第61話 被害29(おねだり)

「これで具材を切るのは終わりだな」


「や、やっと終わりですか……。もう、先輩近すぎです……」


 なんとか先輩の接触から耐え切りました……!もうこんなに触られたのは初めてです。ドキドキしすぎて息が苦しかったです。


 もう頭の中は真っ白で先輩に色々教えてもらいましたがまったく頭に入ってきませんでした……。


 覚えられなくても私のせいじゃありません。絶対先輩のせいですから。


「あとは煮込むだけだからこっちでやっておく。雨宮は部屋に戻ってていいぞ」


「わ、わかりました」


 まだ心臓の動悸が収まりません。後ろから指導されていた時のことが夢のようでした。

 夢心地が覚めやまぬまま、足元をふらつかせながらなんとか部屋に戻ることができました。


 それからしばらくの間待っていると、ふわりとスパイスの効いたいい香りが台所から漂ってきました。


「先輩?カレー出来ましたか?」


 様子を伺うためドアを開けてひょっこりと顔を出して、台所に立つ先輩の方に声をかけます。


「もうすぐ出来るぞ。このスプーンとコップを部屋の机に運んで」


「分かりました!先輩のカレー、楽しみです!」


 お手伝いをするように言われたので、せっせと食器を運びます。なんていいますかこの感じ、同棲しているカップルっぽくてドキドキします……!


 カップルっぽい雰囲気を感じ少しだけ嬉しくなります。


「運んできました!」


 運び終わり、先輩の横に立って鍋を見下ろします。


「まだですかね〜?」


 既にとろみがついており、もう美味しそうです。


「もう出来たぞ。装うから運んで」


「完成ですか!?分かりました!」


 やっと完成したみたいです。先輩と一緒に頑張って作ったので楽しみです!完成したカレーを部屋の机に運んでいきます。


 そして先輩と向かい合って席に座りました。


「「いただきます」」


 食事の挨拶を終え、まずはカレーを一口いただきます。


「ん〜〜〜っ!美味しいです!」


 コクと肉や野菜の旨味が凝縮されていて、一瞬で口の中に広がります。スパイスの効いたカレーが普段と違いますが、辛すぎないので食べやすいです。


「あまり辛いカレーは好きじゃないのですが、このカレーはちょうど良くて、食欲がそそられます!本当に美味しいです、先輩!」


 あまりにおいしくてつい、笑顔が溢れてしまいました。それからしばらくの間、学校の色んな出来事などを話していました。


 そんな会話は楽しく、先輩も嫌そうな顔を見せることがなくとても幸せな時間でした。そんな幸せな時間が続いていると、つい私は自惚れたくなってしまいました。


 今なら、先輩の話聞けるでしょうか?


 別に今の関係に不満があるわけではありません。ですが少しだけ次の関係に踏み出したくなったのです。関係が進むにはどうしても先輩のそういった人を避ける話に触れなければなりません。


 先輩が人を拒むのは、過去に家族か友人関係で問題があったからなんだとは薄々勘付いていました。ですが、それを触れるべきか触れないべきかこれまで私は悩み、結局触れることが出来ませんでした。


 触れれば確実に嫌な顔をされるからです。誰だって家族や友人関係などのプライベートな話にずかずかと入ってこられれば、嫌になります。


 でもそれでももっと関係を進めたくて、それを承知で私は話を切り出しました。


「……そういえば、先輩はやっぱり一人暮らしだったんですね」


「……ああ、そうだぞ。雨宮は?」


「……私は、私とお母さんとお父さんの3人で住んでます…」


 ああ、失敗してしまいました……。なんで私聞いてしまったんでしょう……。先輩の冷たい語調に背筋が凍りました。


 はあ、またやってしまいました。やっぱりもっと親しくなってからにするべきでした……。


 なんで私はいけると思ったのでしょう。つい幸せな会話が続いて勘違いしてしまいました。どんどん後悔が心の奥底に積み重なっていきます。


 そして積み重なるたびに心は重く沈み、悲しみが溢れ出てきました。ひどく重苦しい雰囲気に口を閉ざします。なにを話していいかわかりません。


 会話に困り沈黙が続いていると、


「……まあ、その……あれだ。そのうち話す……」


 先輩がおずおずと躊躇いがちに小さくそう話してくれました。


 一瞬で心が明るくなります。


 先輩が許してくれました……!少しだけ近づくのを許可してくれました……!


