第三章.オクトーバーフェスト

 青森は弘前の紅葉モミジをアルバムに挟んだワタシは、奥羽山脈を反復横跳びするように東北地方の"秋"を収集しながら南下した。

 太平洋側では、かつての大地震と原子力発電所の事故で長らく人が住めなかった地域が、国連海洋浮遊学術灯街計画UNFLOATPの実証実験地として、〈極東の先端工業地帯シリコンヴァレー〉とよばれる新たな街に変わりつつある実感を強め、ハイブリッドプラントなる研究開発中のカエデの葉を手に入れた。"色づきを変えられる植物"ということで、これも紅葉モミジコレクションに加えた。

 当然、「全都府県の紅葉モミジを集める」というからには、都市部にも赴かなければならない。たとえ、ワタシたちを血眼で探す者たちルナブルッドの本拠地があるとしても、だ。

 西へしたこの国の旧都圏は、相変わらず人口過剰のまま、さまざまなモノとヒトとカネが渦巻く超都市メガロポリスであり続けている。ルナ・フューチャー・インダストリーLFIと名を変えたあとも、世界有数の複合企業が根城を移すことはないように。

 しかし、アウェーの地で襲われることはなかった。

 ワタシがニンジャさながら摩天楼のあいだを飛び回っていれば目に付いただろうが、それほど向こう見ずではない。人混みに紛れ、監視の目カウントレスセンサーをかいくぐりつつ、わずかに残る公園や庭園の紅葉モミジを失敬し、早々にワタシたちは旧都圏を脱出した。

 依頼主のご婦人に渡されたアルバムは、その時点で半分も埋まっていなかった。各都道府県で一枚、紅葉モミジを挟んでいるうち、それではあまりに簡素すぎると気がついたのである。通りすぎた場所は復路で補うことにし、以降、ワタシの独断と偏見でご婦人によろこんでもらえそうな風景など、アルバムの台紙にようにした。点字ならぬ、点だ。押し葉同様、これなら目に頼らなくともいい。

 紅葉モミジを押し葉にし、選んだ景色をアルバムへ刻み込んでいく工程にも慣れ、アルバムの残りが薄くなってきた師走間近の日、慎重を期し新西都から距離を置くべく、ワタシは兵庫のとある集落を訪れていた。

「稲刈りのシーズンでしたか。そういえばまだ稲刈りしたこと、ありませんでしたねマイサン」

 色づいた斜面に沿って段々にたゆたう水田。着いた時間帯は夕刻で、橙色が黄金色の穂を染め上げていた。風にゆれるゴールドのカーペットは壮大でありながらミニマルに美しい。温暖化は稲刈りの季節シーズンをずらしたが、おかげで紅葉と稲穂のコラボレーションをみることができる。

 田のいくつかは刈り取られたあとで、輝きを失った稲の束が天地逆さに干されている。それが無残だとワタシはおもわない。これが人の営みだ。

 プップー、とクラクションが背後で鳴ったのはそのときだ。振り返ると、白い軽トラックの窓から女性が頭を突き出して必死になにか叫んでいる。

「どいてぇーっ! 止まらないのー!」

 車体の速度から重力加速度を割り出し、衝撃の度合いを概算。

「片手でじゅうぶん、ですね」

 運転手の女性が顔を手で覆った瞬間、ワタシが横へ一歩、ズレる。ダッフルコートの腰をかすめる軽トラックに合わせターンしながら荷台の、をつかんだ。

 摩擦で溶けるオーガスキンを感じつつ、万力よろしく五指を固定ホールド炭素繊維カーボンファイバー入りの人工筋肉と磁力鋼マグナスティール支持骨格ボディは、貨物車オートラック程度でも力負けることは、まずない。

 刹那、ワタシの右手をなにかが

「おやっ?!」

 軽トラックの荷台にしていた黒塗りブラックメタルのヒューマノイドはまるで、愛しい者へふれるかのようにワタシの手を離さない。だがその実、手先の神経網から猛烈な侵入クラックがボディを蝕んでいた。退いていく夕焼けと相反するように、クラックされた腕が黒ずんでいく。

