写ってる

中村ハル

写ってる

「変なモノが写ってたんだ」

 カフェの可愛らしい店員さんが慎重に運んできた、三段重ねのパンケーキがずるりと崩れて白いお皿の縁ギリギリでどうにか止まったのを見届けて、彼は口を開いた。

「大丈夫よ、ありがとう」

 私はしきりに頭を下げる店員に手を振る。笑顔の可愛い青年だ。

「なあ、聞いてる?」

「え。聞いてる聞いてる」

 私は正面に視線を戻す。やや唇を尖らせてこちらを見ていた彼は、私の注意が自分に戻ったと知って、ぐいと身体を乗り出した。

 右手はお気に入りの一眼レフカメラに添えられている。

 先日二人で出かけた時に撮った写真を、現像してきたらしい。今時、フィルムカメラなのだ。お金がない、と四六時中ぴーぴー鳴いている割に、これだけは譲れないそうだ。

「変なモノって、オバケってこと?」

「そう」

 何故だか少しだけ嬉しそうにそう言って、現像の時にサービスでもらった紙のアルバムをこちらに寄越す。ここはこだわらないのが、彼の良さというか、憎めないところというか。

 ぱらりと薄っぺらい表紙をめくると、二人のデートの時系列に写真が並んでいた。待ち合わせた駅前、電車内、ランチに入った蕎麦屋、寒いのに食べたソフトクリームと土産物屋の店先。

 あの日、私たちは少し遠出をして、ハイキングコースのある山へ行ったのだ。紅葉の時期は疾うに過ぎていたのに、思ったよりも人がいて賑やかだった。展望台まで登れるロープウェイは混んでいて、今、こうして写真で見返しても、まるでラッシュ時の通勤電車並みだ。そして、枯れ木混じりながらも景色の美しかった山頂。向かいの山肌には常緑樹が広がり、冬が近い山も悪くないなと感じたものだ。

 アルバムは、思ったよりも枚数があった。私はまた、次の写真を眺める。下山の途中で見つけた花や、見知らぬ家族のはしゃぐ後ろ姿。私は少し眉をひそめる。

 無断で知らない人を撮るのはよしなよ、と何度か注意したのだが「どこに出す訳でもないから」と素っ気なかった。そんな彼に少し、苛立ちを覚えたのだ。カメラに気付き、おどける子供。おしゃれな山歩きファッションの女性。風景よりも人物のスナップが続いて、明るい陽光の中、少し遠い私の後ろ姿。それから、夕食の写真。

 私の後ろ姿から夕食までの数時間の写真がないのは、無断で人を撮り続ける彼と私が諍いをしたからだと思う。私の背中の写真は、その言い争いの後で、私が怒って先に歩いて行ったのを写したのだろう。

 夕食の写真に続いて、登山口駅前、帰りの電車、地元の駅、それから彼のアパート。窓の向こうはすっかり夜の色で、ビール片手に寛ぐ彼。カメラに向けてグラスを掲げて笑っている。それが最後の一枚で、アルバムは終わっていた。

「どう、気付いた?」

「うーん」

「ほら、当ててみてよ」

 嬉しげに言う彼を上目に見て、私はもう一度、始めからアルバムをめくる。今度は一枚ずつ、ゆっくりじっくりと写真を眺める。

 ロープウェイの混雑した写真をしばらく睨みつけた後で、ページをめくろうとした時、彼がにやりと笑った。

「気付かない?」

「え、この写真?」

「さあ、どーでしょう」

 にやにやしながらそう言うのだから、ここに何か写り込んでいるのだろう。私は左端から順に写真をくまなく見つめた。

「わかんないよ」

「えー、こんなにハッキリ写ってるのに」

 にやにや笑いを更に深めて、楽しそうに彼は身を捩った。

「降参?」

「これかなあ、ていうのはあるけど…」

「またまた、見栄張っちゃって。ここ、ほら」

「え、そっち?どれ」

「予想と違ってた?これだって、この硝子の」

「え、それ?」

 彼が指さしたのは、硝子に写った曖昧な影だ。確かにこちらを向いた人の顔のようにも見えるが、これだけ人が乗っているのだから、誰かの顔が写り込んだのだろう。

「鈍いなあ、俺はすぐに気付いたよ」

 得意げに言って、彼は満足したのか、アルバムをパタリと閉じる。

「え、もうないの?」

「そんなにたくさんは写らないよ」

 驚いた私の声に、彼は少しむっとしたような目でこちらを見た。心霊写真に気付かなかったくせに、何を言うんだ、という顔をしている。

「だって」

「そんなに何枚も写ってる訳ないじゃん」

「でも」

「はーい、おしまい」

 すっかりむくれてアルバムを鞄に放り込もうとした彼の手を、立ち上がって押さえつけると、私は彼を睨み付ける。

「じゃあ、何、厭がらせ?」

「は、何言ってんの」

「こんな写真見せて、厭がらせなの?」

 ぽかんとする彼からアルバムをひったくって、私はページをめくった。

 明るい陽射しの中、足早に遠離る私の姿。夕食、駅前、帰りの電車、地元の駅、彼のアパート、部屋で寛ぐ笑顔の彼。

「厭がらせなの、って聞いてるの」

 それを突きつけて、私は声を低くした。

「何、何なに?」

 私は彼の目を覗き込む。それから、それらの写真をじっと見下ろした。

「これ、私じゃないよ」

「え?」

「この後、私、帰ったじゃない」

 彼と喧嘩をして、後ろ姿で遠離っていった私は、その後、一人で電車に乗って帰ったのだ。夕食の時の写真に写っているのは、私じゃない。それ以降の写真も、全て。

「誰が撮ったの?」

 ビール片手に彼が微笑みかけている写真を撮ったのは、私じゃない。彼は、誰に向かって微笑んでいるのか。

「お前じゃないか、何言ってんだ」

「これ、私に見えてるの?」

 これが?似ても似つかない、知らない女の顔。

 私は不意に、この顔をどこかで見た気がして、慌ててアルバムをめくった。

 満員のロープウェイ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた人の中に、その顔があった。カメラに視線を向けて、にったりと笑っている。

 私はアルバムを彼に押しつけて、立ち上がる。

「どうしたんだよ」

「帰る」

「何で」

「ごめん」

 顔を伏せたまま、コートを抱えて、慌てて店を飛び出した。

 入れ違いに店に入った女が、先まで私が座っていた席に、すとん、と座った。彼が明るい声を出して、見知らぬ女を私の名で呼ぶのが聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

写ってる 中村ハル @halnakamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