第24話 ヤギとねこ

 木造の一軒家。敷地は狭く、庭という庭はなくて敷居をまたぐとすぐに入り口にさしかかる。


「ね? ボロっちぃでしょ?」

「そんなことない」


 それは本心だった。確かに大きい立派な家ではないかもしれないけど、玄関前に置かれたアサガオや立てかけられたバトミントンのラケットなど、家族の仲が円満である証がそこかしこにある。それはとても人の温もりを感じるものでボロいなんて感想は欠片も出てこない。


「ただいま~」


 扉を開けて中に入る日菜。手招きをされて私も後に続く。


 ギシギシと軋む音が聞こえて、奥からエプロンを来た女性が現れる。


「おかえり日菜。それといらっしゃい、結芽ちゃん、よね? いつも日菜がお世話になってます」


 突然頭を下げられたので、私も慌ててお辞儀をした。勢いあまって後ろ髪が前に垂れてくる。


「陽太としおりは?」

「さっきまで遊んでて今は部屋で寝てるわ。お客さんが来るって聞いたらはしゃいじゃって」

「あいかわらずバカな奴らよ」


 笑いながら吐き捨てて、日菜が靴を脱ぐ。


「お、お邪魔します」


 靴を揃えて、私もあがらせてもらう。友達の家に入るのなんて中学以来だ。しかも日菜の家ということもあって緊張が尋常じゃない。結婚の挨拶にくる時ってこういう感じなのだろうか。


「ご飯が出来たら呼びに行くから」

「うい~」


 軽い返事をして、日菜が奥に進んでいく。通り過ぎざまにお母さんと目が合ったのでもう一度頭を下げておく。すると、ニコっと笑って手を振ってくれた。その仕草が日菜に似ていて、ちょっと恥ずかしかった。


 2階はなく、日菜の部屋は狭い廊下を進んだ一番奥にあった。


 中は敷き布団と、ブラウン管のテレビが1つ。穴の空いた障子から差し込む西日が眩しい。


 庶民的な内装にはそぐわない豪華な化粧机が隅に置いてあり、色々な化粧品と共に何故かアニメキャラの人形も置いてある。あれは確か日曜の朝にやっている魔法少女のやつだ。栞ちゃんのものだろうか。まさか日菜のものではないはず。


 カバンを置いて、私がどこへ座ろうか迷っていると上着を半分脱いでいる日菜が扉の外を指さす。ドキっとした。


「出ですぐのとこに洗面所あるから、手洗ってくる?」

「そう、しようかな」


 色んなところに行ったので手は洗ったほうがいいかもしれない。最近のインフルエンザは春にも来るらしいから。


 部屋を出て、洗面所へ向かう。手がかじかむので、赤い蛇口をひねってお湯を出させてもらう。


「あつっ」


 予想以上に熱いお湯に思わず声を出してしまう。この蛇口は捻っても捻ってもぬるま湯しか出てこない私の家とは正反対の感度らしい。うまく調節して、丁度いい熱さにして手を洗う。ハンドソープではなく、網に入った石けんが置いてあるあたりうまいこと倹約しているんだろうなということが窺えた。母子家庭って、大変なのかな・・・・・・。


「どーーん!」

「きゃあ!」


 その時、いきなり腰に重いものがぶつかった。強い力に体がぐらついて情けない声も出てしまう。


 何事かと思い振り返ると、視界の下のほうでツンツン頭が揺れているのが見えた。目が合って、互いに硬直する。


「げっ!」


 先に声をあげたのはツンツン頭のほうだった。腰に回した手を離して後ずさる。あぁ、とそこで私は理解する。この子が日菜の弟の陽太くんだ。同じ制服を来ているからおそらく私を日菜だと勘違いしたんだろう。


「えっと、こんにちは」


 年上のお姉さんらしくズバッと対応したかったのだが、私はそこまで器用ではない。小さい男の子に対しても若干どもってしまう。


 陽太くんの顔が、みるみると赤くなっていく。え、嘘。怒ってる? それとも、泣きそう? 私、何か変なことを言っただろうか。小さい子を相手にしたことなどないのでどういうワードがNGなのかもよく分からない。


「う、うんちうんち! うんちー!」

「えっ」


 いきなり叫びはじめたと思うと、そのままどこかへ走ってってしまった。


 手を拭きながらなんだったのだろうと考えていると、顔を半分出してこちらを覗き込む女の子の姿が見えた。


「し、栞ちゃん?」


 声をかけるも、返事はない。あれ? 名前あってるよね?


「めー」

「や、ヤギさんかな?」

「めー」


私の足下で、指を咥えながらこちらを見上げてくる。めー、って、なに? ヤギ、ヤギだよね?


「あ、栞。起きたの?」


 ひょっこりと日菜が顔を出す。た、助かった。


「なー」

「うん、そうだよ。なーだよ」


 はて、と首を傾げていると栞ちゃんが私を指さす。


「めー」

「そうだね、めーだよ」

「めー!」


 なにやら嬉しそうに、めーめーとはしゃぐ栞ちゃん。やっぱりヤギなの? もしかして、私がヤギに見えるってこと? それはちょっと悲しいけど、ここは子供に合わせて乗ってあげたほうがいいのかもしれない。


「め、めー」


 私がそう言うと、日菜がぷっと吹き出した。


「結芽、そういうことじゃないよ。あははっ」

「えっ、えっ?」

「めー」


 ではどういうことなのか。私を見上げる視線に問いかけてみるもやっぱり答えは分からない。


「栞が起きたってことは、陽太も起きたかな。もしかしてさっきの声って陽太だった?」

「あ、うん。私、なにかしちゃったのかな」


 思い悩む私を見て、日菜が再び笑う。


「ううん、どうせ陽太のやつ。手洗ってたら突撃でもしてきたんでしょ。いっつもやってくるんだよなんの影響かわからないけど」

「そうなんだ」

「うん。で、突撃した相手が綺麗なお姉さんだったから照れてどっか行っちゃったってところかな」


 綺麗なお姉さん。また言われた。そんなことないと思うんだけど。


「めー、きれい」


 私に言っているのだろうか。栞ちゃんと日菜を交互に見る。そんな風にうろたえる私の様子がどうにも日菜のツボに入ったらしく、手を洗いながら肩を揺らしていた。


「にゃあ」


 ヤギでなく、猫の鳴き真似をしたらどうなるだろうと思い少々照れながらも言ってみる。


 栞ちゃんは小さな首を傾げて、不思議な生物を見るかのように私を見つめ、口に水を含んだ日菜はむせていた。


 小さい子の相手は、難しい。

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