第60話 意地悪29(おねだり)

「これで具材を切るのは終わりだな」


「や、やっと終わりですか…。もう、先輩近すぎです…」


 顔を真っ赤にしながら半分睨むように涙目でこっちを見てくる雨宮。息が絶え絶えになり肩で息をしている。


 ふっ、やはり俺の意地悪が効いていたらしいな。苛立ちのあまり顔が真っ赤だ。あんなに何度も言ってやったのだからイラつくのはもっともだろう。


「あとは煮込むだけだからこっちでやっておく。雨宮は部屋に戻ってていいぞ」


「わ、分かりました」


 うなじまで茜色に染めながら胸を抑えるようにして、ヨタヨタと足元がおぼつかないまま部屋へと歩いていった。

 それからしばらくの間、雨宮のいなくなった台所でぐつぐつとカレーを煮込んでいく。


ふわりとスパイスの効いたいい香りが台所に立ち込める。


「先輩?カレー出来ましたか?」


 部屋の方にも匂いが届いたらしい。ドアを開けてひょっこりと顔を出して、少しワクワクした表情でこっちを見てくる。


「もうすぐ出来るぞ。このスプーンとコップを部屋の机に運んで」


「分かりました!先輩のカレー、楽しみです!」


 雨宮はパァと顔を輝かせて、楽しげに食器を運んで部屋の中に消えていった。


「運んできました!」


 部屋のドアが開くと、少し大きめの明るい声で言いながら、ちょこちょこと歩いてこっちに来る雨宮。


「まだですかね〜?」


 俺の隣に並び声を弾ませて、俺がかき混ぜる鍋の中身を確認している。


「もう出来たぞ。装うから運んで」


「完成ですか!?分かりました!」


 満面の笑みを浮かべて頷く。無事カレーも完成し、夕食の準備を終えた。机に広げられた夕食を前に雨宮と向かい合って席に着く。


「「いただきます」」


 食事の挨拶を終えると、雨宮はスプーンでカレーをすくいパクリと頬張った。


「ん〜〜〜っ!美味しいです!」


 食べた瞬間、衝撃を受けたように目を大きくする雨宮。しかしすぐに顔を緩ませ笑みが綻ぶ。桜色に色づいた顔に柔らかい笑みが浮かび上がる。


「あまり辛いカレーは好きじゃないのですが、このカレーはちょうど良くて、食欲がそそられます!本当に美味しいです、先輩!」


 そこまで満面の笑みを浮かべていれば、本音で言っているのが丸わかりだ。カレーのルーをいくつか混ぜただけだというのに、こんなに喜ぶとは単純な奴だ。だがまあ作った料理を褒められて悪い気はしないな。

 雨宮の言葉に少しだけ心が温まるのを感じた。


「……そういえば、先輩はやっぱり一人暮らしだったんですね」


「……ああ、そうだぞ。雨宮は?」


 しばらく会話をしていてさりげなく聞かれたそのセリフに、思わず普段より低い声が出る。自分でも驚くほど冷気を帯びた声だった。

 閉じていた傷がズキリと痛む。いやでも親のことを思い出され忌々しい記憶が蘇る。苦々しく鋭い痛みを拒絶するように俺はすぐに話題を逸らした。


「……私は、私とお母さんとお父さんの3人で住んでます……」


 俺の低い声音にビクッと身体を強張らせると、弱々しくそう答えて静かになった。俺も雨宮も黙り、俺と雨宮の間に気まずい雰囲気が漂う。どんよりと粘りつくような重苦しい空気に、吸う胸が痛い。


 カチカチ


 部屋に備え付けた時計の音だけが耳に届く。ちらりと雨宮の様子を伺うと、眉をヘニャリと下げ、困り顔で上目遣いにこっちを見てくる。落ち込んだように軽く下を向き肩を落としている。

 口元はきゅっと結び、見ているこっちが痛そうなほどに唇を噛み締めていた。


「……っ」


 その雨宮の歪んだ表情に耐えきれず、俺は口を開いた。


「……まあ、その……あれだ。そのうち話す……」


 何についてとは言わない。言わなくても雨宮なら伝わるだろう。まただ。雨宮が側にいるとどうしても調子が狂う。わざわざ自分のことを話す必要などないのに。閉ざした心がまた少しだけ緩むのを感じた。


「……!はい!分かりました!」


 俺の返事に雨宮の顔はパァッと明るくなり、また饒舌に次々と話をし始める。


 ふぅ、元の調子に戻ったな。


 俺はそんな雨宮の様子にホッと心の中で安心するのだった。1人の静かな食事とは異なり、賑やかな食事が進んでいく。最初の方こそ楽しそうに話していたのだが、カレーの食が進むごとに、何か言いたげな表情をこっちに向けてくるようになってきた。


 その頻度はカレーが終わりそうになるにつれて上がっていく。そしてとうとうカレーもあと少しで終わりそうだなという時、雨宮の手が止まる。


どうしたんだ?


