月の石

中村ハル

月の石

 眠れぬ夜には窓を開けて、幸せの分だけ星を数える。

 ラジオから流れてきた古い歌は、そう歌っていたのに。

「星なんて、ひとつだってないじゃないか」

 ベランダに出て頭上を見上げた少年は、そうぼやく。藍色の帳を広げた夜空は、地上の明かりを照り返して、賑やかだ。星だと思った煌めきが、こちらに向かってやってくる。夜間飛行の旅客機だった。

 柵の向こうに投げ出した掌から、明日が零れ落ちていく。

 ちぇ、と小さく舌打ちをして、少年はくしゃりと髪を乱した。別段、彼の生活が取り立てて不幸な訳ではない。ただ、ほんの少しむしゃくしゃしているだけだ。代わり映えのしない幸福な毎日。

 彼の両親は仕事熱心な社会人で、少年は今日もひとりで冷蔵庫の中の夕食をオーブンで温め直し、高価な皿に盛り付けた愛情のこもった作り置きの食事を、味気なく胃袋に詰め込んだ。

 別に、両親をとやかく言うつもりはない。楽しげに仕事に向かう両親のおかげで、クラスメイトよりもよい暮らしが出来ていることは知っていた。それに、あれこれと口を出す親が不在のおかげで、結果、勉強も捗るし、趣味だって好きにさせてもらっている。

 だが、不自由さのない自由は、彼くらいの少年にとっては同時に張り合いもない。幾ら時間があれど、遊び仲間は夕方になれば家に帰ってしまうし、どれだけ良い点の答案用紙を持ち帰っても、その日に誉めてもらうこともない。翌日になって手放しで抱きしめられたところで、少年にとっては、それは既に遠い過去の出来事なのだ。

 不満はないが、満たされてもいない。

 それ故の、舌打ちである。

「コンビニでも行こう」

 夜に向かってそう告げて、少年は家を出た。欲しいものなど特にない。あるとすれば、人との会話だ。そうと気付かず夜を駆けて、少年は角を曲がった。

 ぽっかりと闇を広げているのは、住宅街の真ん中の、小さな公園だ。

 周囲に民家が多いせいか物騒な感じはないものの、人通りは途絶えている。

 さして広くもない砂利の敷き詰められた公園内は、普段であれば青白い電灯にぼんやりと浮かび上がっているのだが、今夜は中央の明かりが切れていて、点っているのは入り口付近のたった一本だけだ。

 その心許ない明かりの中で、小柄な影が動いていた。

 一瞬、どきりと足を止めかけたものの、どうやらそれが自分と同年代くらいの少年だと見て取って、彼はほっと胸を撫で下ろした。大人は信用ならないが、どうやらあちらも自分同様、退屈を持て余した同士に違いない。

 見れば少年は身を屈めて、地面に落ちた物を拾い集めている。そそっかしくて、暗い足元にでも躓いたのかも知れない。

「手伝おうか?」

 そう声を掛けながら近づいたのは、好奇心からに他ならなかった。ほんのちょこっと落としたにしては、屈み込む回数が多すぎる。何を盛大にぶちまけたのだろう。歩み寄る内に、地面がきらきらと煌めいているのが見て取れた。

