第35話 火照っとポテト

「それでは! 赤組の勝利を祝して~!」


 しゅわしゅわと泡の立ったグラスを持ち上げて乾杯の音頭を取る。まぁ、ドリンクバーの炭酸なんだけど。聞いている人半分、すでに食べ物を注文したり好き勝手動く人半分に打ち上げと称されたカラオケパーティが進行していく。


 白組の子も混じっているところを見るに、どうやら勝ち負けなんて紅白歌合戦の勝敗くらいにどうでもよかったらしい。楽しければそれでいいというのが表情に見て取れた。


 誰かが最初に流行りの曲を入れてデュエットで歌い出す。上手くもないけど、下手でもない。音程もそこそこにに、とにかく声量に任せて叫んでいた。


 そんな歌声を聞きながら、運ばれてきたポテトをもそもそと食べている結芽の腹を小突く。


 ぴくっと背を張って、口からポテトを吊したままこちらを向いた。


「なんか歌う?」

「いい。私下手だし、あんまり曲も知らないし」

「そっか」


 室内は騒がしく声が聞き取りづらいため、必然的に結芽との距離は近くなる。


 顔を寄せたわたしを、結芽の瞳が捉える。


「日菜は歌わないの?」

「どっちでもいいけど。結芽が歌わないならいいや」


 その言葉をどう受け取ったのかは分からないけど、結芽は短く「そう」とだけ言ってドリンクを飲み干した。


「飲み物とってくる」


 そう言って結芽が席を立つ。どんだけ飲むんだ。あのペースじゃ部屋と廊下を行ったり来たりすることになるけど、多分そういうとこは考えてないんだろうなぁ。


 結芽がいなくなり手持ち無沙汰に人の歌を聴いていると、周りに人が集まってくる。


 すごい速かったね、とか。さては実力を隠してたな、とか。そんなことを聞かれる。この状況じゃ走りたくなかったなんて言えそうにないので適当に合わせておく。


 結芽のことについても聞かれたけど、バトンを落とした件じゃない。仲いいよね。桜川さんってどんな人? すごく綺麗だよね。と前向きなことばかりで、わたしは鼻を高くして言ってやった。


「見てくれはあんなんだけど。実はめちゃくちゃ天然っていうかね、けっこう変な子だよ」


 誰も信じてくれなかったけど、きっと仲良くなれば分かるよとだけ吐き捨ててふんぞり返った。わたしだけが結芽の素顔を知っているという優越感に似たものは、きっとあるんだとは思う。


 ていうか、その桜川結芽さんがドリンクを取りに行ったっきり中々帰ってこない。道にでも迷った? さすがにそこまでポンコツではないと思う。


「・・・・・・」


 断言できなかった。


 弱めの炭酸を喉に流して、ドリンクを取りに行くついでに結芽を探しに行くことにした。


 体育祭で浮かれていたけど、思えば今日は平日だ。お店の中に人は少なく、ほとんどが空き室になっている。


 トイレを通り過ぎて、たしかこの突き当たりにあったなと曲がってみる。


「好きだ」


 んっ!?


 突如として聞こえた声に思わず足を止める。


「私も好き・・・・・・」


 簡潔に言うと、カップルがイチャついていた。


 そうして交わされるのは唇と唇の、あれだ。映画とかで見る情熱的な行為が目の前で行われている。


 制服はうちのもので、どうやら体育祭の熱にやられて大胆に青春を繰り広げているらしい。


 いやまぁそれ自体はいいんだけど・・・・・・こんな場所でやらないで欲しいなぁ! ドリンク取りに来た人びっくりしちゃうよ! わたしだって、こんなのはじめて見たし。うあ、あれなにしてるの?


