第5話 大抵の事は、仕事と言っておけば許される。

 深呼吸した山田さんは、軽いめまいを覚える。

 それは、思いっきり酸素を吸い過ぎたからでも、この街で一番古く借り手が付かないビルの一室が醸し出す薄暗く酷くジメジメした空気のせいでも、シャイなあんちくしょうなせいでもなく、全身から染み出た自分自身の匂いにたまらなく興奮したのだ。


 ――現場って? サイコーな!!


 からっきしだった勇者派遣ビジネスの仕事に、実に1ヶ月ぶりとなるオファーが昨日舞い込んだ。

「珈琲豆販売業に精を出すヒーローなんて、チョメチョメがチョメチョメでチョメチョメするようなものだし。それ以上それ未満でもないって」

 覚えたてのお気に入り表現を駆使して揶揄うディスることが新米社長の重要な職責だと錯誤する魔恋に、何も言い返せなかった辛い日々とはオサラバできる。山田さんは喜んだ。


 ファッションアイコンとして一時代を華やかに彩った駅前ビルは、ただ静かにその終焉を迎える目的だけに存在したはずだった。そう、ヒーローが登場するついさっきまでは。


 英雄は、目の前に広がる光景にほくそ笑む。


 全身黒ずくめの男女。

 そして、パイプ椅子に縛り付けられた小学生高学年と思しき男の子。


 ――シチュエーションは完璧だ!

 

 

「身代金目的で誘拐したこの人質をだ。俺たちが帰ってくるまで逃がさないように見張っててくれ。それが勇者への依頼内容だ」


 毎月29日の肉の日に決まって行くことにしている駅前のステーキ屋を営むテキサス州出身の元レスラーだという噂がある店主に負けるとも劣らない、大きな身体をした男が、藪から棒にそう依頼内容を説明してきた。


「仕事より大事な用でもあるのか?」


 さほど興味は無かった山田さんだが、久しぶりの仕事だ。誰が犯人か既に分かってしまった名探偵も敢えてそうするように、とりあえずだ。動機という名のディテールを探ってみた。


「ジャックは悪党の世界会議に行くのよ」


「おいっベティ、余計なことを」


 ベティと呼ばれた彼女は、ついつい口が滑るタイプらしい。丁寧にもジャックは教えてくれた。


「その会議、ネットでは無理なのか?」


「ネットは信用してない」ジャックが答えた。


「現場主義か。それはいい心掛けだな。そんな重要なのか? その悪党の世界会議ってのは」


 口が滑りに滑るベティは、山田さんが心配になるくらい事細かに説明をした。

 その拙い説明によれば、おおよそこういう事らしい。

 悪党の情報収集と相互扶助を目的として設立された悪党組合が主体となって、悪党の悪党による悪党のための会議で、毎月10日に開催されるという。悪党三名以上の推薦があれば復讐に燃える被害者も参加できるらしい。――いるのかよそんな奴。


