第二章. 旅は心、世は情け

 季節は春。ホオジロがさえずり、冬を乗り越えたキツネやウサギが顔を覗かす。

 北海道の南西部、松前半島に位置する上ノ國じょうのこくの春は、道内で早いほうとはいえ、もはや桜前線CBFのゴールに近い。

 ワタシの春旅は、この前線フロントに便乗したものだ。南から各地の桜を愛でていき、途中、景勝地をなるべく北海道を目指す。

 旅に決まった道順はない。むしろ、できる限りを選ぶのが原則だ。

 島国日本なれども、国土は38万平方キロメートル弱あり、山岳や森林地も多い。人口密度の低い地域は驚くほどある。ワタシたちの痕跡を残さないのも大事だが、未踏の土地を渡り歩くのもなかなかに楽しい。

 上ノ國の桜を詣でたあとは気まぐれだ。数週間、町内の人目につかない茂みや空き家で過ごすこともあれば、道内を逍遥することもある。

 知床のほうにはワタシがまだ手をつけていない、整備場ピットもある。世界的大企業〈ルナ・メディック〉の"継承準備部"こと純血主義派ルナブルッドといえど、国立公園においそれとは捜索部隊を送りこめない。幸い、北上する前に日本海沿岸の整備場ピットであらかたの整備メンテナンスを済ませていたワタシは、しばらく、ご婦人に依頼された"紅葉狩り"に専念できる。狩られる側が狩る側へ、というのは正しくないが、新しい試みはワタシの好物だ。

 ここより北にも花見の名所は数あるものの、いわゆる『北海道』という括りでみた場合、沖縄から始まったチェリーブロッサムフロントCBFは、すでにフィニッシュを迎えている。

「……ならば逆もあり、ですね」

 と、桜色のラインを記憶の日本地図に重ね合わせていたときに、ワタシは閃いたのだった。

 この国にはもう一つ、仮想インビジブルのラインが季節に沿って動く。ここ北海道から始まり、沖縄をゴールとする前線フロント

 その名を〈真正面なる秋の葉の戦線Fall Foliage Front〉、俗に言うところの紅葉モミジ前線だ。

「ふむ。では……〈秋の収穫祭《オクトーバーフェスト》〉といきますか」

 こうして、秋を追いかけるワタシの旅が始まった。


「『お客様へご案内いたします。ただ今、当北海道リニアは青函第二トンネルに入りました。2037年に開通した第二トンネルは当初、第一トンネルの代用として構想されましたが、リニア新幹線開業の前倒しに伴い、現在のようなリニア専用となり……』」

 客室の天井からアナウンスが降ってくる。かつての新幹線なら、ゴォーと振動音でかき消される控えめな案内も、わずかな駆動音しかしないリニアモーターの特性と相性の良い個室コンパートメントでははっきり聞こえた。

 二人掛けの形状可変座席アクティブシーティングで"窓側"に陣取り、ワタシは"外"に目を向ける。

「……ママ、あのロボットさん、なぁにをみてるの?」

 ふいに、廊下からしたあどけない声にワタシはをして動かない。そもそも、走行中は閉めておくようドアの内側にホログラフィで注意書きがある個室の扉を、襲撃者と、こういう無邪気なリアクションがみたいがために全開にしているワタシが、非常識なのだ。

「ソフッ、あんまりジロジロ見ちゃダメよ……!」

 と、今度は廊下でワタシを指さしている子の母親の声だ。いかにも怪しいという目をしながら、子の手を引っ張っていこうとしている。

「どうしてママ? なんでコート着てるのロボットさん」

 しかし子は退かない。幼子キッズお得意の質問攻めで、なおも食い下がる。何気にワタシの衣装ファッションに気がつくあたり、彼は立派な紳士ジェントルマンとなるに違いない。

「(むかし、マイサンも好奇心旺盛でしたね)」

 3歳ほどだろうか、男の子の空色のシャツで白いカモメが羽ばたいている。むちっとした指がまっすぐ、ワタシを指していた。

 もちろんワタシのにはみえない。各種センサでだけだ。

「ロボットさん白いねー」

 小さな紳士の探究心は実に素晴らしい。四人用のコンパートメントでひとり、頬を手で支えの窓を細めた目でみるヒューマノイドに臆することのない度胸は、まさに純真無垢だ。「……エクセレント」とおもわずワタシがつぶやくほど。