 あの人嫌いの先輩が話すと約束してくれた事実に喜び震えます。


 嬉しいです。本当に嬉しいです。頑張って聞いたかいがありました……!聞けてよかったです!


「……!はい!分かりました!」


 嬉しくなった私は、また止まることなく話し始めました。先輩との夕食は夢のようなひと時で経つ時間が早いです。


 カレーも美味しくどんどん食が進み、残りが少なくなってきました……。


 もう今日はあーんはしないのでしょうか……?


 せっかくの2人きりの時間ですし、恋人っぽいことはしてみたいです。お弁当の時とか一緒に出掛けた時はあーんしてきたのになんで今日はしないんでしょうか……?


「どうした?」


 私が疑問を持っていることに先輩は気づいたようで話しかけてきました。



「……え、えっと……」


 ……き、聞けるわけないじゃないですか……!なんとか聞こうと思いますが、私ががっついているみたいで恥ずかしいです。

 あーんして欲しいだなんて、恥ずかしくて言えません。


「なんだよ、言ってみろ」


 ですが躊躇っていると先輩は急かしてきます。


「……そ、その今回は食べさせたりしないんだなって思って……」


 頑張って遠回しに言います。

 ああ、言ってしまいました……!絶対これ気付かれましたよね?嫌がられないでしょうか……?


「食べさせて欲しいのか?」


 なんだか少し楽しそうに聞いてきます。


「え、えっと……た、食べさせて欲しいです……」


 先輩の誘導のせいで結局言わされてしまいました……。こんなの恥ずかしすぎます……!ああ、もう、また顔が熱くなってきました。


「ふーん、ちゃんと人に頼む時はお願いしないとダメだろ?しかも人と話すときは目を合わせないとな。ほら、『お願いします』は?」


「え?え!?……わ、分かりました」


 せ、先輩がドSです……!


 私におねだりさせてきます。絶対分かってて言ってます。もう、先輩は本当に意地悪です!頑張って俯いていた顔をあげ、先輩と目を合わせます。


 わ、わあ!先輩がめちゃくちゃこっちを見ています!こんなに見られながら言わないといけないんですか……!?


 覚悟を決めて私は口を開きました。


「た、食べさせて下さい……。お願いします……」


 なんとか声を震わせながら言い切ることが出来ました。言わせてくるなんて本当に意地悪です。恥ずかしくて顔が熱くなってしまったじゃないですか。


「仕方ないな、ほらよ」


 先輩は満足した表情を見せて、私にカレーを差し出してくれました。


 や、やっぱり何回やってもあーんは恥ずかしいですね……。


 燃えそうに熱い身体を感じながら、なんとか食べることが出来ました。は、はぁ、やっと終わりました……。あーんをおねだりしただけでこんな間に遭うなんて思いもしませんでした。


「また、食べるか?」


 食べ終えてほっと息を吐いているとそんなことを先輩が尋ねてきました。


 え?え!?それはもちろん食べたいですが……。


「……た、食べたいです……」


 次を望むことを口にする自分に耐えきれず、思わず顔を隠します。


「じゃあ、何を言わなきゃいけないか分かるよな?」


「ま、また言うんですか……!?」


 やっぱり言わせるみたいです。今日の先輩は本当にドSです……!


「なんだ、言わないならやらないからな」


 私の反応を楽しむようにしています。


「い、言います!言いますから!ちょっとだけ待って下さい……」


 心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返しますが全く治りません。それどころかどんどん激しくなっていきます。


「……も、もう一回食べさせて下さい……」


 うるさい心臓を抑えて、なんとか想いを絞り出しました……。


 こうして結局私は、いつも以上にドSな先輩に何度もおねだりをさせられるのでした。

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