小さな守司さま-5


 一方その頃。夜通しの作業で疲れ果てたナハタは、町長宅の窓枠に凭れかかりながら大きな欠伸を洩らしていた。その姿を近所の奥様方にまあっ…!という顔で見られた上に、こそこそ言われてちょっと傷つく。

 椅子に座ったまま寝落ちたのがよほど堪えたのか、やたら腰を摩る町長が誤解に一役買っている。

 伊達に旅をしていないためナハタにもそういう知識はあった。自分の嗜好とは一致しないが。

 ナハタは心に染み込むような鈍痛を感じた。いや、痛みを感じているのは徹夜明けの頭の方かもしれない。


 …一旦、寝ようかな。

 馬鹿にしてくる相棒の声を聞こえなかったふりをして、ナハタは窓戸を閉めようとした。


「──…ろい、呪いうつっちゃった!」

「ぎゃーっ!こっち来ないでよ!」


 しかし閉じきる寸前、外から滑り込んでくる子供の騒ぎ声がナハタの手を止めさせた。


「…、………なんだー?」


 朝から元気にはしゃいでいるのかと思いきや、よくよく耳を澄ませば真剣味が混じった声色。本気で焦っているようだ。そのわりには周囲の大人が反応していないのが気になるが。

 ナハタが欠伸を噛み殺しながら顔を覗かせれば、そこにいたのは最初に広場で出会ったあの悪ガキたち。

 目が合った一人がナハタを指差しながら大声で言う。いや指差すな。


「あ、さぎましの人!これなんとかしろよ!」

「おーおーおー。でっけー青痣作って。なに、喧嘩でもしたのか?」

「違う、いきなり殴られたんだ!」

「こいつの痣、ステファンにやられたんだ。あいつに近づくからそうなるんだよ」

「お前ら見てたんなら早く止めろよ!」

「いや、だってあのステファンだったし…ねぇ?」

「っこの!」

「どーどー。いきなり仲間割れすんなってー。」


 それに『さぎまし』って何だよ。詐欺師と対魔師混ざっちゃってるし。自分は詐欺師でも対魔師でもないから正直どうでもいいけども。

 ナハタが「そっち行くからちょっと待ってなー。」と言ってから玄関の外へ足を運べば、その間に何人かの子供は帰ってしまったようで、残っていたのは青痣の少年を含めて三人だけ。割と薄情だな。まあいいか。


「んで、なんでステファンにやられたわけ? 理由もなくいきなり殴りかかるような性格じゃねーだろあいつは。」


 痣の手当てはしなくてもいいだろう。女でもないし、このくらいの怪我であれば放っておいてもそのうち治る。それより気になるのはステファンの方だ。

 個人的に肩入れしているのもあるが、ステファンはこれ以上家族の悪評を言われぬようにと常に気を張っているような子供だった。形ながらとはいえ、サジーが触れたことについて初対面のナハタ相手にも謝れる性格だ。不用意な言動は控えていたはず。


「こいつがステファンに喧嘩売って…、」

「違う!俺は本当のこと言っただけなのに、あいつが…!」

「その後余計なこと言うからだろ」

「でもっ、先に突っかかってきたのあいつだった!お前らだって見てたんだろ…!?」


 青痣の少年が感情のままに詰め寄ろうとすると、少年が一歩進んだ分だけ他の子供たちは身を引いた。距離を取られたことに気付いてしまった少年は目を見開くと、段々と声が上擦っていく。


「っ…俺は、俺はただ、またあのチビが出歩いてたから、行き先教えてやっただけなのにっ………」

「あーもう、泣くなってー。」


 啜り泣き始めてしまった青痣の少年はステファンと同じ十歳ぐらいに見える。

 話すどころではなくなってしまった彼に代わって、その諍いの現場に居合わせていたと言う他の二人から経緯を聞き出せば、まあ、うん。そりゃステファンが過敏に反応するのも無理からぬ状況だろうな、とナハタは思った。なにせステファンは家族を、何よりも弟のサジーを大切にしているのだから。

 最後に、走り去ったステファンは工業区画の方へ向かったと耳にしたナハタは、悩ましげに頭を掻いた。

 つまるところ、兄弟二人とも足を踏み入れてしまったと。


「コンディション万全とは言えねーけど、四の五の言ってらんなくなったな。」


 守司の疑惑が晴れないあの縄張りに乗り込むつもりはまだなかったが、緊急事態であれば仕方あるまい。眠気も吹っ飛んだし。

 ナハタが「な、ズマ。」と足下に呼びかけると、相棒は気に食わなそうに鼻を鳴らした。あの兄弟を探しに行くことに異論はないが、この泣きべそ小僧の尻拭いというのが鼻持ちならないらしい。相変わらず気難しいやつだ。


