あの日指さした星

「急すぎ。ばかなの?」


 両手を腰に当てて腹を立てているというアピール。

 こいつにはあんまり意味がない。わたしがこういう顔をするのもわかっているんだから。

 それでもやっぱり示しておきたいので、大変困っています、と全身で言い募る。


「ごめんごめん」

「アタシに用事がないってわかっててやってるのがムカつく」

「でも暇してたろう?」

「だからここに来てんのよ」


 久しぶりに帰ってきた幼馴染みと顔を合わせるのが嫌なわけじゃない。

 相変わらずの日焼けを知らない生白い肌で、こいつは困ったように笑っている。


「昔もそうだったけど、ますますあか抜けてきれいになったな」

「そりゃあ、きれいにしてるもの。あんたは昔から変わらないわね」


 うそだ。都会に出て行って、わたしよりもあか抜けたのはこいつのほう。

 もともと明るかった髪がすこし洒落た揃え方で、頼りなかった厚ぼったいまぶたも、昔よりずっと色っぽい雰囲気になった。むこうじゃきっと女の子たちに黄色い声をもらえてるんだろう。

 ひがみとかじゃないけど、と口には出さずに付け加えながら、なるべく一歩先を行くように速足で歩く。


「あそこのデパート、経営変わったんだな」

「最近じゃ中高生のテリトリーよ。なんだっけ、ピスタチオ? なんかもちもちした黒くてまるっこいの」

「それはナッツ類。タピオカな」

「そうそれ。ミルクティーとかの底にはいってる」


 こんな変な田舎町でも、意外と道は人であふれている。

 のんびり歩く老夫婦を追い抜き、立ち止まったカップルをしりめに、短いスカートの女子高生たちとすれ違う。

 あのひとかっこいいね、なんて声が背後から聞こえてくるのは耳に届かないふりをしている。


「どこいく? そこらへんの茶店とかでもいいけど」

「花の女学生ならカフェっていうところだぞ」

「もちろん大学じゃそう言ってるわよ」

「大きな猫だなあ」

「大きすぎて、大熊猫パンダかもね」


 今日の空も晴れていて、夕焼けはとってもきれいだった。

 わたしはすこし薄暗くなってきた空から現実が落ちてくるのを待ち構えている。

 かつてのこいつみたいに、指を空へ向けてみる。


「こういうときだって、実のところあんまり変わらないのね」

「まあ、もうなんともならないからじゃないか」

「あんたはどうして帰ってきたの」


 一歩先を歩く。顔を見ないように。

 振り返ったところで、想像のなかと同じ顔がいるのだ。


「帰ってきちゃいけなかったか?」

「そういう意味で言ってるんじゃないことくらいわかってるでしょ」

「はぐらかされてくれないな」


 ほんの一歩でわたしの前に出てくる。

 大きくなったな、と近所のおばさんみたいな感想。昔はわたしのほうが大きかったのに、生意気にも高校生くらいで差をつけられてしまった。

 目の前で、少しだけ腰をかがめてわたしを見る。

 明るい色の髪が風に揺れて。


「ひとりで終わるのはいやだろ」


 泣いてるような困った顔がそこにある。

 空は薄暗くて、すこしずつ赤い色が増えてくる。

 きれいな夕焼けをつくりだすこの町の空が好きだった。

 もうすぐ落ちてくる大きな石が全部終わらせてしまうから、こいつは帰ってきたのだろう。


「生意気よ、あんた。昔から」

「そうかな」

「そうよ。素直に言えばアタシも付き合ってあげるのに」


 大通りからはいりこんだデパートは、うってかわってがらんとしている。

 もうなんともならないならなにをしたっていいはずなのに、実際のところ、ほとんどのひとたちはいつも通りの自分でいたがっている。

 わたしだって実感はないけれど。

 差し伸べられた手をとって、一歩後ろを歩く。


「最後までいるの」

「最期までいるよ」

「こわくないの」

「もちろん、こわいよ」


 ──明日は、満月だよ。


 あの日指さした星が落ちてくるなんて、いまのわたしだって信じられない。

 薄暗いのに真っ赤な空の、その真ん中で、大きな石がわたしたちの墓標になろうとしている。

 注文したウインナーコーヒーが物好きでまじめな店員によって運ばれてくる。

 香ばしさと甘さを漂わせて、ひとくち飲むとほろ苦い。


「カフェインって興奮作用があるんだったわ」


 隣に座るやつを見る。


「ミルクにすればよかったかも」

「飲めないなら、俺が飲もうか」


 絵になる男になってしまった、こいつの長い指がカップをつかむ。

 白いクリームともまた違う。日に当たらない生白い肌が。


「明日、晴れるの」

「明日も晴れるよ」


 落ちてくる石の後ろには燃えるような空がある。

 指さす先の空にはきっと、あの日と同じ星もある。

 だからあの日言えなかったことが、いまさら惜しいような気がして。


「知ってるのよ、アタシ」

「え、なにを?」

「あんたがすごく……ばかだってこと」


 いつも悪いことが起きるとき、こいつはこっそりわたしの手を引いてくれていた。


 だから今日も、一緒にいてくれるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青林檎 蛇ばら @jabara369

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