第二章

第13話 結芽の秘めごと

 歳を取ると、異端と正常の境界線がだんだんと色濃く見えるようになってくる。


 どれだけ倫理的に正しくても、本質的に歪んでいなくても、周りと違うのであればそれは間違いであり生きていくうえで障害となりえる不安物質だ。どんな言い訳も通用しない。それは悪なのだ。


 いいやそれでもと自分の信念を通そうとする人間が稀にいるが、それは私から見れば子供のわがままとなんら変わりはない幼稚な自己主張で、ならば大人らしい行動はなにかと問われれば間髪言わずに私は答えるだろう。


 ――適応しろ、と。


 大人ならば、自分が周りと違うことを自覚し、異常性を理解したうえで社会で円滑に生きれるよう不純を修正するべきだ。   


 それが出来るか出来ないかで世間の目というのは大分変わる。


 私もそれができずに、中学校の頃。一番仲が良かった友達に告白をした。友達に告白。ああなんて矛盾を孕んだ文字並びだろう。しかもそれに女という1文字が加わるとさらに歪なものへと姿を変える。


 彼女は私を見て言った。「ごめん」と。彼女は優しかった。これが原因でイジメに発展したりすることはなかった。私の周りの人間は皆、優しかった。優しかったからこそ私の異常性が浮き彫りになった。


 そうして、女である私が同性である女を好きになるというのは伏せるべき事実なのだと理解した。


 でも、性癖、趣味嗜好。そんなものじゃ片付けられない私の本質であったから。それを内に塞ぎ込むとなると人付き合いなんてまともにできるはずもなく結果的に私は孤立した。


 逃げ込んだ先は漫画の世界だった。モノクロで綴られた物語の世界では境界線などなく自由だった。女の子同士で好き合ったって、体を重ねたって、なにもおかしくない。誰も口を挟まない。登場人物と、私だけの空間。それが好きで、高校に入ってからも教室の隅で読みふけっていた。


 当然友達などできるはずもなく空っぽな1年を終えて2年生になってすぐのこと。


『あー! その漫画わたしも持ってるー!』


 1度だけ喫茶店で飲んだことのあるキャラメルマキアート。茶色でふわふわしてて、落ち着く色彩なのに人を惹き付ける魅力がある甘い飲み物。第一印象はそんな感じだった。


 わたしが読んでいたのは女の子同士の恋愛漫画。それを持っているということは・・・・・・と相手の視線がこちらに注がれていることも気付かないで私は彼女を見つめた。


『わたしもこれ好きなんだー!』


 なんともまぁ、元気な子だと思った。それと同時に、決して私とは相容れない人種だと悟る。髪を染めて、ピアスにブレスレット。ネイルにパンツが見えそうなほど短いスカート。男に好かれるためだけに装飾を施された体は私とは正反対で、あまりにも正当なものだった。


 最初は俗に言うギャルだと思った。彼氏もいるみたいだし。それから彼女は私に何度も話しかけてきて、言葉を交わす度に彼女の色んな顔を見た。


 何か嫌なことがあった日はぶすっとむくれていたり、よく眠れなかった夜の翌日は力なく机に伸びていたり、時には目尻に涙を浮かべて相談を持ちかけられたこともある。底なしに明るいわけではなく、彼女はとても人間味があった。


 私も多分飢えていたんだと思う。人の温もりに。産まれたときから卑屈に生きようと決めたわけではないし中学までは社交性もきちんとあった。だから久々に目の前で笑顔を向けてくれる存在が私にはとても嬉しかったのだ。


 結んだ芽が夢になる。小さい頃からお母さんに聞かされてきた私の名前の由来。でも正直ピンと来るものはなく私自身はそこまで気に入ったフレーズというわけではない。


 だけど彼女は、名前そのものだった。


 日に咲く菜の花。まぶしくて、温かくて、いい香りがする。日菜ひなが私に向ける笑顔はまさに花が咲くようで、庭園をかける少女のように和やかな気分にさせられる。


 私はさしずめ蜜に群がる虫で、日菜のそばに寄ってたかっていった。居心地がよくて、口数の少ない私とよく喋る日菜の歯車は妙に噛み合ってしまったらしい。


 親友。知り合ったばかりで気が早いかもしれないけど私はそんな存在になることをこの時すでに確信していたのだ。


 明くる日も明くる日も、日菜にくっついて歩いた。だがそれでは私が日菜の飼い犬のようなのでなるべくさりげなく、さりげなく。犬は日菜のほうだ、これだけは譲れない。


 ある日、事件は起きた。


 昼休みに日菜が姿を消したかと思うと、5限目が始まる10分前に目を真っ赤に腫らして教室に帰ってきた。


 化粧も崩れていて、ひどい顔をしていた。泣いていたことは明確で、私はすぐに立ち上がった。が、それよりも早く日菜の友達がすでに駆けつけていたため私は自分の席から動くことができない。


 輪の外から話を盗み聞きすると、どうやら彼氏にフラれたらしい。名前は確か・・・・・・たけし。たかし? そんな感じの名前だった気がする。話題がなくなったときに日菜がよく彼氏の話を聞かせてきたのでなんとなく記憶にはある。どうでもよかったから半分聞き流してたけど。彼氏の話よりも私は日菜の話が聞きたかった。


 放課後になってチラりと目をやると日菜は机に突っ伏して動かなくなっていた。友達が声をかけてるみたいだけど日菜は力なく手を上げるだけで立とうとはしない。というか、日菜って友達多いな・・・・・・。対して私は友達ゼロのぼっちである。いいけど。


 教室に人が少なくなった頃、私はようやく腰を上げて日菜の元へこっそり歩み寄った。肩が震えている。友達に慰めたりしてもらっていたが、日菜は立ち直ることはできなかったようだ。私なら、日菜を元気にしてあげることができるだろうか。自信は、あまりなかった。


 私は日菜のことをとても大事だと思っている。だけど日菜には友達がたくさんいて、私はその中の1人でしかない。そう思うと胸がキュッと締め付けられるのが分かった。独占欲強いのかな私・・・・・・。


 瞬間。私の中で沸々と湧き上がるものがありそれに気付いた途端、喉を鳴らして唾と共に飲み込んだ。それは、ダメだ。この感情はダメだ。これは普通ではないから。異端だから。違う。違う。私はそろそろ大人にならなくちゃいけない。社会に溶け込むために修正していかなければならない。


 スカートの裾を掴んで、雑念と、自分に対する嫌悪感に耐える。


 だから、これはそう。いち友達として、友達のことを心配するのなんて当たり前で、それ以外の感情なんてないから。


 何度だって言い聞かせる。


 私と日菜は、ただの友達だ。

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