「……何してるの」

 問いかけたのは、地面に身を屈めた少年が、銃身の長いモデルガンのような物を背負っていたからだ。その上、上着のフードを目深に被っていて、怪しいことこの上ない。

「何って……それより、君は誰なのさ」

「誰って、誰でもないよ」

「ふうん」

 肩を竦めて、フードの少年がこちらに向き直る。片手にはうっすらと光る硝子瓶を持っていた。

 ふと上を見れば、街灯が無残に割れている。明かりが消えていたのは、この所為だ。落ちた硝子でも集めているのか、少年が手にした瓶の中には光る欠片が詰め込まれていた。

「君が撃ったの?」

 頭上を指させば、少年が空を仰いで、またこちらを見る。フードが少しずれて、瞳が光を撥ねた。

「そうだけど」

「マズいんじゃない」

「どうして」

「どうしてって、街灯を壊すなんて」

「街灯?なんのこと、アレは僕のせいじゃない」

 再び見上げて、漸く街灯が壊れていることに気付いたのか、少年が心外だという顔で抗議した。

「僕が撃っているのは星さ」

 肩に掛けたライフルをかしゃりと揺すってみせる。

「星?何で」

「何でって、季節が変わるからじゃないか。星を張り替えなくちゃならないだろ」

「待って、星なんて打ち落とせる訳ないじゃないか、おかしいよ」

「おかしいのは、君だよ。邪魔しないでくれないか。トーキョーは星が少ないから、サボっていたらバレちゃうんだ」

 硝子の瓶を腰の革ベルトに挿して、少年が顔を顰める。

「月に帰る資金を稼いでるんだから、君と遊んでる暇はないよ」

「月?」

「そうさ、だって僕は、兎だもの」

 はらりとフードを後ろに払う。淡い闇に浮かんだのは、紅い瞳と白い髪。それから毛に覆われた長く柔らかな耳だった。

「え?」

「君に月の石をあげるよ」

 後退った少年の腕を、フードの少年の手が掴む。腰のベルトから、黒い何かが引き抜かれるのが見えて藻掻くが、逃げる間もなく頭を押さえ込まれた。かちり、と耳に冷たく固い金属が触れる。身体を捩るより早く、ばちん、という大きな音が耳元で響いた。じんじんと、耳朶が痺れて痛い。

「な……」

「大丈夫だよ、ピアスだ」

 鼻先に突きつけられた月のような鏡には、耳朶に穿たれたばかりの月長石が一粒。潤んだ光が夜の中で煌めいた。


 耳朶の違和感がなじんだ頃、兎を拾った。

 白くてふわふわで目が赤くて、鼻がひくひくと蠢いていて、温かい。

 どうしよう、何を食べるのか。じっとみていると、後ろ足でたんたんと、床を鳴らす。

 張り紙を作って、あちこちにぺたぺたと貼って、交番にも届けて、SNSにも拡散してもらおう。写真を撮る時だけ、兎は妙に大人しく、カメラ目線でじっとしていた。

 翌日の夜、兎を受け取りにやってきたのは、見知らぬ少年だった。聞けば知らぬ間にいなくなってしまったのだという。もう、帰らなければならないから、無事に見つかってよかったと眉をしかめて兎を抱き取った。

「助かった、ありがとう」

 被っていた帽子に軽く手をやって、少年は兎を抱いて階段を降りていく。その後ろ姿を見送っていれば途中で、たん、と階段を飛び降りた。腰で見覚えのあるベルトが揺れる。

 硝子瓶の揺れるベルトに、はっとした。そうしてようやく気がつく。住所なんて、教えていない。

「待って、ねえ、その兎、この前僕が会った少年かな?」

「ああ?何ファンシーなこと言ってるの。これは、俺の銃」

 兎を抱いていた腕を振るえば、それは一丁のライフルに変わる。

「お前が会ったのは、俺の同僚。もうとっくに月に帰ったよ」

 被っていた帽子をひらりと持ち上げると、その下から、垂れた長い耳が零れた。

「どうして僕の住所を」

「気付いてないのか」

 にやりと笑った少年は、帽子を被り直すと背中を向けたままで手を振った。

「白い月長石の意味は『計画』だ」

「え?」

 問い返す前に、耳元で、ざざっとノイズがした。慌てて音の出所を押さえると、指先につるりとしたピアスが触れる。いつの間にか、帽子の少年は消えてしまった。

 耳朶ではまだ、漣のような音がする。その隙間を縫って、微かな声がした。じっと耳を澄ます。視線の先では、群青の空に薄い月が張り付いている。

 ざざっ、と大きなノイズの後で、はっきりとした声が響いた。

「GPSだよ。これで月からも君の居場所がよく分かる。通信機能も付いてるから、眠れない夜には、呼んでよ。星を数えるより、ずっといい」

 見上げた夜空で、月がきらりと煌めいた。

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月の石 中村ハル @halnakamura

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