第32話 成長するということは素晴らしいものです。


 ぼんやりとする私たちに声をかけてきたのは、少し野太い声の男性。

 視線を送りますが正直見覚えが……いえ、会ったことはあるとは思うのですが、心当たりの人がいないというのが本当のところ。


 身に纏っているのは士官の制服でしょうか。シワなど一つもなく綺麗に仕上げられた袖から見える拳はゴツゴツと、力強さを感じさせます。

 普段から鍛えていらっしゃるのでしょうね。身長もおじいさまよりも高いのではないでしょうか。相当のものです。


 強面な雰囲気を醸し出しているのですが、エルフリーデに送っている表情は非常に温和なものでした。


 ん、やっぱり心当たりがないと言ったのは嘘ですね。この人とは以前、一度だけお会いしたことがあるのです。



「えっと、ザルツァ男爵の……」


 そう、エルフリーデもそれに気付いたらしく、おそるおそる彼の名を呼ぼうとするのですが、少したどたどしさを感じさせます。


 その様子に苦笑しながら突然声をかけてきた彼、アーベル・フォン・ザルツァさんがこう一言。


「えぇ。お久しぶりです、アーベルです。もしかしてお忘れでしたか?」


 そう呟きながら笑みを浮かべる彼からは、以前お会いした時の刺々しいところは感じられません。

 この数年で余裕を身につけられたのでしょうか。紳士然とされた他立ち居振る舞いに少しドキリと……いえいえ、まだおじいさまには及びませんから! 


 でも私の予想は正しかったということでしょうか。

 成長したアーベル様、かなり素晴らしいですよ……グヘヘ。



「ま、まさかそんな! お久しぶりでございます」


 少し茶目っ気を出すアーベルさんを裏腹に、翻弄されてばかりのエルフリーデ。

 翻弄されていてもやはり貴族の子女として教育されただけのことはあります。立ち上がり、しっかりとお辞儀は忘れていません。



「ご健壮そうでなによりですが、なにやら元気はなさそうですね?」

「えっと、そんなことはないですよ? 新しい生活に慣れていないと言うだけですから」


 エルフリーデはそう笑顔で答えていますが、私には無理をして取り繕うとしているのが分かってしまいます。


「そうですか……」


 おそらくそれはアーベルさんにも伝わったのでしょう。言葉では納得したと様に話されていますが、その表情は少し複雑そうです。


 そんな表情をされてはさらに居た堪れなくなってしまうエルフリーデ。

自分のことから必死に話を逸らそうと、目を白黒させ考えを巡らせているのですが、その様子は少し滑稽に見えてしまうのは言わないでおいであげましょう。


アーベルさんもそれには気付いているのか、追求は一切せず、じっくりとエルフリーデの言葉を待ってくれています。


 ヤダ、そんなところもおじいさまにそっくりになっているじゃないですか。

 これは……うん、素晴らしいとだけ言っておきましょう!



