第46話 わたしの答え

「ねね、本屋寄ってってもいい?」


 放課後、駅前をブラブラしていると日菜がそんなことを言い始めた。


「いいけど、欲しい本でもあるの?」

「うん。難しい漢字でよくわかんなかったんだけど、なんとかと百合の花? みたいなやつ」

「へぇ、流行ってたり?」

「そういうわけじゃないけど、勉強しようと思って」


 勉強? と私が首を傾げると、唇に人差し指を添えて日菜が言う。


「女の子同士のさ、お勉強」

「ほえー」

「なにその声」


 自分でもどんな声を出したか自覚がない。でも可笑しそうに笑う日菜を見るし、相応に可笑しかったのだろう。


 それにしても、勉強。勉強か。って、あれ?


「ね、ねぇ日菜。その本のタイトル、もう一回言って?」

「え? だから、なんとかと百合の花。夜? とかも入ってた気がする。結芽知ってるの?」

「そ、その本はやめた方がいいと思うっ!」

「うわびっくりした」


 予想よりも大きな声が出てしまい日菜が驚く。最近の私はボリュームの調整機能が壊れている。


「その本は、ちょっと、かっ」

「か?」

「かっ、かっ」


 カラス? と私を不思議そうに見る日菜に身振り手振りでなんとか伝えようとする。私の舌は当分役には立たない。


 ひどく覚えのあるタイトル。前に日菜を待っている際、本屋で読んでいた、あれ。あの本だ。絶対そうだ。あれはソフトな百合作品ではなく、大人向けの、そういうシーンがあるかっ、過激な漫画だ。それをお勉強などと日菜が見た日には、私の身に、身に、日菜が。あれ? いいかもしれない。いやでもやっぱり恥ずかしい!


 そうこうしている間にも、某コンビニ店の隣にある古本屋に着いてしまう。


「あーいうの、百合って言うんでしょ? どこにあるか分かる?」

「い、いや。どうだ、ろう」

「そっか。じゃあ店員さんに聞いてみよっか」

「ちょ」


 ズンズンとレジへと進んでいく日菜の手をひっ掴んで必死に止める。


 女同士で本屋に来て、百合作品はどこにありますか、なんて聞いたら絶対勘違いされる。


「あ、あっちにあったよ~な? 気がするぅ~?」

「なんで歌舞伎みたいになってるの」

「よ、よぉ~?」


 歌舞伎のつもりはなかったんだけど、誤魔化すために悪ノリをしてみる。私のそんなギャグに日菜は笑っ・・・・・・てはいなかった。眉を顰めて訝しげな目で私を見ていた。せ、せっかく乗ってあげたのに!


 笑わせようとしていない時には勝手に笑われるのに、笑わせようとすると笑ってくれない。自分のギャグのセンスに自信がなくなってくる。


「この辺りに日菜が読みたいのがあると思う」

「おー、ほんとだ」


 軽い4コマ漫画や大判コミックなどが立ち並ぶコーナーへ日菜を連れてくる。こういうのならソフトな百合だから、そういうシーンはない。うん。これでいいはず。ちょっと勿体ない気がしないでもないけど、まだ私自信の心の準備が出来ていない。


 10分ほど探して、日菜の腕の中には10冊ほどの漫画が抱えられていた。


「じゃあ買ってくるから待ってて」

「うん」


 そう言って日菜がレジへと向かい、穴あきとなった本棚を見てふぅと息をつく。


 ゆ、百合を勉強って、日菜はいったい私になにをするつもりなんだろう。別に勉強するようなものでもない気はするが、日菜なりになにか考えがあるのだろうか。


「むー」


 悩み、適当に目の前にあった漫画を手に取りパラパラとめくった。


「あれ? 結芽ちゃん」


 ふと、どこか聞いたことのある声がして私の首は自然と横を向いていた。


「やほ、また会ったね」

「あ」


 目の前には、彼女がいた。最近会ったばかりのはずなのだが、懐かしいという感覚はいまだに根付いている。


 なんの用だろうと勘ぐってしまう。そんな私の視線に気付いたのか彼女が一歩引く。


「あ、いや今回はホント偶然。前みたいに付けてきたってワケじゃないからね?」

「そ、そう」


 やはりぎこちのない会話になってしまう。とはいってもそれは誰にでも言えることなので、彼女に限ったことではない。私の対人能力が低すぎるのだ。


「今日は1人?」

「ひ、か、と、友達と」

「そうなんだ」


 日菜と、と言いかけてやめ。彼女、と言いかけてやめ。友達と言った。日菜なんて言っても伝わらないし、彼女は。うん彼女はおかしい。言わなくてよかった。


 レジに並ぶ日菜を見ながらそんなこと思う。


 ハッとして彼女を見ると、視線は日菜へと注がれていた。


「あの子?」

「な、なんで分かったの」

「さっき喋ってるの見えたから」

「あ、ああ」


 彼女の猫のような瞳が私を捉え、品定めをするように全身を撫でていく。


「よかったね」

「え?」

「なんか、すごく楽しそうに見えたから」

「ど、どうだろう」


 彼女からはそんな風に見えたのだろうか。まただらしなく笑っていたのではないかと自分の頬を触ってみる。今は、一応大丈夫だった。


「答えは見つかった?」


 彼女が私を見つめる。


「間違いじゃ、なかった?」


 続けて問いを投げられる。


 以前、彼女が私に言ったこと。「結芽ちゃんは間違ってないよ」と情景とセリフが脳内を横切っていく。


 私が日菜に想いを寄せて、それを告げた。


 それは確実に、境界線を超えた感情と行為だ。


 歳を取ると、異端と正常の境界線がだんだんと色濃く見えるようになってくる。


 どれだけ倫理的に正しくても、本質的に歪んでいなくても、周りと違うのであればそれは間違いであり生きていくうえで障害となりえる不安物質だ。どんな言い訳も通用しない。それは悪なのだ。