LFIの次代機、ですかっ!」

 ワタシの目に引っかからない気配の消し方といい、圧倒的な演算能力といい、間違いなく現行のどのモデルでもない。侵入が真っ先に深眠ディープスリープ機能の有無を探ろうとしているあたり、〈これ〉はワタシが居る前提で探している。

 効率的ではないだろうに、あえて人型ヒューマノイドをしているのは、趣味が悪いとしか言いようがなかった。

「えっ?! なになに!? どういうこと?」

 運転手の女性が動かない車を不思議がってオロオロしている。確証はないが、きっとこのご夫人は無関係の一般市民だ。ワタシの行く先を推測した次代機がブレーキに仕掛けでも施したのだろう。

「人質ってわけですかっ……古典的なっ!」

 黒塗りは一言も発さないまま、荷台を棺にでもしたかのように微動だにしない。物理的フィジカルではなく電子的メンタルに勝負をつけるつもりらしい。青く光る目がまばたきもしないで見つめてくる。正直、気分の良いものではない。「ヒューマノイドは薄気味悪い」という言い分もわかる気がする。

 そのくせ、握った手からは容赦なくクラッキングが続く。ワタシの肘あたりまでが黒ずんでいるが、押し返すのは一苦労だ。それに腕を切り離せば、軽トラックは文字通り、モンスタートラックとなって田へ突っ込むだろう。

「なにか言ったらどう、ですかっ?……悪役なら高笑いのひとつくらい……」

 ブラックメタルヒューマノイドが動かないのは、。人間でいうところの職務質問に近いが、こちらの場合はほとんど強制だ。ワタシのシステムを精査ハッキングし、とわかれば即座に行動レポートするつもりだろう。

「しつこいと、嫌われます、よ……」

 さらなる侵入を防ぐため、本気で腕の切断を考慮しだしたとき、集落へつながる市道の茂みがガサッとゆれた。同時に、軽トラックの来た道をとてつもない速さで近づいてくるをワタシのセンサーが捉える。

「隙ありッ!!」

 茂みから飛び出した坊主頭は、ワタシではなく、軽トラックの運転席にまっすぐ駆け、ドアを勢いよくと中の女性へ「さあ、こちらへ」と腕を伸ばした。

「キャーッ!!」

 あいにく、運転手の女性は坊主頭を人攫いだとおもったのか、あらん限りに手足をバタつかせて抵抗。若さの残る坊主頭は顔を引き攣らせながらも、「ち、ちがうっ! おれたちは助けに」と説得を試みている。

「……未熟にも程があるぞ、タキ」

「っ?!」

 機械ヒューマノイドに許される最速の条件反射で振った左腕はいっさい、加減なしの一撃。

 当たれば鉄だろうとカーボンだろうと裁ち切る威力。

 全く気配を立てず、ワタシの真横に立った袈裟姿の大男は、その一撃を片手で

「いい判断だ。拙僧はゲンクウと申す。訳あって逍遥の身だ」

 あれは弟子のタキムネ、と運転手の女性の説得に手こずっている若坊主を視線で示す僧。

 だが、ワタシは彼から目が離せなかった。至極穏やかな物腰だが、彼がその気になればワタシは。木の葉が散るより早く、あっさりとワタシは消える。

 この巨僧からはそんな気配がにじみ出ていた。

「あの女性の荷台にが滑りこむのを見てな。いやな予感がして追ってきたのだが……」

 巨僧の言うの頭がギギィ、と不気味なほど滑らかに岩のようなスキンヘッドを向く。

 刹那、が脚を振り上げた。

「ブゥーンッ!!」

 予備動作なしの初動からの全速フルパワーに風の音が遅れて続く。

 それはまるで、棺の主ドラキュラが安眠を邪魔した者への懲罰のごとし怒濤だった。ワタシのセンサーでも、残像しか捉えられないほどの超高速だ。警告もない一撃必殺マストキルの先制攻撃が巨僧を木っ端微塵にするだろう。

 しかも最悪なことにワタシの両手はふさがっている。ならば、使

「ふんッ!」

 ワタシが自分の頭部を射出したときには、巨僧がもう一方の腕での蹴りを受け止めたところだった。スローモーションみたく飛んでいく頭部の目に、巨僧がの脚をつかみ、高々と放り上げる姿が映る。

