第45話 意地悪な彼女
学校に着く頃には朝日も淡く、騒々しかった鳥たちも息を潜めている。
扉の前でも教室での喧噪が聞こえてくる。そこになにかしらの感情が芽生えるわけではないが、なんとなく普段よりは足が軽い気がした。
木造の扉。なるべく音を立てないよう忍んで開ける。
自分の席に座り、視線を配らせるも目的の人影は見えず、カバンを漁るフリをして教室の扉が開くのを待った。
「おはよー桜川さーん」
「っ!?」
ガタン! と椅子が揺れた原因が自分だと気付く頃には体を反り返らせてエビみたいになっていた。
「ご、ごめん驚かせちゃった?」
「お、え」
顔を見るも、知らない人だった。いや知らない人という称号は同じクラスメイトには少々失礼かもしれない。撤回すると、顔は見たことあるし存在は認知しているが名前までは分からない。そんな感じだ。
「あのね、桜川さんに相談があるんだけど、いいかな?」
困ったような顔で聞かれ、私もダメなんて言うわけにもいかずに小さく頷いた。
「実はね、他校の男子なんだけど、桜川さんのこと紹介してくれって言われたんだよね。どうもこの前の体育祭で一目惚れしちゃったみたいで、どう?」
「は、はぁ」
どうもこうも、私はなんと答えればいいのだろうか。なるほど私は正面から断るということができないらしい。損な性格なのか、それとも現代人にとってこの感性はあって当然なのか。
返す言葉が見つからず、机の木目を視線でなぞる。頭上では「こいつなんだけどさー」と話は進行してしまっている。困った。
「おはよ、結芽」
私は「お」の時点ですでに顔をあげていた。ものすごい早さだと自分でも思う。でもその声が、私の探していた人物のものなのだから、それも必然なのかもしれない。
「日菜」
「おっはー。あれ? お取り込み中だった?」
カバンをぶら下げたまま、日菜が机に寄りかかる。私に話しかけていたクラスメイトも軽く挨拶をして事の顛末を説明していた。
「へー、結芽モテモテじゃん」
「桜川さんって彼氏いなかったよね? だからどうかなーって」
私はビクっと体を震わせる。まさか一度会ってくれなんて言わないだろうか。そうなったら私、県外まで逃げるかもしれない。それくらい嫌だった。
悪気なく笑うクラスメイトから目を離し、日菜を見る。目が合った。
「あーダメダメ、その男子に言っといた方がいいよ脈ナシだって」
「そうなの?」
「うん、だって」
にひひ、と悪戯を思いついた子供のように日菜が歯を見せた。
「結芽はわたしのことが好きなんだもんね」
「ひ、日菜っ!」
な、なんてことを言うんだ! 教室の中で、誰が聞いているかも分からない場所でそんな! クラスメイトの視線が私に突き刺さる。真意を確かめるような目で見られ、日菜は助け船を出してはくれなかった。絶対楽しんでる。
「へー、そうなんだ?」
聞かれてしまったので、私はコクと頷いた。今の私の顔は、きっとものすごく赤い。
「そっかー、じゃあダメだね」
「すみませんねウチの子が」
「いえいえ」
近所のおばちゃん同士みたいな掛け合いだ。
「うん、わかったよ。脈ナシだって伝えとく」
クラスメイトは私を見て微笑んだ。彼女の視線はどこか温かく、こそばゆい。
今のがどう受け取られたのかは分からない。本気で捉えられたのか、それとも友達同士の冗談だと思ったのか。私的には後者であって欲しいが、もし前者だったとしたら相当に恥ずかしい。
だって、それは、周囲に私が日菜を好きだということが知れてしまったということ。私の好意が滲んで浮かび上がる。それを見て、皆はどう思うだろうか。
過去の経験則から、じめじめとした想像が頭を過る。
「そんなわけでわたしにゾッコンの結芽さん。そういうことでいいですよね?」
「う、うん」
「おー、愛だね愛」
クラスメイトはなんだか適当な反応だった。特に思うところのなさそうな様子を見るに、私の不安は杞憂だったのかもしれない。
クラスメイトは日菜、そして最後に私を見て、自分の所属するグループの元へと戻っていった。
「ひ、日菜。あんまりそういうことは言わないで」
「え、なんで?」
「は、恥ずかしいから」
