第68話 意地悪33(お姫様抱っこ)

 しばらく黙り、お互いに視線を交換し合う、そんな時間が続いた。雨宮がゼリーを食べ終わるのを見届ける。

 落ち着いたのか、雨宮から顔の赤みが消えつつあった。ゼリーを食べ終わりスプーンを置くと、俺の方をちらちらと見始め、少しずつだが確かにまた頰が桜色に染まり始めた。


 一体どうしたんだ?


 雨宮の様子の変化に違和感を感じ、そんなこと思った時だった。


「あ!」


 雨宮が急にベッドから降りて立ち上がった。


「どうした?」


「せ、先輩に飲み物出すの忘れてました!下から持ってきますね!」


「いい。すぐ帰るから、大丈夫だ。大人しく寝てろ」


 雨宮のわざとらしい言い方が少し気になったが、それよりも体調の悪い雨宮が心配で、俺は注意した。

 だが、俺の注意を無視して雨宮は立ち上がり動き始める。一歩、俺の方へ近づいた時だった。


「あっ……」


「は?」


 雨宮はつまづき、俺のほうへ倒れ込んできた。俺は座っていたので、雨宮を抱きすくめるようにして受け止めてしまう。抱き留めた瞬間、ふわりと甘いフローラルな雨宮の香りが漂う。自分よりも高い体温にじんわりと熱が伝わってくる。


「なにやって……」


 注意したのに無視して転んだ雨宮に、文句を言おうとしたとき、雨宮の顔の近さに言葉を失ってしまった。


 白い肌が色づき赤に染まり普段より上気した頰、熱のせいで潤んだ瞳、部屋の明かりを反射し煌めく長い睫毛、赤く熟れた果実のような唇が、吐息が届きそうなほど近い目の前にある。


 普段から雨宮は美少女だとは思っていたが、間近で見て改めて認識した。並外れた美少女の色っぽい姿にドキリと胸が高鳴る。


 ああ、熱い。顔に熱が集まり始める。雨宮を意識しないようにと考えれば考えるほどに、身体から熱が生まれ、顔に集中していった。


「ご、ごめんなさい、先輩」


 倒れ込んできた雨宮が謝ってくる。最初は申し訳なさそうにしていたが、その途中でからかう表情に変わった。


「ふふふ、顔が赤いですよ?」


 からかう表情で満足げな雨宮が腹立たしい。


「うるさい、気のせいだろ」


 顔が赤くなっていることなど自覚している。それでも認めるのはしゃくだ。意地を張るように強い口調で言い返す。


「ふふふ、そうですね、そういうことにしておきますね〜」


 だが、雨宮は俺の口調に怯えることなく、からかう表情を崩すことはなかった。そんな表情を見せられれば、やり返したくなる。その余裕な表情、崩してやる。だがどうやって崩すかが問題だな。どうしたものか……。


 くくく、意地悪を閃いてしまった!さぁ、そのむかつく顔を羞恥に染めてやろう。


「まったく、何転んでんだよ。危ないだろ。」


「え、あ、はい。すみません」


 俺の言葉にしゅんと大人しくなる。くくく、今だ!


 大人しくなったその隙に、俺は抱き抱えていた雨宮をそのまま仰向けになるように体勢を腕の中で変える。そしてそのまま立ち上がった。


「ひゃ、ひゃあ!?ちょっと、先輩!?」


 抱き上げた瞬間、甲高い悲鳴が小さく雨宮の口から上がる。一瞬で顔が真っ赤に染まり、潤んだ瞳はこっちをチラチラと捉える。


 くくく、慌ててやがるな。今頃雨宮の心の中は、体重のことで頭がいっぱいだろう。女の子という生き物は体重を気にすると聞く。こうやって抱えられた状態なら、相手に自分の体重が大体伝わってしまうのは明確だ。


 相手に体重を知られるその羞恥、屈辱はどれほどのものだろう。予想通り、雨宮の顔は真っ赤だ。我ながら最高の意地悪だ!


「どうした?雨宮、顔が真っ赤だぞ?」


 言われたセリフをそのまま返してやる。やられて黙っている俺ではない!おっと、最高の意趣返しが出来たおかげでついにやけてしまった。


「……っ!?そ、それは、先輩が……」


 ただでさえ赤かった顔が、茹で上がりそうなほどさらに真っ赤になる。最初こそ言葉を発したが、すぐに静かになり、大人しく俺の腕の中に収まって黙ってしまった。


 十分にやり返したところで満足すると、だんだん頭は冷静さを取り戻していく。それにしても雨宮の心臓がすごいうるさいな。俺の腕に触れている雨宮の首のところからやけに激しい脈が伝わってくる。もしかして、体調が本当はもっと悪いのではないか?


 あまりに脈が激しいので俺は少し心配になり尋ねた。だがその答えは予想外のものだった。


「なぁ、雨宮、心臓がうるさいんだが、大丈夫か?」



「……だ、大丈夫じゃないですよ……!こんな格好で抱き上げられたら、ドキドキするに決まってるじゃないですか!?」


 まだ治らない真っ赤な顔で上目遣いで、少しだけ睨みつけるように文句を言ってきた。


「こんな格好?抱き上げただけだろ?」


「お姫様抱っこですよ!?それを好きな人にされれば、ときめかない方がおかしいじゃないですか……。それに先輩とこんなにくっつくいていたら、ドキドキはいつまで経っても治らないです……」


「なっ!?」


 桜色に染まった顔で、消え入りそうなほど小さい声でそう溢す雨宮。その返事に俺は自覚した。確かにこの格好はいわゆるお姫様抱っこだった。


 今の現状を認識した途端、顔がかあっと熱くなる。冷静になろうと努めるが、甘く蕩けるような声でこぼした雨宮の言葉が思い出される。


 一瞬で冷静さは吹き飛び、ますます俺の顔に熱が集まるのだった。なんと返していいか分からず、俺は黙ったまま固まってしまった。

俺と雨宮が両方とも黙り静かになった部屋の中で、ドキドキと鳴り響く心臓を感じた。


 その心臓が俺のものなのか、雨宮のものなのか分からなかった。

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