 直前、巨僧の目がワタシに問うた気がした。、と。

 直後、右腕の感覚が消え失せた。

「ほぉおおおおおおおおッ!!」

 千切れたワタシの右腕握ったまま宙を舞う。その目が赤く光り、エネルギーの収縮を検知する。

 しかし、エネルギーが発射されることはなかった。

「ドゴォオオオオンッ!!!」

 原理はさっぱりわからないものの、巨僧がより高くと、真上から足蹴りした。隕石のごとく黒い影は道路へ突き刺さり、砕けたアスファルトの欠片が四方へ散る。

「タキッ!!」

 大きめの破片をいくつか素手で粉砕しながら、巨僧が咆哮。

 仕方なく失神させた運転手の女性を抱え巨僧の弟子が、いまだワタシのが引き止めている軽トラックから距離を取る。

 放物線を描くワタシの頭部から体へ指示を出し、ワタシの体が飛び退る。

機功拳ソナス・マキナ……エアス、圧砕ッ!」

 架空コミックのようなセリフを般若のような顔で叫んだ巨僧が落下。真下には、"暴走軽トラック"を押しとどめている。あちこちのパーツがスパークしているが、まだ立ち上がれるらしい。

 ぎこちなく上を見あげたの額を、巨僧の掌底が押しつぶした。

「あれは人間離れしすぎですっ! いくら、この世には説明がつかない現象があるからといって……おっと」

「キャッチっと。久しぶりだなこりゃ。ネジの飛んだヒューマノイドってのは、そういうタチなのか」

 土煙が舞うなか、ワタシの頭部を落下寸前に拾ってくれたのは、若いほうの僧だった。運転手の女性を肩に抱え、見下ろしてくる目が懐かしむように笑う。

「ありがとうございます行者ぎょうじゃどの。失礼ですが……以前どこかで?」

 ボディを呼び寄せながら尋ねるワタシに、若僧は「いやこっちの話だ」と首を振る。

 興味をそそられる反応だったものの、ワタシが口を開く前に低い声が土煙を貫いた。

「貴機ははやく立ち去るがよい。|あれが増援をよんだ」

 カタカタと歩いてきたを気味悪がる素振りもなく、若僧がワタシの頭部を載せてくれた。再接続の手伝いも申し出てくれたが、機密のこともあるので断った。「そうか」とだけ言うと、若いほうの僧は女性を抱え直し、ひしゃげた黒い残骸を手に持った巨僧の元に向かった。

「ご忠告に感謝します。ですが、ひとつお尋ねしたい」

 片腕で頭部の微調整を済ませ、全身にセルフチェックを施す。幸い、深眠ディープスリープに問題はなかった。右腕は肩からきれいに取れている。切断面まで巨僧が考慮したとは考えられないものの、ともかく整備場ピットへ行く分には支障ない。

 しかし立ち去る前に、突然現れ、諜報用機オートマタ・インテリジェントを圧倒した自称・僧侶の二人組に尋ねておかなければならなかった。

「……

 ワタシの問いが命の恩人に対して、無礼の極みであることは重々承知している。それでもワタシには二つの使命が残っていた。

 使命を果たすには、力尽くでも二人組の意図を聞き出さなければならない。たとえ、幾千億の計算結果シミュレーションが、勝率はだと告げても。

「拙僧らは己の極致を見極めんとする者。人助けもまた、修行」

 怒る風もなく淡々と瞑目する巨僧。隣で若僧がニヤニヤしているのが大変、気になるが、ワタシは師匠とおぼしきほうへたたみかけた。

「ワタシがと最初から気づいていたはずですが? それとも、貴方がたは目的があってワタシに手を貸したのですか」

「いかにも、貴機は人ではない。だがそれは、。拙僧らにとって、森羅万象こそ至高なる経書。そこに善と悪の入る余地などなく、われらはただ常に正しき道を往く」

「正しき、道……?」

「くくっ。カッコつけちゃってクウボウ……つまりよぉ、ロイドのねぇちゃん。おれたちは正しいとおもってることをやってるだけ、ってわけ」

「タキッ! 口が悪いと、なんど言えばわかるッ!!」

 巨僧の手刀が若い僧の坊主頭を打った。ワタシのセンサーにはコンクリートすら砕く威力にみえたが、弟子は「痛てっ!」と叫んだだけだ。

「……貴方がたは、ワタシを信じる、と?」

「貴機は腕を犠牲にすることをいとわなかったろう。換えの利く量産型でもそう易々と、ボディの破損は受け容れまい。貴機には、己を賭しても往かねばならぬ道があると見受ける……貴機の言葉を借りるなら、信じるに充分な理由と拙僧はおもうが」

