第39話 臆病な僕と今後の予定
暴動は終わった。操られていた人たちは、何故自分がこんな所にいるのか訳が分からないようだった。
大倉に連行されて、意識を取り戻した弥太郎は僕達と一緒にスカイツリーから出てきた。大倉は出来るだけ彼の目を見ないように背後にまわり、かつ、耳栓を付けていた。さっき操られたのがよほど聞いたのだろう。しかし、弥太郎の方は、もう操ろうという気はサラサラないようだった。
彼は一体、これからどうなるのだろうか。現実的な話、彼を処罰する法律がない。せいぜい、業務妨害ぐらいだろうか。人を操って暴動を起こしただなんて、裁判所が信じるわけがない。前例がないから。
「貴様、よくも裏切ったな」
無抵抗の弥太郎を、突然近寄ってきた松原が殴った。
「松原さん!」
恩田が松原を弥太郎から離す。
「貴様さえ、裏切らなければ、今頃私は、私は!」
なおも暴れる松原を、僕達が取り押さえる。さっきまで怯えていたらしいのにこの元気はなんだろうか。もう余計な仕事をさせないで欲しい。こちとら、精神も肉体もボロボロなのだ。
でも、初めて勝ったのだ、という満足感がないと言えば、嘘になる。これまで一度も勝てなかった相手に一矢報いたのだ。その相手をちらと見やる。
「え?」
弥太郎の胸に、赤い色が灯っている。血、じゃない。それにしては明るすぎる。光っているのだ。何だあれ。
パシュ、と間抜けな音がして、弥太郎の胸が弾けた。
「…え?」
彼の口から真っ赤な血が流れ出し、それ以上の血が胸から滲み出て服を濡らす。
「兄さん!」
突然の出来事、しかし兄の異常事態に、芦原が駆け寄ろうとする。それを、S同盟の一人が止めた。危険だからさがれと叫んでいる。ぼうっとしていた僕も江田たちに腕を引かれ、避難させられた。倒れた弥太郎を残したまま、その場を離れてしまった。放送の名残だろうか、上空からの映像がそこかしこのモニター画面に映し出される。仰向きに倒れた弥太郎の姿があった。
「まさか、松原先生、あなた!」
怒りの形相の恩田が、松原に詰め寄った。
「し、知らん。私じゃない!」
「ならば誰だと言うんです! あなたが、彼の口から今回の騒動の真相を口にされないようにしたんじゃないんですか!」
恩田の言葉に、しかし松原は否定の言葉を重ねるのみだ。それだけの騒ぎが耳元で起こっているのに、僕の耳には届かない。目にした異常事態の内容が、僕の意識を独占していた。
ヤタにいが、死んだ?
信じられない思いを抱えたまま、僕達は病院に連れていかれた。
病院では、治療後に警察官の事情聴取が行われた。何を話したか覚えていない。それどころじゃなかった。警察官も、目の前で知人が撃たれたショックのせいだろうと、僕から情報を引き出すことを半ば諦めていた。適当なところで話を切り上げ、何か思い出したら連絡して欲しいと名刺を渡された。使うときが来るだろうか。
翌日、憔悴し切った芦原が病室に現れた。小さい箱を持って。
「何、それ」
「骨壷、です」
誰の、とは聞けなかった。聞いて、もし僕が想像する答えが返って来たらと思うと、聞けるわけなかった。
「中身は、空です」
「どういう、事?」
「兄の死体は、司法解剖に回されました。その後行方知れずです。もしかしたら、芦原家のことを知る誰かが、手を回して、兄の存在を隠匿しようとしているのかもしれません」
その誰かが、弥太郎の命を奪ったということか。
「だい、じょう、ぶ?」
そんな陳腐な言葉しか、彼女にかけられなかった。
「大丈夫です。それに、死体がないという事は、もしかしたら、という希望が残ります」
彼女はそう言った。自分に言い聞かせるように。もしかしたら生きているかも、すがり尽きたい希望が残っているのは、果たして良い事なのだろうか。
「山形に、帰ります」
「う、うん」
「でも、また、こっちに出てこようと思います」
「え、どうして…」
「兄さんは、未来の破滅を回避しようと動いていました。方法は、間違っていたかもしれませんが、それは全て、未来のためだった。私は、その遺志を継いで、戦います」
目に、力が少し戻った。彼女はもう、次に歩き出そうとしている。
