第98話 守りたいもの

 えりに間接キスを意識させられ別れたあとは、しばらく自分の出る競技はなく、ぼーっと他人が参加している競技を見ていた。


 ほとんどの競技も終わり、残るは大トリの男子リレー、女子リレーを残すのみになった。男子リレーは俺が参加する競技なのだが、ついさっき東雲から「神崎くんはアンカーになったから頑張ってね」と言われた。


 勝手に順番を決めていたらしい。文句の一つでも言ってやりたかったが、これまで順番を聞こうともしなかったり俺も悪いので、言うに言えなかった。


 そんなわけでリレーの準備を進めていると、えりがとことことやってきた。


「先輩!ちゃんと私の勇姿を見ていてくださいね!」


 えりは目をキラキラ輝かせて言ってくる。


「はいはい、ちゃんと見ててやるから」


 絶対拒否しても頷くまでうざく絡んでくるのは分かっていたのでここは素直に頷いておいた。


「ふふふ、今、赤組が勝っていてここで女子リレーが勝つと男子リレーの結果に関係なく赤組が勝利するんです!私も、アンカーなので勝負を決めてきますから!」


「そうかよ、今までずっと放課後練習頑張っていたんだし、えりならいけると思うよ。頑張ってこい」


 これまで頑張っていた雨宮のことを知っている俺としては、努力は報われて欲しかった。


「ありがとうございます!私の走っている姿を見て惚れてもいいんですよ?」


 クスッと笑って上目遣いに小悪魔的な笑みを見せてきた。


「はいはい、早く行け」


 これ以上一緒にいてもうざ絡みが始まりそうだったのでシッシッと追い払う。


「もう!少しくらい優しい反応してくださいよー」


 追い払われても嬉しそうに笑いながら、えりは去って行った。しばらくすると、女子リレーが始まった。


 えりに言われた通り、俺はグラウンドのリレーのレーンの周りからレースの様子を伺う。各クラスの代表の女子が走っていく。赤組が優勢なようで、だんだんと赤組は白組との差を広げていく。


 このままいけばアンカーのえりは逃げ切る形になりそうだ。俺の予想通り、アンカーのえりは勝っている状態でバトンを受け取った。えりは今まで練習の成果を発揮して、ぐんぐん白組のアンカーを引き離す。


 ゴールまであと少しとなり、あ、これは勝ったな、と思ったその時だった。


ーーーーえりが転んだ。


 ズサァァァと倒れる後が聞こえてきそうなほど勢いよく転び、バトンを落としてしまった。


 えりは急いでバトンを拾ってゴールを目指すが後の祭り。白組のアンカーに先にゴールをされてしまったのだった。


 あ、と思う間もない一瞬の出来事。白組は大盛り上がりでわいわいと騒いでいる。


 一方赤組は応援していた時の活気はなく、どこか暗雲とした雰囲気が漂っていた。えりのクラスの何人かがえりの元へ駆け寄り、心配の声をかけている。


 だが少し話した様子を見せると、えりは彼らのもとから離れた。そのまましょんぼりと肩を落として、とぼとぼと校舎の方に向かっていった。


 俺は突然の出来事に戸惑い声を発することも出来ない中で、その小さくなった姿を見て放っておけず、追いかける。


「おい、えり」


「先輩……」


 俺が声をかけると、えりは弱々しい声と共に振り向いた。眉をへにゃりと下げて落ち込んでいる姿にはいつもの元気さは見る影もなかった。


「……とりあえず、保健室に行くか」


「はい……」


 なんて声をかけるか迷ったが、振り向いたえりのひざから赤黒い血が滲み出ていたのでとりあえず保健室へと連れて行くことにした。


 保健室には誰もいなかったので、えりを椅子に座らせて仕方なく俺は自分で治療してやることにした。


「ほら、そこに座れ。俺が処置してやるから」


「ありがとうございます……」


 指した席にえりが座ったので、えりのひざの治療を進める。少しすると頭上から声が聞こえてきた。


「み、みんなの頑張り無駄にしちゃいました……」


 弱々しく震える声。ちらっとえりの様子を伺うと、えりは目に涙を浮かべ今にも目尻に溜まった滴が落ちそうになっていた。


「せっかく勝てそうだったのに……。チームのみんなが頑張って繋いでくれたバトンだったのに……」


 ポツリ、ポツリと小さな声で思いをこぼしていくえり。その痛々しい涙声が重く心にのしかかってくる。


「なんで転んじゃったんですかね……やっぱり私の頑張りが足らなかったのかな……」


「それはない。お前は頑張ってたよ……」


 落ち込むえりをなんとかしたくて声をかける。


 俺は見ていた、えりが放課後一生懸命練習している姿を。他の人が喋ってふざけている中でも真面目に取り組んでいた。


 たかが体育祭だと手を抜くことなく、ちゃんと毎日毎日参加して陸上部の人に教わっていて、俺はそんな姿を凄いと思っていたし、尊敬していた。


 彼女で頑張っていないというなら誰も頑張ったなんて言えない。それぐらいには彼女は真剣に走る練習をしていた。


「じゃあ、なんでこんなことになったんですか?私が頑張ったならこんな目に遭うはずがないじゃないですか……!あと少しだったのに……。もうちょっとだけ走ってたらリレーで赤組が勝って総合でも勝てたのに……」


 悲痛に泣き叫んで涙を零すえり。俯いた状態で口元はきゅっと結ばれ、目の端から頬を沿って涙が一滴、また一滴とポタポタと落ちていく。


 えりの泣き顔に胸が痛む。大事な友人の泣き顔が強烈に胸を締め付ける。


 えりには泣いて欲しくなかった。えりには笑っていて欲しかった。いつでも明るく元気でいてほしかった。


 えりの泣き顔なんて見たくない、大事な人には笑っていて欲しい、彼女には俺の隣でにこやかでいて欲しい、そう強く強く思い、気付くと俺はえりのことを抱きしめていた。


「せ、先輩……?」


 鼻声で少しだけ驚いた声を上げるえり。


「泣くなよ、えり」


 俺は優しく語りかけるように話しかける。


「ほら、こっち見ろ」


 俺は抱きしめる力を緩めて、えりと目を合わせる。えりの瞳は涙で濡れ、目頭や鼻頭が赤くなっていた。


 そんな泣き目のえりを抱きしめたまま、片手を彼女の頭へ伸ばし、ゆっくりと撫でてやる。すると、少しだけ落ち着いたのか、表情が少しだけ緩んだ。


「……確かに女子リレーは負けたけどさ、まだ総合で負けたわけじゃないだろ。結局総合で優勝すれば、一つの競技の勝ち負けなんてどうでもいいんだよ。えりのおかげで男子リレーの結果によって総合優勝が決まるようなった。えりは盛り上げ役として最高の役目果たしたんだから、むしろ俺はえりに感謝したいくらいだよ」


 俺はなんとか泣き止んでほしくて、慰めたくて優しく語りかける、


「……ふふ、なんですか、その慰め方は?慰めるにしても下手すぎます」


 俺の言葉に一瞬だけキョトンとする。そのまま目を細め少しだけおかしそうにクスッと笑い、柔らかい声でダメ出しをしてきた。


「うるさいな、人を慰めることなんてしたことないんだから仕方ないだろ。いいか、えり、泣いている暇があるなら、俺のことちゃんと見とけよ。男子リレーで勝ってお前のミスなんて帳消しにしてやるよ」


「……じゃあお願いしますね、先輩」


 涙を目尻に溜めながら笑ったえりを横目に俺はグラウンドへと向かった。

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