第四章.春眠、暁を覚えず

「……これが鳥取県は千上山せんじょうさんの鱒返しの滝壺から拾ったイチョウっと。あのとき、上から飛び込まなくて正解でした。でこっちは、山口県の西光寺さいこうじの瓦に貼りついていたカエデ。中国地方はコンプリートして次が九州ですね」

 出発したときから気持ち、厚くなったアルバムをめくりながら、ワタシの独り言がに吸い込まれていく。

 拳大の吸音クサビが四方に隙間なく敷き詰められ、ちょうど畳一枚分の床、つまり特殊コンテナの底にワタシは正座している。かのご婦人に託された写真アルバムを膝前に広げ、旅の復習をしているところだ。背負ったままのバックパックに衣装とウィッグを詰め込んだワタシは、デフォルトの肌色ポルセレンホワイトに戻っている。

 密閉されたこのコンテナの中は真っ暗で肌の色などみえないし、たとえ、ワタシが爆発したところで音はおろか、破片すら外には飛び散らないだろう。

「現在地は……北緯38度、東経138度、高度48,000フィート、真対気速度TASマッハ1.3で航行中ですか。じき、札幌ですね」

 体内計器インナーセンサーの数値を確かめてワタシは座りを直した。長時間の正座は腹の子によくないと聞く。那覇をテイクオフしてからまだ一時間と少ししか経っていないものの、つい、体が動いた。

 いわゆる無響室のようなコンテナ内だが、"針のむしろ"の座り心地は悪くない。

 古代の器具アイアンメイデンに似た無数のトゲは、綿ハイパーグラスウール可変電磁層ヴェールのコーティングがされているので、座った感触はガラスに近い。エネルギーシールドのヴェールが絶えず肌をチクチクさせる。

「ネーミングセンスはともかく、隠密移動にはうってつけの代物でしたねマイサン」

 ワタシの入ったコンテナを外側からみれば、LFI社のロゴが流星のごとく、コンテナの外側を走っているはずだ。アルファベットは途中で消え、代わりに日本語の社名『未月創みつきそう』が達筆に描かれている。LFIルナ・フューチャー・インダストリーの正規貨物にのみ施される塗装IDだ。

 そして、未月創みつきそう貨物コンテナカーゴベイ一杯に積んだ、これも動きの激しい筆記体ロゴが外壁を走る機体はいま、オートパイロットで北海道支所へ飛んでいる最中である。

「灯台下暗し、とはまさしく。前から整備場ピットにはありましたが、実際に使うことになるとは。最初からこうしていれば……いや、それなら寂しい旅になっていたでしょう。あの行者たちどのにもきっと、出会っていなかったでしょうし」

 言ってワタシはをバックパックへ突っ込む。なにごともなかったように、ワタシの両腕は揃っている。

「行者どののおっしゃっていたことをずっと考えていたのですがねマイサン。……ワタシには合わないようです。あそこから都市部に関係なく、常に隠密でモミジを集めてきましたが、味気ない旅でした。いい光景もたくさんありましたが、ほとんど観光スケッチできませんでしたし」

 貨物機マッハカーゴの貨物室の貨物箱の中、ワタシはアルバムのページをめくり続ける。

 暗室でもワタシには旅の軌跡がはっきりみえた。高高度のかろうじて氷点下にならない箱の中でも、巻末が近付くにつれ簡素になっていくアルバムに、後悔が胸を焼いた。

 大みそかに出発する北海道行き直行貨物便にため二枚しか採取できなかった、那覇の赤いリュウキュウハゼをバッグから取り出し、アルバム最後のページへ貼りつけていく。

「来年の秋、リベンジしましょうマイサン。整備場ピットで新しい変装クローキング対影用ソーラー装備を組み立てていますし、今度はあっさりやられませんよ! 秋祭りにもいきましょう」

 アルバムを閉じるとコンテナがわずかに揺れた。着陸態勢に入ったのだろう。依頼品アルバムを戻し、バックパックを背負い直して片膝を立てる。オーガスキンの視覚迷彩値を最大にセット。

