく動けないよ。ところでもう一人はどうしたんだ? うまく逃げられたのか?」ソウジは黒いバッグを背中から下ろすと中に手を突っ込んだ。

「さあ。こっちには来てないみたい。それよりもラボはここよ。タイムマシンもここにある。早く中に……」ミサキがそう言いかけたとき、ソウジの後ろから何かが破裂したような乾いた音が鳴り響く。ソウジの顔が苦痛に歪むと崩れるように倒れ込んだ。

「ソウジっ!」ミサキはソウジに駆け寄る。呻き声をあげるソウジの背中に手を置くとぐっしょりと濡れている。自分の手を広げると真っ赤に染まっていた。

「こういう荒事は【亀】さんの方が得意なんですけどね。どうやら失敗したらしい」

 声の方に顔を向けると暗がりから【鶴】がゆらりと姿を見せた。その手には拳銃が握られており、銃口からは硝煙がうっすらとたなびいている。

 ミサキは飛び退くとラボの鉄扉が背中にドンとぶつかった。【鶴】はミサキを一瞥するとソウジの傍でピタリと立ち止まる。

「散々邪魔をしてくれたじゃないですか。誰か知りませんがおかげで随分と手間取っちゃいましたよ」【鶴】は倒れているソウジに銃口を向けるとなんの躊躇もなく何度も引き金を引いた。ソウジの体に弾丸が勢いよく飛び込む。銃口からの放たれる閃光が【鶴】の笑顔をより一層不気味な表情に照らし出した。

 ミサキはぎゅっと目を閉じその場で小さくなるようにして震えながら膝を抱えるしかできなかった。恐怖がミサキの体を完全に支配している。

「次はあなたですね。ようやく」【鶴】は再び銃口をミサキに向けるとゆっくりと近づいた。

 突然【鶴】背後で何かが動く気配がした。振り向く間も無く頭を掴まれると勢いよく壁に叩きつけられた。

「立つんだ。ほら、立って」

 ミサキは腕を掴まれるとラボの中に押し込められた。ラボの中は機材や配線、コンピュータが雑然と置かれているが荒らされた形跡はない。

 ラボの中に転がるミサキ。顔を上げると全身血に染まったソウジが部屋の鍵をかけていた。

「ソウジ!」

 ソウジは辛そうな表情に無理やり笑顔を作りミサキに見せた。

「備えといて良かったよ。とはいえこれは……予想以上に効いたな」ソウジは自分の懐や背中を弄ると血に染まった雑誌を何冊も取り出した。

「……こうなることも知っていたのね」

「見えてたのは拳銃を握っている【鶴】の映像だけさ。参ったよ、お気に入りのグラビアページが穴だらけだ」

「ばかっ!」

 ソウジははにかんだ表情を見せるとガクリと膝をつき握っていたバックを床にドスンと下ろした。

「ちょっと! 大丈夫なの?」

「大丈夫。それよりも早く装置を頼む。……あれがそうなんだろ?」ソウジは鉄扉の反対側の壁にくっついた筒状のカプセルを指差した。カプセルは人一人がすっぽりと入るぐらいの大きさで中央上部には小さな円形の窓が付いている。

「ちょ、ちょっと待ってて。絶対に死んじゃダメよ!」

 ミサキは急いでタイムマシン装置に駆け寄ると側面に取り付けられた赤いボタンを押した。それと同時に装置が低く唸るような作動音を奏でる。ミサキはボタンの上のパネルで指紋認証と網膜・虹彩パターン認証をクリアさせるとカプセルのロックが外れ、ゆっくりとハッチが開いた。

「よし、まずは装置は起動させたわ。あとは重力場の形成と、あなたのユーザー登録を……」

 突然鉄扉が激しく叩きつけられるような音が部屋中に響いた。

「奴だ! ミサキ、まだなのか?」ソウジは這うようにしてミサキに近づいた。その息遣いはどんどん荒くなっていく。

「待って! ……よしっ、重力場の形成完了! 後はあなたの登録だけよ。さあ、立ってこっちへ」

 ミサキがソウジの手を掴んだ時、鉄扉から何かが壊れる音がした。ミサキとソウジが視線を向けると扉上部の蝶番が外れかけている。

 ソウジはミサキに顔を向けると掴まれた手を振りほどいた。

「ミサキ、君一人で行くんだ」

「何言ってるのよ、今更! ここまできて諦めないでよ! やってみなくちゃわからないでしょ!」

「いや、分かるよ。分かってたんだよ、最初から」ソウジは口元を歪ませた。

「えっ?」

「本当はさ、最後まで見えてた。僕は助からない。だって見ろよ、この傷だぜ?」ソウジはヨレヨレのジャケットを広げて見せた。茶色だったジャケットは下半分が真っ赤に染まっている。

