第34話 登校

「……なんでお前がここにいる?」

「ベアトちゃんにおうちの場所を教えてもらいまして……って、あれ? ベアトちゃんから聞いていませんでしたか? 今日は皆で登校したいから、家にお邪魔させていただくって約束してたんですけど」

「……初耳なのだが、アト?」

「ごめんなさーい! 言い忘れちゃってた!」

(絶対わざとでしょうベアトリーチェ!!)

 舌を出し、自分の頭を小突く悪魔に、梔子は眩暈さえ覚えた。

 第三者がここに来るだけでもまずいのに、よりにもよって自分がいる時に来てしまうとは。

 しかも相手は駅で見かけた少女だ。

 黒咲である自分を知らないことは絶対にない。

「梔子様」

 名を呼ばれ、思わずびくりとしてしまう。

「あ、えと、これは――違うんです」

 動揺のせいで、舌が上手く動かない。

 自分はいつもこうだ。普段は澄ました顔で物事をこなすくせに、想定外のトラブルに遭遇すると、弱い。

 今もこの状況を誤魔化す為の嘘を何とか考えようとしてはいるものの、何も思いつかない。

「大丈夫です梔子様」

 にこりとこちらを安心させる為の微笑みを、少女は浮かべた。

「安心して下さい。ベアトちゃんから話は全て聞きました」

「……」

 余計に不安になった。

 まさかとは思う。いくらベアトリーチェでも、自分達の秘密を一般人に喋ったりはしないだろうと。

(そう……であって欲しい)

 本来なら確信であるはずのその読みは、ほとんど願望となっていた。

 今正に魔女の常識破りな行動に困らされている梔子は既に学ばされていたからだ。

 魔女に常識は通用しない事を。

 そしてそれは正しかった。




「梔子様は、ダンテさん達と生き別れた兄妹なんですよね?」



「……は?」

 一瞬、翡翠が何を言っているのかが梔子には分からなかった。

 混乱の極みに陥る梔子に、尚も翡翠は続ける。

「苦労されたんですよね? 幼くしてその才能を開花させた梔子様は、黒咲に養子として引き取られた」

「……」

 無言で嘘の出どころである少女に視線を向けると、

「ぷ、く、くふ……」

 性根から魔女の彼女は翡翠に見えない死角で、頬をひくつかせ、笑いを堪えている。

「でも立場上会いたくても会えなかった二人が、魔術学園都市に編入する事になった。梔子様はその時決意されたんですよね。他人からどう言われようとも、失った兄妹の時間を取り戻そうと……」

 そんな偽りの時間は永遠に失われてしまえ。梔子はそう言ってしまうのを、寸前で何とか堪えた。

「だけど黒咲は反対する所か、そんな梔子様の決意を応援してくれ、編入した二人と梔子様が一緒に暮らす事が出来る場所を提供してくれた……そこがここなんですよね?」

 いつの間にか、翡翠の目からは涙が溢れていた。

「私、感動しました! そして同時に惚れ直しました!! 安心して下さい! 皆さんの事は私絶対に喋りません! 翡翠は一生、梔子様のファンです!」

「……」

 勝手に感動し、一生のファン発言をしている少女に面食らいながら、梔子は落ち着きを取り戻しつつあった。

(ちゃんとしなさい私)

 極めて冷静に物事を考えるように自らに言い聞かせる。

 黒咲 ユウとベアトリーチェ・アーリーと兄妹関係なんて死んでもごめんだ。

 だが、真実を隠してこの状況を説明するのは簡単な事ではない。

 ならば、自分が取るべき行動は――

「……はい。

 頷く。

(背に腹は代えられません!)

 色々不本意で受け入れがたい事ではあったが、梔子は黒咲として魔女の秘密の保守を優先した。

「私とダンテとベアトリーチェは兄妹です……」

 これ以上ない程の屈辱。だがそれを梔子は何とか飲み込んでみせる。

(後で覚えておいてださい魔女)

