第99話 見せたいもの

 リレーの代表に選ばる、それはとても嬉しいことで、そしてとてもプレッシャーがかかるものでした。


 選ばれた以上はちゃんとやりたいですし、せっかくですから先輩に活躍するところを見せて少しでも魅力的な人だと思ってほしいので、練習は手を抜かず一生懸命頑張りました。


 それにやはり周りの人の迷惑にもなりたくなかったので、そういう意味でも毎日練習し続けました。


 まもなくその練習の成果を発揮する時間になったので、念を押すために先輩の元へ向かいました。


「先輩!ちゃんと私の勇姿を見ていてくださいね!」


 ちゃんと見てもらって私が魅力的な女の子であることをより一層知ってもらうんです!


「はいはい、ちゃんと見ててやるから」


 いつものように雑な言い方をされますがどこか親しみのこもった感じあって、以前と比べると気を許してくれていることを改めて実感してなんだか嬉しくなります。


「ふふふ、今、赤組が勝っていてここで女子リレーが勝つと男子リレーの結果に関係なく赤組が勝利するんです!私も、アンカーなので勝負を決めてきますから!」


 まさに私が活躍するためにセットされたような設定に熱くなります。ここで活躍すれば先輩も私にメロメロになるに違いありません。


「そうかよ、今までずっと放課後練習頑張っていたんだし、えりならいけると思うよ。頑張ってこい」


「ありがとうございます!私の走っている姿を見て惚れてもいいんですよ?」


 私が練習していたことを知っていてくれた、その事実に胸が熱くなります。


 ふふふ、なんだかんだ私のことを見てくれる先輩は優しくて大好きです。つい嬉しくてからかうような言い方になってしまいました。


「はいはい、早く行け」


「もう!少しくらい優しい反応してくださいよー」


 シッシと追い払われてしまいましたが、それでもやっぱり先輩は優しくて口元が緩んでしまいます。先輩からの激励ももらえたので、リレーの集まる場所へと向かいました。


 しばらくすると、女子リレーが始まりました。各クラスの代表の女子が走ってはバトンを繋いで競っていきます。私達赤組が優勢なようで、だんだんと赤組は白組との差を広げていきます。


 このままいけばアンカーの私は逃げる形でバトンをもらいそうです。はあ、緊張します……。失敗したらどうしましょう。責任は重大です。


 ドキドキする心臓をなんとか落ち着かせながら待ち続け、予想通り赤組が勝っている状態でバトンを受け取りました。今までの練習の成果もありうまくバトンを受け取れたので、このままいけば勝てそうです。


 あと少し。あと少し。乱れる呼吸で苦しいですがなんとか足を動かして、進みます。ゴールまであとちょっと、そう思ったときでした。


 ーーーー気付くと地面に手をついていました。


 痛い。膝からズキズキと血が滲んでいるのを感じます。痛みで足が止まりそうになりますが、なんとか足を動かして立ち上がります。ですが、顔を上げるともうすでに白組のアンカーはゴールしていました……。


 どうして…。あと少しだったのに。なんでこんなことに……。なんで。なんで。なんで……。なんで……。なんで……。


 どんよりと暗い後悔で目の前がぐらぐらします。白組の歓声が遠くに聞こえる気がしてより一層気持ちは深く深く沈んでいきます。


 私のせいです。私が転ばなければ赤組の勝利が決まっていたのに。みんな期待していたのに……私が裏切ってしまいました。私のせいで……。


 みんなの顔を見るのが怖いです。落ち込んだクラスメイトの顔を見るのが怖いです。一体どう思ったでしょうか?もしかしたら責められるかもしれません。


 なんとかゴールした後もすぐにクラスの元に向かう勇気がでず、とりあえず足の怪我の治療をするため保健室に向かうことにしました。


「えり、大丈夫?」


「雨宮、怪我平気か?」


 保健室に向かう途中で何人かのクラスの人たちが心配そうな声で話しかけてきました。


「……はい、血は止まっているので。心配してくれる気持ちは嬉しいのですが……その、少し1人にしてもらえると助かります」


「……分かったわ。でも、誰もえりのせいなんて思ってないからそこは安心して」


 クラスの人の気持ちはありがたいですが、やはり顔を見ることは出来ず、顔を伏せたままその場を離れました。


 はぁ、少し冷たい対応をしてしまいました。あとで謝らないと……。


 ……なんであんなところで転んでしまったのでしょう。練習で転んだことなんてなかったのに。考えれば考えるほど辛くて涙が出そうです。でもここで泣くわけにはいきません。もう少し人のいないところで……。あと少しだけ我慢して……。


 泣きたい気持ちを我慢して、重い足取りで保健室へ向かおうとした時でした。


「おい、えり」


「先輩……」


 聞き馴染んだ声。私の大好きな人の声。聞くだけで胸が躍る声。冷たいのにどこか柔らかくて優しい声。


 なんでこんな時に。こんなタイミングで来るなんて。こんな弱っている時に声をかけられたら……。


 ああ、泣きそうです。せっかく我慢していたのに。ずるい人です。こんな時に声をかけてくるなんて。先輩の優しさは嬉しいですが、こんな時に来たら甘えたくなってしまいます。慰めて欲しくなっちゃいます。全部全部受け止めてほしくて、先輩の優しさにつけこんでしまいそうです。


