第二章. 旅は心、世は情け
季節は春。ホオジロがさえずり、冬を乗り越えたキツネやウサギが顔を覗かす。
北海道の南西部、松前半島に位置する
ワタシの春旅は、この
旅に決まった道順はない。むしろ、できる限り違う道を選ぶのが原則だ。
島国日本なれども、国土は38万平方キロメートル弱あり、山岳や森林地も多い。人口密度の低い地域は驚くほどある。ワタシたちの痕跡を残さないのも大事だが、未踏の土地を渡り歩くのもなかなかに楽しい。
上ノ國の桜を詣でたあとは気まぐれだ。数週間、町内の人目につかない茂みや空き家で過ごすこともあれば、道内を逍遥することもある。
知床のほうにはワタシがまだ手をつけていない、
ここより北にも花見の名所は数あるものの、いわゆる『北海道』という括りでみた場合、沖縄から始まった
「……ならば逆もあり、ですね」
と、桜色のラインを記憶の日本地図に重ね合わせていたときに、ワタシは閃いたのだった。
この国にはもう一つ、
その名を〈
「ふむ。では……〈秋の収穫祭《オクトーバーフェスト》〉といきますか」
こうして、秋を追いかけるワタシの旅が始まった。
「『お客様へご案内いたします。ただ今、当北海道リニアは青函第二トンネルに入りました。2037年に開通した第二トンネルは当初、第一トンネルの代用として構想されましたが、リニア新幹線開業の前倒しに伴い、現在のようなリニア専用となり……』」
客室の天井からアナウンスが降ってくる。かつての新幹線なら、ゴォーと振動音でかき消される控えめな案内も、わずかな駆動音しかしないリニアモーターの特性と相性の良い
二人掛けの
「……ママ、あのロボットさん、なぁにをみてるの?」
ふいに、廊下からしたあどけない声にワタシは聞こえないフリをして動かない。そもそも、走行中は閉めておくようドアの内側にホログラフィで注意書きがある個室の扉を、襲撃者と、こういう無邪気なリアクションがみたいがために全開にしているワタシが、非常識なのだ。
「ソフッ、あんまりジロジロ見ちゃダメよ……!」
と、今度は廊下でワタシを指さしている子の母親の声だ。いかにも怪しいという目をしながら、子の手を引っ張っていこうとしている。
「どうしてママ? なんでコート着てるのロボットさん」
しかし子は退かない。
「(むかし、マイサンも好奇心旺盛でしたね)」
3歳ほどだろうか、男の子の空色のシャツで白いカモメが羽ばたいている。むちっとした指がまっすぐ、ワタシを指していた。
もちろんワタシの目にはみえない。各種センサで感じ取っているだけだ。
「ロボットさん白いねー」
小さな紳士の探究心は実に素晴らしい。四人用のコンパートメントでひとり、頬を手で支え灰色の窓を細めた目でみるヒューマノイドに臆することのない度胸は、まさに純真無垢だ。「……エクセレント」とおもわずワタシがつぶやくほど。
ちなみに、いまのワタシは化粧をしていない。腹のふくらみを隠すため、胸囲から腕、脚まで
ウィッグはご婦人から預かったアルバムといっしょに、足元のバックパックへ入れてある。これが唯一ワタシの荷物で、全財産といってもいい。改札口で露骨に不審がられたものの、ワタシはベテランのトラベラーだ。予備のバッテリーとして押し通すのは造作もない。
つまり、いまのワタシは限りなく肥満体の、トレンチコートを着た真っ白なヒューマノイドだ。
「こらっ、ソフ。肌の色のことをいうのは失礼でしょ」
小さな紳士が母親のお叱りを受けた。国際化の進んだこんにち、その指摘は大切だが、あいにくワタシは人ではない。
一向に反応がないワタシに小さな紳士も母親も、怪訝な雰囲気をただよわせてきた。ワタシとて、いつまでも聞こえないフリをするのは本望ではない。
しかし残念なことに、ヒューマノイドが人間へ話しかけるに躊躇う空気は実在する。
「おそとはなんにもみえないよ?」
「トンネルのなかよソフ。ここは海のなかなの」
「あー、お外にマグロが見えるなーです」
人間でいうところの"ギョッと"するとは、いまの親子の反応かもしれない。突然のワタシの発言に、母親がさっと子を背中に隠した。
「ええっと……サバもいるよーです。ここは青函トンネルだから、ロボットの目には海がみえるんです……みえるんだよー」
つい、敬語になる自分の癖を言い直す。子はキョトンとしているようだが、
「……ソフ、いきましょ」
子の手を強く引く母親の反応はけっして大げさではない。故障した
マスコミがセンセーショナルに煽ったおかげで、ヒューマノイド不信が広がっているのは道中でも幾度となく実感した。
今年だけではない。"クリエノイド"各社が
ヒューマノイド市場の大手はそんな批判を込め、
「ほんとう……?」
小さな紳士は、母親の背を飛びだし、コンパートメントのほうへ体を傾け、ほとんど個室内まで入ってきていた。まだ母親は実力行使に出ないが、いつでも子を連れもどせるように子の腕を引いている。
疑うことを知らない二つの小さな黒曜石がワタシに真相を尋ねている。空気を無視するには充分だ。
「ええ。もちろんです」
ゆっくりと小さき紳士を向き、ウインクをひとつしてみせる。
それでワタシの
「わぁーっ! ママ!」