「本当に、迷惑ばかりかけて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて、芦原は言った。
「このご恩は、一生忘れません。どうか、兄さんの分も、幸せになってください」
俯いた彼女の、足元に一滴、二滴としずくが落ちる。
それじゃ、と踵を返した彼女に、僕は声をかけた。
「また、連絡してよ」
「え、し、しかし」
「協力させてよ。今度は、多分、本心から言えてる、はずだから。まだ、正直元気でないし、現実が受け止められなくて呆然としているけど。言っている事の重大さを一ミリも理解してないと思うけど。でも言わせてほしい。僕も、ヤタにいが守ろうとした未来を、見てみたいんだ。君がその為に戦うと言うなら、ぜひ、協力したい」
せっかく連絡先を交換したのに、使わないなんてもったいないから。それに、もし弥太郎が生きているのなら、彼女と共に歩いた先に、出会えるかもしれないから。
意識が回復したのは、少し前からだ。動かなかったのは、自分が何かに詰められていることがわかっていたから。目の前は黒。自分が入れられているものの裏面の色だ。
じじじと音を立てて、目の前が開かれていく。淡い光が、瞑っているまぶたを通過する。瞼を開くと、薄暗い天井が見えた。視線を巡らせると、右側にはステンレスの棚が並び、ダンボールが所狭しと並べられている。
対して左側には、巨大なディスプレイが六枚並んでいた。部屋の光源となっているのは、そのディスプレイが放つ光だ。ディスプレイは、それぞれ違うものを映している。『スカイツリー事変』と名づけられた暴動を扇動したとして松原幹事長の逮捕を報道するニュース、株価チャート、おそらくは自分が今いる建物の外を映す防犯カメラ映像、渋谷のスクランブル交差点、どこかの病院の監視カメラ映像、そして、自分達。自分達と言ったのは映像には自分以外に三人の姿が写っていたためだ。
「お、気づいてたか」
そのうちの一人が声をかけてきた。自分が入っていた入れ物を開けた男だ。
「『姐さん』気づきました」
その男の声に呼ばれ、残りの二人が近付いてくる。
「こうして会うのは、初めましてだね。芦原君」
「初めまして、という気はしないな」
車椅子に乗る、妙齢の美女に弥太郎は声をかけた。
「何度も密に連絡を取っていると、何だか長年の知り合いのように錯覚してくる。妙な感じだ」
「だが、その密な連絡のおかげで、君はここにいる。大倉巡査長に運ばれて」
「疑っていたわけじゃないが、最後は冷や冷やした。防弾チョッキを着込んでいたとはいえ、下手なところに当たれば命が危ういのだから」
「その点については大丈夫。安心してくれ。狙撃主はオリンピック狙える腕前だ」
「彼か。その節はすまなかったと、俺の代わりに謝っておいてくれるか?」
「しょうがねえやな。あんたは死んだ事になるわけだし。面だって出歩くわけにもいかねえもんな。だが、いつか折りを見て、自分で伝えてくれよ。ただな、鵜木のやつは、あんたを恨んじゃいねえよ。自分から率先して、損な役回りを引き受けたんだから」
「それでも、全て綱渡りのような計画だった。一歩間違えれば全てが台無しになる。計画も、彼の命も。それに通り魔だって、一歩間違えば死者を出していた」
通り魔の男は、松原の指示でいろんなことをやっていた。本当にいろんなことを。松原に命じられているから仕方ないと権力のせいにして。だから、最後はその権力にデモンストレーションとして利用された。
「そこは、自分の妹と、妹が選んだヒーローの力次第だな。結果は見事合格。そうだろ? 議員」
「ああ。予定通りだ」
最後の一人が近づいてくる。穏やかな顔で、その議員は頷いた。
全ては五年前から始まっていた。全員の共通の知人、S同盟創始者が事故によって亡くなった時から、自分達の関係は続いている。その関係が密になったのは、妹が再び破滅の未来を予知したときだ。予知の内容から、その未来に関わってくるのが由憲党、松原長政。そして、考える意思を奪われた人々だった。
「松原は逮捕され、由憲党の権力は失墜した。ここからは私の出番だ」