 ちなみに、いまのワタシは化粧をしていない。腹のふくらみを隠すため、胸囲から腕、脚まで人工筋肉インナーマッスルを膨張させ体型を工作している。オーガスキンは、エネルギー消費の少ない白磁ポルセレンホワイト

 ウィッグはご婦人から預かったアルバムといっしょに、足元のバックパックへ入れてある。これが唯一ワタシの荷物で、全財産といってもいい。改札口で露骨に不審がられたものの、ワタシはベテランのトラベラーだ。予備のバッテリーとして押し通すのは造作もない。

 つまり、いまのワタシは限りなく肥満体の、トレンチコートを着た真っ白なヒューマノイドだ。

「こらっ、ソフ。肌の色のことをいうのは失礼でしょ」

 小さな紳士が母親のお叱りを受けた。国際化の進んだこんにち、その指摘は大切だが、あいにくワタシは

 一向に反応がないワタシに小さな紳士も母親も、怪訝な雰囲気をただよわせてきた。ワタシとて、いつまでも聞こえないフリをするのは本望ではない。

 しかし残念なことに、ヒューマノイドが人間へ話しかけるに躊躇うは実在する。

「おそとはなんにもみえないよ?」

「トンネルのなかよソフ。ここは海のなかなの」

「あー、お外にマグロが見えるなーです」

 人間でいうところの"ギョッと"するとは、いまの親子の反応かもしれない。突然のワタシの発言に、母親がさっと子を背中に隠した。

「ええっと……サバもいるよーです。ここは青函トンネルだから、ロボットの目には海がみえるんです……みえるんだよー」

 つい、敬語になる自分の癖を言い直す。子はキョトンとしているようだが、幼子キッズ共通の友、"お魚"の話題に少し興味をそそられているらしい。

「……ソフ、いきましょ」

 子の手を強く引く母親の反応はけっして大げさではない。故障した機械ヒューマノイドが奇声を上げて人に怪我をさせる事例が頻発していたからだ。10月も後半を迎えた今年だけで、同様の事故は二桁に達している。

 マスコミがセンセーショナルに煽ったおかげで、ヒューマノイド不信が広がっているのは道中でも幾度となく実感した。

 責任者ユーザーのいないヒューマノイドへの物販拒否、入店の拒否、さらに職務質問まで警備パトロイドにされる始末だ。機械が機械に「ここでなにしている」と尋ねていったい、なんの気休めになるというのだろう。

 今年だけではない。"クリエノイド"各社が汎用人型機械ヒューマノイドの発売を開始した6年前から、ヒューマノイドに対する不信は続いている。創造主クリエイターの真似事をする者たちもどき

 ヒューマノイド市場の大手はそんな批判を込め、創造主擬きクリエノイドとよばれるようになった。

「ほんとう……?」

 小さな紳士は、母親の背を飛びだし、コンパートメントのほうへ体を傾け、ほとんど個室内まで入ってきていた。まだ母親は実力行使に出ないが、いつでも子を連れもどせるように子の腕を引いている。

 疑うことを知らない二つの小さな黒曜石がワタシに真相を尋ねている。を無視するには充分だ。

「ええ。もちろんです」

 ゆっくりと小さき紳士を向き、ウインクをひとつしてみせる。

 それでワタシの虹彩ビジュアルインターフェイス碧色エメラルド黒色ダークのオッドアイになったと、小さな紳士は気づかない。それから他の乗客なら景色や映画を映す壁面ディスプレイに、のオーガスキンの手のひらをそっとつけた。

 敵性無き軽干渉ホワイトフラッグジョーク開始グリーティング

「わぁーっ! ママ!」

 母親の手を振りほどいたカモメシャツが、コンパートメントの中に駆け寄った。入れ替わるようにワタシはディスプレイとナノケーブルでバックパックを持ちあげ、廊下へ滑りでる。

