第35話 武技複製者:モデュレイター

 先ほどからまた青白い顔をしながら意識を失っているチヒロを抱えながら、レナは驚愕にその身を震わせていた。


(黒澤さん……ッ! 凄い……)


 隷属竜スレイブドラゴンを前にして、その動きがもはやレナの目に追えないレベルになっている。吉岡も驚愕しているのだろう。小鬼ゴブリンとの交戦中にも関わらず、時折目を見開いてトーリの方を凝視している。


「アイツ、何なんだよ!? あれがホントにアタシと同じC級だってのかい!? おかしいだろ!」


 美濃部もトーリの動きを時折目で追いながら、混乱した様子で吐き捨てている。

 黒澤透利はレナ達にとっては、返しきれない程の恩義を受けた相手だ。人間としてその生き方に尊敬もしていたし、羨望もあった。ただ同じ冒険者になって分かったこともある。その他の冒険者と比べると地味、と言わざる得ないことだ。致命的に身体機能強化が働かないのだ。その為にあらゆる手を尽くして、裏を掻いて、罠に嵌め、たとえ小鬼ゴブリンであっても時間を掛けて消耗させる戦い方しかできなかった。そんな脆弱な身体で鬼國牢きごくろうに入り浸っていたのだから、他の冒険者が『死にたがり』と、嫉妬も込めて揶揄する気持ちも、納得はしないが理解はできた。


(あの身のこなし、もしかしたら吉岡さん以上だ……!)


 トーリは今、隷属竜スレイブドラゴンの尾による連撃を、超近距離のままギリギリの所で避けていた。あの身のこなし、最早C級は優に超えているとレナの目で見ても分かった。今回の戦いで吉岡の戦闘を長く見ていたレナから見ても、今のトーリの動きは吉岡に伯仲し、下手をすれば勝っていると言い切れる。


(身体機能強化は底上げしているはず。でも何でそんなに動けるの……?)


 何かしらの手段を用いて身体機能強化を底上げしているのは分かった。最も可能性が高いのはあの超絶の魔術士による状態向上魔術バフだ。しかしどんなに身体機能を底上げしても、突然強くなった身体では技術が追いつかない。逆に動きが悪くなることの方が多いのだ。

 だが今のトーリは、まるでそれが本来の身体であったかのように動いている。


(黒澤さんはいつも助けてくれる……お兄ちゃんみたいに)


 レナ自身に兄弟はいなかった。だがもし兄がいたら、黒澤さんみたいな人が良いよねってチヒロと話したことがある。胸に抱えたチヒロを見つめる。チヒロの血は止まって、身体も幾分暖かさを取り戻した。でもまだ意識は曖昧なまま寝たり起きたりを繰り返しているし、呼吸も浅い。トーリの言ったように、ただ死を一時免れただけなのだ。何かがあればまたすぐに死に傾いてしまうだろう。


(助けて……おにい……!)


 レナはチヒロを失う恐怖に身震いしながら、トーリを祈るような瞳で見つめる。レナの耳にうたが聞えている。あの魔術師の声だ。激しい戦闘に不釣り合いなはずのその音楽は、トーリの動きを剣舞の演舞の様に、またはオペラの一節のように際立たせていた。



***


「――。――――。――。」


 ジュリのうたが空間を満たしていた。ジュリは《ゴブリン》達の大集団を見下ろす。宙に浮かんでいるジュリの事は小鬼ゴブリン達からも丸見えだ。囮としての役割を十全に果たしていると言える。統制は取れていないものの、ジュリを目がけて散発的な矢の攻撃や魔術が飛んでくる。しかしジュリの周囲に展開してある防壁魔術を前に、その全てが打ち払われる。


「――第九階位:白王鯨の吐絶セーテスピリトム


 シオンの魔術名の宣言と共に、ジュリの周囲に浮かぶ魔法陣は殊更に輝きを強める。瞬間、高度圧縮された糸のような細さの水流が放たれた。その数一〇〇本。縦横無尽に駆け抜ける水流が通った後には、自らが致命傷を負ったことすら気が付かないまま、標本のように美しい断面を晒して小鬼ゴブリンたちの死体が残る。理解が得られるまでの一瞬の間と、その後の叫喚。あの水流の糸が死神の鎌と気が付いた小鬼ゴブリン達は立ちどころに陣形を崩して、逃げ回る。