逮捕され、連行される彼の映像を見ながら呟く。
「彼もまた、国の未来を思う政治家の一人だったのに、残念だ。彼は方法を間違えた」
「間違えたのは、俺の使い方だな。あなたは間違えるなよ。でないと、今度ヒーローが現れるのは、あなたの前だぞ?」
「肝に銘じておくよ。願わくば、そんな未来が来ないことを。君の方こそ大丈夫か、妹さん、かなり凹んでいるようじゃないか」
ディスプレイの一つ、どこかの病室で、二人の人物が映っている。
「心配はいらない。妹一人なら心配だが、あいつの隣には
「お兄さんは大変だ。その妹の未来を守る為に、社会的な死すら顧みない」
「茶化すな。で? 次のS同盟の仕事は何だ? どんな楔を国民に植え付ける? どんなゴミを掃除すれば良い?」
破滅の未来を回避するために、一人の男が墓から蘇る。
十年前。芦原結樹はいじめを受けていた。始まりは、彼女が能力を使ってしまった事。相手の心や考えを読んでしまった事が原因だった。この頃から既に、結樹の能力は開花し、相手の本質を見抜けるまでになっていた。
以降、彼女は魔女として小学校のクラスメート達から気味悪がられるようになった。気味悪いもの、自分達とは違うもの。人は、平然とそれらを迫害する。悪意さえなく、当然の行為として、暴力を振るえる。子どもも同じ。子どもだからこそ、純粋に、無邪気に、遠慮なく容赦なく、自分達が正義と信じて疑わずに相手を傷つける事が出来る。
結樹はただ耐えていた。いじめられると、その日々が長く続くと、それが当然と思いはじめ、いじめられる自分に原因があると思いはじめ、ついには自分を含めた周囲全ての人間が自分をいじめはじめる。精神を病む、一歩手前だった。彼女に光が差し込む。
「や、やめろよぉ」
いじめっ子の男子達が、結樹から目を離す。結樹も顔を上げた。
「お、女の子をいじめるなんて、よくないよ」
知らない顔だった。銀に近い金髪が震えている。
「何だお前、隣のクラスの外人じゃん」
「うっせえな、邪魔すんなよ。俺達は魔女を退治してるんだからよ」
いじめっ子達が、今度はその子を取り囲んだ。彼は更に怯え、それでも言った。
「お、男の手は、女の子を殴るためじゃなくて、守る為にあるんだって、テレビのヒーローが言ってた、よ?」
「はあ? お前、何言ってんの? ヒーローなんてガキっぽい。そんなもんいるわけねえじゃん。フィクションじゃん」
いじめっ子のリーダーが彼を突き飛ばした。悲鳴を上げて、彼は尻餅をついた。
「おい、どうしたんだよヒーロー。守ってみせろよ」
リーダーが小突く。取り巻きも、調子に乗って彼を小突き回す。止めてよ、痛いよと悲鳴を上げるが、それが楽しいのかいじめっ子達の暴力は次第にエスカレートしていく。
「何してやがる!」
そんな声が聞こえたのは、彼が悲鳴すら上げられなくなった頃だ。
「やべえ、弥太郎だ!」
「逃げろ!」
いじめっ子達が、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
「逃がすか。うちの妹に手を出しておいて、無事に逃げられると思うなよ!」
弥太郎が追いかける。十分もしないうちに、いじめっ子達は泣きべそをかく羽目になるだろう。そんなことよりも。
結樹は蹲ったまま動かない彼に近付いた。家族以外で、初めて自分を庇ってくれた人。その人に触れる。
瞬間、彼女の視界は、意識は飛ぶ。次元を飛び、未来へ至る。そして、彼女が見た未来は。たくましく成長した彼が、未来を切り開く。そういう映像だった。
こんなことは初めてだった。いつだって、自分が見る未来は絶望に溢れていた。こんな、希望に溢れているものは存在しなかった。謎だった。しかし、一方で納得した。自分に伝わってくる彼の本質が雄弁に物語っていた。
どんな悪意にも染まらない、真っ白でまっすぐな魂をもつヒーローが、羽化するのを待っていた。
Ant-I malice 叶 遼太郎 @20_kano_16
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