第28話 ここにあらず

 ちょっと不思議なことが起きた。


  机にノートを広げ黒板を睨めっこするわたしたちの中に、空席が2つある。ひとつは友人である佐藤さとういちかのもので、担任の話によるとどうやら風邪を引いたみたいだ。明後日には体育祭も控えているのでタイミング的にはあまりよろしくない。


 そしてもう1つは、結芽の席。別に優等生というわけでもなければ不良というわけでもない結芽は勉強はそこそこに、だけど欠席だけは1度もしたことのない皆勤賞の持ち主だ。と、前に結芽が自慢げに話していたのを思い出す。あの時のドヤ顔はなかなかレアもの。


 そんな結芽が欠席とくれば、わたしもやはり気になってしまう。先生もまだ結芽とは連絡がとれていないらしく、わたしがさっき送った「今日休むの?」というメッセージにも既読はついていない。


 何日も学校に通っていると珍しいことに遭遇するもんだなぁと将来なんの役に立つのかも分からない数式をノートに書き連ねながら考える。


 いまだにxとかyとか意味が分かっていないわたしは、気付くと筆記体でどれだけアルファベットをおしゃれに書けるか挑戦しており、先の曲がったxがノートの端に見切れたあたりで授業が終わった。わお、なんにも聞いてなかった。


 チャイムと同時にガヤガヤと教室が騒がしくなる。頬杖をついてお昼どうしようかと考えているとクラスの子から声をかけられた。


 話の内容は他愛のない世間話。1度耳を貸してしまったので途中で打ち切ることができず、流れでわたしも立ち上がりその子が所属するグループの元へと歩いていく。


 いわゆるギャルグループで、今日も彼氏の自慢話で盛り上がっていた。


 どちらかというとわたしもこちら側の人間で、クラス替えをした当初はよく混じっておしゃべりしてたっけ。


「日菜っちはもう彼氏つくらんのー?」


 1人の子と目が合い、そんな話を振られる。


「うーん、そうだねー。あんまいい人もいないし」

「そうなん? 日菜っちって結構選ぶカンジなんだ。こいつなんて昨日また新しい彼氏作ったぽいよ? これで何股だっつーの」


 その子は向かいにいる黒髪の子を指さして、からかうように笑った。黒髪の子はぷくっと頬を膨らませて抗議している。


「ちゃんとみんなのこと好きだも~ん」


 いやそれは抗議になっていないのでは? いい子そうなのに、意外にもお盛んなようであった。


「ね、そーいえば今日、西高の男子と遊ぶ約束してるんだけど日菜っちも来ね? 駅前なんだけど」

「えっ、わたし?」

「やーてかね、日菜っちの写真見せたら一発で惚れてんやつがいたんよ。ほらこいつなんだけど、まぁちょっとバカっぽいけど顔はケッコーいいカンジじゃん?」


 見せてきたスマホの画面を覗き込む。あ、画面が割れてる。どう扱ったらスマホの画面って割れるんだろう。しかも、充電があと10%しかない。充電すればいいのに。


「ね? どう?」

「あーうん」


 その西高の男子のご尊顔を拝むのを忘れていて、見ようとしたころにはスマホを引っ込められてしまった。


「いいよ、今日暇だし」

「マジ!? やりぃ! じゃあ放課後! ヨロシクー!」


 本当は結芽と帰ろうと思ってたんだけど、休みみたいだし。今日はバイトもないし、まぁいっか。


「私も行くぅ~」

「お前はいい加減1人に絞れっつの」


 黒髪の子が腰を揺らしていやんいやんと体をくねらせる。ものすっごいぶりっ子。陽太がいたらうんちぶりぶりぶりっ子とか言われてそうだ。



 放課後になると一気に後悔の波が押し寄せてきた。


 謎の社交性を発揮した自分が恨めしくなる。断ればよかった。授業で疲れているのに知らない男子と遊びに行くなんて、泣きっ面に蜂だよ。


「日菜っち~! やーやっと授業終わったね~さっそく行くべ・・・・・・ってどしたん?」

「ううん! なんでもない! 行こ!」


 虚な笑顔を貼り付けて、勢いのまま立ち上がった。


 やがて他のクラスの子と合流する。計5人で電車に乗り込む。みんな気さくな子でアクセや昨日見たドラマの話などを振ってくれたので、流れる景色から目を離して時間を潰した。


 駅前に着く。先週結芽と来た場所だ。わたしたちはそのまま待ち合わせ場所へと向かう。偶然にもその待ち合わせ場所も結芽とご飯を食べに行ったあの場所だった。


 こちらと同じ5人の男子がすでに集まっていて、一番背の高い男子がこちらに気づき手を振ってくる。


 わたしは何故か真ん中に座らされ、メニュー表を見ながら男子からの質問に適当に答えていた。やたら熱心にわたしに食いついてくる短髪パーマの男子。笑った表情がバカっぽく、だけどあの子の言うとおり顔自体は悪くない。うん、爽やかで好印象だ。


 だけど、まるで心臓ごとどこかへ置いてきたかのような無音が、胸の中で続いていた。


「へー! ボンゴレ好きなんだ! 大人っぽいね!」


 わたしの頼んだボンゴレスープパスタが運ばれてくると向かいから影が伸びてくる。


「うん」


 今の返答は、はたして適切なものだっただろうか。


 貝をフォークに絡ませて口へ運ぶ。魚介の味が染み込んだスープはとても上品な味だった。結芽、こんなの食べてたんだ。チョコのアイスとコンポタしか頼まなかった自分がひどく幼く思えた。


 でも、あの時のわたしはご飯を食べたばっかでお腹が空いてなかったし、しょうがないといえばしょうがない。


 それにしても、行くって言った時の結芽の喜びようといったらなかった。そんなにこのボンゴレが好きなのかな。


「でさー日菜ちゃん」


 喧噪なのか会話なのかが分からない音の嵐に耐え忍ぶ。


「あれ?」


 そんな時、ふと窓の外を見ると見知った顔が信号の前で止まっていた。


 こんなところでどうしたんだろ? めずらしいな。


 惹かれるように、気付くとわたしは席を立っていた。


「日菜ちゃん、どうしたの?」

「ごめん! わたし用事思い出しちゃって!」


 他の子も、会話を中断してわたしに視線を注ぐ。


「ほんとごめんね! 埋め合わせは今度するからっ!」


 向かいの男子は眉を八の字にして口に運ぼうとしていたポテトを皿に落とす。誘ってくれた子に手を合わせてもう1度謝罪をする。


「そうなん? じゃあしゃあなしだね。金はウチ出しとくからいいよ」

「ううん! 途中で抜けちゃうお詫び! みんなのも払わせて! ほんとごめんね!」

「えっ、日菜っち!」


 財布から樋口一葉を取り出してテーブルに叩きつけた。ごめん樋口一葉。


 5千円という大金ではあったけど、不思議と勿体ないという気持ちはなく「こんなにいらないよ!」という声を背にわたしは店を飛び出した。

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