 コンテナが下ろされたら、空港の外まで全力疾走だ。

「もうすぐお目にかかれます……御方マム


「……お亡くなりって……いつ……?」

「はい。マスターは二年前から体調が優れませんでしたが、一カ月前に老衰で逝去。御年89、大往生でいらっしゃいました」

 一年前と変わらない、割烹着姿が事務連絡のような声で淡々と答えた。

「二年前ということは昨年すでに?」

 はい、とケアノイドが

マスターの指示アドミンオーダーにより、トレバー様にはお伝えしないようにしていたのです」

「貴方はそれをワタシに伝えるためにここでずっと?」

 大みそかに札幌へ着いたワタシが五月、上ノ國町の神社へ帰ってきたとき、まだ蕾しかないサクラの下にご婦人のケアノイドは立っていた。竹笠を被った人型がケアノイドだとわかったのは、割烹着のおかげだ。そのシミひとつなかった割烹着も風雨にさらされ、黒ずんでいる。

「はい。トレバー様がいつお越しになられるか、予測の振れ幅が大きかったものですから、ご住職様にお断りしてこちらで待たせていただきました」

 見回してご住職の姿を探すも、きょうは不在らしい。ひと月も待って服の汚れ程度で済んだのは、ご住職の気遣いタケガサだろう。

「そう、ですか……マム……ワタシは間に合わなかった……」

 玉砂利の地面にへなへなと座りこんだ。

 こういうとき、ヒューマノイドは人間でいうところの"頭が真っ白"になれない。ご婦人に関連付けられた想い出メモリーが思考を満たし、ただただ、もうその想い出が増えることはないと、無機質な計算結果だけを弾き出す。

 へたり込んだワタシに無感情な声が降る。

「トレバー様。もう一つ、マスターより言付けをお預かりしています」

「……伝言ですか?」

 ここでご婦人の録音でも流れてきたらワタシは"怒った"かもしれない。

 しかし、ケアノイドは首を横にふると、

「否。拙機についてきていただけますか?」

 と、ワタシに訪ねたのだった。


 ケアロボットの後をついていくと、そこは、こじんまりした墓地だった。

『霊園』、と蔦に埋もれた看板が主張しているものの、墓石が数基、建つだけの古風な公園にもみえる。管理は行き届いているようで、「こちらです」とケアロボットが指す墓標も真新しかった。

「マスターは生者用仮想人格ヴァーチャルコンシアスを希望されませんでした。遺品もすべて処分しています。以前、『死んだあともに化けて出たくはないよ』とおっしゃっていました」

「……実にマムらしい」

 仮にワタシが墓参りして、墓石の前にご婦人ホログラフィが現れても気まずい空気が流れるだけだろう。

「おや、お隣は……」

 ご婦人の墓石の横、並ぶように建ったいくらか黒ずんでいる御影石にワタシは目を留めた。戒名ではなく、姓名が刻まれているのはご婦人と同じで、同じ姓の下にはあった。

紅葉もみじさん、でしたか。なるほど、それでワタシにモミジ集めを。面影はあったのでしょうか……いや、よしておきましょう」

 ワタシのつぶやきは彼女ケアノイドにも聞こえていただろうが、執事のような立ち姿は微動だにしない。

 昨年より、まばたきするようになった付き添い人ケアノイドへワタシが向き直る。

「貴方は、これからどうされるのですか」

「マスターの希望オーダーはこちらへトレバー様をご案内した時点で、すべて達成コンプリートされました。ご住職様に笠を返却したのちは、ルナ・フューチャー・インダストリーLFI社ケアヒューマノイド使用規約四条に基づき、拙機はリサイクルへ向かいます」

 一切の躊躇なく、ご婦人と月日を共にした相方はそう言い切った。

「そうですか。ではお別れ、ですね」

 ヒューマノイドの素材は大部分が資源回収リサイクルできるようになっている。役割を終えた製品ヒューマノイドは、自ら創造者メーカーの設置した〈ゆりかごリサイクルセンター〉へ出向き、完全機能停止されたうえで記憶の抹消オーバライトをされる。

