第35話 告白と答え

「…私、先輩のことが好きです」


 顔を茜色に染めて、雨宮は上目遣いにこっちを見てくる。


「…お、おう」


 意味がわからない。

 順調に嫌われていたはずだ。それなのになぜ告白されている?


 予想外の展開に驚きで言葉を失う。

 なんて答えるべきか迷っていると雨宮はさらに言葉を続けた。


「もちろん、先輩が私のことを嫌っているのは知っています。」


 意外……でもないか。実際、教室で話しかけてくる相手には無視をしているしな。気付かない方がおかしいだろう。


「先輩がどうして人を嫌うのか、別に知ろうとは思いません。先輩には先輩の過去があり、きっとそうしなければならない理由があるのでしょう」


「……ああ」


「それはもちろん分かります。もうずっと先輩のことを見てきたのですから……。好きな人のことならなおさら分かります」


 どこまでも赤く染まった顔で、それでも自分の意思を伝えようとしてくる雨宮。


「私が絡んでくるのを先輩が面倒だと思っているのも知っていました。ですが私は先輩とどうしても話がしたかったんです。私という存在を先輩に知って欲しかったんです。例え迷惑になると分かっていても」


 熱のこもった声は俺の胸に強く訴えかけてくる。


「先輩のことが好きです。とても好きです。大好きです!」


 高まった感情は雨宮の声を震わせ、より俺の記憶に刻みつけてくる。


「……でも私のこの気持ちが先輩には迷惑以外の何物でもないのは分かっています」


 想いを振り絞るように、切ない声が漏れ出て聞こえた。

「この好きという気持ちを先輩に押し付ける気はありません。ただ知って欲しかったんです。1人の女の子が先輩のことを好きになったことを」


 情感のこもった声は凝り固まった俺の心を激しく揺さぶる。


「先輩がなぜ人を嫌うのか分かりません。でもきっと何度も傷つくことがあったのでしょう。ですが先輩のことを傷つけるのではなく、好きになった女の子が少なくとも1人いたんです。その事実だけは絶対です。先輩の魅力に惹かれた女の子は確かにいたんです。」


 柔らかく暖かさのこもった声に俺はただ耳を傾けるしかなかった。


「先輩の周りには先輩のことを傷つける人達だけがいるわけではありません。先輩のことを好きになる人もいるんです。先輩の魅力に惹かれる人がいるんです。その事実だけは忘れないでください」


 俺に言い聞かせるように話すその姿から雨宮の優しさが伝わってくる。

 久しぶりに感じる人の温かさは俺の心に泣きたくなるような切なさを生じさせた。


「できれば私が先輩の好きな人になりたかったです。でもそれは叶いません。頑張りましたが私では先輩の好きな人にはなれませんでした。私では先輩のことを幸せにしてあげられません。とても悲しいですし辛いです。ですが、ますます好きになってしまった先輩に対してこれ以上自分の気持ちを押し付けて迷惑をかけたくないんです。」


 涙を目に浮かべ、声は震え、胸を抑えように手を置き、胸に秘められた想いを一滴残さず曝け出そうとするその姿に自然と目が惹きつけられていく。


「ですから今日が最後です。今日でもう先輩には絡みません。最後のお願いです。どうか先輩の記憶の1ページに私のことを留めておいて下さい。先輩に恋した女の子がいたということを覚えていてほしいです。そしていつか先輩のことを幸せにしてくれる女の子が現れることを願っています…」


 祈りにも似たその願いを告げた雨宮の姿はとても美しく、目を逸らしたくなるほど眩しかった。


 なぜ自分に好意を抱いているのか、そんなことはこの際どうでもいい。

 ここまで自分と向き合ってくれたのだ。答えないわけにはいかない。



----俺は人が嫌いだ。


 人はどんなに仲が良かろうとたやすく相手のことを裏切る。

 俺はそんな経験を何度もしてきた。何度も何度も。

 親に、異性に、友人に。周りの奴らみんなに裏切られてきた。


 人なんて信用できない。できるはずがない。


 そうして俺は人を拒絶し、1人でいることを選択してきた。寝るふりをして話しかけさせないようにし、話しかけられても無視をして関係を築かないように。

 裏切られるなら初めからそんな関係はいらない。

 俺は自分の信念のため関係を断ち切る残酷な言葉を口にする。


「雨宮、俺は確かにお前が嫌いだ」


 その言葉を聞いた瞬間、雨宮の顔がくしゃりと歪む。溢れそうになる涙をこらえるためか強く唇を噛み締めている。

 そんな姿にズキリッと心が痛む。


 なんなんだこの痛みは…。俺が間違っているのか?


 俺は雨宮が嫌いなのだ。嫌いなはずだ。

 俺がわざと人を拒絶しているというのに雨宮は勝手に距離感を無視して話しかけてくるし、しまいにはからかってくる。そんな奴は俺が一番嫌いになるタイプだ。


「……だが、雨宮と話してるのは悪くなかった」


 そう、雨宮と話しているのは悪くなかったのだ。

 自然と溢れた自分の言葉で、自分がこれまでどう感じていたのか認識していく。


 雨宮はどこまでも図々しく、何度も強引に絡んできた。だがそれでもこいつと話し、そしてこいつに意地悪をするのを楽しんでいる自分がいたのは確かだ。


 ここまで真摯に俺と向かい合ってくれた人がこれまでいただろうか?

 ここまで自分のことを想ってくれた人がいただろうか?


 雨宮は初めて俺をきちんと正面から見てくれたのだ。そんな奴を泣かせていいのだろうか?


 雨宮のことは嫌いだ。


 だが雨宮を泣かせたくない。泣いた姿を見たくない。


 例え自分の信念を曲げても叶えたい思いが心に浮かび上がった。


「雨宮が強引に絡んでくるのは面倒だったが楽しかった。だから別に雨宮が絡んでくるのを気にする必要はない。……絡みたいならもっと絡んでも、別にいいぞ……」


 自分の本音を明かすのは恥ずかしく、どこか素っ気なく言ってしまった。


「……い、いいんですか?先輩?」


 俺の言葉を聞いた雨宮は涙を溜めながら、恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「ああ、いいって言ってるだろ」


 嫌いな相手に何を言っているんだ?という戸惑う気持ちを振り切るように俺は強く言う。


「本当にいいんですか?そんなこと言ったらもっと絡んでしまいますよ?」


 信じられないとでも言いたげに、潤んだ目でこちらを見ながら両手で口元を覆う雨宮。


「だから、いいって言ってる」


 何回も言わせるな。恥ずかしいだろ。


「嘘みたいです、また先輩と話していいんですね……」


 そう零して雨宮は涙で煌めく目を細め、さらさらと髪を揺らして優しく笑った。

 溢れた涙はキラキラと輝いて、空気中へとふわりと消えていった。


 自分の信念を曲げたことに戸惑いはあったものの、後悔することはなく、そんな雨宮の儚く笑った姿を眺め安堵した。

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