第2話 わたしの親友

 ホームルームが終わり教室に人が少なくなった頃、わたしは机に突っ伏していた。


 今日の授業、なんにも頭に入ってこなかった。頭にあったのはむかつくあいつへの悪口だけ。普通に勉強するよりも疲れてしまった。


 わたしが木造の机と口づけを交わしている間、頭上に何度もお誘いの言葉が降りかかった気がしたけど、乗り気になれず全部断った。


 だって、こんな状態で合コンのお誘いなんて受けたら何をしでかすか分かったものじゃない。最悪全てをぶち壊すほどに暴れちゃうかも。


 今日のわたしはめちゃめちゃネガティブだ。全部が後ろ向きで陰湿。それもこれも全部あいつのせい。


 別れたとは言っても今日の今日で忘れることなんてできない。未練たらたらだ。あと1発ぶん殴ってやればよかったという未練がね。


「はぁ・・・・・・」


 猫みたいに伸びてため息をついた時。


「日菜、今日はバイトじゃないの?」


 まるでコンサート会場で聞くパイプオルガンみたいな、耳を通して体全体に響く声。1文字1文字を丁寧に紡いでいくそのリズム感が心地よく、わたしは引かれるように顔を上げる。そこにはシルクのように綺麗な髪が、宝石のように黒く輝いて、カーテンのように靡いていた。


 キリっとしたつり目に色の薄い唇。わたしとは正反対のクールな佇まいのその子は、


結芽ゆめ


 桜川さくらかわ結芽、わたしのクラスメイトで、唯一無二の親友だった。


 親友とは言っても、知り合ったのはクラス替えをした先月の話だ。


 たまたま結芽が読んでいる漫画がわたしも知ってるものだったから声をかけたのが始まり。最初は暗い子なのかと思ってたけど冗談だって言うしわたしの言うことにもちょっとだけど笑ってくれる。


 最近になってギャルの仲間入りをしたわたしだけどそんな結芽とはなんだかんだでフィーリングが合ってしまい、それからというもの親友と呼んでも差し支えないほどの仲を持たせてもらっているというわけだ。


「うん、今日はシフト入ってないから1日暇人なの。ちょー暇人」

「さっき誘われてたみたいだけど、そっちはいいの? 合コンって聞こえた気がしたけど」

「そんな気になれないよー。誘う方も誘う方だよまったくもー」

「・・・・・・その件は、なんというか。残念だったね」


 わたしとあいつが別れたことは、クラス全員にもう知れ渡っていた。


 とは言っても別にあいつが言いふらしたとかそういうんじゃなくって、昼休みが終わって泣きべそかいて帰ってきたわたしに、みんなが寄り添ってくれてそれで全部話したのだ。


「男なんて嫌いだ。もう知らない。ばかばかばか」

「私に言われても困るんだけど」


 結芽の細い腰にチョップをかまそうとするも、軽く振り払われてしまう。分かってる、結芽に当たったってしょうがないってことくらい。


「ていうか日菜、髪結んでないの? あの髪型かわいかったのに」

「結ばん」

「・・・・・・重症かなこれは。元気だしなって。男なんてまた探せばいいでしょ?」


 わたしの頭を撫でて、あやすように言ってくれる結芽。どうしてか結芽の手はすごく温かい。体温が高い人ってちょっと羨ましい。


「カラオケいこ」

「え?」

「だから! カラオケいこ! 駅前の! わたし歌いたい気分なの!」

「叫びたいの間違いじゃなくて?」

「そうとも言う! うがー!」


 立ち上がって意味不明な咆哮をあげるわたしを結芽は表情変えることなく見て言った。


「いいけどね」


 仕方なく、みたいな雰囲気を出してはいるが結芽はわたしの誘いを断ったことは1度もない。桜の咲き始めた頃「あえて海に行こう!」というわたしの奇行にも付いてきてくれた実績がある。


「1回帰る?」

「んー、や! そのまま行こ!」

「わかった」


 スクールバッグを担いで、駆け足でわたしと結芽は駅へ走り、仲良く隣同士で座りスマホで動画を見たりしながら目的のカラオケボックスに向かった。


 学割だし、平日だし、割引券もあるし。安いお金で思う存分歌って、今日のことは全部忘れよう。きっと忘れられる。そう思っていたのだけれど。


 歌えども歌えども、叫べども叫べども、忘れられるのは一瞬だけで、曲が終わって新曲紹介のPVが流れている頃にはわたしは心ここにあらずといった感じでパネルと睨めっこ。そんなわたしを、結芽は心配そうに見つめていた。


「あー! 楽しかった!」


 それでも、付いてきて貰って「あんまり気持ちは晴れませんでした」じゃ申し訳ないので一応それっぽいフリはしておく。結局わたししか歌わなかったわけだし、お金は出すと言ったのだけれど結芽は首を縦には振らなかった。