「はい……トレバー様?」

 お辞儀したケアノイドは顔を上げると、珍しく躊躇うようにワタシの名前を呼んだ。機械的だと切り捨てるには抑揚がある声だった。

 応えて先をうながすと、ケアノイドはしばし制止してから笠を取った。

「その髪留め……」

「はい。最初にマスターからいただいた指示オーダーです。『お手伝いさんにあげるけど、嫌になったら外しとくれ』と言われていましたが……」

 笠の下の髪は少し解けていたものの、一年前にみたとき同様、赤いのカエデのバレッタが頭頂部のやや横を留めていた。ケアノイドの手がすっと伸び、留め具を外す。ロングヘアウィッグがそぞろ寒い風に広がっていく。

「拙機は"嫌"という感情を持ち合わせていませんので、ずっと身につけていましたが、リサイクルの際には破棄されてしまいます」

 トレバー様、とケアノイドはもう一度名前を呼び、手を差し出した。

「身勝手なお願いだと承知していますが……こちらを預かっていただけませんでしょうか?」

 譲渡ではなくあくまで貸与。ワタシの目をみつめてくる人工水晶体の言葉は至って、真面目だった。

「わかりました。たしかにこのトレバーが、お預かりしました」

 髪留めを受け取ってワタシがうなずくと、彼女ケアノイドは深々と頭を下げた。刹那、その変わらないはずの表情がふっと、やわらいだようにみえたのは錯覚かもしれない。

「トレバー様の旅がよきものとなりますよう、お祈り申し上げます」

「感謝します。……貴方の旅立ちを、ワタシは記憶装置メモリーが破損するまで、忘れない」

 去っていく割烹着の背中を見送り、ワタシはご婦人の墓に向き直った。

「さてと、マム。礼儀では正座ですが、知っての通りワタシはですので、無礼講とさせていただきますね……おっと、そうだ」

 あぐらをかいて座ろうとし、もうひとりのことをおもい出す。

 ご婦人と、紅葉さん、二つの御影石のちょうど中間辺りに腰を下ろした。

「はじめまして、ワタシはトレバーと言います。マムとはかれこれ、十二年近いおつき合いでして……」

 自己紹介をしつつ、バックパックを脇に立てかける。土産話は長い。途中でだれか来た場合に備え、マジッククロスの衣装を取りだし、ポンチョに設定、肩から被った。北国の春の夕暮れはまだ冷える。

 最後に、バックパックからウィッグとアルバムを引っ張り出す。

「……そういうわけでワタシは、津々浦々、モミジを……失礼、色づいた葉っぱを集めてきました」

 ウィッグを装着すると準備が整った。地面を軽く払い、アルバムを上下逆さに置いた。

 航空機カーゴの中で考えてシミュレートきた話す順番を簡単に復習さらい、まぶたを閉じる。どこかで、蕾の開く音がした気がした。

「出発は昨秋、ひと夏かけて旅の支度をしたあとです。オータムファッションの予想に手間取って発つのが遅くなりましたが、最初に向かったのは……」

 アルバムの表紙をめくる。閉じた目にみえなくても、すべて頭に入っている。

「ここ、上ノ国護国神社です。この葉は境内を三時間、はいずり回ってみつけた自信の一枚ですよ。それからワタシは……」

 ワタシの鼻は利かないし、耳だって遠い。

 しかしそれは、人間でいうところのことである。

 ひと秋の旅路を二人へ語るワタシは、腹の鼓動も、アルバムの質感も、春風の味も、ホオジロの鳴き声も、石と土の匂いも感じる。

 車椅子に寄り添い、静かに耳をかたむける姿が、ワタシにはみえた気がした。



(完)

 ☆ゲンロンSF創作講座 発表作品

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さくら咲くまで ウツユリン @lin_utsuyu1992

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