 小鬼ゴブリンたちにとっては、一瞬の出来事が永遠とも思える程に水流の糸が同胞たちを蹂躙した。しかしそれは不意に糸が弾けて、より広範囲に降り注ぎ雨のように小鬼ゴブリンたちの身体を濡らす。


「――第一〇階位:禍蜘蛛の雷怒アラネアトニートラ


 詠唱も無しに立て続けに放たれた魔術が、今度は地面に巨大な魔法陣を映した。それは蜘蛛の巣を意匠した魔法陣だと気が付いた時には遅い。魔法陣の上を、極太の放電が蛇がのたうつように暴れ狂う。全身を濡らした小鬼ゴブリンたちになす術はなかった。全身を五〇〇〇度にもなるアーク放電が通過し、身体を消し炭にしながら踊り狂う。絶縁破壊によっておこるオゾン臭が立ち込める頃には、沸騰した青い血の海に沈む五百匹以上の小鬼ゴブリンの死体が転がる、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


超剋位階セィファランティス:汎用戦闘魔術群:戦女神の絶唱ディアムベルレムグロリアの正常駆動を確認。魔術核、ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイドの損耗率一パーセント以内で推移」


(――ふむ、あちらも順調なようだな)


 あまりの事態にパニックに陥る三〇〇〇匹越えの小鬼ゴブリン達を、睥睨しながらジュリは事も無げにつぶやく。


(はい。透利様は隷属竜スレイブドラゴンと互角以上に戦えております。予測保持戦力を修正。黒澤透利様の戦術的有用性の価値基準を二段階引き上げました。勝率予測六〇パーセントに上方修正――正直、透利様がここまで戦力になるとは。ジュリエッタ様のご慧眼には感服いたしました)


 僅かな驚きを含めてシオンが、ジュリを讃える。シオンの予測ではトーリはそこまで強者では無かった。状態向上魔術バフを用いても、それを用いる技術力の面でその実力を低く見積もっていた。ジュリがトーリと出会ってからの記憶を参照しても、その判断は揺らがない。ジュリが何を持ってトーリを評価したのか分からなかったのだ。


(トーリの奴め。やはり我の予想通りじゃったな――シオン、トーリの戦闘記録を強力な身体機能強化があるという前提で再分析してみよ)


 ジュリは己の分析が正しかったことに笑みを深める。シオンはジュリの指摘を受けて明滅を数瞬繰り返した。


(――分析結果算出。透利様は強力な身体機能強化があるという前提での剣技・武技を習得していると思われます。しかも剣技・武技に複数の偏向性バイアスがあることを確認。これらの結果より透利様は全く体系の異なる多流派を状況に応じて使い分けている可能性があります。結果的に全ての剣技・武技において身体機能が伴わずに不完全な状態での使用でしたが……)


(その通りじゃの。あ奴は身体機能強化が働かぬ。なのに技術に関しては身体機能強化者のソレじゃ。それでは身体が十全に動かせないのも納得できる。余りにも出来が悪いので、確信が持てたのはトーリの記憶の中でじゃ……トーリめ、[狂戦士ベルセルク]に紛れてとんでもない特殊技能ユニークスキルを有しておった。身体機能が低すぎて再現度が殆どゼロだった為に無限書庫アーカシャにすら認識されずにな。本人も気付いていないところが、トーリらしいが)


 ジュリの思念に苦笑の雰囲気が広がる。


(あ奴は、ただ見ただけであの技術を身に付けたのじゃ。ただ見ただけでじゃぞ。本来、人が技術を身に付ける為には、修練と研鑽を重ねる必要がある。トーリは修練と研鑽を飛び越えて、観察するだけで技術の確信を理解できる。状態向上魔術バフのおかげで再現度も上がった。特殊技能ユニークスキルとして無限書庫アーカシャも認めるはずじゃ――[武技複製者モデュレイター]をな)