 雨宮の方を見ると、もじもじと頰をほんのり赤らめながら言いにくそうにしており、チラチラと視線をこっちに送ってくる。


「どうした?」


「……え、えっと……」


 かぁっとさらに頰を赤くして口を開くがまだ言いにくいのか、パクパクと口を動かすだけで声にならない。


「なんだよ、言ってみろ」


「……そ、その今回は食べさせたりしないんだなって思って……」


 耳まで真っ赤に染まりながら、小さくそう溢した。言い終わるとすぐに俯いてしまった。だが返事が気になるのか、上目遣いでこっちの様子を伺ってくる。ちらりとこっちを見てくるたび、その茜色に染まった頰が印象に残る。


「食べさせて欲しいのか?」


 なんだこいつ、ドMか?わざわざ自分から食べる時の間抜け顔を晒しにいくとは。まあ、そこまで望むならやってやるよ。


「え、えっと……た、食べさせて欲しいです……」


 躊躇いがちに、か細い声でなんとか想いを絞り出す雨宮。もはやこっちを見る余裕がないようで、視線が机の上を行ったり来たりしている。


「ふーん、ちゃんと人に頼む時はお願いしないとダメだろ?しかも人と話すときは目を合わせないとな。ほら、『お願いします』は?」


 プライドが高い奴にとってお願いすることは堪えるだろう。くくく、お前のそのプライドをへし折ってくれるわ!


「え?え!?……わ、分かりました」


 俺の指示に変な声を上げ、ゆっくりと視線を上げる。雨宮の顔はかつてないほど真っ赤に染まったいる。やはりプライドに堪えるようで、俺と合わせた目は潤み、光が当たるたび煌く。


「た、食べさせて下さい……。お願いします……」


 ごくりと息を飲み込み口を開く。声を震わせ、糸よりも細くも可憐な声でお願い事をしてくる。願い事を口にするにつれて、もはや顔だけでなく、露出した首元や腕までも夕空の如く薄赤く染まり始めた。


「仕方ないな、ほらよ」


 しっかりと雨宮の言葉を聞き届け、スプーンでカレーをすくい口元に差し出す。


 さぁ、間抜け顔を晒せ!その無様な顔をしっかりと見てやろう!


 差し出されたスプーンにゆっくり、ゆっくりと近づき、頰を茜色に染めたままパクリと頬張る雨宮。もぐもぐと口に入れたカレーを食べており、その間に顔の色が落ち着きを取り戻していく。


「また、食べるか?」


 食べ終わるのを見て尋ねると、またしてもカァッと顔が紅く色づく。


「……た、食べたいです……」


 その朱に染まった顔を両手で隠しながら、俯いて小さく言葉に零す。


「じゃあ、何を言わなきゃいけないか分かるよな?」


 くくく、1度だけで終わると思うなよ。何度でも繰り返してやるからな。


「ま、また言うんですか……!?」


 指の間から目を覗かせ、上目遣いに悲鳴にも似た小さな声を上げる。


「なんだ、言わないならやらないからな」


「い、言います!言いますから!ちょっとだけ待って下さい……」


 1度下を向き、夕焼けよりも顔を赤くしてこっちを向いた。目の端には滴が溜まり、うるうると目を輝かせる。


「……も、もう一回食べさせて下さい……」


 囁きと思えるほど小さな声で、切実な心の声を打ち明ける雨宮。紅く染まったその顔は言葉を吐き出すたび際限なく茜色に変化していき、言い終えるときには夕焼けよりも赤くなっていた。


 やったぜ!雨宮のプライドをへし折ってやったぜ!くくく、さぞかし屈辱を味わっていることだろう。最高すぎるな、この意地悪。我ながら恐ろしい。


 雨宮の様子に満足し思わず笑みが溢れる。その後も尋ねるたび何回も食べさせて欲しいとねだってくるので、俺はその度にお願いを言わせて食べさせるのだった。

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