 口をあんぐりさせ、母親が壁とワタシを交互に見やった。

「あなた……これは……」

 灰色一色だった個室の壁が、水族館アクアリウムになっていた。

 濃い青の海水が窓いっぱいに広がり、上のほうへいくにしたがって色がうすらいでいく。日光の筋がゆらぐ暖流のなかで、津軽海峡の真っ赤なアマダイや平べったいオキアジの群れが行き交い、時折、白とグレーのまだらが特徴的なカマイルカが優雅な漁をみせた。

「ワタシたちの、にひろがる光景です。リアルタイムですよ」

 人差し指を立てるワタシに子の母親は相変わらず、不審と驚愕のあいだで目がゆれていた。

「ママー! みてみて! イルカさんがいるよっ!」

「ご子息がお呼びです、ミズ。……ああ、そうだ」

 一礼したワタシの呼びかけに子の母親が立ち止まる。

「ご子息にはその、ヒューマノイドを」

 立ち止まってくれたそれだけのことがあまりにうれしく、俯いた頬がゆるむのを抑えられない。

「……マシンを嫌いにならないでほしい、とお伝えください。それと、ロボットもおしゃれしたいのだ、と」

 ロングコートの裾を払い、「では」、ともう一度会釈してコンパートメントを後にする。背中に「なんだろうあのヒューマノイド」という目を感じるが、それでいい。バックパックを背負い、中へ手を入れる。離れていく個室から小さな紳士の楽しげな声がつたわってくる。

「(傍観者でよいのでしょうか)」

 人と機械マシンの邂逅は始まったばかりだ。人同士ですら、互いに衝突は絶えないという。

 ならば、人と機械マシンのあいだに立ちはだかる課題も、簡単に解きほぐせるものではないだろう。一介の先駆機プロトタイプがどうこうできるレベルを超えた、感情と理性とカネの込み入った話だ。ワタシは後者に疎い。

「失礼します……。」

 そのとき、車両間の自動ドアが開いて廊下の向こうから、あわただしく複数の人影がなだれ込んできた。

「異常が出たコンパートメントはこっちですっ! システムへのダイレクトアクセスなんて、いったいどうやって」

 客車の短毛のカーペットを礼を失しない程度の駆け足で、彩香さいかパープルのラインが肩に入った常盤グリーンの制服がまっすぐ、ワタシに向かってくる。車掌のうしろには、さまざまな端子コネクタケーブルを樽形の胴体に備えた、メンテナンスボットが一輪タイヤを回してついてきている。

 バッグから変装道具ウィッグを取りだし、ワタシは手早く身につけた。

 刹那、肌の色が調整アジャストされる。

「(よいわけがない、ですよねマイサン)」

 ふくらんだ腹に手を当て自問するワタシに答えは返らない。

 ワタシへの至上命令は極力、厄介ごとを避けること。

 しかし、それでは、人間でいうところの"会わせる顔がない"。

「おっと、失礼」

 空いていたコンパートメントへ体を滑りこませ、急ぐスタッフに道を譲る。すれ違いざま、「ありがとうございますお客様」と、リニア新幹線の先頭車ノーズをかたどったエンブレムを刺繍した帽子が下がる。

「どういたしまして」

 スタッフのあとを、すぐさまメンテナンスボットが追っていった。人間のように無意識下でコンパートメントを覗く仕様クセがついていないおかげだ。

 もっとも、ワタシの変装は機械の目センサーも誤魔化す特別仕様なので、メンテナンスボットにみられたところで、と判断されるくらいだろうが。

「さてと、少しばかり名ごり惜しいですが……続きは水族館でじっくりみていただくとしましょう」

 バックパックから伸びた蜘蛛の糸より細いケーブルをつまんで軽く引っ張る。これが釣りなら、手ごたえを確認し、巻き取っていく。

「『ご案内いたします。当リニアはただいま青函第二トンネルを通過し、まもなく新奥津軽いまべつに到着いたします……』」

 バッグを背負いなおし、廊下に出る。

 廊下の窓には東北の沿岸線が凪いでいた。


 本州最北端のリニア新幹線駅、新奥津軽いまべつから新青森まで乗り継いだワタシはまず、青森県の紅葉モミジから集めることにした。

 奥羽本線を西へ、ローカル線を行く。ローカル線といっても、リニア新幹線の影響で県内のほとんどの鉄道は、すでに磁気浮上鉄道に改修されている。鈍行にゆられるというよりは、スゥー、とあっという間に"滑って"移動したと言ったほうが近い。