「バカ! 正義のヒーロー氏に悪党の秘密をバラしてどうするんだア!」 


「何言ってるの! 頭っから『身代金目的誘拐した』って、現在進行形なうのTHE犯罪行為を自ら告白しているのを未だに気づていないバカは、アンタでしょ!」


 ふたりは、仲良く、楽しく、時折り暴力的行為を交えながら、山田さんを前にして派手に大ゲンカを行った。

 ケンカとは、つまらない原因に始まり一層つまらない方向へと変化するものである。


「保育園のお迎え絶対行ってよ」


「お前が行けよ。ネイルサロン行ってる暇あるんだろ?!」


「偶にはいいじゃない、オシャレしたっていいじゃない! ママ友みんな綺麗なネイルしてるの!」


他所よそは他所。内は内だ」


「悪党でもそーいうこと言うのな、アハハ!」 


 山田さんが、そう大きく笑った、その時――――――――


「それ、鼻糞ッツ!!」


 ジャックとベティはヒーローに対して、完璧にシンクロナイズドされたツッコミを披露した。


「ん、これか? ノンノン。愛とも呼べる結晶な」


「人質につけようとしたでしょ!」


「違う。選んだのは彼だ」


「は?」


「じゃ僕君、次は何番にする?」


 山田さんは構わず絶賛人質中の男の子に向き合う。


「3番!」


 パイプ椅子に縛られた男の子は、笑顔でハキハキと元気よくそう答えた。


「あみーだくじっ」山田さんは思いの外澄みきった見事な倍音を響かせながら、ていのあみだくじを指で辿りゴールに導いた。


「エアーあみだくじ、やるヒーローなんて初めて見た……」


「はい、でました!  鼻糞はなくちょ。」


「えー、また鼻クチョ?」


「えへへ」と山田さんは右手人差し指を第二関節まで鼻穴の奥部へと潜り込ませた。


「チョット待ったあー!!!!!!」ジャックがイキる。


「人質協定に触れる行為は禁止よ」ベティが冷静に諭す。


「15歳以下の人質に鼻糞をつける行為は禁止だ」


「あ、そうなの? ダメなんだ」


 そう言った端から山田さんは人質の脇腹をくすぐりだした。


「きゃきゃきゃっ」男の子は悶絶する。


 くすぐりを左手の自由意志に任せた山田さんは、お仕事の話を進めた。


「とりあえず、一日勇者貸切コースでいいなら、ここにサインして。『顧客の個人情報は絶対に漏洩させないよ誓約書』にもサインね」


 程よく湿った右手人差し指でつまんだ用紙をヒラヒラさせて、とっびきりの笑顔を見せびらかした。


「因みに、支払いを前払いで頂けますと……」


「と?」


「倍返し特約が使えまーす!」


「倍返し特約??」


「もしも、契約した仕事結果にご満足頂けない場合は、手付金の倍返しを致します!」


「ほお、なるほど。最悪、人質に逃げられたとしても金は手に入るってことか?」


「ですな! 倍返し! 倍返し! 倍返し!」


「よしっ、特約付けよう! ベティ、金だ、金! 昨日振り込まれた金を全部降ろすぞ」


「絶対逃げないように見張っておきますので! ドント心配!! さあさあっ、悪党の世界会議にいってらっしゃーい!」






 ※    ※    ※    ※  ※ ※ ※   ※    ※    ※




 まるで渇き切ったビル壁に一時の潤いを与えるかのように、人気アニソンが鳴り響く。


 さっきから何度も、何度も、サビメロ前に消えては、またAメロを繰り返すことで、山田さんと男の子に携帯の着信を知らせた。

 その度に男の子は、迷惑そうに自分のズボンのポケットを睨みつける。


「出れば?」山田さんは大人の気遣いを見せる。


「そんな悪手にはでません」男の子は年齢不相応な応対を繰り返した。


「パパやママとか心配してるよ」


 山田さんは、犯罪行為に加担する身をとことん棚に上げた。


「って言っても。両手を縛られたままじゃ、! なんつって」


「……」


「……笑ってもいいぞ。子供らしく笑っておけば? 笑っておこうな。ほら笑って」


「笑いたい時に笑わせてもらえますか?」


「うん、いいけど」渾身の英雄ギャグを空振りした山田さんは露骨にテンションを下げた。


「そんなことより、悪党の依頼を忠実に守るヒーローってどうなの?」


 男の子は、自分の身の安全には全く関心を寄せずに山田さんと議論する事を選んだ。


「全然問題無い」


「なんだよ、それ、最低じゃんかあ」思わず子供らしく反応した。


「子供にはわからないと思うが、大抵の事は、仕事と言っておけば許される。それが世の中、それがモラルだな」


「僕にはそういうマキャベリストの考えが理解できないの」


「ま、キャベツ?! 新手の創作フレンチか? 魔法のかかったキャベツなんてあるのかよ。サンクスな。魔恋ちゃんに知ったかぶりしったかできる!」


「……」流石に男の子は言葉を見失った。


「そもそも、これは勇者ビジネスであって、ヒーローとは何も関係ない」そう言いながら山田さんは男の子と椅子を繋いだロープをほどきだした。


「僕を逃がすの?!」


「ヒーローらしく振舞って欲しいんだろ?」


「また逃げるんだ? ヒーローのくせに!」


「逃げるのは僕君だ。俺じゃない。それとも逃げたくないのか? 逃げることに不都合でもあるのか?」


「……不都合?」


 その時、またあのアニソンが鳴り響いた。


「この案件の本当のクライアントは、君だろ?」


 そう言うと、山田さんは自分のスマートフォンを取り出し、画面をタップした。

 Bメロからサビメロに移る瞬間、音楽が鳴りやんだ。


 黙ったまま男の子は、その目を見開く。


「この番号は、昨日仕事の依頼があった電話番号だ。僕君の履歴は俺の番号で埋まっているはずだ。そうだろ?」


「お見事ですね……」


「魔キャベツの話がどうだとか言ってたけどな。真の悪党からの本気の依頼なら、どんなことでもやるよ。ガキの人質監視だってな。でも、これはリアルじゃない。嘘で、やらせだ、そんな仕事は受けない」


