第7話
ミサキは車の後部座席に座っていた。フロントガラス越しに見える夕暮れの薄暗いの景色と運転席に座っている男の後ろ姿が目に飛び込んでくる。
「あの……」そう言って手を上げようとした時、手元に違和感を感じた。目を下に向けると両手首には手錠が巻きついており、鈍い光を放っていた。
「何よこれ……!」
「こら! おとなしく座ってろ!」ミサキの両脇に座っている警官たちが一喝し彼女の両腕を掴むと無理やり座らせた。同乗している警官を見てミサキは思わず目を見開いた。
「警察……! ちょっと一体これはどういうことですか! なんで私手錠なんか……」ミサキはガッチリとかけられた手錠を警官の前に突き出した。
「何を言っているんだ、ふざけやがって! 白昼堂々人を殺しておいてよくそんなことが言えるな!」警官はミサキの手を冷たく払いのけると鋭い目つきで睨みつけた。
「私が? そんなバカな!」ミサキの体から血の気が引いていく。自分が人殺しになるなんてあるわけがない。殺されそうになっているのはこっちの方なのに。
「今更とぼけるな! ふん、後は署の刑事さんたちに絞ってもらうんだな。言っとくがウチの刑事さんたちはおっかないぞ」警官は冷たく言い放つとミサキの腕を引っ張り背中を座席にぴたりとくっつけた。
「そんな……」ミサキは呆然とし天を仰いだ。このままでは自分は殺人犯になってしまう。なんとかして嫌疑を晴らさなければならないが、一時間前の記憶が綺麗さっぱり消えているせいで何をどうすれば弁解できるのか分からない。
「あーそういや、彼女の身柄は本庁が渡すことになってるみたいだ。刑事課の二人組が引き受けにくるらしい」運転席の警官が少しだけ首を後ろに向けた。
「はぁ? なんだそれ、どういうことだよ? そんな話聞いてないぞ」後ろに座った警官たちは怪訝そうな顔で互いの顔を見合わせた。
「さあ。でもそういう指示がきてるんだよ。いや、俺も一応どう言うことか聞いて見たんだけどな。そこら辺のことは詳しくは教えてくれないんだ」
「そ、それ刑事じゃないわ! 殺し屋よ! 私はその二人に命を狙われているんです! そいつらは始まりの園っていう宗教の人間で……」二人組という単語を聞いて反射的に【鶴】と【亀】を連想した。とうとう警察の力を使って自分を捕まえに来たに違いない。
「わかったわかった。もう大人しくしていろ。全くどうかしてるぞこの女」
「ハハッ、いるんだよな。そうやってすぐに宗教イコール怪しい団体って決めつける人間が」警官たちはミサキを横目にしながら嘲笑う。全く相手にしていない。それどころかミサキのことを完全に頭がおかしい人間だと決めつけている。だがそれも無理もないとミサキは肩を落とした。こんな話を信じる人間はまずいないだろう。当事者であるミサキ自身もひょっとしたら夢でも見てるんじゃないかと考えてしまうぐらいだ。
「あぁうっ!」前触れなくミサキの頭に激痛が走った。脳を掻き回されているように痛みが頭の中で跳ね回る。思わずぎゅっと目を閉じ両手で頭を押さえた。痛みと同時にノイズ混じりの映像が脳内に再生される。ソウジと黒い車に乗っている映像。車の時計には 時と表示されている。
「なんだよ今度は。おいおい、大丈夫か」痛みのせいでうずくまるミサキに左端の警官が煩わしそうな顔で声をかけた。
「うるさいわね……! 大丈夫だからほっといて!」ミサキは背中を丸めた状態で声を絞り出す。無視しようかと思ったがなんでもいいから警官に何か言ってやらないと気が済まなかった。警官は「ふんっ」と鼻を鳴らすとそっぽを向いた。
いつものように時間が経つにつれ徐々に痛みが引いていく。ミサキはゆっくりと目を開けると自分のつま先が目に入った。
「あれ?」ミサキはいつの間にか知らない白いスニーカーを履いており、マジックで妙な印が書いてあった。
