第34話 頑張る
頑張ってもロクなことにならない。それなら、最初から頑張らないほうがマシである。
別に卑屈になっているわけじゃなくて、これはいろんな試行錯誤をして導き出したわたしなりの処世術だ。
人生山あり谷ありとは言うけれど、そのどちらもが平坦な、そう。野原のような平和な人生のほうが何倍も楽に決まってる。
生きがいとかスリルとかを求めるわけではないわたしにとって、どれだけ低カロリーで生活をできるかが鍵となり、余計なことに首を突っ込まない、しない。それが胸に刻んだ標語だ。
止まらないストップウォッチ。男なんて知らないと嘆いた屋上。そのすべてがわたしの過ちで、もう頑張らないと誓うきっかけをくれた思い出したくもない記憶。
頑張ると気を張ってしまう。自分のキャパシティを超えた行動で、足元がおぼつかない。頑張った分だけ迎えた結末に悔しがり、涙を飲む。
ただ人並みの努力を火種にして人並みの結果を望んだだけ。
頑張ることが、怖くなった。
風景が横にブレる。視界には背中と、風に靡く白いハチマキのみ。
腕を振る度にシャツが擦れる。ブラが緩くて、胸元がむず痒い。あぁ、今にでも止まって付け直したい。
せっかくセットした髪も風に押されて崩れてしまっている。またアイロンかけ直さなきゃ。
「はっ・・・・・・はっ・・・・・・!」
規則正しく、だけど荒々しく。まるで自分を鼓舞するかのように息が漏れる。
額と首筋に汗が滲むのを感じる。太ももがむくんだように張って熱を持った。
眼前の背中にぶつかりそうになって、無意識に習慣付いた体重移動で外側に逸れて避ける。
・・・・・・あれ?
視界から、背中が消えた。白いハチマキはどこにも見えない。
腕と足が悲鳴を上げ始める。普段使おうとしない筋肉を数年ぶりにたたき起こしたせいだ。筋肉と血管による猛抗議に耐え、つま先で地面を蹴り上げる。
ざわ、と。風を切る音の中で人の声が聞こえた。ついでに視線も感じる。
やだなぁ。そんなに注目しないで欲しい。緊張する。アンカーはまだなんだからそんなに盛り上がらなくてもよくない?
「・・・・・・っ、はぁ、っ!」
なんか声をかけられた気がしたから手でも振ってあげようと思ったけど、声が出ない。
脳内を駆け巡る興奮物質がよそ見をすることを許さない。
ドクンドクンと鼓膜が震える。近い。もしかしてわたしの心臓って耳にあった?
一歩を踏むごとに汗が散る。髪が舞い、息が切れ酸素を求める。
わたし、こんなに体力なかったっけ。
軽く流してるだけのはずなのにこんな、一生懸命。バカみたいに。
「はぁ、はぁっ・・・・・・!」
わたしの視界が、アンカーの莉音を捉えた。目が霞んで、表情は見えない。
直線。応援席の前。視線を浴びながら前へ前へと足をあげた。背中は真っ直ぐ、顎は引いて、腕はしっかり振る。
疲れた。
きっと今のわたしはひどい顔をしている。汗でお化粧、落ちてないかな。誰か手鏡貸して。髪だってもうめちゃくちゃだ。
バトンを握る手に力がこもる。
まるで自分の感情を握りしめるように。
性懲りもなく頑張ってしまうわたしを圧死させようとするように。
「あっ」
足の感覚がなくなったのと同時に、わたしは重力に引かれて落ちていく。
視線は急降下。地面に向かって墜落していく。
転落という奈落に吸い込まれ、墜ちていく。
ほらね。
こうなるから、わたしは頑張るのが嫌だ。
のらりくらりと走っていればこんな無様な格好晒さずにすんだのに。
ひどい。ひどく滑稽。
みんな思ってる。あの人どれだけ必死なんだと。や、それはひどくない? 思ってないことを祈ろう。
まぁ、なんにせよどうせただの体育祭だし、そこまで勝敗にこだわる意味なんて――。
「日菜っ!」
声が、聞こえた。
「・・・・・・ッ!」
いや、聞こえるはずない。
だって結芽は反対側の席にいるし、ここまで届くほどの声量は持っていない。
膝をすりむいて、視界が砂と石だけで埋め尽くされる。受け身を取った手のひらがピリピリと痺れて熱を持つ。
だけど、転ばなかった。
結芽の選んでくれた靴が、わたしの体を支えてくれて、すぐに駆ける。
「莉音!」
前に出した足と同じ方の手を伸ばしてバトンを渡す。
近くに来て、ようやく見えた莉音の表情。笑っていた。
「やっぱりね」
短くそう言って、ふふっと満足気に髪をかきあげる。
視線はわたしに注がれて・・・・・・いやいや! こっち見てる場合!?
なかなか走り出さない莉音を急かすように身振り手振りで「はよ走れ」と催促する。
はやくしないと白組の人が来ちゃう。
だけど、待てども待てども、背後から人影は現れない。
「いい顔してるじゃない」
反論したいけど、わたしは肩で息をするばかりで今にも倒れてしまいそう。
莉音は、やはり笑う。なにがそんなに面白いんだか。
ようやく莉音がわたしから視線を外し前を向く。
瞬間。
砂煙が舞い、莉音が消えた。
爆速でトラックを駆け抜けていく姿に誰もが釘付けとなる。
あっというまにトラックの半分を超えゴール間近という頃、ようやく白組のアンカーにバトンが渡る。
が、もう時すでにお遅し。莉音がギャグみたいなスピードでゴールテープを切っていた。
これ、わたしが頑張らなくても結果変わらなかったじゃん・・・・・・。
切れた息を整えながら、わたしは呆れて笑うしかなかった。
そっか。わたし、頑張ったんだ。
久しぶりに、息を切らして、心臓を躍らせながら。本気で走って。
待機していたみんなが、キラキラと目を輝かせながら、珍しい動物でも発見したかのようにわたし目がけて走ってくる。
「すっげぇ~! 日菜っちめっちゃ速かったんだけど~!?」
「新谷さん陸上部みたいだったー! マジやばい~!」
汗をかいているというにのにもみくちゃにされて、サウナにいるみたいに息苦しい。なんて人口密度だ。
「うげ」
次々にやってきたクラスメイトたちに囲まれて、身動きがとれなくなる。ハチマキが解け、どこかに飛んでいく。砂が靴の中に入って気持ち悪い。
「・・・・・・日菜」
ぼそっと呟かれた声の方向に視線を送り、狼狽する結芽の姿を認める。
「結芽、たすけて」
埋もれるわたしが手を伸ばすと、結芽は遠慮がちに、だけど両手でしっかりと握ってくれて。
「あっ!」
わたしと共に、笑顔と興奮の中に引きずり込まれていった。
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