 [武技複製者モデュレイター]、それは戦闘に必要な技術体系の多くを分析し、理解し使いこなすことが出来る特殊技能ユニークスキルだ。その技能スキルを持つ者は、見ただけで技術の核心を分析し看破する。本来は長大な修練を必要とする技術を即座に使いこなす。ジュリの前にいた世界でも[武技複製者モデュレイター]の技能スキルを持つものは強者として君臨する者が多かった。

 シオンの中で理解が連鎖する。師匠もおらずに得ていた高い戦闘技能、自信の身体機能に不釣り合いな技術、その為に連続するミス。それらを統合してトーリという人間の全体像を把握し直す。そしてジュリの言葉を是と受け入れた。


(しかし[武技複製者モデュレイター]とは随分と大層な特殊技能ユニークスキルを得ましたね。これが大魔術師や強力な身体機能を持つ戦士であれば、一気に冒険者としての高みに上れたでしょうに――不遇な)


 身体機能が低い者が[武技複製者モデュレイター]を持っていたとしても、コピーした能力を使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。トーリの場合も相手の技術の核心を付く理解があっても、それを再現するだけの力が無かったために[武技複製者モデュレイター]として認定されなかったのだ。


(そう考えるとトーリは随分と良い拾い物じゃったな。[武技複製者モデュレイター]自体は特殊技能ユニークスキルの中ではそれなりに出現頻度の高い技能スキルじゃが、それでも[狂戦士ベルセルク]と合わせて二つ目。十分に天才の域じゃな)


(二つ持っている割にはその選別に悪意を感じる程に最悪の組み合わせですね。技能スキルを使いようの無い[狂戦士ベルセルク]とセットとは)


(それも我が居れば高みへと近づけよう。強くなるぞ――トーリは)


 ジュリの言葉にシオンは魔石を瞬かせて同意する。話し込んでいる内に、トーリの方に変化があったようだ。シオンの感知術式に隷属竜スレイブドラゴンでもなく、ただの小鬼ゴブリンたちでもない強力な反応が出現する。今まで隷属竜スレイブドラゴンを囮にして実力を隠していたらしい。そのこと自体が強力、かつ戦術的な思考を持つ強者だと物語っている。シオンは感情を抑制した口調に戻ってジュリに報告する。


(魔圧を検知しました。小鬼ゴブリンの最上位種――小鬼王ゴブリンキングが出現したようです)


***


 QuLoaaッ!?


 隷属竜スレイブドラゴンが苦痛にのたうちまわる。離れたところに半ばから切り落とされた尾がドサリと落ちる音がした。


(――良し!)


 トーリは斥牙せきがの発動に痛む腕を抑えながら隷属竜スレイブドラゴンに注意を向ける。隷属竜スレイブドラゴンは今痛みの為に手足をめちゃくちゃに振り回していた。動きに統制が取れていない分、今不用意に近づくの危険だ。それに尾からは盛大に血液が噴き出している。本来竜種ドラゴンは回復力の高い魔物モンスターだが、隷属環が回復すら阻害するのだろう。出血は止まることなく、このまま続けば何もしなくても弱っていくだろう。

 小鬼ゴブリン達にとっても切り札だった隷属竜スレイブドラゴンを退けたからか、取り囲む小鬼ゴブリン達の怯えの色が濃くなる。


「黒澤、何をしたんだ!?」


 取り囲む小鬼ゴブリンの攻勢が弱まったからだろう。吉岡が驚きに満ちた声でトーリに話しかけてくる。『智蛇のケクロプス』を驚嘆せしめた事に若干の優越感を得つつ、トーリは正直に答える。


「一緒に戦っている奴が助けてくれているんだ。別に俺が強いわけじゃない」


 こんなに動けるのも状態向上魔術バフが働いているからだ。トーリ自身の実力ではない。ジュリが居なければトーリはまた小鬼ゴブリンにすら手間取る、弱小の冒険者に逆戻りだ。