 と、そんな私の少しふしだらな考えをよそに、


「ザルツァ様はどうしてこちらに?」


 絞り出す様に尋ねたのはその一言。まぁありきたりかもしれませんけど、当然の疑問ですが、もう少し早く言葉にできたでしょう。


もう少し訓練して差し上げなくてはいけませんね。



「アーベルで良いですよ。貴女様は将軍のお孫様だ。それに私にいろいろと気付かせてくれた恩人でもある」

「いや、えっと……さすがに男性を気安く名前で呼ぶのも……」

「その割にはウェルナーさまも、ルートヴィヒ様もお名前で呼んでいらっしゃるそうではない

ですか」


 そう言いつつ、頭を下げるアーベルさん。

 うむ。アーベルさん、完全にエルフリーデで遊んで……いるわけではないみたいですね。

言葉に偽りなく彼女に心のそこから感謝をしているみたいですね。


 これは強敵ですね、とことん話の論点をずらされてしまっていますよ。

完全に翻弄されてばかりのエルフリーデでしたが、アハハと乾いた笑いを浮かべています。


「そ、それは……」

「あの方たちのことだ。無理強いをしたのでしょう」


 と、アーベルさんは最終的に逃げ道を作ってくださり、事なきを得た様な状況。そうですねとその恩恵に預かり、そそくさとそれにしっかりと乗っかっていくエルフリーデ。


 このやりとりがエルフリーデをようやく落ち着かせてくれたのでしょうか。

 息を深く吐き出して気を取り直してアーベルさんにもう一度同じ内容を訪ねます。



「で、今日はどうされたんですか?」

「えぇ。今日は学園と騎士隊との合同講義の打ち合わせに参りました」

「へぇ……そんなのがあるんですね」


 なんだかエルフリーデと同じ反応をしてしまいますが、そんな催しもあるのですね。特定の学年のためのものでしょうか。

アニメの中ではそんなお話は出てこなかったと思いますので、エルフリーデの学年には関係のないものなのでしょうか。


 ですが目の前のアーベルさんは信じられないものを見る様な視線をエルフリーデに向けていらっしゃいます。


 ありゃ、この視線を意味するものはつまり……


「カロリング嬢、まさかご存じなかったのですか?」


 なるほど。学園全体に関係するものでしたか。

 私が知らないのは仕方がないものではありますがエルフリーデさん……貴女が知らないというというのはダメでしょう。


 ここ最近のエルフリーデを取り巻く状況を考えると……いや、ダメです! そこは甘やかしてはダメなやつです!

 思わず彼女の右脚の爪先に、自分の前脚をおきながら、短く吠えます。


 一瞬、ビクリと身体を震わせるエルフリーデでしたが、小さくごめんよぉと呟いているところを見ると、完全に忘れていらっしゃった様ですね。


「……す、すいません」

「まぁ致し方ないことです。その打ち合わせがここを訪ねてきた用件なのですよ」


 ここはアーベルさんのお言葉に甘えることにしましょう。

 しかし対外的な役割を担うということは、アーベルさんは本当に出世なさったということでしょうか。そちらにも興味があったのですが、彼の言葉尻はどこか尾を引く様な印象を受けます。


エルフリーデもそれに気付いたらしく、言いづらそうにしている彼に、今度はエルフリーデから助け舟を出します。


「何か他にも用件があるのですか?

「……えぇ。この学園にいる、許嫁にも……会っておこうかと」


 ふむ、そうですよね。

 考えてみれば、物語に出てくる貴族って大体許嫁みたいなものがいますものね。

 エルフリーデ本人には全くその様なお話が出てこないのですよね。なにか作為的なものも感じて、非常に悲しくなってしまいます。


しかし『許嫁』と口にしたアーベルさんの表情を見る限り嫌そうな様子はなく、恥ずかしそうな表情を浮かべていらっしゃるのですが、そんな様子を見るとさらにテンションが上がってしまいますね。


「い、許嫁ですか! すごいですね!」


 まぁエルフリーデも例に漏れず、非常にテンションが上がっている状態。ズイズイとアーベルさんに詰め寄りながらことの詳細を聞こうとされています。


「ちょ! カロリング嬢!」

「ど、どんな方なんですか! すごく興味があります!」

「だから少し落ち着いて!」


 そりゃびっくりもしますよ。これまでは気弱でお淑やか? な様子しか見せていなかった貴族の子女が、年相応の恋愛話に入れ込んでしまう様を見せられているんですから。

 さすがのアーベルさんもタジタジになりながら後ずさっておられます。


 しかしそれもどこ吹く風と言わんばかりに一歩、さらに一歩と詰め寄っていくエルフリーデ。

普段からこれくらいの積極性を見せて欲しいものだなぁとため息をつく私途中で止まってしまうくらいほどの蛮声が中庭に響きました。


「このはしたない女! 兄上から離れろ!」



 ッ! な、なんなんですか、いきなり? 突然大声を出さないで欲しいんですけど?


 そう思いながら声の主を睨みつけるようと視線を移すのですが、それを見とめてしまった瞬間、また私は思考が止まってしまったのです。



 そこにはある男性が立っていましたのです。


 忘れることもできません。何度この人のことを頭の中で描いてきたか。



そう、ようやく私とエルフリーデは出会ったのです。



アニメの中で彼女が……ハルカさんに鉄拳を見舞われる原因を作った男性に。



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