夢を見ていた

@N-nakagawa

第1話

 ずっと夢を見ていた。

ある日目の前が急に明るくなった。


小学校四年生の時だった。


私は両親と私と弟の四人家族だった。

働いている母は、夜間の外出時に弟だけを連れて行っていた。

裕美ひろみはお利口だから家で待てるわよね」

「うん、行ってらっしゃい」


家の戸締りをして、近所の食堂からかつ丼が届き、お風呂のスイッチを入れて、自分で洗濯機を回して干す。

一週間のうち3日は自分一人で過ごしていた。


母と出かけてたことはない。

どうせ母の仕事先の会議だとか集会だとかだろうと思っていたし、一人でいる事に慣れていた所為もある。


だから、ずっと自分が放置されているのだと知らなかった。

たまに母が家に居ると家族四人分の食事が用意されるけれど、私は自分だけ一人で先食べるように言われる。

私が同じ食卓に居ると私が邪魔で弟の面倒が見られないからと母が言う。

私はいつも一人で食事をとった。

父は大抵の場合、私が寝てから帰ってきていたので、朝起きて父がいる事に安堵することもあった。



かぎっ子という言葉がはやり始めた時代。

母が働いている家庭は珍しく、私が何かトラブルを起こすと母が責められるので、何もしないように言いつけられていた。


学校から帰ってきたら、宿題をしてお風呂を洗ってと言い付けられた家事をする。

夕方いったん帰宅した母が、私の家事の後を見てよくできていればかつ丼、ダメなところがあれば玉子丼を取ってくれた。

ダメなところはなぜダメなのか、どこをやり直すのか言いつけて、弟とまた出かける。

私は、食事が届くまでに、言い付けられたことをやり、いつものルーティンをこなす。


友達と遊んではだめ、テレビを見てはだめ、漫画を見てはだめと渡された本だけを何度も何度も繰り返して読んでいた。



多分最初におかしいと気が付いたのは父だと思う。


「裕美は何でいつも家の中にいるんだ?」

「お母さんが外に出ちゃダメっていうから」

「子供なんだから外で遊びたいだろう?」

「うん、でもお友達と遊んでもだめっていうし、怪我したり病気になるとお母さんがお仕事休まないといけなくなるからダメって言われてる」

「お母さんが言ったのか?」

「うん」

「でも、裕樹ひろきはいつも外で走り回っているだろう?」

「ひろちゃんは良いんだって。ひろちゃんは私と違って面倒な子じゃないから良いんだって言ってた」

その時の父の顔が思い出せない。

記憶の中の父の顔が、一瞬で真っ白になってしまっている。



それからまもなく、私は父方の伯母の家に預けられた。


伯母の家には年上の従兄弟や従妹が居て、みんなが私を構ってくる。

一人でいるようにしつけられているので、それがうざったくて仕方なかった。


だから泣いた。


お母さんもみんなも私に一人でそこに居なさいっていうのに、なんでこのおうちのみんなは私に色々するの?

やっと一人で何でもできるようになったのに、また何もできなくなってお母さんに叩かれたら痛いから嫌なの。


従妹のなっちゃんが私に聞いた。


「叩かれたことあるの?」

「お母さんは言い付けたお風呂掃除や洗濯とかお掃除とかをきちんとできないと物差しで叩くの。お風呂の隅が汚れているとか、洗濯物に皺があるとか、埃が付いているとか。もっと小さい時はちゃんとできなくて、いつも叩かれて痛くて嫌だったの」

「裕美ちゃん。裕美ちゃんはまだ10歳なんだよ。普通の10歳の女の子はねお風呂の掃除だってきちんとできないし、洗濯物だって皺があって当たり前なんだよ」


え?

まるで、舞台のカーテンが上がるようにするすると私の目の前が明るく開かれた。


今まで白いレースのカーテンの向こうに居たはずのなっちゃんがキラキラとした顔で重ねて言う。

「裕美ちゃんは、いつもうちの集まりに来ないよね。なんで?」

「うちの集まりって何?」

「うちのお母さんがいろんなことでご飯作ったりおじさんが帰ってきたりで、裕美ちゃんのお母さんと裕樹君を呼ぶけど、裕美ちゃんは嫌がってこなかったって言ってるよ」


母の仕事の後の集まりのほとんどは、親族の集まりだったのだ。


「お母さんがお仕事だから、面倒だから行かない方が良いって言って、ひろちゃんはまだ小さいから仕方ないって言って、いつも私はお留守番が良いのよって言って」

私はいつの間にか泣き出してしまった。



後に、親族の集まりは祖父の体調を見るための定期的な集まりで、祖父は孫たちに会いたいがために行われていたことを知った。

伯母は私の母に、集まることが仕事と思われているなら来なくて結構と言って、従兄弟に私を迎えに来るように言いつけて、私は家事から解放された。


「本当はうちで引き取りたいのだけれど、怪我をしたとか病気になったとかじゃないから親権って難しくてね」

伯母が私に言い含めるように言う。

「お母さんにイヤなことをされたり、叩かれたり抓られたりしたらいつでもうちにおいで、何ならうちの子になっても良いんだよ」



どうやら私はかなり可哀そうな状況だったらしい。

カエルを水からゆっくりゆでると、気が付かないうちにゆでられて死んでしまうらしいけど、そのカエルが私だったみたいだ。

死んでしまう前に周りが気が付いて助けてくれたらしいけれど、カエルだった私はいまだに気が付かない。


小学校を卒業して、母から引き離されたけれど、夢から覚めた今の方が大変だ。

私は普通の子供がするようなことができない。

伯母の家でお手伝いをしたりすると、良いんだよって言われるけれど黙って座ってテレビなんか見てられないし。

それだったら、食器の一つも洗っていた方が楽なんだけど、それを周りの人に言うと母がまた悪く言われるので言えない。

だから、結局は勉強ばかりしていた。



大人になって、父と話した。

なんでお母さんと離婚しなかったの?

あの人を解放するとまた別の人が被害にあう。裕樹だってわがまま放題で今大変だ。

ひろちゃんとはあれから会っていない。周りが合わない方が良いというのだ。


夢を見ていたころ。

私は父と母と私と弟の四人家族だった。


夢から覚めたら、私は一人になっている。

もちろん周りには祖父母も伯父伯母も従妹もいるけれど、疎外感があって仕方ない。

まるでよその家庭をガラスの向こうから見ているようだ。


今が幸せかと言われたら、よくわからない。

なら、あの頃が不幸せかと言われたら、それも良くわからない。






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