第6話 新しい距離
目を覚ますとまず紐で引っ張るタイプの電灯が視界に入ってくる。
あ、そういえばわたし結芽の家に泊まったんだった。寝起きは悪くないほうですぐに状況を理解したわたしは隣を見ると枕がぽつんと置いてあることに気付く。結芽はすでに起きて部屋を出て行ったらしい。布団はわたしの体に全部掛けられていて、わたしが知らず知らずのうちにひったっくったのか、それとも結芽が掛けてくれたのかはわからない。
どちらにせよ、とりあえず起きて着替えよう。ジャージを脱いで制服を着る。学校に行くわけでもないのに制服を着るのは、なんとなく背徳感があって好きだ。
近くにあった手鏡で寝癖のついた髪を弄っていると部屋の入り口ではない、押し入れだと思っていた場所のふすまがおもむろに開き、そこには結芽が立っていた。
「びっくりしたぁ、そこ仏壇に繋がってるんだ?」
「そう。ちょっと用事で外出てたの」
ふぅんと言って何気なく結芽の顔を覗き込む。すると目が合って、瞬間、結芽の顔が寝起きの視界でもわかるくらいに赤くなって目を逸らされた。
え、なにその反応。まるで、小学生の男子が好きな子を前に恥ずかしくて目を合わせられないみたいな感じ。
でもちょっと考えて、あぁなるほどと納得した。
昨日の夜。わたしと結芽は。まぁ、その。直接的な表現をすると抱き合って寝た。友達同士でするにはちょっと過激、でも仲が良ければしないこともないその行為を思い出して結芽はきっと照れているのだろう。わたしも現に思い出してちょっと気恥ずかしくもあった。
「準備したら帰ろうかな」
「あ、うん」
歯切れの悪い返事。
わたしが荷物を取るため結芽の横を通るとびくっと肩を震わせて固まってしまった。
・・・・・・そんなに気にすることかなぁ。
仲のいい姉妹みたいに寝たってだけなのに、そこまで、そんな。おかしな反応しなくたっていいのに。
「あれ? 充電器どこだっけ」
「そ、そこにある。よ?」
「ちょっと取って貰ってもいい?」
「うん。うん」
何故2回言ったし。結芽はふぅ、と息をはいて机の下に転がり込んだ充電器を拾い上げる。やっぱりいつもと様子のちがう結芽。
「はい」
「ありがと」
お礼を言うと、結芽は俯いて髪の先を弄り始めた。そういえば、結芽の髪には寝癖がついていない。それに着てる服もやたらおしゃれだ。
「まさか、用事って彼氏にでも会いに行ってたの?」
「えっ」
「だってすごい可愛い服着てるじゃん。スカートなんて履いちゃって、てっきり彼氏と――」
「そ、そんなんじゃない、けど!」
怒られてしまった。結芽に彼氏がいないのは知ってた。だから冗談っていうかおちょくっただけなんだけど。
大きな声を出してしまったことに自分でも驚いた、とでも言うように口元を押さえこほんと咳払い。
「そういうんじゃない。おばあちゃんに採った野菜運んでほしいって言われて」
「あ、そうなんだ? 言ってくれれば手伝ったのに」
「ううん。日菜にそんなことさせられない。日菜は大事な」
「大事な?」
「・・・・・・・・・・・・」
続きを促したら、黙り込んでしまった。大きな声を出したり、突然黙ったり。顔色を窺うように視線を送ると恥ずかしそうにしたり。あ、ほらまた。
「なんでもない」
「なんでもないかぁ」
まぁ結芽が言うなら、なんでもないんだろう。
「そういえばさっき。かわいいって言った?」
「え? あ、うん。結芽の私服姿初めてみたから、かわいいと思って」
薄茶色のカーディガン、首元から白いレースが出ていて下は白のロングスカート。派手さはないけどそれが結芽らしくて、カーディガンの袖がちょっと長めで指が隠れているのもこれまた結芽らしい。
「そう。かわいい、かわいい・・・・・・」
1人でぶつぶつ呟くと「にへへ」と結芽らしくない笑い方をしてわたしは混乱する。らしいとからしくないとか、そもそも結芽ってどういう子だっけと思い出そうとするも目の前の結芽がそれを霞ませる。
「普段着なの?」
「ま、まぁ」
「へー、結芽っておしゃれなんだね。クローゼットの中とか見てみたい」
わたしからすれば今の結芽の格好は言ってしまえば大事な人と大事な一日をともにする一世一代大チャンスって時にしか着ないようなものだったから、それを普段着なんて言われてしまえば当然他の服も気になる。
「そ、それはだめ」
「そう?」
「うん」
そっか、とわたしは無理強いはせず素直に引き下がる。というのも時間がすでに12時手前になっていたことに気付いたからだ。
今日はバイトが3時からだから、準備も含めて1時くらいには家に着いていたい。
「日菜、これ」
そう言って結芽が何かを差し出してくる。ていうかなんかいい匂いもする。いつもの結芽とは違う、なんだろう。女性として魅力的な甘い匂い。わたしが男だったらこの瞬間恋に落ちていたかもしれない。なにか付けてるのかな?
「って、300円?」
「お金足りないんでしょ。電車賃。来週学校で返してくれればいいから」
「あー、あー」
忘れてた。わたしお金がなくってそれで昨日は結芽の家に泊めてもらってたんだ。でもあれ? これなら昨日のうちにお金を借りておけば泊まる必要なんて・・・・・・いや、わたしも楽しかったしそこはどうでもいっか。
「ありがと! 恩にきるよー!」
帰りの電車賃を受け取りわたしなりの満面の笑みを返すと、結芽も笑う。でもその笑顔はやっぱりいつもと違う。慈愛、なんて大それたものわたしは受けたことがないけど、結芽の笑顔にはそんなようなものが含まれている気がしたのだ。
部屋を出て、靴を履くと「お邪魔しました」とすぐそこの部屋にいるであろうおばあちゃんに言う。返事はなく、こたつから足が出ているのを見るともしかしたら寝ているのかもしれない。
「じゃあね結芽」
「うん」
立て付けの悪い扉を1回、2回と失敗し3回目でようやく開ける。外は晴れており暖かい春風が頬を撫でた。
「またね」
わたしは足を止めた。だってそれは、その言葉は、その声色は。とても結芽のものとは思えなくて、振り返る。
でも、その頃には結芽がとてとてと、やや早足で廊下の突き当たりを曲がるところだった。一瞬だけ横顔が見えた。目を細めて、笑っている、ように見えた。本当に一瞬だったから確かではないけれど。
「どうしたんだろう、結芽」
昨日は普通だったのに、今朝からどうにも様子がおかしく、何故かわたしまでこそばゆい気持ちになっていた。
もしかして、昨日の夜一緒に寝たから? それにしても恥ずかしがりすぎというかなんというか。結芽ってそこまでシャイではなかったはず。いつもクールで落ち着いていて。でもさっきまでの結芽は全然クールじゃなくてまるで付き合いはじめのカップルのような初々しさをもっていて。
「うーむ」
結局考えても答えを出せなかったわたしは、何かがはじまりそうな5月の風を体に受け、帰路に着いたのだった。
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