 弘前に着くと、代わりに貸し自転車シェアサイクルで目的地を目指した。漕ぐ必要のない電動オートサイクルは、ジャイロが二輪のバランスを保ち、コンソールへ行きたい場所をつたえるだけで運んでくれる。ちなみにシェアサイクルは一定時間、モバイルからアクセスがないと、自力でステーションまで帰っていく仕組みだ。携帯端末モバイルを持たないワタシが工夫ハックすれば回避もできるが、散々、鉄道でやらかした以上、さらに痕跡を残す危険は犯せない。

 気温は20℃を下回るものの、高い秋空が広がり陽射しも出ていた。あずき色のカーディガンに着替えたワタシは、ロングヘアウィッグをなびかせ、県道3号をひた走る。

 バックパックの中にはそんな小道具コスメがいろいろと収まっている。衣装は伸縮自在の生地マジッククロスなので、このカーディガンも、リニアで羽織っていたコートと同じものだ。

「自転車、通りまぁ~す!」

「おや。ツーリングですか。いいですね」

 道中、まばらな自動車オートビークルに混じって県道の脇を進むワタシを、クラシカルなサイクリング団体が追い越していった。鮮やかな蛍光色の背中は、同じくらい派手な車体に覆いかぶさるようにして勾配を駆け上がっていく。

「ふむ。ワタシも少しばかり、運動しておきますか」

 同じ旅行者ツーリストに触発されたワタシは、ハンドルグリップのダイヤルクラッチを回し、ホログラフィコンソールを『中速』から『手動(ヒューマンチャージ)』に切り替えた。動力を落としたオートサイクルのサイドにペダルが迫り出し、ワタシがヒールを載せる。

「ここはやはりスパイクでしょうね」

 トンッ、と踵を軽く車体フレームに打ち、たちまちヒールの形状が変わっていく。運動に適したシューズでペダルがちぎれないギリギリの速度で回していくうち、あっという間にサイクリング団に追いついてしまった。

「お先です!」

 と、うしろへ手を振ったワタシを、サングラスの先頭ペースメーカーが目を見開いてみていた。


 青森最高峰の丘陵、岩樹山いわきさん

 雄大な稜線を脇にみながら、ワタシはさらに西、紅石あかいし渓流を目指す。

「最低限は46都府県それぞれのモミジ、です」

 上ノ国のご婦人はワタシに未使用のアルバムを渡すだけで、詳しい指定《オーダー》はなかった。あの春の日、ワタシが引き受けると約束したあと、ご婦人はすぐケアノイドと帰ってしまったからだ。

 後日また出直すワタシだったが、いつ神社に足を運んでも姿がない。見かねたご住職がワタシに声をかけるくらい頻繁に通ってしまい、危うく、襲撃者ルナブルッドかと早とちりしたワタシがご住職の延髄に手刀を叩き込むところだった。

「アキエさん、あまり体が芳しくないんよねー」とは、半世紀近く交流があるというご住職の言葉だ。ご住職は親切にもご婦人アキエの病院を教えてくれようとしたが、ワタシが断った。

「ワタシは逃亡の身。どなたとも親しくなってはならない」

 大昔、上国さまクリエイターに諭されたことを口に出す。標高が高くなったせいか、自分の言葉がひどく冷たく感じる。

 舗装された山道を走り、『休憩所』と書かれた看板を横目にワタシはさらにペダルを漕ぎ続けた。目的地までのルートは一本道。幸い、人影もまばらである。それに、人間でいうところの"ながらチャリ"は、並列処理を得意とするヒューマノイドには問題ない。

「だとしても心配です」

 左手をハンドルから離し、腹のふくらみに宛てる。鉄道を降りてから戻していた体型マタニティがなじんだ。

「ワタシにできることは依頼を完遂コンプリートすること。……できれば早く」

 背負ったバッグの重みを一段と強く感じつつ、自転車を爆走させていく。

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