「頼むってズマ、炙り肉食わせてやるからさー。」


 兎はもう飽きたか。

 じゃあリス五匹は?…ああ、だめ。

 羊の腿なら及第点ね、なるほど。


「交渉成立な。」


 相棒とはいえタダではいかない。これでも相棒割引で大分お手頃になっている。

 ナハタがズマと話を擦り合わせている間に落ち着いてきたのか、青痣の少年は鼻を啜りながらも「なぁ、」と震えた声で口を開く。


「ここ来る前、一回家帰ったんだ。怪我のこと母さんに言い付けてやろうと思って…。でも、ステファンに殴られたんだって言ったら、いきなり手ェはたかれて…近寄るなって…」

「……。」

「ステファン…いつも、こんな思いしてたのかっ…?」


 他の子供たちは気まずそうに顔を見合わせた。


「俺っ、呪われたからもう家帰れなぃし…!それに、俺言い過ぎてっ、親友じゃなかったって言われ゛て…!」


 しゃくり上げる声がまた大きくなった。ナハタは首の後ろを掻きながら息を吐く。

 今は時間が惜しいし、報いを受けたと切り捨てることもできるが…誰だって間違えることはあるものだ。それが子供であるなら、なおさら。


「ったく…、ほら。顔上げろよ。」

「ぐすっ、うん…」

「お前さー、本気でステファンに悪いと思ってる?」

「え…」

「謝る気あるかって聞いてんの。」

「ある…!あるよ…!」

「ならよし。反省できんならお前はまだマシな方だ。」


 ナハタは片手で丸を作ると、なんの痕跡もない少年の額で指を弾かせる。


「ッ痛て!」

「のろい俺にうーつった!」


 子供騙しだけど今はこれで充分だろう。それとも、こういうところが詐欺師と呼ばれる所以か。それでもまだ不安な顔をしていたから、ナハタは髪をぐしゃぐしゃにしてやった上で「お前に呪いなんか無いからさっさと家帰っとけ!」と笑い飛ばしてやる。


「それでもなんか言われたら…そうだなー、町長の家にでも居ろよ。」

「でっ、でも…」

「大人しくしてる分には邪険にはされねーだろうからさ。」


 町長は若干気難しい性格だが、町民から慕われてるだけあって根は良い人だ。噂にも踊らされていないから預けても問題ないだろう。


「あと、そこにいるお前らも。」


 加えて、ばつが悪そうにしている他二人に向かってもナハタは指を差した。これはただの指差しじゃなくてピースだからセーフセーフ。


「悪いと思ってんならステファンにちゃんと謝れよー?」


 ステファンが許すかどうかは別だろうに。謝罪なんてただの自己満足だ、というズマの思考に、ナハタは内心苦笑を漏らす。

 その考えも否定はしないが、やるのとやらないのとではその後が段違いだ。


「後のことは俺に任せとけ。」


 さあ、行こーぜ。

 ナハタは軽やかな笑みの裏で覚悟を固めた。





 あー。ざくざく、ぐしゃり。

─────



「なんだここ…」


 生まれてこの方、足を踏み入れたことのなかった工業区画。そこはステファンの知る町の風景とまるで違った。

 砂色の煉瓦に囲まれたその場所は、自分たちがよく知るような外壁を漆喰で塗り固めた白っぽい住宅街とは趣が異なり、朝独特の静けさも相まって、まさに知らない土地に迷い込んでしまったかのよう。

 しかし、駆けるステファンとは別にもう一人小柄な人影があった。その姿は十歳よりはもう何個か上の年頃のように見える。


「ステファン!」


 呼び止める声にステファンが驚いた顔をして振り返る。


「?お前はっ……」

「ステファン、俺もサジーを探すのを手伝いに来たんだ」


 子供は真剣な顔つきで言った。


「ダンケルが嫌なこと言った時、止められなくてごめん。喧嘩したのはもう知ってる。だけど今はこれまでのこと抜きにして、サジーを探すのを優先しよう」

「…、……俺と関わったらお前まで省られるぞ」

「そんなこと関係ないよ」


 眉を下げながら紡がれた「小さい子を助けるのは当たり前だろ」という言葉に、ステファンはまだマシなやつもこの町にいたのかと、少しほっとした顔を浮かべる。

 柔らかい声色と表情に、焦燥と憤怒に駆られていた心が僅かながら落ち着いていく。

 同じ町とはいえ、ここはステファンにとっては土地勘のない場所だ。見慣れない煉瓦造りの外壁はどれも同じように見えてしまい、容易く迷ってしまいそうだった。しかし無闇に一人で動くよりもこうして同行者がいることは心強い。