 以前まで私はそう思っていたし、正直、今でもこの考えに頷ける部分もある。


「どう、だろ。それはまだちょっと分からないけど」


 それでも。


「間違いじゃないって、私は思いたい」


 これを間違いだと通してしまったら、私が日菜を想うこの気持ち。日菜への好きがひどく虚ろに見えてしまう。


 眠れなくなるほどに、胸が締め付けられるほどに、泣いてしまうほどに好きなこの感情が、ただの茶番に思えてしまう。


「私だけは、ずっと。そう思っていたい」


 歳を取り、体も心も成長して大人に近づくと、境界線とは違う、その先にある遙か遠くの景色が見えてくる。そうすると、境界線を視界に捉えながらもそれを踏み抜く我欲が生まれてくる。


 異端だとか、正常だとか。そんなの、どうだっていい。


 境界線を跨いで、その上を2人で手を繋いで歩いて、なにが悪いのだろうか。


 幸福に満ちた私の心と、綻ぶ私の頬に、誰が真意を問えるというのだろうか。


「そっか、それが結芽ちゃんの答えなんだね」

「あ、いや。別にそこまで大それたものじゃなくて、そうだったらいいなと・・・・・・」

「ふふっ、うん。それも、結芽ちゃんの答えだね」


 どうしてそんなにも優しく笑えるのか、私には分からなかった。


「じゃあ、頑張ってね」

「う、うん。頑張る」


 もう彼女は私をご飯に誘うようなことをしなかった。尾を引くように去った前とは違い、なんの未練もない様子で、私に背を向けて去っていく。


「全部、私の答え」


 彼女に言われて、そうなのかもしれないと思いに耽る。手に持っていた漫画の存在を今頃思い出して、本棚に仕舞う。


「結芽~!」


 すると、まるで入れ替わりになるように日菜がこちらへ走ってきた。若干目に涙が浮かんでいる気がして「どうしたの」と慌てて聞いた。


「お、お金が足りなかった・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「ど、どうしよう!」

「いいよ。私も出すから」


 言うと、日菜の顔がぱぁっと明るくなる。犬のように、尻尾を振って。


「まさか帰りの電車賃も足りないなんて言わないよね?」


 咎めるように問いただすと、しょんぼりと頭部を垂れる日菜。あぁ、やっぱり犬だ。犬は日菜のほうだ。とすると、飼い主は私? リードに引っ張られてひぃひぃ言っているイメージしか沸かない。


 でも、それが今の私たちの関係なんだ。


 きっと正しい、正しいはずの、私の選んだ道。


「じゃあ私の家来る?」


 若干早口気味になってしまった。


「うん!」


 日菜の笑顔が弾ける。


「あ、ていうか店員さん待たせてるんだった! 結芽! はやくはやく!」

「ちょ、ちょっと日菜!」


 リードを引っ張る日菜と、引っ張られる私。だけど離れることはなくて、常に日菜が私の視界にいる。そして時折、日菜がこちらを振り返ってくれる。


 どこまでも、どこまでも走って行く。


 目が合って、笑う。晴れやかに、爽やかに、だけど時々だらしなく、不器用に。それでも慈しみ、優しく、互いを想う。


 きっとその先には平原だけでなく、大きな壁が阻むように立ちはだかる時もあると思う。


 私には乗り越える力なんてないけど、日菜がきっと先に登って、私に手を差し伸べてくれる。


 日菜だって、悲しい時や寂しい時があって、壁を前に座り込んでしまうこともあるかもしれない。そんな時は私が寄り添って、一緒に、隣で、笑ってあげたい。


 会計を終えて、店を出ると少し温かくなった風が頬を撫でていく。落ち着いた色調の花がいつのまにか鮮やかなものへと変わっていた。


 春は終わり、梅雨も明け、もうすぐ夏がやってくる。


 何かを経て、何かが生まれる。季節も花も、人の関係も。何もかもが変わらずにはいられない。だけど、変わっていくからこそ、それは宝物のように輝いて今を実感できるのかもしれない。


 そして変わった先で、私はずっと、幾度となく思う。


 悩んでよかった。不安でよかった。苦しんで、鬱屈で、辛く。だけど勇気を出して、星空を仰ぎ見たことは決して忘れることのできない私の道標だったと。


 胸に手を当てて、感じる。漣のような鼓動に心が凪いでいく。


 結んだ芽が夢になる。


 思い出と気持ちが交差して、入り組んで、繋がって絡まる。不格好に、だけど頑丈に。触れた手のひらに伝わる温もりが、眠った蕾を外の世界に連れ出していく。


 私を呼ぶ声がして、顔をあげた。


 初夏の青空の下。


 歩道と車道を分ける白い線の上。


 太陽の日に照らされた菜の花が、綺麗に眩しく咲いていた。 

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