「そんなのダメよ! お願いだからあなたも逃げて」

「毎日見える映像を前々から不思議に思ってたんだ。何で自分はそんな必死になって君を助けようとしていたのかって。でもようやく分かったよ。バカだな、僕は。さあ、頼むからそんな顔しないでくれよ」

「ソウジ……。お願い」

「僕の死を無駄にするつもりか? ほら、行けっ! 早く!」

 ソウジは泣きじゃくるミサキを無理やりカプセルに押し込んだ。カプセルはミサキが入ったことを認識するとハッチが自動で閉じた。ソウジはカプセルの小窓からミサキの顔を覗き込むと笑顔を見せた。

「君に会えて良かった。向こうで僕に会えたらよろしく言っといてくれよ」

 装置の唸り声が次第に大きくなり小刻みに震えだした。

 ソウジはカプセルに背中をピタリとくっつけるとポツリとこぼした。「さようなら。ミサキ」

 カプセルの小窓とハッチの隙間からストロボのような強烈な閃光が溢れると装置は一瞬で静まり返った。

 ソウジはカプセルを背にしたままドスンと尻を床につける。ため息をひとつ漏らすとバックを抱え込むように両足の間に置いた。

「そろそろかなあ?」ソウジが呟いたと同時に、鉄扉を蹴破り【鶴】が顔を見せた。いつもの胡散臭い笑顔は消え、鬼の形相で肩で息をしている。

「おう、遅かったなぁ。残念だけど彼女は消えちまったよ。遊び足りないんだったら相手してやってもいいぜ?」

 【鶴】はヅカヅカとソウジに近づくと銃口を眉間に向けた。

「それで女を守ったつもりかね? この装置さえあれば我々の勝ちだ。技術者の信者も大勢いる、解析するぐらいわけはないぞ。そうしたら必ず女を見つけだして殺してやる。絶対にだ。お前に見せてやれないのが残念だよ」

「ふん、できっこないね」

 ソウジの言葉を聞くと間髪入れず【鶴】が引き金を引いた。銃口から飛び出した弾丸がソウジの眉間に命中すると後頭部のど真ん中から抜け、カプセルを真っ赤に染めた。

 ソウジの頭が力を失いダランと垂れる。それ合図にしたかのようにソウジの右手から何かがこぼれ落ち、【鶴】の足元まで転がった。

 【鶴】はピクリと眉を動かして顔をわずかに足元に近づけると細い目を見開いた。そこにはくすんだオリーブ色をした手榴弾が一つ、威圧的に【鶴】を見つめている。安全ピンはソウジの左手の中でキラリと光を跳ね返していた。

 慌てて踵を返そうとした瞬間、強烈な爆炎と轟音、無数の金属片が【鶴】とソウジ、そしてタイムマシンを飲み込んだ。


「何だよ、酔っ払いかな? ちょっと、お姉さん。大丈夫ですかぁ?」

 ミサキは肩を優しく叩かれた。真っ暗で何もわからない。ただ、すぐそばで声が聞こえる。それもどこかで聞いた声だ。

「こんなところで寝てたら危ないですよ。ちょっと、ほら。起きれますか?」

 ミサキの目がうっすらと開く。光が飛び込み、ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていく。

「……ここ、どこ?」ミサキはゆっくりと体を起こし、眩しそうに細めた目であたりを見渡す。ついさっきまでは研究所のラボにいたはずだが、そこは公園のど真ん中だった。はるか遠くの方ではビルの隙間から山吹色の光が溢れ出しミサキの顔を鮮やかに照らし出している。

「良かった。まったく、女の人がこんなとこで寝てたらまずいですよ。ほら、立てますか?」

 ミサキはそばに立ち、手を差し伸べた男を見て、うっすらと涙を浮かべると笑顔を見せた。

「あなたが言ってた通りね。でもそのワンピース、なかなか似合ってるわよ」

 ミサキは訝しる男の手をしっかりと握ると力強く立ち上がった。

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一時間女 石丸砲丸 @ishimaru_c

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