「そ、そうだ! ご飯食べてく? ほらこの辺美味しい牛丼屋さんあったでしょ?」

「吉田屋のこと? あの大手チェーン店のことを美味しい牛丼屋さんって言う人初めてみた」

「誇っていいよ!」


 わたしの雑な切り返しを結芽は華麗にスルーして明かりがポツポツと点き始めた繁華街を見つめていた。


「って、あ」


 わたしは自分の財布を開けて気付いた。


「お金・・・・・・あと70円しかなかった」

「どっちにしろ私の分のお金は払えなかったわけだ」

「自分の身の程を知らない発言をお許しください結芽さま」

「帰りの電車賃もないの?」


 そう言われれば、そうだ。牛丼の並はおろか、帰るお金も無かった。


「ど、どうしよう結芽! わたし今日ここでホームレスだ! 段ボールでお城作って路地裏のお姫様にならなきゃ!」

「路地サーの姫ってこと?」

「食べていけるかな」

「媚びる相手がホームレスじゃあねぇ・・・・・・無理なんじゃない?」

「終わった」


 わたしこんなに手持ち少なかったかなぁ・・・・・・バイトの給料も入ったばっかだしそんな大きな買い物・・・・・・。


 あ、した。美容室に行った。高い服、しかも上下合わせて買った。


 なんでって、そんなの聞かないで欲しい。可愛く見られたかったからに決まってる。誰にって、それも聞かないで。それに今となっては全部無駄遣いだったわけなのだから。


「ねぇ結芽。わたしってお金遣いずさんなのかなぁ」


 なんか、自信がなくなってきた。愛想尽かされて振られたのも、もしかして全部わたしが悪かったのかな。


 結芽はわたしの質問には答えず、だけどわたしを視界に捉えたまま並行して歩く。


 やがてカレーが美味しいと評判のバスセンターに付き、噂に違わぬスパイシーな香りが漂ってきた頃結芽が口を開いた。


「私の家来る?」


 何故か早口気味。今度はどうしてかわたしのことは見なかった。代わりに互いの距離がちょっと近かった、そんな気がした。


「明日どうせ土曜だし。あ、でもほんとに帰らなきゃなんだったら金、貸すけど。どうする?」


 上、左、下、そして右と格闘ゲームのコマンドのように視線を移動させて最後にわたしの目を見た。おずおずとしたその態度はいつもクールな結芽にしては珍しい。


 寒いのか体を縮こまらせ、肩に乗った黒くてさらさらの髪がもふっと盛り上がる。その様子がなんだか可愛らしく思えて、笑うのを我慢できずに言った。


「結芽の家、行ってみたい!」

「なんにもないけどね」

「マリパは? マリパやりたい!」

「64のならあった気がする」

「雪だるまのやつだっけ?」

「覚えてない」

「そっかぁ、でも。うひひ、結芽の家かぁ」


 帰れないという不安がなくなったからか、油断して変な笑い方をしてしまう。というのは嘘でわたしは不安なんてなかった。結芽がいるからきっと大丈夫だろうって思ってたから。きっと自分の信じていた親友が思ったとおりにわたしを助けてくれて、そのことに安心して笑ってしまったのだ。


「あ、1回お母さんに電話していい?」

「ん」


 断りをいれてスマホの電話帳にとぶ。


「あ、お母さん? 今日なんだけどさー。え? うんち? なにうんちって、って。あ! 陽太ようた!? 勝手に家の電話出ちゃダメだって言ったでしょ! もう、だからうんちじゃなくてお母さんに替わって――え? お母さんトイレなの? あ、そういうこと。あのね、お姉ちゃん今日友達の家に泊まるから――いや彼氏じゃなくて。陽太いい子にしててよ? またしおりのこといじめちゃダメだから・・・・・・あっ!」

「どうしたの?」

「きれた」


 ツーツー、と通話の終わり告げる音。わたしは切ってないので当然あっちの仕業だ。


「弟?」

「うん。最近ずっとうんちにハマっててそれしか言わないちょっと頭のネジ外れた問題児」

「へぇ、栞っていうのは?」

「栞は陽太の三つ下の妹で・・・・・・なんか積もる話たくさんあるね」


 続きは結芽の家でたっぷりさせてもらおう。わたしの意図を汲み取ったらしく結芽はそれ以上何も聞かなかった。


 夕暮れの中、隣を歩く人の家に向かうのは、なんか青春って感じがした。なんとなく、スキップしたくなるような、でも楽しみという感情を表に出すのが恥ずかしいからちょっとだけ歩幅が広くなる程度に抑えてる。そんな気持ち。


 結芽はどうだろうと隣を見てみるけど、表情は見えない。ただ、茜色の太陽をバックに歩く結芽の姿はスラッとした体型も相まってとても映えて見えた。


 なんだか久しぶりに感じるドキドキとワクワク。友達の家に初めて行くときってこんな感覚だったっけ? それとも、今のわたしがちょっぴりアンニュイなだけ?


 分からないけれど、ぽっかり空いた心の隙間を結芽が埋めてくれているのは確かで。わたしはついつい、大きめのブレザーからちょびっとだけ出た結芽の指を握ってみた。すると、すぐに引っ込んだ。


「なに?」

「亀みたい」

「噛むかもよ?」


 挑戦的な表情。ふん、その勝負受けて立とう。


 キレを重視した瞬発的な腕の振りで結芽の指をつかみにかかる。だけど俊敏な結芽の指はわたしが予備動作をした瞬間にすでに引っ込んでしまい、捕まる気がしなかったので結芽の腕をがっしりホールドしてむりやり引っこ抜こうとした。


「それは反則でしょ」

「出てこないのが悪い」


 そう言って結芽の指をぎゅっと握ると、もう片方の手がにょきっと出てきて。つねられた。


 噛みつき亀だった。


 そんなやりとりが子供っぽくて、でも楽しくて。わたしは結芽の腕を抱きしめたまま声に出して笑った。

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