 絶対になにかしらの報復をしてやると心に誓いを立てる。

「そうですよねダンテ?」

 合わせて欲しいとアイコンタクトを送ると、察しのいいダンテは同情するような顔を一瞬見せた後に頷いた。

「ああ。俺達は兄妹だ」

 これでいい。この場さえ乗り切れば、後はどうとでもなり――



「あれれ~おかしいぞ~?」



 その時、死神の声が聞こえた。

 ギギとさび付いたブリキ人形のように鈍い動きで顔を向けると、声を発した魔女死神が笑っていた。

「ナッシーお姉ちゃん。いつもはお兄ちゃんの事を、ダンテお兄ちゃん!って呼ぶのに、どうして呼び捨てで読んでるの?」

「っ!!??」

 何を言っているのですかこの魔女!?と 叫びそうなのを、何とか堪える梔子に、ベアトリーチェは憎たらしい程の笑顔を浮かべる。

「もしかして翡翠お姉ちゃんがいるから、恥ずかしがってるのかな?」

 まずい。この展開はまずい。

 このような話になれば、人の良い翡翠という少女は間違いなくーー

「そうなのですか? 私の事はお気になさらずに、普段通りにダンテさんを呼んであげて下さい梔子様!」

 案の定、そう言ってきた。

「……」

 共同生活を始めて一日目。

 その僅か短時間で梔子ははっきりと理解した。

 ここで必要なのは、戦闘力ではない。

 何事にも動じない強靭な精神力だ。

「ダンテ」

「……なんだ?」

 哀れみさえ顔に浮かべたダンテに、梔子は大きく息を吸い――



「……お兄ちゃん」



 はっきりとそう言った。




 朝の登校というのは、悪くないと俺は思っている。

 学校生活とは無縁の人生を歩んできた俺にとっては、朝のこの学校に登校している時間はとても新鮮なのだ。

 それはアトの奴も同様なのか、いつもは秒速でトラブルをメイクする魔女もこの時は大人しい。

 だから、俺にとってこの朝の登校時間は数少ないリラックスできる時間なのだが――

「……絶対風穴あけてやります。絶対風穴あけてやります」

 前を歩いているアトの背中にぶつぶつと呪詛の言葉を呟く梔子が隣にいれば、流石に例外となる。

「……大丈夫か梔子?」

「なんですかダンテお兄ちゃん? 私は見ての通り、平静で平常で平和ですよ?」

「いや、発言が色々おかしい」

 分かってはいたが、相当キてるなこれは。

 アトと翡翠は楽しそうに談笑しながら前を歩いている。

 この距離なら、会話が聞かれる心配もないだろう。

「そんな状態のお前に悪いんだが、いい話と悪い話と、厄介な話をお前に話しておく必要がある。どれから聞くか選んでくれないか?」

「……聞かないっていう選択肢、ありませんか?」

疲れきった顔で笑う梔子の願いを叶えてやりたい所だが、事が事だけに俺は非情になるしかない。

「構わないが、多分後で後悔するぞ」

 気持ちはわかるのだがな。痛いほどに。

「……悪い話からお願いします」

「分かった――俺の経験上、アトの奴が上機嫌すぎる時は大抵ろくでもない事が起きる」

「……今、翡翠さんと手を繋いで、仲良くスキップしながら登校しているのですが?」

「ああ。だから忠告しているんだ」

 こういう時は確実に何か起こる。

「ベアトが何か仕掛けているのですか?」

「いや。仕掛けてなくても、事件の方があいつに近付いてくる」

 そういう厄介な性質を持っているのだ。あの魔女様は。

「……冗談って言ってくれませんか?」

「すまん」

「…………ははは」

 俺の心からの謝罪を聞いた梔子は全てを察したのか、乾いた笑い声を上げた。

「いい話聞かせてもらってもいいですか? このままだと私、共同生活一日目でストレスで胃が壊れそうです」

 分かる。俺もあいつと共同生活を始めて一ヶ月はそんな感じだったからな。

 こればかりは慣れるしかない。

「俺はあいつの機嫌でどの程度の事件に巻き込まれるか、大体分かる」

「どんだけ日常的に事件に巻き込まれてるんですか……」

「言うな」

 好きで巻き込まれている訳ではない。

「話を戻すぞ。安心しろ梔子。事件に巻き込まれると言っても大したものには巻き込まれない」

「本当ですか? 信じていいんですね?」

「ああ」

 すがるような目で見てくる梔子に力強く頷く。

「あのレベルのご機嫌だと精々、二三人の死人が出る事件に巻き込まれる程度だ」

「いやそれ大事です!」

「なんだと?」

「そこで驚くんですか!? 私、結構普通の事を言ったと思いますよ?」

「……なるほど」

 言われて見れば、一般的には二三人の人死にが出るのは大事だった。

 魔女と五年も行動を共にしていると、いつも世界規模の事件に巻き込まれるせいで、そこら辺の常識がたまに麻痺する事がある。

