鼻の頭

かどの かゆた

鼻の頭

 お爺さんが畑で草むしりをしていると、テレビカメラを抱えた人達が歩いているのを見ました。


「ありゃ、婆さん。あのテレビ屋は何の取材かね」


 お爺さんは隣の畑に居るお婆さんへ大声で呼びかけました。しかしお婆さんも首を傾げて


「さぁ、私には分かりませんねぇ」


と不思議そうにするばかりでした。


「こんな何もない村で放送することなんて何も無さそうだけども」


 考え事をしながら、お爺さんは草むしりの続きをします。すると、茎の赤い小さな雑草を見つけました。


「おっと危ない」


 お爺さんはその雑草の葉に触れないよう、慎重に抜き取りました。彼ほど長く農業を営んでいると、危ない植物があれば直ぐに分かるのです。


「爺さん、少し休憩にしませんか。もう昼ご飯の時間ですよ」


 お婆さんがそう言うので、お爺さんは立ち上がり


「そうすっか」


と言って一度家へ戻ることにしました。

 お爺さんとお婆さんは家に戻る途中、斜向かいの安藤さんに会いました。安藤さんは腰がひん曲がっているというのに、そこらのモデルよりスタスタ歩く素敵な女性です。


「おや安藤さん、こんにちは」


 お婆さんが会釈をすると、安藤さんは「あぁ、こんにちはぁ」と返事をしました。


「そうだ、そちらにはもうテレビって来た?」


 安藤さんがいつもの世間話といった調子で質問をします。どうやら安藤さんは、何かしら事情を知っているようでした。


「一体あれは何の取材で来てんだ?」


「何だかねぇ。この村に住んでる人の中で、盗人が出たらしいのよぉ。ほら、国道沿いの新しめの一軒家があるでしょ。あそこの人らしいんだけど」


 安藤さんの話によると、その盗人はここから車で三十分ほどの山にある、大金持ちの別荘で盗みを働いたそうでした。盗んだ金額が莫大だったことから全国ニュースになり、住処であったこの村にも取材が及んだという話らしいのです。


「とは言っても、そこの家って先月越してきたばかりだろうに。村と何の関係も無いじゃないの」


 お婆さんが普段より高い調子の声を出すと、安藤さんはすっかり疲れ切った表情をして


「そうなのよ。あんまりにしつこいものだから取材を受けたら、何も知らないっていうのに根掘り葉掘り聞かれて疲れちゃったわ。その盗人が村八分にあったりしてなかったなんて聞かれた時には斧持って追いかけ回してやろうかと思ったけど」


と記者への怒りを口にしました。

 お爺さんは何だか気になって、近所の人に取材をされたか聞きましたが、殆どの人がしつこく取材を求められて困っているということでした。


「全く、テレビ屋ってのは呆れたもんだな」


 言いながら、お爺さんはようやく帰ってきた我が家のソファに腰掛けました。

 そして何となくテレビの電源をつけると、丁度件の盗人がニュースへ出ていました。


『この男性の家からは泥棒を題材にしたゲームやアニメが見つかっており……』


 何が言いたいのか良く分からないニュースを見ていると、お婆さんが昼ご飯の素麺を持ってきました。


「あら、このニュースですか」


 お爺さんとお婆さんは、二人でじっとニュースを見ます。


『男性には、鼻の頭を掻く癖があったそうです。盗みと癖の関係について、医学の世界的権威である偉井教授にお話を伺いました』


「何だこれは、単なるこじつけじゃないか」


 お爺さんが呟きます。

 画面の向こうでは、高そうな眼鏡を掛けた気の弱そうな男が


『えー、そういうような事も無いような有るような気がしないでもないような気がしないでもないですな』


などと要領を得ない返事をしていました。


『鼻の頭を掻く人を見たら気をつけたほうが良いかも知れませんね』


 それからキャスターがそんな風に締めて、そのニュースは終わりました。

 後でお爺さんが調べたところ、偉井教授は確かに医学の権威でしたが、心臓の手術で有名な人のようでした。彼が一体どうして脳や精神について語る口を持っているのか、お爺さんには分かりません。


「鼻の頭を掻くだけで犯罪者か。本当に呆れた。婆さん、どんなにしつこくされても取材は受けるなよ」


 お爺さんは腕組みして、テレビ画面を睨みつけます。お婆さんは深く頷きました。

 それから二人は昼ご飯を食べ終えて、畑仕事を再開しました。することは、また草むしりです。


「すみませーん」


 すると、大きなカメラを持った一団が、二人に声を掛けてきました。


「マユツバテレビの者です。この村に住んでいる男性が起こした盗難事件についてお話をお聞きしたいのですが……」


 そのテレビ局は、さっき見たニュースを放送しているところでした。お爺さんは


「取材は受けない」


ときっぱり答えます。


「……なにか知っているんですか?」


 記者は、お爺さんの態度を何か深読みしたようでした。


「少しで良いからお話を聞かせて下さい。このような盗難事件をこれ以上起こさないようにするために必要なことなんですよ」


「何も知らんよ。他を当たってくれ」


「そこをなんとか! 村で孤立していたとか、そういうことはありませんでしたか? 何か迷惑な行動をしていたとか、妙な癖があったとか、ちょっとしたことで良いんです!」


 記者の口調は、まるでそういった事があったと決めつけているようなものでした。お爺さんはため息をついて、それから、何かを思い出しました。


「まぁ、それなら、少しだけ話そうか。畑仕事をしながらで良いなら、まぁ」


 お爺さんは顎髭をさすって、畑へ戻ろうとします。


「ありがとうございます!」


 記者はそれを早足で追いかけました。

 お爺さんはその様子をちらと見ると、さっき抜いた赤い茎の雑草を拾いました。そして、記者の方へ倒れます。


「おっっとっと」


 お爺さんはよろけた振りをして、雑草の葉を記者の鼻の頭へくっつけました。


「いや、すまんね。どうにも年を取ると、身体が言うことを聞かなくて敵わん」

 お爺さんは大口を開けて本心から笑いました。


「気にしないでください。それよりお話を……ん? 妙だな、鼻の頭が、痒い。痒いぞ。こりゃたまらん」


 記者は突然、鼻の頭を掻き始めました。お爺さんの持っていた雑草は、触れるだけで肌が酷くかぶれて痒くなる危険な植物だったのです。


「おや、あんた、鼻の頭を掻いているじゃないか。おい、皆! ここに盗人が居るぞ!」


 お爺さんが呼びかけると、村の衆が大勢出てきました。彼らは口々に


「おや、盗人が居るぞ」


「こりゃ怪しい。村から追い出せ!」


と言って、記者へ石を投げ始めました。


「どうして私を泥棒扱いする! 何の根拠もなくこんなことをして、田舎者はこれだから!」


 記者は石から逃げながら、お爺さん達を睨みつけました。右手はまだ、鼻を掻いています。


「根拠だと? テレビが嘘をつくわけないだろう!」


 お爺さんが叫ぶと、皆が一様に頷きました。


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