「では、その剣技は何だ!? ただ力を持ったC級の動きじゃないぞ!?」


「――? 凄いと思った冒険者の動きを見て研究してたんだよ。まあ只の真似だし、今までは全然使えなかったけどな」


 力の無い冒険者が強さに憧れるのは当然だろう。トーリはそうやって強い冒険者が戦っているのを見るたびに、その動きを観察して、分析し、自分ならこう動くと模倣してきたのだ。今までは力が足りなくて出来なかったが、発揮するだけの身体機能を得た今なら見よう見真似で出来るのは当然のことだと思う。


「なんて常識外れな……。隷属竜スレイブドラゴンを単独で退けるなんてA級でも簡単じゃないはずだ。まあ良い。この戦いが終わったら色々話を聞かせてもらうことになると思う。あのとんでも無い魔術師と一緒にね……」


 その考えは吉岡にはすぐに受け入れられるものでは無かったらしい。眩暈を起こしたように頭を押さえながら、疲れた声で言った。

 ジュリも絶好調な様子で、氷の壁の向こうではさっきから魔術の光がひっ切りなしに瞬いている。氷の壁が厚く高いために、どういったことが起こっているのかまでは分からないが、シオンがこちらを助けてくれる余裕がある以上、苦戦している事は無さそうだ。


(ん……? ジュリはこの世界の人間じゃないし、どう説明すればいいんだ?)


 吉岡の言葉に対して発生する事象にまで想像が行き渡って、ジュリの存在に思い至る。トーリが突然強くなったことも含めて、あの規格外の力が知れたら恐らく大騒ぎになるはずだ。トーリは頭を悩ますが、トーリの知識ではどうこう出来そうにない。


(まあいっか。ジュリ、シオンも確実に俺より賢いしな。何とかするだろ)


 そう思う事にして思考を放棄した。今は目の前の状況を打破することが先決だ。隷属竜スレイブドラゴンの動きが鈍って来た。尾部から流れ出る出血が止まらない。その為に動きが悪くなってきているのだ。


QuLolololo


 その咆哮も、殺意と怨嗟の響きを含んではいるものの力が無い。止めを刺すにはどうするか。

 トーリがそう思案を始めた瞬間。


「――ッ!?」


 隷属竜スレイブドラゴンの身体が、恐ろしい速度で飛び込んできたぼろ布を纏った人影によって、蹴り挙げられた。ヒトの上背より僅かに多い程度の大きさの生き物の蹴りに、吹き飛んだのは隷属竜スレイブドラゴンの方だった。

 腹を蹴り挙げられた隷属竜スレイブドラゴンは体躯をくの字に曲げて、バウンドしながら吹き飛んで大聖堂の天井から伸びる支柱の一つに当たってやっと止まる。支柱に罅を入れながら止まった隷属竜スレイブドラゴンはぴくぴくと痙攣をし血泡を吹く。巨大な質量の隷属竜スレイブドラゴンがあれだけの衝撃を受けて、即死で無いのは流石竜種だと言えるが、戦闘の復帰は無理だろう。


隷属竜スレイブドラゴンよりも問題はこいつだ……)


 トーリは隷属竜スレイブドラゴンを蹴った存在に視線を戻す。弱っていたとは言え隷属竜スレイブドラゴンを蹴り上げるなど、半端な身体機能で出来る事ではない。下手したら隷属竜スレイブドラゴンよりも強者だ。人影が纏っていたぼろ布を脱ぐ。


「――変異種バリアント!?」


 露わになったその容姿にトーリは思わず声を上げた。それは忘れるはずもない、上背は一九〇センチを超えたヒト型に近い背格好の小鬼ゴブリン。首元に狩り奪った冒険者章を数珠つなぎにした装身具ネックレスが、ヒナタとトーリを襲ったあの時の個体と同じ変異種バリアント

であることを告げている。


 変異種バリアントが明らかにトーリに目線を向けた。その顔は抑えきれぬ愉悦と殺意に、大いに歪んだ笑顔をトーリに向けた。

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斯くして狂戦士は賢者と出会いました。 雨屋悟郎 @AmayaGoro

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