「……とりあえず、保健室に行くか」


「はい……」


 先輩の前では元気な女の子でいないと。そう思いますが一度芽生えたずるい慰めて欲しいという欲求には逆えず、先輩の後ろをついて行きました。


「ほら、そこに座れ。俺が処置してやるから」


「ありがとうございます……」


 保健室に着くと、私を座らせて先輩は治療を始めました。優しく大事なものを触るような手つき丁寧に、丁寧に治療してくれます。


 なんだかその優しさがどうしようもなく我慢できなくなって、つい想いが溢れてしまいました。


「み、みんなの頑張り無駄にしちゃいました……」


 我慢したいはずの涙は、私の頰を伝い、膝へと落ちていきました。


 一度吐き出せば止まりません。次々と想いが溢れ出ます。抑えていた沢山の弱音はどんどん出てしまいます。


「せっかく勝てそうだったのに……。チームのみんなが頑張って繋いでくれたバトンだったのに……」


 こんなこと言ったところで先輩を困らせるだけだと分かっているのに。もう終わったことなんですから切り替えるしかないのに。元気で魅力的なことが私の取り柄なのに。なんでこんな弱っている姿を見せているのでしょう。


 嫌われないでしょうか?めんどくさいと思われないでしょうか?


「なんで転んじゃったんですかね……やっぱり私の頑張りが足らなかったのかな……」


「それはない。お前は頑張ってたよ……」


 先輩はくしゃりと渋そうに目を細め、どこか困ったような表情でそう慰めてくれます。


 ああ、迷惑になってないでしょうか?なんでこんなこと話してしまったのでしょう。


 分かっています。こんなこと話しても何も変わらないのに。前を向くしかないなんて頭では理解しています。それでもどうしようもなく気になってしまうのです。あの時転ばなければ。せめてあと少し走ってゴールしてから転んでいれば。


 頑張ったことが結果を結ぶなら、なんでこんなひどいことになっているんでしょう。どうしてこんな悲しい目に合わなければいけないんでしょう。


 頑張って走って準備をしていたのに。みんなで喜んで楽しく終わりたかったのに。頑張っていたならそのくらいいいじゃないですか……。なんでそんなことさえダメなんですか!


「じゃあ、なんでこんなことになったんですか?私が頑張ったならこんな目に遭うはずがないじゃないですか……!あと少しだったのに……。もうちょっとだけ走ってたらリレーで赤組が勝って総合でも勝てたのに……」


 これは八つ当たりです。先輩に言ったところで困らせるだけ。言う必要ないこと。ただ苛立ちをぶつけただけ。言い終えてだんだんと後悔が心を包み込みました。


 私はなんて最悪なことをしてしまったのでしょう。嫌われてしまったかもしれません。こんな当たるようなことをする女の子なんて嫌われても仕方ありません。


 なんで当たってしまったんでしょう……。なんて最低なことをしてしまったのでしょう。もう嫌です。自分が嫌になります。自分が嫌いになりそうです。


 思ってもない行動してしまった自分に嫌気がさして、自己嫌悪に陥りそうになった時でした。


 ぎゅっと力強く温かいもので包み込まれました。


「せ、先輩……?」


 気付くと先輩に抱きしめられていました。


「泣くなよ、えり」


 耳元でこれまで聞いたことがないほど優しく思いやるように、温かいもので包み込むように囁く声が聞こえました。


「ほら、こっち見ろ」


 抱きしめらていた腕の力が緩んだかと思うと、先輩と目が合いました。いつもの鋭い目つきではなく、優しげで慈しむような柔らかい目でした。


 暗く沈んでいた心にふわりと温かなものが入ってくる感じがしました。先輩は私の目を見ると、ゆっくりと片手を私の頭に乗せて優しく優しく撫で始めました。撫でられるたびにだんだんと荒んだ心が癒されて冷静に戻っていきます。


 心地よい感覚が心を包み込んでいき、安堵に満たされました。


「……確かに女子リレーは負けたけどさ、まだ総合で負けたわけじゃないだろ。結局総合で優勝すれば、一つの競技の勝ち負けなんてどうでもいいんだよ。えりのおかげで男子リレーの結果によって総合優勝が決まるようなった。えりは盛り上げ役として最高の役目果たしたんだから、むしろ俺はえりに感謝したいくらいだよ」


 先輩は普段しない饒舌な口調で話始めました。なんとも慣れていないようで、少しだけ恥ずかしそうにしながらも言い切りました。


「……ふふ、なんですか、その慰め方は?慰めるにしても下手すぎます」


 理由も変だし、もっとスマートなありきたりな慰め方もあったでしょうに。ですが妙な慰め方はなんだか先輩らしくて嬉しくなりました。


 慣れていないことを頑張ろうとして一生懸命になる姿が嬉しくてキュンと胸が締まり、つい笑みが溢れ出てしまいました。


「うるさいな、人を慰めることなんてしたことないんだから仕方ないだろ。いいか、えり、泣いている暇があるなら、俺のことちゃんと見とけよ。男子リレーで勝ってお前のミスなんて帳消しにしてやるよ」


「……じゃあお願いしますね、先輩」


 どこか覚悟を決めた表情でそう言い残して先輩は去っていきました。なんだかその姿はとてもかっこよくていつまでも脳裏から離れませんでした。

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