第11話 来ちゃった

 30分ほど自転車を漕ぐと朝の冷たい空気も相まってほっぺが凍てつきひくひくと痙攣していた。表情がうまく作れず、もしかしたら変な顔で固まっているかもしれない。


 自転車を停める場所が分からなかったので玄関前に停めた。


 相も変わらず風情のある階段を昇りチャイムを押す。某コンビニエンスストアで聞いたことのある音が鳴った。


 物音はせず、小鳥のさえずりだけが聞こえる。乱れた髪を手ぐしで整えて待ち人を待つ。


 実は、わたしがここに来るということは結芽には伝えていない。


 結芽は、笑ってくれることはあっても表情を崩すということはなかなかないのだ。するとあの銅像みたいに綺麗な顔を驚愕の色に染めてみたいと思うわけで、とするとやっぱりサプライズが1番という結論に行きつくわけ。


 目をまんまるにして固まる結芽を想像して1人ほくそ笑んでいると、曇りガラスの向こうで動く影が見えた。


「だれら」


 中から顔を覗かせたのは結芽のおばあちゃんだった。前回わたしが来たときは顔を合わせていなかったので見るのは初めてだ。目は垂れていて、結芽とはあまり似てはいない。


「朝早くすみません。結芽さんと同じクラスの新谷です」

「ゆめ? だれらかなぁ」

「あ、うめ。うめさんです」

「ほほー! うめのともらちかね! えーえーがっとられまた。へへぇあがりなせおおばららけろも」


 難解な言語にわたしの頭上にクエスチョンマークが3つほど浮かぶ。手招きしている様子を見るとあがっていいとのこと、だと思うので頭を下げて中に入れさせてもらった。


 おばあちゃんはわたしが靴を脱ぐのを見届けるとこたつのある部屋へと戻っていってしまった。


 広い家にぽつんと残されたわたし。さてどうしよう。結芽の部屋は分かるからいくのもいいけど、突然入るのは結芽にも失礼だろうしちょうど着替えているところに出くわすのもバツが悪い。


 待ってようか。よくよく考えたらこのサプライズ、1歩間違えたら常識外れの大迷惑な行為になりかねないということに気付いた。やっぱり連絡はしておこう。スマホのアプリを開き結芽に「来ちゃった♡」と冗談混じりに送ったところで、近くでピコンと音が鳴った。


 音の方へ顔を向けると、歯ブラシを咥え手にスマホを持った結芽がわたしを見ていた。それはもう、見たことのないような顔で。多分、幽霊に出くわしてもそんな顔にはならないと思う。今のわたしは超常現象以上の存在らしい。


「ひふぁ!?」


 ごぼごぼと、泡をカニみたいに口から吹き出し1人で溺れそうになっている。


「ごめん、来ちゃった。連絡は、今したとこ」

「ひふぁ!?」


 さっきと同じ驚きかたである。たぶん「日菜!?」と「今!?」だと思う。


「んー! んー!」


 変なうめき声をあげて右往左往したあと、再び泡がこぼれそうになったのか上を向いたまま奥へと消えてしまった。


 そうして30秒ほど経った頃、口をすすぎ終えた結芽がわたしのほうへおそるおそる歩いてくる。


「本当に日菜なの?」

「幽霊に見える?」

「ううん、電車で・・・・・・じゃないか。自転車で来たんだ」


 わたしの乱れた髪を見て結芽が言う。


「思ったよりも早く着いちゃった。おはよ、結芽」

「ん、え。おはよう。日菜。じゃなくて、どうしたの?」

「ごめんね急に来ちゃって、迷惑だったよね」

「それはいいけど」


 たぶん、迷惑は迷惑だったけど結芽はそうは言わない。


「もう出るとこ?」


 制服を着ているところを見ると、歯を磨いてさあ行こうというところだったのかもしれない。


「うん。そんなとこ」

「そっか。じゃあ一緒に学校行かない? わたし待ってるよ」

「い、一緒に? わ、わかった。すぐ準備するっ。か、鞄取ってくる、すぐだから。すぐ」

「ん」


 言うと結芽は誰かに追われているのではないかと思うほどの慌てようで廊下の真ん中でずっこけ、そのまま四足歩行で消えてしまった。


 結芽の驚いた表情を見れたばかりか、あんな挙動まで見れてしまうとは。朝からちょっと得した気分だ。


 奥からドタン、バタンとタンスを閉めるような音がして、ピシャンと扉を閉める音。そしてボゴンペシャンと、なんの音だろうこれ。やがてバタバタと足音が聞こえ結芽が見える。