 耳打ちし、巨僧が弟子へ煤けたショルダーバッグを手渡す。運転手の女性の物だろう。若い僧は片合掌すると、手を入れて財布を取り出した。

「貴方がたはまさか追い剥ぎを……?!」

「んなわけあるかっ銀ピカ! 住所を探してんだよ。送り届けて事情を適当にごまかさねぇと」

「ワタシはシルバーではないのですが……そこまでしていただけるのですか?」

「信頼とは双方向だろう」

 いましがた自分が穿ったクレーターへ、ゆったりと近づいていく巨僧。オートマタ・インテリジェントの気配をスキャンするが、微弱な電磁波がクレーターの底から出ているだけだった。

「じゃあな。気ぃつけていけよロイド」と親指を立てた弟子が集落へ駆けていく。あっという間に小さくなっていく背中を見送り、ワタシは巨僧に向き直った。

「おっしゃる通りです。信頼には信頼で応えなければならない。行者どの、彼らの部隊は手ごわい。軍用人機アーミーヒューマノイドを送りこんでくる彼らはルナブルッドという……」

 結構、と熊のような手のひらが遮る。周囲を見回し、巨僧がクレーターの縁に足を掛けた。裸足にみえた焦げ茶色の足はすり切れた草履がつつんでいる。

「勘違いなさらぬよう。拙僧らと貴機は。そちらの事情に拙僧は立ち入らぬし、拙僧らに情報をくれてやる必要もまた否」

 墨色の袈裟を筋肉でふくらませる僧侶は、暗にこう言いたいのだろう。知らなければ答えることもできない、と。

「……感謝します行者どの。御縁はきっと」

「用心されよ、

 頭を下げたワタシへ、かつて聞いた言葉が続く。

 それは巨僧とは似ても似つかない、痩身のメガネ白衣姿の言葉で、状況もいまとはかなり異なっていた。

「他者を信ずるという貴機の信念は崇高だ。だが拙僧らニンゲンはまだ、貴機らマシンを理解するに至っておらぬ。人同士さえ、流れる血を止められぬさがだ」

 メガネ白衣ワタシのクリエイターも言っていた。

 ヒトは互いに争う手を決して、下ろす種ではない。使えるものツールすべてを矛にし、相対する者を滅せんとする。

「……貴機のその信念、いつか己に仇なすだろう」と言い切った山のような僧の言葉は揺るがない。巨僧の言うとおりなのかもしれなかった。

 ワタシはここに来るまで、変装はしても相手を欺くことはしなかった。人目を避けはしても、

 もし、自ら進んで話しかけるようなことをしなければ、追跡者に見つかることもなかったかもしれない。二人組がいなければワタシたちは確実に捕らえられていた。

「ゆえに僭越ながら忠告いたす……安易に相手ニンゲンを信ずることなきよう」

 合掌し、巨僧はそのままクレーターへ飛び込んでいった。直後、鈍い打撃音とともに微弱な電磁波も沈黙した。なおも叩きつぶすような音は続き、その度、わずかに残っていたワタシの腕の反応ビーコンが途切れ途切れになっていく。

 数分としないうちにビーコンは完全に途絶えたロスト

「……人を信じるな、ですか。それはまたずいぶんと殺生な」

 すっかり陽の暮れた山間に、風のそよぐ音が渡っていく。ぽつぽつと点く集落の灯りは、あたかも四半世紀前から時が過ぎていない。

 動くヘッドライトに合わせ、話し声が聞こえてくる。

「お言葉に甘えるとしましょうマイサン」

 暗闇に溶けこんだクレーターへ一礼し、バックパックを揺する。必要なものは揃っている。

 道路脇の斜面をワタシはランダムな歩幅で駆け上った。はるか向こうまで続く杉林の上には欠けた月が覗いている。

 失われた暦ルナカレンダーでしか数えられなくなった仲冬ちゅうとうの月に、この先、なるべくだれとも出会わないことを願いながら。

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