「えー」
日菜は不服そうだった。だけど、これからも教室の中でこうもイジられるのはかなり恥ずかしい。
すると日菜が顔を寄せてきて、耳元で囁いた。
「じゃあ2人きりのときだけにしよっか」
カァっと顔に血液が集まって、上手く発声ができない。頷いているのか俯いているだけなのか自分でも分からなくなる。
なんだか日菜が意地悪になった。
前からその片鱗は見せていたが、最近では好意を伝えたことにより面白がってからかってくる頻度が増したように思える。私は確かに日菜が好きだけど、それを誰かに、しかも当の本人から掘り返されるのは非常に反応しづらい。そうだよ好きだよ! とでも返せる勇気が欲しい。
しかもなにがタチの悪いっていつもいつもこうした後に言ってくるのだ。
「わたしも好きだよ」
「れ」
舌を噛んだ。
来るとは分かっていても、その破壊力には耐えられない。朝だというのに、体温が上がりきって私の頭はインフルエンザにかかったみたいにぐわんぐわん揺れていた。
「おはよう! 2人とも!」
「おはようございますー」
私が餌を欲しがる金魚のように口をパクパクさせていると、張りのある声と遠慮がちな声が同時に耳に届いた。
「あ、
「ふふっ、今日もいい天気ね。どうして晴れるとこんなにも気分がいいのかしら。それは心因性によるものなのかしら。それとも、太陽光に含まれた要素だとか、温度だとか、そういう外的要因によるものなのかしら。もし前者だとしたらそれはきっと経験則によるものだと思うの、遺伝性は考えづらいでしょ? つまり過去に晴れているときにいいことがあったからそれを記憶しているあたしたちの脳が――」
「はぁ」
日菜がめんどくさそうに相槌を打つ。
私も何を言っているのかさっぱりで、会話に参加しようとも思わなかった。
「ということはよ! 雨が降った時に脳の奥底に根付くような経験をすれば、どんな天気でも毎日が楽しめるようになるんじゃないかしら!」
「わかる、そうだね。たしかに」
「ちょっと、ちゃんと理解しているの?」
適当に返事をしていたことが
「わ、わたしたちはそんなことしなくても毎日楽しいからさ~、ね、ね。結芽」
チラ、チラ。とアイコンタクトを送ってくる。
頷け、頷けと。さもなくば東光寺さんに捕まって放課後わけの分からないことに付き合わされることになるぞ、と。
「うん。私は、毎日楽しいよ。すごく」
すると東光寺さんが「あら!」と反応して「じゃあ心配いらないわね」と栗色の髪をマントのように翻して去っていく。
「こうなったらあたしたちだけでも楽しいを探しに行くわよ、いちか」
「え、でも私も毎日楽しいです――」
「ダメよ! いちか、あなたには気迫が足りないわ! そんなことじゃ本当の楽しさを知ることはできないの! 妥協は自身の成長を止めるだけよ! さぁ!」
「ふえぇぇ」
東光寺さんに手を引かれて半ば強引に連れて行かれる佐藤さん。もうすぐでホームルーム始まるけど、どこへ行くんだろう・・・・・・。
ふと、哀れみにも似た視線を送っていると私と佐藤さんの視線が交差した。
佐藤さんの口が動く。
『おめでとうございます』
そう言われた気がして、私は軽く、頭を下げた。
「あはは」
隣で日菜が笑って、廊下から「どこへ行くんだ!」と先生の声が聞こえてくる。気配を察知して、談笑していたクラスメイトたちもそそくさと自分の席へ戻っていく。
「じゃ、またあとで」
日菜と手を振って、私も席に着く。
いつもと同じ。変わらない風景。同じ時間に学校に来て、同じ人が教室に集まり、同じ時間に授業が始まって、同じ時間に放課後がくる。
教室に入ってきた変わり映えのしない担任の顔。遅れて戻ってくる不満そうな東光寺さんと涙目になっている佐藤さん。それを見て、野次を飛ばすクラスメイト。
窓際に視線を飛ばすと、日菜と目が合い、こちらを見て笑う。
それも、何度も繰り返してきた光景。
ただ1つ、いつもと違うものがあるとしたら。
それはきっと、その中で一緒に笑えている、私だろうか。
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