第25話 暗い部屋ではなにかが起きる

 新谷家の晩ご飯は非常に美味しかった。ポテトのたくさん入ったコロッケに味の染み込んだ柔らかいかぼちゃ。お手製のミートボールは拳くらいに大きくて、陽太くん共々喜んで頬張った。


 ご飯を食べた後は栞ちゃんと一緒にお風呂に入った。日菜も入るなんて言い出した時はびっくりしたけど冗談だったらしく驚き損だ。


 小さい子の扱いには慣れていない私だけど、栞ちゃんの頭を洗ってあげているうちに段々とコツみたいなものが分かってきた。相手が子供だからと子供っぽく扱うと、互いの距離が不透明になり温度のない繋がりになってしまう。あくまで扱いは平等に、ちょっと歳の離れた友達くらいに思ったほうが存外うまくいくのだ。


 かといって友達という関係性にも疎い私がメキメキと成長を遂げるはずもなく、保育園にすら入っていない女児との入浴を冷や汗をかきながらなんとか遂行しきった。


 2人して仲良くあがると、日菜が陽太くんを連れて風呂場へ向かった。嫌がる陽太くんの頭を掴んで、ポンポンと衣服を剥ぐ日菜は姉というよりは盗賊のようだった。


「やーめーろー!」

「じっとしなさいっての! あとつっかえてんだからさっさと入る!」


 脱衣所の声がここまで聞こえてくる。


「げーむばっかりすうから」

「うん? あぁ陽太くんが?」


 パジャマ姿の栞ちゃんがコクリと頷く。栞ちゃんの方からこうして話しかけてくれるということは、少しは信頼してくれているのだろうか。ちょっと嬉しい。


 ちなみに、最初に言っていた「めー」はヤギの鳴き真似ではなく私の名前だったらしい。結芽だから、めー。日菜だから、なー。だから私の言ったにゃあは、異国の言語だったのだ。


 髪を乾かし終えると、栞ちゃんはテレビ台の下に置かれた箱を開ける。中から取り出したのはビデオテープで、プレイヤーに入れて慣れた手つきで再生した。今時ビデオテープというのも中々珍しい。


 画面の中では金髪の男が体からオーラを出しながら瞬間移動をしたり、手のひらからビームを出したりしていた。女児が視聴するには少々物騒なアニメだがそれを栞ちゃんは前のめりで見ていた。


 テレビとの距離が近かったので目を悪くすると思い脇を抱えて遠のかせてあげる。その間も栞ちゃんはビデオに集中して微動だにしなかった。


 日菜と陽太くんがあがってくるまで、私も栞ちゃんの横でビデオを見ることにした。


 平べったいビームで敵の体が真っ二つになったあたりで先に陽太くんだけが部屋に入ってくる。


「あー! おれがいないあいだにドラゴボ見てる!」


 頭に巻いたタオルを解いて陽太くんが飛び跳ねる。


「これ、ドラゴボっていうの? 結構面白いね」


 栞ちゃんとも仲良くなったので、陽太くんとも距離を縮められるかなと思い声をかけてみる。しかし陽太くんは返事をせず、私の顔をじっと見て目を逸らす。


「ふ、ふんっ! おんなにはホントのおもしろさはわかんねーっての!」


 なんだか怒られてしまった。私、陽太くんに嫌われてるのかな・・・・・・。


「陽太くん、着替えは? 寒くない?」


 今の時期はまだ冷えるので、湯冷めして風邪を引いてはいけない。そう心配したのだがそれが逆効果だったらしく。


「うっせ! うんちうんち!」


 と、現在ハマリ中のうんちを連呼して部屋を出て行ってしまった。


「あ」


 でもやっぱり、服は着た方がいいと思う。言うことを聞かせるって、難しいな。


「こら陽太! 服着なさいって言ってんでしょうが!」

「ぎゃー! さわんなばか!」


 ボコンボコンと脱衣所から大乱闘の音が聞こえてくる。日菜、ちゃんとお姉ちゃんやってるんだなぁ。優しいばかりだと思っていたけど、怒る時にはきちんと怒って、だけどそれは相手のことを思ってのことで。


