第5話 泣いて、抱いた

「えっ?」


 結芽にしては珍しい素直な反応を聞くのと同時に「しまった」と思った。黙って潜り込めばそれでよかったのに、わたしが改めて言うものだから変な雰囲気になってしまった。


「くれば?」


 なんでそんなことわざわざ聞くの、というのが声色にも表れていた。わたしは掛けていた布団を引っぺがすと、枕だけを抱きしめてベッドの前に立つ。


 結芽はわたしとは反対を向いて横になっている。サラサラの髪が枕の凹凸を沿うように流れていて夜目で見るとそれはお人形さんのようだ。


「お邪魔します」


 家に入るときみたいに言って、結芽の布団に潜り込む。1つの布団を2人で分け合ったせいで、体の全部は覆ってはくれなく冷たい空気が素肌に触れる。


「ちょっと、布団引っ張らないでよ」

「だってわたしのほう全然ないんだもん」

「もっとこっち寄ればいいでしょ」


 なるほど、と思い体の向きを変える。結芽の背中が丸まっていてうなじが艶やかに見えている。ちょっとずつ、毛虫みたいにもぞもぞと移動して、わたしの足が結芽の太ももに触れたあたりで止まる。


「結芽、体温高いね」


 さっきまで寒かったのに、結芽の近くに来ただけですごく温かかった。わたしが喋ると息が首元にかかったのかくすぐったそうに身じろぎする結芽。


「布団用意した意味」

「ごめん」


 眠いからか互いに短い言葉での応答。


 そのあと会話はなくわたしは結芽の後ろにぴったりくっついてその首元をじぃ~っと見ていた。なんとなくだけど結芽もまだ寝てはいない気がした。


 結芽はこのまま寝たいのかもしれない。だからわたしも邪魔はしちゃいけないと声を殺していたのだけど、まだ寝たくないという思いもあり喋ってくれないかなと期待の視線を送り続ける。


 多分わたしは寂しかったんだ。ただ別れただけじゃなく、人格も人間性も否定された痛々しい拒絶をされたから。ああは言い返したけどわたし自身やっぱりどこか思うところはあって、特別人付き合いが上手でもないわたしは不安になっていた。結芽ももしかしたらそのうちわたしから離れていくんじゃないかって。そう思うと別々の布団で寝るなんてできなかった。


 ふとした瞬間に、涙が出てきた。あくびをしたわけじゃないから、これはきっと子供が流すような悲しみの涙だ。


 鼻をすすった。なにがどう悲しいのかは分からない。ただ、部分的に悲しいのではなく、多分。全体的にざっくりと、なんとなーく悲しいのはわかった。


「あのさ」


 そんなことを思っていると、先に肩が開いて、その後に上体。それに付いてくるよう最後に結芽の顔がこちらを向いた。


 背中にくっつくようにしていたものだから顔と顔の距離はとんでもなく近く、多分この暗闇の中でも一滴の光が見えてしまう。


 驚いているわたしをよそに結芽は言う。


「楽しかったよ。今日」

「ふぇ?」


 うまく声が出せずに変な返事をしてしまう。


「だから、楽しかったって」


 その、わたしの心を見透かしたような発言の意図が汲み取れない。でも、なんとなく結芽の表情はいつもより優しくまるで泣いている子供をあやすようで、比喩とかじゃなくって本当にわたしの心を見透かしているのかもしれない。


「寂しいなら言えばいいのに」


 結芽の手がわたしの頬に触れ滴を弾いた。


「辛かったね」


 そのまま手はわたしの頭に置かれ、優しく撫でてきた。


「日菜ならもっといい人見つけられるよ」

「結芽・・・・・・」


 無表情のまま泣いていたわたしの顔が、決壊するように崩れるのがわかって、見られたくなくて結芽の胸に顔を埋めた。でもそれがわたしの現状を伝えているようなもので、結芽のため息が聞こえてくる。それが呆れから来るものではないことは一層優しくなる結芽の手つきで理解できた。


「わたし、もう人と付き合うのが怖い」

「どうして?」

「信用できないから。素敵だと思える人と出会って付き合っても、その気持ちは自分だけのものだったってことに気付くし、わたしは相手の理想からほど遠い人間だってことにも気付く」

「そんなことない、日菜は優しいよ。さっきもおばあちゃんに日菜が美味しかったよって言ってたこと伝えたら喜んでた。だからそんな、その。自分を責めないほうがいいと、思う」


 語尾が途切れ途切れになっていったのは、自分の言っていることが気恥ずかしいものだと気付いたからだと思う。でもその言葉がわたしにとってはとても救いのあるものだった。


「どうせ付き合うなら、信用できる人とがいい。最近知り合ったとか付き合うために知り合ったとかそういうんじゃなくて」

「いないの? ほら、幼なじみとか」

「・・・・・・いない。ていうか男友達なんて1人もいない」

「ギャルなのに」

「うん、ギャルなのに」


 ギャルは男友達が多いという先入観はともかくとして、わたしが現状男女のお付き合いをする身として非常に不利な立場に位置しているのは明らかだった。


「じゃあ、私と付き合う?」


 ギョッとした。体がぴくんと震え、顔を上げるとやっぱり至近距離に結芽の顔。なんとか平静を装う。


「結芽となら楽しそう」


 でもそれは私を笑わせるための冗談だって分かってたからわたしも冗談で返す。が、その返しはあまり面白いものではなかったらしく結芽は笑わなかった。


 そのかわりほんの少しだけ頬が赤い、そんな気がした。気がしたってだけで、暗いからよくわからない。


 布団が動き、結芽の手がわたしの手に触れる。触れて、一瞬離れるけどしばらくしてわたしの手を掴んだ。そのまま引き寄せられ互いの体が密着する。


 びっくりしたけど、今のわたしはすごく寂しがりやで傷ついた心を癒やしてくれる唯一の拠り所にすべてを預けた。それに、眠かったから。だから正常な判断を下す力もなくって。絶対普段ならこんなことしないんだけど。


 結芽が抱きしめてきたから、わたしも腕を腰に回して、優しく。


「大好きだよ」


 その声は、どっちのものだったかはわからない。でもそれは、どっちから出てもおかしくないもので、だからこそわからなくて。


 暗闇の中、吐息と布が擦れる音。そして息を呑む音だけが耳を支配したころ目を瞑った。


 その日あったことを忘れさせてくれるような刺激的な夜。優しさと愛しさに包まれた光のない見慣れぬ部屋。


 その中で最後、わたしが見たのは。


 結芽の細くて長い、綺麗な指だった。 

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