第23話 勇気

 私が選んだ靴を胸に抱えて、日菜はご機嫌そうに鼻歌まで歌っている。気に入ってくれたのだろうか、確実に最初よりも楽しそうだ。


「このあとどうしよっか」


 日菜がそんなことを聞いてきた。空はまだ明るい。用事はもう済んだのでこの後の予定は特にないわけだが、何か下手なことを口にすると解散の流れになりそうで、私は怖くて返事をできなかった。


 押し黙った私を不思議に思ったのか日菜が顔を覗き込んでくる。目が合って、ぱちくりと瞬きをした。


「じゃあ今度は結芽の行きたいとこいこっか。付き合うよ」

「行きたいとこ」

「うん」


 さて、私はいったいどこへ行きたいんだろう。日菜みたいに靴や服に興味があるわけでもないし予算も標準的な女子高生の域を出ない。私に趣味でもあればいいのだけど、あいにくこれといったものはなくせいぜい漫画を読むくらいだ。


 しかもその漫画も日菜との待ち合わせ前にあらかた漁ってしまったので今から本屋に向かってもウインドウショッピングにしかならない。日菜とならきっと楽しいはずだが、それは私の主観であり日菜自身が楽しんでくれるとは限らない。


 結論から言えば、この辺りに私の行きたい場所などない。私の無言をどう受け取ったのかは日菜がスマホで時間を確認していることからなんとなく察することができた。


 日菜が伸びをしてこちらを見る。「じゃあ解散にする?」次にそんな言葉が出てくるのは想像に難しくなく、私は先手を打つように、己の欲求を外に出した。


「ひ、日菜の家に行きたい」

「え? わたしんち?」

「う、うん。だめ、だめならいい。というかだめだよね。いきなり」


 うーんと日菜は考える。


「いいよ」

「そう、そうだよね。うん、大丈夫、また今度・・・・・・って、え? いいの?」

「いいよ? まぁ休日だからうるさいのが何匹かいるけど」

「匹」


 うるさいのとは、きっと弟と妹のことだろう。別に日菜と2人きりがいいなんて考えてはいないのでそれは別に構わない。そもそも日菜の部屋で、二人っきりなんて状況になったら私の方がどうにかなってしまいそうだ。


「でも、わたしの家でいいの? ボロっちぃよ?」

「ううん。日菜の家は前から行ってみたかったから」

「そっか。ちょっと待ってね一応連絡だけしておくから」


 ダイヤルすると、すぐ繋がり元気な男の子の声がこちらまで聞こえてくる。相も変わらず「うんち!」とばかり叫んでいる。うんちドリルとかも流行ってるし、その影響だろうか。


「綺麗なお姉さんが今日来るから、良い子にしててよ」


 そう言って、通話を終える。同時、私は声を掛けないわけにはいかなかった


「ちょっと日菜」

「んー?」

「綺麗なお姉さんって」

「うん。綺麗なお姉さん」


 日菜の人差し指がこちらを向く。私が、綺麗なお姉さん? まさか、そんなこと今の今まで言われたことは一度もなかった。なんだか恥ずかしい。


「うちの弟、美女には弱いから。結芽を見たらすぐ静かになると思うよ。いつからあんなませたガキになったんだか」

「そうなんだ。私が美女なのかどうかはともかく・・・・・・妹さんのほうは?」

「あの子はけっこう大人しいかな。手がかからないのはいいけどちょっと引っ込み思案すぎるとこもあるんだよね」

「正反対なんだね」


 うるさい弟と、落ち着いた妹。まるでバランスを取るように形成された性格だが、姉妹とはそういうものなのだと思う。私は一人っ子だけど、日菜を見ていればなんとなく分かる。


 ギャルなのに、お姉さんっぽいしっかりたところもあったりする日菜の性格の背景にはそんなものがあるのだろう。


「それとね、お母さんがご飯あるから是非食べていってくれだって」

「う、なんか。ごめん。ありがとう」

「いいんだって! ま、たいしたものはでないと思うけどね。なんか食べれないものとかってある? あるならお母さんに伝えておくけど」

「大丈夫。どんとこい」

「なにそれ」


 そうか。ご飯か。日菜と外食ができてラッキーだと思っていたら、今度は日菜の家で一緒に食べれるなんて、今日はなんて良い日なんだろう。今朝に見たとんがり帽子の魔女おばさんを思い出してほくそ笑む。占いとは案外当たるものなのかもしれない。


「ついでに泊まってく?」

「泊まっ・・・・・・!?」 


 意識外からの攻撃に私の脳がグラリと揺れた。


 ちょっと待ってちょっと待って。日菜とデートをして、日菜の家でご馳走になって、そのうえ泊まり? 私は今日死ぬのだろうか。


「どう? わたしも家も、全然大丈夫なんだけど」


 基本的に、私の家には門限はなく、泊まりも自由だ。むしろ私が友達の家に泊まってきたなんて言ったらお婆ちゃんお爺ちゃん共々大喜びすると思う。 


 でも、問題はそこじゃない。泊まりということは寝るということで、日菜の部屋で、2人っきりの明かりの消えた部屋で、一夜を過ごすということだ。


「まぁ結芽の都合が付かないなら、無理しなくていいけど」


 思い出すのはあの日の、あの夜。口づけを交わした。いや、交わされたと言うか。そんな刺激的な夜。


 あれ以降私の胸中はぐちゃぐちゃにかき回されて、毎日が煩悩との戦いで大変なことになっている。だけど、日菜からあの夜についての言及はない。


 まさか。


 ふと、ある考えが頭をよぎる。


 あの夜、日菜は私にキスをした。それがどういう意図を持っているのか分からなくて、私は混乱したわけだけど、もしあれが故意に行われたものだとしたら。だとしたら、日菜が、私のことを、好きで、だから、私と同じ気持ちを持っていて、それで・・・・・・今夜。えぇと、そう。ケリをつけるつもりなのではないだろうか。私に気持ちを、告げるつもりなのではないだろうか。ない、だろうか。


「結芽?」


 そうなのだとしたら私は、答えを出さなければならない。日菜と関係を続けていくうえで私が望む立ち位置を決めなければならない。


 ついに来てしまったのだ、前に進む時が。


「わかった。泊まる。泊まらせて、日菜」

「う、うん。わかった。・・・・・・なんでそんな、死地に赴く侍みたいな顔してるの?」


 わかったよ、日菜。私も、勇気を出すね。


『結芽ちゃんは、間違ってないよ』


 彼女の言葉が、私の背中を押してくれる。


「・・・・・・行こっか、日菜」

「そのノリ、どうしたの?」


 白い境界線を跨いで、私は逸る鼓動を抑えきれずに走り出す。


「ちょっと結芽!?」


 うぅぅ~~! やっぱり緊張する!


 今夜のことを想像するだけで、どうにかなってしまいそうだった。 

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