「ああ……うん。恩に着る、レグ」

「いいんだよ。さぁ、早く行こう」


 レグはステファンを安心させる暖かな笑みで微笑んだ。 





 ぶちっ、ぶち。…ざくり。

─────




 ステファンたちは周囲を見渡しながら足を進める。

 日頃から活気ないというだけでなく、早朝のため職人たちもまだ作業を始めてもいない時間帯。工業区画に彼ら以外の人気はまるでなかった。魔掴みが起きる恐れがあるから、いつものように声を上げてサジーを探すわけにもいかない。


「それにしたってなんか臭いな…」

「粘土の匂いかな」


 ステファンがぼそっと悪態を吐くと、レグが「独特の匂いだよね」と肩を竦める。緊張感のないやつだ。

 けれどステファンも小声で愚痴を続けてしまったため人のことは言えない。


「それに、なんでどこも煉瓦ばっかりなんだ。物陰が多くて探しづらい…」

「嗚呼それはね、煉瓦は耐火性が高いからだよ。万が一火事が起きても煉瓦なら燃え広がりにくいからね」

「よく知ってるな」

「酒場で陶工たちが話してるところを盗み聞きしたんだ」

「お前…」

「やだな。酒は飲んでないんだからこれぐらい見逃してよ。個人的な秘密はそっと胸に秘めてるんだし」


 流石、大人をおちょくることが趣味だと公言するだけのことはある。


「ね、にしても聞いたよ喧嘩した時のこと。ダンケルを殴り飛ばしたんだって?」

「あぁ、そんなこともあったっけな。でも今はどうでもいいだろ」


 むすっとした態度でステファンが口を尖らせると、「今頃ダンケルはあのよそ者に泣きついてるに違いないよ」とくすくす笑うレグ。

 そのままレグは跳ねるような足取りで、煉瓦の塀の内側へと回った。


「おい、勝手に工房に入るのは…」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと覗くだけだよ」


 最初は窘めに入ったステファンだったが、「逆にサジーが入らないと思う?」とまで言われてしまえばレグを咎める気持ちは途端に失せた。好奇心旺盛な弟が入らない姿の方が想像がつかない。

 そっと二人が工房の中を覗き込めば、大小様々な陶磁器がずらりと並んでいる。

 無人だと分かるや否やレグはすたすた奥に進むが、片やステファンの方は足が固まってしまい動けなかった。


「………なんで、これには緑が混じって…?」

「それは素焼きの後に特別な薬を塗って、もう一度焼くとこういう色が出るんだよ。ふふ、ここは本焼きが終わった器を保管しておく場所みたいだ。つまり完成品ってことだね」

「へぇ…。………」

「気に入った?」


 見惚れた。

 一言に緑と言っても、煮詰めたように濃い木賊とくさ色や、初々しい若葉のような淡い薄緑が複雑に混ざり合い層を成す様はどんな宝石よりも美しい。

 陶磁器というのは壊れやすいから丁寧に梱包されており、子供であるステファンが間近で見れる機会は今まで一度もなかった。


「どうやったらこんな波打った色を作れるんだ…?」

「嗚呼、そればっかりは運頼みなんだってさ。焼いた時の温度とか、窯の何処に置いたかとかでいろいろ変わるんだとか。でも綺麗な模様になる以前に、割れちゃうやつの方が多いんだよ」


