第4話 2人の夜

 回すとキュッキュと音がなる。40度まで上げても出てくるのはぬるま湯で水圧もいまいち物足りない。めくれたタイルに落とした化粧が染み込んで排水溝へと流れていく。


 換気扇がなく、窓を開けると林が見えて虫の鳴き声が聞こえてくる。鏡は半分見えなくなっていて洗顔する際に苦労した。


 年季がすごい。それが素直な感想だった。


 でも、汚いところは1つもなくって本当に大事に使ってただ単に物としての寿命がきている、そんな感じ。


 とはいえ、浴槽は檜で外の景色も風情がある。ちょっとした旅館に来た気分で、美味しいご飯をごちそうになったあとの入浴はとても気持ちがいい。


 ごゆっくりなんて言われたけど、わたしはお風呂に平均40分くらい入ったりする。そのせいで家では入る順番が最後と決められてしまった。そんなわたしが人の家のお風呂でごゆっくりなんてするわけにはいかない。


 最後に肩まで浸かってふぅ、と目を閉じ10秒くらい経ってから脱衣所に出た。


 バスタオルはわたしの家のものより3倍ほど大きい。もはやベッドシーツである。


 顔を拭くとなんだかタンスの中のような匂いがしてきた。とても落ち着く匂い。


 ドライヤーが置いてない。部屋にあるのかな? 使ったタオルはどこへしまえばいいか分からなかったので頭に巻いて部屋へ向かう。


 扉を開けるとわたしより先にお風呂を済ませた結芽がパジャマ姿に着替えていた。とはいってもパジャマらしいのはズボンだけで上は質素なプリントTシャツだ。でもそれが結芽の細い体型にジャストフィットしていてとても似合っていた。


「お湯出なかったでしょ」


 わたしを見るなり結芽が言う。申し訳なさそうな、だけど面白おかしそうな、中間の表情。


「うん、壊れてるの?」

「そうみたい。でもおばあちゃんたちはあれがちょうどいいらしくて、だからあのまま」

「なるほどね」


 髪をわしゃわしゃと拭きながら、どこへ座ろうか立ち尽くしていると椅子に座っている結芽と目が合ったので隣に行く。結芽はどうやらゲームのセッティングをしてくれていたらしい。うわほんとに64だ。


「拭き終わったらタオル貸して。戻してくるから。あとドライヤーはそこにかかってる」

「あい」


 自分の頭を拭いたタオルを他人に渡すのは気が引けるけど結芽ならいっかと謎の信頼。化粧椅子の横にかかったドライヤーを借りて髪を乾かしていると結芽が首を傾げて呟いた。


「あれ? 64のコントローラーってどうやって持つんだっけ」

「そりゃこんな感じじゃない? PS4みたいに」

「そしたら真ん中のスティック動かせなくない?」

「たーしかに」


 昔はどう持ってたっけなぁと思い出してみるも出てくる映像はプレイ画面と負けて泣きわめく陽太の顔。うーん。


 天井を見上げて自分の記憶を覗いて見ても目的のものは出てきそうになく、ドライヤーのスイッチを切って鏡に映った自分を観察する。お風呂あがりだからか顔色がよくて普段よりもべっぴんさんに見える。ふふっ。


 結芽がほくそ笑んだわたしをじぃ~っと見ているのが鏡越しに見えて、誤魔化すように視線を移動させるとひとつの白い容器が目に入った。


「あ、これわたしが使ってるのと同じやつだ!」


 ヒアルロン酸とでっかく書かれたそれは無香料無着色、オイルフリーでノンアルコールが売りのコンビニで700円くらいで買えるものだ。


「いいよねこれ、わたしアルコールがダメみたいでさー前に高いの買って失敗したんだ。それ以来ずっとこれ。使っていい?」


 結芽が頷いたのを確認して2、3滴手に取って肌になじませる。そんなわたしを、結芽がじっと見ていた。なんだろう。特になにか言うこともなく、そもそも同じの使ってるという話題にリアクションがない。いつ結芽の口が開かれるのか気になってわたしも見つめ返す。


 そういえば、結芽の肌はすごく綺麗だと前々から思っていた。いったいどんなスキンケアをしているのかと考察をしていたけどまさか同じ化粧水を使ってたなんて。ということは、道具の問題ではなく素材が良い、ということで。