「……なんでなの? どうしてダメなの?」


「ダサイし。ヒーローはカッコ良くなきゃだめなんだ、ダサイだろ? こんなガキんちょから金をむしり取れるかよ ダッセー、ダサいよ」


「……だって、だって、仕事ないんでしょ?」


「……」


「困ってるんでしょ」


「……」


「ヒーローやめて欲しくない、ヒーローして欲しいんだ!」


「誰が辞めるつった?」


「ほんと?」


「成りたくても成れないと同じで、ヒーローは辞めたくて辞められるものじゃない」


「よかった」


 山田さんはようやく男の子の心からの笑顔を知った。


「で、ジャックとベティはどこまでこの事実を知ってるんだ?」


「何も知らない。本当に身代金誘拐が成功していると思っている」


「は? マジかよ。話分かったうえで演じてたんじゃないのかよ」


「あの人達にそんな高度な演技力を求められると思う?」


「あー。無理」


 男の子はフッと笑う。


「マジか。アイツらだけはガチベースでやってんのか、この依頼も」


「どうするの?」


「困った時、どうするんだ?」 


「ヒーローに助けを呼ぶ!」


「それな、だな。最後に聞いてもいいか? 僕君の名前は?」




 ※    ※    ※    ※  ※ ※ ※   ※    ※    ※



「僕、竹千代!」


 先ほど戻ってきたジャックとベティは、黙って竹千代の話に耳を傾ける。


「ヒーローはお仕事にいったよ!」


「あのよお……」呆れてジャックは言葉が続かない。


すみませんサーセン。モノマネの精度低くて」


 パンイチ姿で竹千代に扮した山田さんは、偽物であることを白状した……。


「ヒーローさんよ、そこじゃない」


「ご満足いただけましたでしょうか?」


「これって、笑うところか?」


「笑いたいときに笑うのがよろしいかと存じます。」


「そうするよ」


「……お金は払います。これ、『英雄手形』です。英雄課窓口に持って行けば即現金化できますので。受取人はジャック&ベティ様で宜しいでしょうか?」



 こうして、山田さんは、膨大な借金を抱えることになった。




 ※    ※    ※    ※  ※ ※ ※   ※    ※    ※


 勇者コンサルティングビジネス社、もとい『魔法で恋するネイルサロン』が入るビルにも夜の帳が下りた。


 見違えるように綺麗になっていく自分の爪を見つめる山田さんが大声を張り上げる。


「えー? ジャックとベティが小切手返しに来たの?」


「うん。巨漢な男と最薄そうな奥さんが二人で来てね。予定通り身代金が入金されたから、店長に返すってさ」


「身代金が予定通り……」


「あのさ、店長。もう、倍返し特約サービスを止め方がいいんじゃない? 破産しちゃうって。まぢで」


「……竹千代君どうしたって言うんだ、ん?」


 ガチャガチャと急に辺りが忙しくなる。


「失礼しまーす。どこに置きましょう?」


 巨大な段ボール箱を抱えた配送業者が魔恋に尋ねる。


「とりあえず、そこで」


「何?」


「買ったの」


「それはわかる。中身だ」


「二酸化炭素カプセルよ」


「は? 二酸化炭素カプセル?」


 俄然興味を持ってセッティング作業中のカプセルを覗く山田さんの肩に、魔恋がちょこんと顎を乗せ話を続けた。

 

「魔界とこっちのセカイの異動でね、パパが超お疲れ気味だから元気になってもらいたくて。コッチの人的には親孝行って言うんでしょ?」


「CO2って身体にいいのか?」 


「魔物的にはね。店長も一応ヒーローだし、効果あるかもよ」


 小悪魔的な笑顔でそう山田さんを煽ると、「入ってもいいか?」英雄はその誘いに乗りカプセルの中で寝転んだ。


「すみません、代引きとなってますが」作業を終えた担当者が帽子を取った。


「これ、英雄手形。英雄課窓口に持って行けば、すぐにでも現金化できるので」


「……おいっ!」


「3時間にタイマーセットしてあげるね」とカプセルのふたを閉める。


 ドンドン! と山田さんはカプセルを叩いた。その想いの丈がそうすることでしか伝わらないことを理解もせずに。やみくもにだ。


 膨大な借金を抱えた男の音が虚しく響く。


「店長静かに。生配信始まるんだから!」


 魔恋が手にするスマホ画面では、竹千代が『勇者派遣サービスを頼んだらヒーロー山田さんが来たよ!?』とタイトルコールをした。




                            第6話につづいたり

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山田さんの英雄(仮称)事例 ~カップ焼きそば派の君はまたセカイを見捨てアノマリーヒーローになった店長を夢見るのか ふややたまよ @kenkenhigh

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