 そう思うと、私って日菜に怒られたことってあるだろうか。ちょっと陽太くんが羨ましかった。


 再び部屋のドアが開くと、陽太くんの首根っこを掴んだ日菜がいた。無理やり着せたせいか、シャツの裏表が逆だ。


「髪乾かしなさい」

「やだね」

「5分以内に乾かさないと夜中にゲームしてることお母さんに言うから」

「チクリ魔。びちびちびっち」

「ほう、いい度胸だこのがきんちょめ」


 なんだか喧嘩みたいな雰囲気になってきた。栞ちゃんは特に気にした素振りもなくビデオを楽しんでいる。私はというと心配になって2人の様子を窺っていた。


「うわ! 離せよこの! ぎゃはははは! あ、やめろ! ひひっ、ぎゃはははは!」


 日菜が脇をくすぐって陽太くんを悶えさせている。涙まで浮かべて、これが新谷家式の拷問なのだろうか、恐ろしい。


「結芽、パス!」

「へ? わぁっ!」


 いきなり言われてなんのことかわからず、気付くと放り投げられた陽太くんを抱きかかえていた。


「はいドライヤー。陽太の髪、乾かしてあげてもらっていい? 私がやると暴れるから」

「それはいいけど」


 私がやるほうが暴れるのではないだろうか。だって私、陽太くんに嫌われてるみたいだし・・・・・・。


「大丈夫だって、ほら」


 すっぽりと私の腕の中に収まる小さな体。水滴の付いたチクチク頭が目の前で揺れている。暴れる様子はなくて、むしろ小さく縮こまっていた。


「ほら、今のうち。綺麗なお姉さん」


 ドライヤーのスイッチを入れて、熱くないように離して風を当ててあげる。やっぱり男の子だから髪の質も私とは違ってすぐに水滴が跳ねていった。1分も経たないうちに乾いてしまい、最後にタオルを当ててあげる。


「終わったよ、陽太くん」


 言うと、さっきまでの大人しさが嘘のように私の腕の中から飛び出して出口まで走って行く。


「ば、ばーか! うんちうんちー!」


 よほど怒っているのか顔を真っ赤にして部屋を出て行ってしまった。


「ごめん日菜。私嫌われてるみたい」

「え? うーんそんなことないと思うけど」

「ませがきー」


 ビデオの再生が終わったのか栞ちゃんがこっちに来てそんなことを言う。ませがき? どういうことだろう。そもそもなんでそんな言葉知っているのだろうかと思ったけど日菜の影響なのは考えるまでもなかった。


「でも」


 やっぱり私、なにかしたのかもしれないと不安になる。いかんせん小さい子どころか人間関係の形成すら不器用な私だから。


 すると。


 ガチャン、と勢いよくドアが開いて。


「おい! いまからおまえにドラゴボのホントのおもしろさを教えてやる!」


 入ってきた陽太くんの腕には大量のビデオが抱えられていた。


「えぇっと」


 狼狽する私をよそに陽太くんはテレビの元へと走って行く。栞ちゃんは指を咥えながらビデオの再生を待ち、日菜はそんな私たちの様子を見ながら化粧机でスキンケアをしていた。


 画面に移ったのはまたもや宙に浮いた金髪の男。しかし次の瞬間、オーラに包まれて髪の色が青になる。


 陽太くんが私の腕を引っ張りテレビの前まで連れて行く。


「いいか! このモードはスーパーサイヤ人より強くて、しかもな!」

「うん」


 嬉しそうに語る陽太くんの隣に座って、その熱弁に耳を傾けることにする。


「ほらね」


 後ろで日菜がそう呟いた頃には、私は陽太くんと一緒に青色の男を応援していた。



 10時を過ぎる頃には陽太くんも栞ちゃんも目を擦って舟を漕ぎはじめたので日菜がお母さんの部屋へと連れて行った。


 戻ってきた日菜に布団を敷いてもらい、潜り込むと押し入れのにおいがした。


「じゃあ、電気消すね」

「うん」


 日菜が紐を引っ張り、明かりが消える。枕の位置を調整して、天井を見上げる。


「騒がしかったでしょ」

「うん。でも楽しかった、すごく」


 家族の団らんに私が介入していいのかと最初は思っていた。私は3人以上での会話が苦手だ。いつも自分が割り込むことで空気が淀んでしまうことを危惧してしまう。


「それはよかった。たぶんあの子たちも楽しかったと思うよ。ありがとね」


 栞ちゃんとも、最終的には陽太くんとも仲良くなれた。人と仲良くなるのは難しいことだと思っていたが、今日ばかりはその懸念も意味を成さなかった。それは日菜のおかげかもしれないけど、どちらにせよ楽しい一日であることには変わりはない。


 そう、楽しかったのだ。


 日菜の部屋で2人っきりで緊張するとか、そんなことを考えていたような気がするけど、実際は楽しいという感情一辺倒で邪な考えなど1ミリも沸くことはなかった。


 今となってはそんな考えをしていた自分がとても恥ずかしい。


 私はきっと好きの意味とか、これからの関係とか、難しいことを真面目に悩みすぎていたんだ。


 やめよう。私はこうして日菜といるだけで楽しいし日菜もそれを望んでいたはずだ。


 あの日の口づけは、きっと事故。


 たまたま当たってしまって、それを私が変な風に勘違いしていただけ。私1人で暴走していただけなのだ。


「また来てもいい?」

「もちろん。いつでも大歓迎だよ」


 それだけ言って、互いに息を整える。


 明かりの消えた部屋で、日菜と二人っきり。一体どんな夜になるだろうと思ったがなんてことはない。


 楽しさの余韻を感じる、とても幸せに満ちた夜だ。


「あ、そういえば」


 ふと、これから寝るという雰囲気を破って日菜が口を開く。


 楽しかった1日を思い返しながらも寝付くには至らなかった私は、寝る前のお話も泊まりの醍醐味だなと思って日菜の方へと体を向ける。


 日菜はまるで、昨日のテレビ見た? とか。あの時の担任おかしかったよね、とか。


 そんな他愛のない世間話をするように。


 口火を切った。


「わたしこの前、結芽にキスしたよね」

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