「おまたせ」

「いい音奏でてたね」

「なんのこと?」

「ううん、なんでも」


 はやくいこ、と言う結芽に続いてわたしも後を追う。風が吹いて、結芽からいい香りがした。と、いけない。鼻がきくのはわたしの昔からの自慢だけどなんでもかんでも嗅いでいたら本当に犬みたいになってしまう。


「自転車で行くの?」


 停めてあった自転車に跨がったところで結芽が言う。


「自転車で来たんだから、自転車で行かなきゃ」

「でもこっから学校遠いし、一緒に行くなら。私、自転車持ってないし」

「あ、そっか」


 結芽の顔と自転車を交互に見る。


「置いていってもいい?」


 聞くと結芽が頷いた。


「放課後取りに来るから、あ。そしたら帰りも」

「一緒?」


 言い終わる前に結芽に言われたので今度はわたしが頷くことになる。すると結芽は分かりやすく頬を綻ばせ、また頷く。わたしも再び頷いてみると、今度は結芽が「ふふ」と笑った。なんだこれ。


「わたし昨日給料日だったから電車奢るよ。この前のお返しまだだったし」

「電車を奢るって言う人はじめて見た。それに私、定期だから」

「ありゃ、それじゃ現金手渡しとなりますね」

「あとでいいよ」


 電車の中で渡そうか。なんだか忘れそうだ。記憶力にはあまり自信がない。


「というか、どうしたの?」


 質問の意図は、多分。どうして連絡もなしにいきなり会いに来たの。だ。学校で会うのにわざわざ家まで来られれば何か用事があるのかと勘ぐるのも当然だし不思議がっても仕方がない。


 目にかかった前髪を手で流し、琥珀色の瞳がわたしを見据える。髪は綺麗な黒で、肌は雪みたく白いくせに、瞳まで琥珀色て。琥珀色だよ? 茶色じゃないんだよ? 美人の欲張りセットだ。


 悶々としながら、わたしは結芽に返事をしようとするもうまい説明が思いつかずにいた。こういうときは包み隠さず直球で伝えたほうがいいのだ。・・・・・・莉音の性格がうつったのかもしれない。


「昨日送った、好きってやつなんだけど」


 瞬間、結芽の背中がピーンと伸びて、時速100kmに達するのではないかというほどの勢いでわたしの方へ首をぐりんと動かした。  


 頬を朱に染めてわたしを見ているようで見ていない。両手は何故か耳の横に添えられていて変なポーズになっている。


「あれさ、ごめんね! 急にびっくりしたでしょ? 友達に莉音って子がいるんだけど、その子がわたしのスマホで、まぁ。イタズラみたいなことしてさ。莉音には悪気はなかったみたいっていうか、そういう子なんだよね。だからからかったりしたわけじゃないってことは伝えたくって」

「いつも教室で話してる人?」

「そうそう! よく知ってるね」

「見てたから」


 わたしの席は結芽よりも前のほうにあるから嫌でも視界に入るのだろう。


「それを今朝のうちに伝えたかったの。ほら、教室だとちょっと言いづらいでしょ?」

「うん」

「そういうわけだから、気を悪くしてたらごめんね? っていうのと、改めてこの前泊めてくれてありがとう。それと、せっかくだし一緒に登校してみたかった。これが今朝来た理由です。隊長」

「うん」


 ビシっと敬礼をするわたしに対して結芽の態度はこころなしか冷たい。機嫌悪そうに目を細めて、頬をぷくっと膨らませていることに本人は気付いていなさそう。子供みたいな結芽の態度。だけど、どうして機嫌を損ねてしまったのかは分からない。


「わ、私が送ったのは、私だから」


 少し間を置いて結芽が口火を切った。しかしさっぱり意味がわからない。


「私がひ、日菜を好きっていうのは。本当だから」

「えーと?」


 さっきとは打って変わって潤んだ目と震えた唇。まるでいたいけな女の子が思いを寄せる男の子に秘めた気持ちを告げる時みたいな。


「わたしも結芽のことは好きだけどね」


 知り合ってそれほど経っていない仲だけど、結芽に対してはいま口に出した通りの感情を持っている。今まで色んな友達と付き合ってきたけど、それらと比べても結芽といるのが一番居心地がいいのだ。


 いまだに機械が設置されてない改札口を通って、2人で電車を待つ。こそばゆい話をしたそば共に無言だけどこれも特段苦にならない。


 ベンチに座った拍子に、手が触れ合った。隣を見ると結芽と目が合い、こんなことを言われた。


「手、繋いでもいい?」

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