第78話 意地悪37(あーん3)

「もう、いいぞ」


 雨宮が顔を赤くしながら俺の体を拭く姿に満足した俺は、雨宮に声をかけてやる。


「お、終わりですか?わ、分かりました……」


 俺の声に反応した雨宮はちらっとこちらに潤んだ目を見せて、俺からゆっくりと離れた。まだ落ち着かないのか、雨宮の顔は真っ赤に染まったままだ。


 さて、どうするか……。


 見舞いに来てくれたのは嬉しいが、特に意地悪が思いつかない。着替えながら今後について考えていた時、ぐー、と俺のお腹がなった。昼間はずっとベッドにいて昼ご飯を食べていなかったことに気づく。


「ふふふ、お腹空いているみたいですね。何か作りましょうか?」


 そんな俺のお腹の音を聞いてクスクス笑いながら、雨宮は優しげな表情で提案した。


「作れるのか?」


 前回のカレーの時の不器用さを思い出して、疑問に思う。


「ちょ、ちょっと!わ、私だって頑張れば作れるんですからね!?」


 焦ったように瞳を左右に揺らしながら、声を上擦らせる雨宮。料理の腕を心配されたことがよ気に障ったのか、不満げに頬を膨らませて睨んでくる。


「ふっ」


 だがまったく怖くないその睨み顔は、普段が整っている顔だからこそ余計に見ていておかしく、少し笑ってしまった。


「……!?し、信じていなんですか!?」


 俺が笑ったことがさらに不満だったのか顔を赤くして、さらに頬を膨らませてくる。パンパンに膨らんだ頬に目が惹かれ、つい指で頬を押してしまった。


 プスー、という間抜けな音とともに雨宮はいつもの整った顔に戻る。


「!?も、もう!何するんですか!?」


 怒っているのにさらにちょっかいをかける俺に、顔を真っ赤にして早口で文句をまくしたててくる雨宮。


「すまん、ついな」


 その怒り様がまた面白く、笑いがこみ上げ俺は肩を震わせながら謝る。


「も、もう!私が作ってきますから先輩はここで大人しくしていてくださいね!?」


 プイッとそっぽを向きながら雨宮は立ち上がり、台所の方へ歩いていった。しばらく経つといい匂いが台所の方が漂ってくる。その匂いに俺のお腹は活発化し、ぐーっと何回も鳴っていた。


「……先輩、出来ました」


 ドアを開けながら、雨宮が料理を持って入ってきた。なぜか雨宮の表情は少し硬い。雨宮は俺の元へ歩いてくると、ベッドの脇に座った。


「何作ったんだ?」


 雨宮の料理の腕が信用できない俺は、少し不安で尋ねる。


「……えっと、卵粥です」


 少しだけ落ちた声が気になったが、特に言及はしなかった。


「じゃあ、先輩、食べさせてあげますね?私の愛情がたっぷり籠もったおかゆを味わってください!」


 いつもの調子に戻ると、おかゆを掬い上げてふーふーと冷ましている。口元が突き出すように窄み、雨宮の赤い果実のような唇が嫌でも目につく。


 ぷるんと柔らかく健康的な色の唇は、劣情を誘うように魅力的で、思わず俺は固まって見入ってしまった。


「先輩?」


 声かけられ意識を取り戻すと、目の前には蓮華で掬われたおかゆが差し出されていた。きょとんと不思議そうに首を傾げてる雨宮の姿が目に入る。相変わらずのくりくりとした黒曜石のように輝く瞳は小動物的で保護欲がそそられた。


「……なんでもない」


 ふと湧き上がった気持ちを飲み込み、俺は差し出されたおかゆを食べる。お腹に優しい程度に温かい米は柔らかく、塩気も強くなく食べやすい。


 卵のこくが口の中に広がり十分に美味しいと言える。だが気になるところが一つあった。それはさっきまでの雨宮の反応と組み合わさり、一つの答えを出す。


「なぁ、雨宮」


「な、なんですか……?」


 俺が声をかけると目をうろうろとさせて、雨宮は明らかに動揺しているのが分かるほど狼狽えている。


「このおかゆの味、俺知ってるんだけど?」


「わ、私の味付けなのに、そんなわけないじゃないですか。気のせいですよ」


 上擦った声は雨宮の言葉をより白白しくさせる。


「これ、レトルトだろ。なにが私の愛情たっぷりだよ。一欠片も入ってないだろうが」


 ジト目で俺は雨宮を見る。雨宮は居心地の悪そうにして、目を逸らした。


「あはは。ほ、ほら、レトルトでも想いを込めてレンジで温めれば愛情は入るかなーって……」


 乾いた笑い声を出しながら、俯いてしまった。


「入らないから。それで、お前が作ったやつはあるんだろ?」


「へ?な、なんでそれを……?あ、ありますけど……」


 俯いた顔を上げ、申し訳なさそうに眉をヘニャリと下げる雨宮。伏し目がちに紡がれた弱弱しい言葉が、より悲しさを醸し出している。雨宮は最初から誤魔化すようなやつではない。


 おそらく最初は料理を作ったのだが失敗して慌ててレトルトにしたのだろう。


「それ寄越せよ」


「で、でも失敗しちゃって……」


 沈んだ声で小さく返事をする雨宮。


「いいから寄越せって。別にお前の腕が下手くそなのは知ってるから」


「は、はい!」


 少しだけ声が明るくなり、雨宮は台所へ向かった。別に悲しそうにしている雨宮が気になったわけではない。食べ物を無駄にしたくないだけ。そう俺は誰に言うでもなく心の中で説明して、雨宮が台所から戻ってくるのを待った。


 戻ってきた雨宮の手にはやはり卵粥かあった。


「どうぞ……」


 今度は、俺に食べさせてくることなくゆっくりと俺の前に差し出してくる。


「じゃあ、いただきます」


 俺は自分でおかゆを掬い頬張る。水を入れすぎたのか、米の食感は弱くどろどろな感じになっていて、焦げたのか苦味が感じる部分もある。塩気は少し強いが気になるほどではない。


 レトルトの作られた味ではなく、手作りの人の温かさのある味はさっきの何倍も俺の心を癒し、とても美味しかった。


「ちゃんと、美味しいぞ」


 心配そうに俺のことを見つめていた雨宮にそう声をかけてやる。


「ほ、ほんとですか……?」


 それでもまだ不安が拭えないのか、雨宮は上目遣いに弱々しく尋ねてくる。


「ああ、ちゃんと作れている」


 人を褒めるのに慣れていない俺は、少し気恥ずかしく、思わず雨宮から目を逸らしてしまった。


「よかったです」


 ホッと口元を緩ませ、嬉しそうに目を細める雨宮。その様子になぜか俺も安堵した。


「ほら、じゃあ食べさせてくれ」


 まったく、俺に気を使わせるな。俺に気を使わせた分はこき使って解消してやろう。そう思って俺は雨宮に言った。


「わかりました!」


 雨宮はいつもの調子に戻り、明るく弾んだ声で返事をしてくるのだった。





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