 うわぁ。


 うわぁ。


 わたしがそうして放心していると、後ろのほうから声がする。


 このままではわたしが覗き見をしているように見えてしまう。別に弁解すればいいだけなんだけど、火照ったわたしの頭は正常な判断を下せなかった。


 慌てて近くの自動販売機の裏に隠れる。


 ぎゅむ。


 柔らかいなにかが触れた。


 そして、感じる人の温もり。


 横を見ると、すでに先客がいたようだった。


「結芽? なにしてるの」


 よほど驚いたのか、口を両手で押さえて目をまんまるに開けている結芽が体を丸めてそこにいた。


 吐息が漏れて、首筋に生暖かい空気が当たる。自動販売機の稼働音に紛れてかすかに結芽の声が聞こえる。


「な、なんで」

「や、だってびっくりしたんだもん。見た?」


 キスしてるカップルがいた。とは気恥ずかしくて言葉に出せなかったので濁すしかなかった。それでも意味は通じたようで、こく、こくと結芽が頷く。


 耳まで赤くなちゃって、どうやら結芽もあの現場に出くわしてしまいずっとここに隠れていたようだ。


 鼓動が早い。それは走ってる時のような跳ね方とは違う、なんだか舌がぴりぴり痺れるようなものでどうにも落ち着かない。


 声を聞きつけてか、イチャコラとしてやがったカップルは退散していく。どうせ場所を移しただけだろうけど。


 日常から乖離した空間がようやく清浄なものへと戻っていく。


「やっと行ったね」

「う、うん」

「やー、ほんとびっくりだよね。あはは」

「う、うん」


 互いに会話がぎこちない。


 キスというものがあんなにも見ていて恥ずかしいものだとは思わなかった。


「わたしが結芽にしたのもあんな感じだった?」

「う、うん。えっ?」


 冗談めかして言うと、結芽が体を硬直させて固まる。かと思うとそのままこちらにもたれかかってきてわたしの肩に手を掛けた。


「違う違う。さすがにあんな、あんな。あんなのではなかった」

「そう? よかったぁ、あんなの寝ぼけてやってたらわたしそうとうヤバイ人だったよ」


 安心ひとつ。だけど疑問もひとつ。


「一応聞くけどさ、どんな感じだった?」


 結芽の目を見て聞いてみる。狭い場所で、しかもなぜか結芽がもたれてきてるので非常に距離が近い。さっきのカップルもこんな感じの距離だった気がする。


 結芽の薄いピンクの唇が震えた。


「ちゅって感じ・・・・・・」

「ちゅ?」

「うん。ちゅって」

「あ、あはは。そっかそっか。じゃあいっか!」


 いいわけない。


 わたしの適当なじゃあいっか! が最後の言葉となり、自動販売機の裏で2人見つめ合うという奇妙な光景となる。


「日菜は、どうして走ったの?」


 それが無言の空間を壊すためなのか、それともずっと聞こうと思っていたことなのかは分からない。


 けど、わたしの肩に添えられた手に力がこもった気がしたから、きちんと考えてみることにした。


 うーん、なんで走った、か。


「日菜、もう本気で走らないって言ってたのに。怖いからって」

「そりゃそうなんだけどね、今回ばかりは不思議と怖くなかったっていうかさ」


 身じろぎするのは、照れ隠しなのかもしれない。


「なんか、頑張れたんだよね」


 煙を掴むような、不明確なわたしの返答に再び結芽がどうしてという顔をする。


 今までわたしは頑張るのが怖くて、頑張れば頑張るほど報われないっていうのは知ってたからある程度力を抜いてやってきた。それならどうして今回も今まで通りにしなかったのか。


 体が勝手に動いた、なんて言えば聞こえはいいけど。きちんとした理由があるのはわたしにも分かってる。


 大会でいい結果を残すとか、彼氏を作るとか。自分のことに今まで頑張ってきたけど今回は、違った。わたしが頑張るための動機が、今までとは異なるもので・・・・・・。


「日菜?」


 わたしの視線を不思議に思ったのか、琥珀色の瞳が見つめ返してくる。視線が交差するのはほんの少しで、すぐいつものように結芽が先に目を逸らす。


 どうしてって、分かってて聞いてるんだとしたら結芽は性格が悪い。


 そんなの決まってるじゃん。


「・・・・・・?」


 わたしが無言でずっと見つめっぱなしだから、結芽もどうすればいいかわからないみたい。


 ふぅ、と息をつく。


「内緒」

「こ、ここまで引っ張っておいて」

「内緒ったら内緒なの。ほら、いつまでもこんなとこいらんないんだから」


 言ってわたしは自動販売機の裏から這い出る。


 グラスを落とさないように手の中で遊ばせているとちょうど通りかかった莉音といちかにばったり出くわした。


「あら? どうしたの日菜。なんだか顔が赤いわよ?」

「ほんとです。耳まで真っ赤ですよ」


 2人から怪訝な視線を送られる。のそのそとわたしのあとに這い出てきた結芽を見て私は。


「やーまいったねこれは」


 熱を持つ自分の頬を触って、おどけるしかなかった。

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