ヘアトフィリアと彼女

蒼狗

私は懐かしむ

 雪が懐かしい。

 あの凍える空気がではない。あの冷たい感触がではない。あの鼻腔を刺激する匂いがではない。

 あの白銀の中に落ちた一滴の赤い滴が懐かしい。




「本当は吸血鬼じゃないの?」

 指に絆創膏を貼りながら彼女はいつもの問いを投げかけてきた。

「何度も言っているけど違うよ。ヘマトフェリア。血液嗜好症っていう異常性癖よ」

 彼女のコートを手にとって渡す。

 この性故に、私は彼女から定期的に血液をもらっていた。

「でも別名バンパイアイズムって言うんでしょ?」

「違う。それは吸血行為への嗜好をさす言葉よ」

 マフラーを首に巻く彼女は不服そうに頬を膨らます。

「でも私にばれたのは血を吸っているのを見られたからじゃない」

「あれは手当をしようとして……」

 脳裏にあのときの光景が浮かぶ。

 夜遅くの帰り道だった。滑って転んだのか、頭をぶつけて倒れている人がいた。即座に救急車を呼んで軽い手当をしようとした。しかし、額から流れ落ちる血液を見て当時の私の衝動が抑えられる訳がなかった。こぼれる血液を手に付け口に運ぶ。

 その瞬間をだった。彼女に見られたのは。

 以来彼女は私をつけ回し、今は血を飲ませてくれる間柄となった。

「けが人の血をなめるなんて飢えてる証拠でしょ? 血に飢えるなんて吸血鬼じゃない」

 否定しようとしたが繰り返しになるだけだ。手早く荷物をまとめ帰ろうとする。

 それをみた彼女もあわてて帰り支度を進める。

「待ってよ!」

 私が部屋を出ると後を追うように彼女も出てきた。

「答えに詰まるってことは図星なんじゃないの?」

 私は黙って外に出る。彼女の走る音が聞こえる。

 外は雪が降っていた。

「なんか言」

 背後に来た振り返り彼女を抱きしめる。

 呆気にとられる彼女からマフラーをとると、白い首筋が露わになる。

 私は首筋に歯を突き立てた。

 驚いた彼女は私を突き飛ばした。

 こぼれ落ちた滴が雪を赤く色づけた。

「これが答えよ」

 私は逃げるようにその場を後にした。

 背後で叫ぶ彼女の声は雪の中に吸い込まれていった。




 今私がいる場所に雪はない。彼女もいない。

 あの日の出来事を後悔していない訳がない。彼女なら私を認め抱きしめてくれると思った。

 だが突き放された。

 ヘマトフェリアとは我ながら言い訳としてどうなのだろうかと思ったが、彼女はあっさりと信じた。それだけではなく私に血液を与えてくれた。

 受け入れてくれると思ったがそんなことはなかった。

 だから私はあの雪の世界から逃げてきたのだ。

 あそこにいては彼女への未練を断ち切れない。

 携帯電話を変え、名前を変え、いつものように逃げる。

「頭が痛い……」

 血液を飲まなくなってどれくらい経つだろうか。飢えからか、頭がはっきりとしない。

 あそこに比べてここは血にありつけそうなタイミングがいくらでもあった。だが食指が動かなかった。

 私は愚かにも恋をしてしまったのだ。

 あの雪の降る日。白い肌に寒さで紅潮した頬。そして私をまっすぐみる双眸に。あの首筋に牙を突き立てたくなったのだ。

 彼女以外の血はいらないと思ってしまったのだ。

 この気持ちに後悔はしている。後悔はしていない。あべこべな感情が私の内側を満たしている。

 意識が霞む。私は餓死するとどうなるのだろうか。灰になるんだろうか。どうなのだろうか。

 私は意識を手放した。




 近くで彼女の声が聞こえた気がした。

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ヘアトフィリアと彼女 蒼狗 @terminarxxxx

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