ミサキは怪訝そうな顔をしてその印を凝視した。誰が書いたのか、いつスニーカーに履き替えたのかは覚えていない。ということはこの一時間の間に起きたことなのだろう。
「えっ? これって……」ミサキはあることに気づいた。スニーカーの印は、よく見ると何か文字が集まってできているように見える。
「いつまでそうやっているつもりだ。ちゃんと座れ」警官がミサキの上体を起こそうとするが腹筋に力を入れてそれを拒む。
「これは……『コ』かな? えっと『コ』・『ノ』・『マ』……『マ』。このまま?」
「おい! いい加減に……」
警官がミサキの肩を掴んだ瞬間、轟音とともに車内は激しい衝撃に襲われた。運転席側の窓ガラスは粉々に砕け散り、波しぶきのように盛大に降りかかる。車は左に大きく流れ、道路脇のガードレールに激突した。
突然の出来事にミサキは訳も分からず、うずくまったまま固まっていた。恐る恐る顔をあげると車内にはガラス片が散乱し、乗っていた警官たちは体を打ち付けたらしく血を流しながらぐったりとしている。
運転席の方に目をやると古い白のセダンがのめり込んでいた。そこで初めてミサキは車がぶつかったんだと理解した。
あの二人組かもしれないとセダンの運転席に目を向けた時、急にパトカーの後席のドアが開いた。
「ミサキっ! 大丈夫か!」ミサキは一瞬身を固くするが、声の方に顔を向けるとソウジが血まみれの警官越しに見えた。
「そ、ソウジ?」
「すまない、無茶なことをして。でもこうでもしないと君を助け出すことはできなかったんだ」ソウジは警官を引きずりおろすと手を差し出した。
「もう! 死んだかと思ったわよ」
ミサキは安堵の吐息を漏らすとソウジの手を握った。ソウジはよろよろとふらつきながら降車するミサキを支えながら周囲の様子を伺う。
「ごめんごめん。とにかくここを離れよう。他の警官もやってくる。おっと、その前に手錠を外さないとな」ソウジは警官たちの革帯を弄り鍵を探った。
「お、あったあった。さ、腕を前に」
「この一時間に何が? なんで私が警察に捕まらなきゃならないの?」ミサキは手錠の鍵が開くのをじっと見つめながらソウジに尋ねた。冤罪とはいえ自分が逮捕されたということが未だに信じられない。
「今の君は覚えてないだろうが、あの二人に襲われそうになったんだ。君の替えの服を買って店を出た直後さ。ひどいもんだったよ、通行人のことなんて御構い無しさ。とても同じ人間とは思えない。ちょっとでも邪魔だと思ったら簡単に殺しちまうんだから。で、ちょうどその時白いバンの運転手が助けてくれてさ。僕らは急いでその車に乗っけてもらった」
「私が見たヴィジョンに出て来た車ね。それがどうしてパトカーなんかに?」手錠が取り除かれた自分の腕を撫で回しながらミサキは訝しげにソウジの顔を見た。
「実はその運転手がこっそり通報してしまったんだ」
「通報? 何よ通報って? なんで通報されなきゃいけないのよ?」
「奴らのせいだよ。君は一度交番に行っただろ? その時の殺された警官は君がやったってことになってるんだ」
「ちょっと待ってよ、あの時の首を絞められてた警官のこと? そんなのどう考えても女の私にできるわけないじゃない!」ミサキは警官を絞め殺したあの大男の太い腕を思い出した。普通に考えれば犯人とミサキが結びつくわけがない。
「そんなもの関係ないよ。前にも言ったろ? 始まりの園には警察関係者もいるって。きっとその力を借りたんだろう。いいかい? 君は今、全国指名手配犯なんだよ」
「嘘よ! なんで、なんでこんなことに……!」ミサキは頭をかかえるとその場にへたりこんだ。
「助かる方法は一つだけだ。君の研究所に行くしか他に手はない」
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