「ひ、引き分けかな」


 強がってそう言った。


 すると手が伸びてきて、わたしの髪に触れる。ちょっとびっくりした。


「私と同じシャンプー使ったはずなのに、日菜のほうがいい匂いがする」

「素材、ですかね?」


 わたしはわざとおどけて見せた。結芽のほうがいい匂いするよ、とは口には出せない。このタイミングで言うのはなんだか恥ずかしいしまた犬みたいだと言われるから。


「ていうか、ゲームつかなくない? 電源入ってるよね?」

「入ってる、はずなんだけど。押し入れから引っ張り出してきたから調子悪いのかも」

「64だしねえ・・・・・・。ふーふーしてみる?」

「ふーふー?」


 結芽が小首を傾げたのでわたしが手本を見せてあげると自信気に腕をまくって(特に意味はない)カセットを抜いて息を吹きかけた。


「これでどうだ!」


 再び電源を入れて待機。でも、無反応。


 PS4とかなら電源自体が入っていないのか、テレビの出力がうまくいっていないのかをランプとか起動音で判別できるんだけど64は動いても音がしないのでどこが悪いのかがわかりにくい。


 ケーブルをちょっと持ち上げてみたり、テレビの出力設定も確認して、もうわけが分からなかったので本体の角をチョップした。


「あ、ついた」


 すると画面には見慣れた英語のロゴが現れて、帽子を被ったひげおじさんとか緑の恐竜とか白いお化けがわちゃわちゃと集まっているタイトル画面に移行した。


「わたしヨッシー使うから取らないでね」

「はいはい」


 わたしのわがままに冷静に対応する結芽だけど、ちらりと横目で見るとその表情は楽しそうだった。たしかに、夜に友達の家でゲームするのは楽しい。でも、誰とやっても楽しいってわけではないと思う。時には退屈だってするかもしれないし、そんな中で配管工おじさんを選んで姿勢を正し張り切る結芽の姿を見れて、ちょっと安心したわたしだった。



 パーティモードを3回ほどやりミニゲームも遊び終えた頃、わたしがあくびをしたことを合図にゲームは終わった。


 結芽が持ってきた布団を敷いて枕を投げる。


 負け越したほうが布団で、勝ったほうはベッドというルールにのっとりわたしは床に敷かれた布団に潜り込んだ。


「あー面白かった! 久々あんな笑ったかも」


 アイテムで邪魔をされるたびに怒って、ミニゲームで意味不明な負けかたをして笑って。お腹と表情筋が痛くなるほどに充実した時間だった。結芽も同じようで余韻で口角が上がったままだった。


「電気消すね」

「はい先生」


 修学旅行気分。カチッカチッと2度ほど紐が引かれて、消灯する。


 それが一日の終わりを告げる合図であることは明らかで、とても寂しい。でも、その寂しさも醍醐味と、前向きに考えることにした。


 それからは、互いに他愛のない話をした。


 わたしの家族構成とか、バイト先のこととか。結芽は基本的にわたしのことを聞いてきた。


 時間が経つごとに有益な会話から無益なものに変わっていった。スリランカの隣ってどこだっけとか近くのスーパーでさば缶を買うと何故か40ポイントもつくとか。


 そうしてだんだんと口数が減り、どちらが言うでもなく寝る体勢に入っていた。


「・・・・・・・・・・・・」


 人の脳は、一度に複数の感情を処理できないという話を聞いたことがある。


 結芽と離れたこの布団の中、結芽が見えない暗闇。結芽の声が聞こえないこの状態でわたしの頭を渦巻いてたのは今日のあの出来事だった。楽しいことが終われば辛いことを思い出す。


 お前と遊んでてもつまらない。そんな言葉が何度も何度も頭を巡った。お金遣いと時間の使いかたがずさんだと、非効率的だと言われた。


 ――結芽は、今日本当に楽しんでくれたのだろうか。


 結芽は優しいから、楽しいフリをしてくれていただけなのではないだろうか。


 思えばあいつだって最初は笑ってくれていたのだ。


 布団の中で身じろぎする。結芽が持ってきてくれた布団はすごく大きくて、だけど大きすぎて、すっぽりと開いた空洞が冷たかった。


 寂しくて、心細くて、さっきまで大笑いしていたわたしは、消え入りそうなか細い声で結芽に言った。


「ねぇ、わたしもそっち行ってもいい?」

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