「ありがとう梔子。一般的な感性を持ったお前の意見はとても参考になる」

「……なんか、微妙に反応し辛いコメントですね」

「まあ、いいですが」と言うと、梔子は覚悟を決めた顔で

「聞くのは怖いですが、最後の厄介な話を聞かせて下さい」

「分かった。なら、1つ確認させてもらってもいいか?」

「何をですか?」

 警戒する梔子に俺は肩をすくめる。



?」



「……え?」

「やはり気付いていなかったようだな」

 驚きで目を見開く梔子の反応が何よりの証拠だ。

「間違えても、きょろきょろと周りは見るなよ。いくら相手が素人でも、こっちが尾行に気付いた事がバレる」

「素人? こちらを尾行している相手がですか?」

 身を隠し、こちらの様子を窺っている相手を警戒してだろう。

 梔子は身を寄せ、小声でそう訊いてきた。

 正直その動きもあまり褒められた行動ではないのだが、相手が素人と分かっている今は、俺は指摘しない。

「ああ。間違いない。標的との距離の取り方を始めとした尾行の基本を、あいつはどれも出来ていない」

「あえて、そう見せている可能性は?」

「ないな」

 勿論、その可能性も考えた。

 だから屋敷を出てからここまでの時間、ずっと俺は『奴』を観察していた。

 だがその結果は白。

『奴』はどう考えても、どう見ても素人にしか見えなかった。

「少なくとも、俺達が期待した『本命』ではない」

 俺達が探している本命である金髪の協力者が、ここまで迂闊な行動を取る相手にも、取らせる相手にも思えない。

 そのような相手であれば、とっくの昔に絶花や黒咲にスパイとして発見され、『処分』されているはずだ。

「では、相手の目的はなんなんですか?」

「……予想は出来る」

 相手の狙いの大方の予想は。

「だが確証がない。だからこそ梔子、お前の協力が必要なんだ」

「私の協力が――ですか?」

「ああ」

 これから行う事には、梔子の持っている物がどうしても必要であった。

「お前、今魔銃を携帯しているな?」

「……よくお分かりで」

「分かりやすいからな」

 偽装魔術で他人からは見えないように上手く隠してはいるが、梔子自身の挙動までは隠しきれていない。

「目敏すぎませんかあなた」

「普通だろう?」

 少し観察眼に長けた魔術使ならすぐに見抜ける事だ。

 この俺が分かったぐらいなのだから。

「それを少し貸してもらいたい」

「……尾行している相手に向かって撃つつもりですか?」

「安心しろ。俺もそこまでバカじゃない」

 周りは何本もの木が立っており、視界も悪い。

 このポジションから素人とはいえ、こちらを尾行してきている相手を狙撃するのは難しい。

「もっと有効な使い方をする為に魔銃が必要なんだ」

「詳しい説明はしてもらえないんですね?」

「分かってるじゃないか」

 距離が離れているとはいえ、この会話が『奴』に聞かれている確証など何処にもない以上、迂闊な発言はマイナスにしかならない。

 この場でこれから行う奇策のネタ晴らしをするなど、もっての他であった。

「勿論、魔銃を貸すか貸さないかはお前しだいだ梔子」

「……あなた、本当に性格が悪いです」

 溜め息をつくと、梔子は小さく呟く。

「……視覚偽装解除」

 すると、彼女の左右の太ももに巻かれたホルスターがその姿を現した。

「私を試しているのでしょう? この場で正しい判断が出来るかどうかの」

 その片方から魔銃を抜くと、俺に手渡して来た。

「この場での最適な行動ぐらいは私にだって分かります。馬鹿にしないで下さい」

「……馬鹿になんてしてないさ」

 受け取り、軽く動作を確認しながら、俺は苦笑した。

「お前は優秀だよ梔子。俺なんかよりずっとな」

 裏切り者である俺に、魔銃を渡す判断が出来るのがその証拠だ。

「……皮肉ですか?」

「いいや」

 尾行に気付けなかった事に対する皮肉などでは断じてない。

「他人を信じられる事は何よりも優秀だ」

 それは俺が五年前に絶対に出来なかった事だ。

 他人を信用せず、自分の力だけで世界と向き合ってた。

(だからこそ、

 俺は梔子から貸りた魔銃の銃口を前方――すなわち、先を歩いているアト達に向ける。

「ダンテ?」

 一体何を――と困惑した顔をする妹に苦笑すると、




「悪いな梔子」




 俺は引き金を躊躇いなく引いた。 

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最強(凶)最厄のロリババア魔法使いに勝利するために、ロリババアの宿敵兼弟子になった 時乃 歩 @toklnoayumu

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