母親の手を振りほどいたカモメシャツが、コンパートメントの中に駆け寄った。入れ替わるようにワタシはディスプレイとナノケーブルでつながったバックパックを持ちあげ、廊下へ滑りでる。
口をあんぐりさせ、母親が光る壁とワタシを交互に見やった。
「あなた……これは……」
灰色一色だった個室の壁が、
濃い青の海水が窓いっぱいに広がり、上のほうへいくにしたがって色がうすらいでいく。日光の筋がゆらぐ暖流のなかで、津軽海峡の真っ赤なアマダイや平べったいオキアジの群れが行き交い、時折、白とグレーのまだらが特徴的なカマイルカが優雅な漁をみせた。
「ワタシたちの上、にひろがる光景です。リアルタイムですよ」
人差し指を立てるワタシに子の母親は相変わらず、不審と驚愕のあいだで目がゆれていた。
「ママー! みてみて! イルカさんがいるよっ!」
「ご子息がお呼びです、ミズ。……ああ、そうだ」
一礼したワタシの呼びかけに子の母親が立ち止まる。
「ご子息にはその、ヒューマノイドを」
立ち止まってくれたそれだけのことがあまりにうれしく、俯いた頬がゆるむのを抑えられない。
「……マシンを嫌いにならないでほしい、とお伝えください。それと、ロボットもおしゃれしたいのだ、と」
ロングコートの裾を払い、「では」、ともう一度会釈してコンパートメントを後にする。背中に「なんだろうあのヒューマノイド」という目を感じるが、それでいい。バックパックを背負い、中へ手を入れる。離れていく個室から小さな紳士の楽しげな声がつたわってくる。
「(傍観者でよいのでしょうか)」
人と
ならば、人と
「失礼します……。」
そのとき、車両間の自動ドアが開いて廊下の向こうから、あわただしく複数の人影がなだれ込んできた。
「異常が出たコンパートメントはこっちですっ! システムへのダイレクトアクセスなんて、いったいどうやって」
客車の短毛のカーペットを礼を失しない程度の駆け足で、
バッグから
刹那、肌の色が
「(よいわけがない、ですよねマイサン)」
ふくらんだ腹に手を当て自問するワタシに答えは返らない。
ワタシへの至上命令は極力、厄介ごとを避けること。
しかし、それでは、人間でいうところの"会わせる顔がない"。
「おっと、失礼」
空いていたコンパートメントへ体を滑りこませ、急ぐスタッフに道を譲る。すれ違いざま、「ありがとうございますお客様」と、リニア新幹線の
「どういたしまして」
スタッフのあとを、すぐさまメンテナンスボットが追っていった。人間のように無意識下でコンパートメントを覗く
もっとも、ワタシの変装は
「さてと、少しばかり名ごり惜しいですが……続きは水族館でじっくりみていただくとしましょう」
バックパックから伸びた蜘蛛の糸より細いケーブルをつまんで軽く引っ張る。これが釣りなら、バレた手ごたえを確認し、巻き取っていく。
「『ご案内いたします。当リニアはただいま青函第二トンネルを通過し、まもなく新奥津軽いまべつに到着いたします……』」
バッグを背負いなおし、廊下に出る。
廊下の窓には東北の沿岸線が凪いでいた。
本州最北端のリニア新幹線駅、新奥津軽いまべつから新青森まで乗り継いだワタシはまず、青森県の
奥羽本線を西へ、ローカル線を行く。ローカル線といっても、リニア新幹線の影響で県内のほとんどの鉄道は、すでに磁気浮上鉄道に改修されている。鈍行にゆられるというよりは、スゥー、とあっという間に"滑って"移動したと言ったほうが近い。
弘前に着くと、代わりに
気温は20℃を下回るものの、高い秋空が広がり陽射しも出ていた。あずき色のカーディガンに着替えたワタシは、
バックパックの中にはそんな
「自転車、通りまぁ~す!」
「おや。ツーリングですか。いいですね」
道中、まばらな
「ふむ。ワタシも少しばかり、運動しておきますか」
同じ
「ここはやはりスパイクでしょうね」
トンッ、と踵を軽く
「お先です!」
と、うしろへ手を振ったワタシを、サングラスの
青森最高峰の丘陵、
雄大な稜線を脇にみながら、ワタシはさらに西、
「最低限は46都府県それぞれのモミジ、です」
上ノ国のご婦人はワタシに未使用のアルバムを渡すだけで、詳しい指定《オーダー》はなかった。あの春の日、ワタシが引き受けると約束したあと、ご婦人はすぐケアノイドと帰ってしまったからだ。
後日また出直すワタシだったが、いつ神社に足を運んでも姿がない。見かねたご住職がワタシに声をかけるくらい頻繁に通ってしまい、危うく、
「アキエさん、あまり体が芳しくないんよねー」とは、半世紀近く交流があるというご住職の言葉だ。ご住職は親切にも
「ワタシは逃亡の身。どなたとも親しくなってはならない」
大昔、
舗装された山道を走り、『休憩所』と書かれた看板を横目にワタシはさらにペダルを漕ぎ続けた。目的地までのルートは一本道。幸い、人影もまばらである。それに、人間でいうところの"ながらチャリ"は、並列処理を得意とするヒューマノイドには問題ない。
「だとしても心配です」
左手をハンドルから離し、腹のふくらみに宛てる。鉄道を降りてから戻していた
「ワタシにできることは依頼を
背負ったバッグの重みを一段と強く感じつつ、自転車を爆走させていく。
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