 もったいない。

 二人の口元が音もなく全く同じ動きをする。


「ここにサジーはいないみたいだよ。さぁ、次を見に行く?」

「…あぁ、行こう」


 その場を後にしても、あの繊細な色彩がステファンの目に焼きついて離れなかった。こんな時でなければ食事も弟も忘れてずっと見ていたかった。





 ぶちり。

─────




「これは石灯籠として使われているんだよ。便利だから陶工たちもお気に入りなんだ。…サジーはいないよ。さぁ、次に行こう」


「あそこにあるのは陶窯だね。パン窯とは全然違う形をしてるから驚いただろう?ここでもサジーは見当たらないね。」


「ね、せっかくだし渾身の力作を見て回ろうよ。ステファンは昔から探検好きだったから勿体ないと思ってたんだ。偶にはこうやって羽目を外すのも悪くはないだろう?」

「それもそうだな」


 ステファンは素直に頷いた。

 確かに近頃は、家の手伝いや弟の子守りでゆっくりする時間がなかったように思う。外に出れば人の目があって気が休まる場所も見つからなかった。


「あれ」


 そうやって話しながら歩いていると、いつの間にか石灯籠のところまで戻ってきていた。工業区画はあまり広くはないからステファンが気付かぬうちに一周していたようだ。

 その石灯籠の前にいた人影は、ステファンに向かって手を振った。


「おー、ステファン。まだ無事だったんだな。良かったよ。」

「おはよう。あんたもサジーを探しに来たのか?」

「そうそう。サジーっていうよりお前ら兄弟を、だけどな。派手に喧嘩もしたって話だったけどその割には随分落ち着いてんだな。」

「喧嘩? …あぁ、そんなこともあったっけ」


 ステファンはけろりとした顔で言った。ダンケルとの喧嘩のことは正直どうでもよくなってすっかり忘れていたのだ。

 ナハタはそんなステファンを不思議そうに見た後に、その隣にいるレグに目を移すと意外なものを見たように眉を上げた。今更気が付いたような反応だった。


「俺はてっきりお前一人でサジーを探してんだと思ってたんだけど、一緒に居んのは友達か?」

「あぁ、俺のマブダチだ」

「へー…。おはよ、名前なんつーの?」

「こんにちは」

「…?」


 レグは挨拶を返しつつもどこか他人行儀な態度をとっている。


「…まあいいや。とりあえずお前らはここを離れような。それとステファン、今んとこサジーの足取りは掴めてんの?」

「いや、全然分からないままだ」

「あー、そうかー…。」

「あはは。そんな顔しなくたって、サジーのことなら心配いらねぇんだ」


 表情を曇らせたナハタを和ませようと、ステファンは朗らかに笑いかける。


「そのうち勝手に帰ってくるだろうし」


 ナハタはその言葉に目を見開き、腰に携えた鉈に手を掛ける。


「ズマ。」

「うわあっ!?」


 呟くような声に彼の相棒は瞬時に応えた。

 ステファンが悲鳴を上げて影沼の中に引き摺り込まれる。

 傍にいた友人の姿が消えたというのに飄々とした笑みを浮かべ続けるその子供。もはや欺く必要がなくなったからだろう。子供の纏う空気が変化したことが決定打となる。


「てめえ…、ステファンをやがったな。」

《ハハッ、気付くのおっそ!》

「うおっ!」


 身構えたナハタを虚仮にするように回転する景色。唐突な浮遊感に本能的に身が竦むが、しかしそれも一瞬のこと。

 視界が切り替わる。

 相手の異界に連れ込まれたようだ。一面が異様に白い。


「ッ、ってぇ……!」


 咄嗟に受け身をとって床に叩きつけられることは免れたナハタだが、顔を顰めながら急いで身を起こす。少し衝撃を逃し損ねた。普段なら着地を補う影沼が機能していない。

 立て続けに相棒の呻きが脳内に響くものだから、ナハタは動揺を取り繕うことができなかった。


「ズマ!」

《今代の〈怪書の手〉は随分と間抜けだな。それとも腰抜け? なんにせよ、質が落ちたことには違いない!》


 重く低く、巨大な翼が風を斬る音がする。

 高らかな嘲笑とともにそれはズマの喉を鷲掴みにしながら、空いた片手で頬杖をついていた。


《俺の片翼を捥いだやつはお前より遥かに腕が立ったぞ。》


 藍色の翼を持つ人外は足を組みながら玉座に腰掛けている。


《頭が高いやつはすべからく嫌いだ。さっさと平伏せ。腑抜けになるのは御免なんだろう?》


 ズマが麻袋のように投げ捨てられる。

 玉座以外何もない空間でナハタは冷や汗を垂らしながら顔を向けた。足元に転がる相棒は影沼から無理矢理引き摺り出された時に何かされたらしく、身動きがとれそうにない。

 これでは喉元に刃物を突きつけられているのとそう変わりなかった。


「…お前さー、いつから聞いてたわけ。」

《いつも何も。最初からさ。》


 ナハタの問いに、そんなことも分からないのかと蔑んだ態度で足を組み替える妖魔。

 これだから年月を経て知識も力も蓄えた妖魔というのは厄介なのだ。先程展開された影沼は解除されたはず。どうにかステファンは巻き込まずに済んだだろうか。


 白石の玉座に鎮座するその妖魔は、体躯に見合わない背中の一翼以外はステファンと居た時と同様の姿を成していた。


《俺の擬態も捨てたもんじゃないだろう? にしても…、》


 本性を現すように、黒一色に染まる瞳。獣の如く白目が一切見えなくなった眼差しがナハタを捉える。


《俺の前で子供に手を出すとはいい度胸だ。》


 



 じゃきり。



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