(3)グラファード戦役

  【二条里の施策】


 グラファードから戦うより他に無い状態とされた二条里帝は、しかし、自身の地盤を整えるだけ等という愚は冒さなかった。この三ヶ月の間に、二条里は首都日本で最初の改革を開始するのであった。

 先ず、二条里帝が最初に行った事は、『政治学校』の創立の宣言であった。この基本理念は、貧しいながらも能力のある子供達に教育を施すというものであったが、それを政治などの分野に限定したのである。実際には、自然科学や魔法学などの実学ならば多くあったが、結果的には、その殆どが後に両院の重役を担うようになるのである。

 しかし、この学校は国費ではなかった。全て、皇帝の財産及び寄付で賄われるとしたのである。実質的には、執政官や常任委員長等の高位の官職にある人々はその多くが自主的に払っていたようである。この集められたお金で、帝国中から能力はあるものの貧しい子供を選抜し、本人の意思を確認した上で就学させたのである。その教育は七歳頃から始められ、十五歳まで初等と中等とに分けられた一般教養を学ぶようになっていた。その後、各分野に分かれた生徒達は高等教育を受け、それから、大学相当の教育を受けたのである。最終的な卒業は二十二歳頃とされていた。

 それで、この中で教えられた事についてであるが、高等教育及び大学相当の教育においては何等他の学校と差異は無かった。その代わり、一般教養の為の初等、中等教育の中に、二つの特異な教科が組み込まれていたのである。それは、『政治一般』と『軍事論』の二つである。

 これは明らかに、未来の指導者層を育もうとする意志が見て取れる。それも、『政治一般』が初年度から、『軍事論』が次年度からとなっており、ある意味では最も実学的な英才教育と言える。多少、子供には難しいのではないかと思われるかもしれないが、何の事は無い。最初のうちは、英雄譚から始まるのである。そして、初等教育の末には、実学へと本格的に移り、最後には、並みの政治家とは軽く肩を並べられるようになる仕組みである。

 しかも、この学校の講師が非常に豪華であった。その選定は皇帝やその時代の常任委員長等に任せられるが、必ず在位中の皇帝及び退位後の皇帝は教壇に立つよう定められたのである。故に、子供達は政治の生の姿を肌で触れる事が出来たのである。当然、最初の人気講師は二条里自身であった事は言うまでもない。

 この政策の発表の後、二条里帝は次の矢を放つ。それは、『属州補助兵基本法』と呼ばれる、建国以来の軍事改革であった。この法はその名の通り、属州兵を補助兵として帝国防備に参加させるという趣旨のものである。だが、二条里がこの法案を審議した理由は帝国防備の為ではなく、新たなる属州の編入を宣言する為であった。何故なら、当時、帝国には一つとして属州が存在しなかった為である。それに準ずるようなものとして、グラファードの編入したホートロー星があったが、その扱いも準本国であったのである。故に、本国選挙による参政権は無かったものの、軍団に参加する事は可能であった。即ち、この法案は帝国に属州を編入しなければ効力を発揮しない法となってしまうのであった。

 だが、当時の二条里の頭の中には二つの属州にすべき国家があった。それは、クラッタニア戦役後、実際に属州となるが、ギジガナアニーニアとヴィアの二カ国である。この二カ国は、既に二回も文輪に対して反抗したという『前科』があった。その上、二度の敗北の後に再び反抗したのである。それまで、文輪は非常に穏やかなやり方で戦後処理を行なってきたが、それも、文輪との共栄の為であった。その結果が、三度の、しかも相手の弱みに付け込んでの反抗であったのである。まだ、三度目の反抗は明確には示されてはいなかったが、既に、一部の外交官がクラッタニアとの接触を開始し、同盟の締結を求めていたのである。確証は無かったものの、その対策は必要であった。

 因みに、この法案の提出と同時に、二条里帝はホートロー星を本国に編入している。この星はグラファードによる征服以来、グラファードの地盤の一部となっていたが、これを境に二条里の地盤ともなるのであった。当然、これはグラファードを意識して成された事であった。だが、ホートロー星自体が非常に文輪に対して友好的であり、この混乱の最中にも食料の優先的な販売などの援助を的確に行なうという事も行い、それに報いるという理由が十分にあったのである。

 更に、この時に『初代二条里執政官行政基本法』の改正案である『第十四代二条里帝行政基本法』も定められる事となる。文輪にとって、増補でなく『基本法』の上書きによる改正は初めてであった。

 それで、この改正案で定められた事は、全国選挙の権力が弱められ、本国選挙の権利を大きくしたのであった。即ち、執政官や常任委員長等の選出の権利を文輪市民権所有者に制限したのである。そして、全国選挙での審議内容は、属州に関する法案の改正時や制定時の投票権及び、常任委員会に属する一部の議員の罷免選挙となったのである。

 これは、文輪市民権と属州市民権との格差を大きくする為に成されている。つまり、身分を分けた上での機会平等を目指したのであった。これは、第二次クラッタニア戦役終結後に定められる法律でおよそ完成するが、この古来稀な身分制が後に、文輪の背骨の一つとなるのである。

 そして、以上の手配を済ませた二条里は、グラファードに対して最後の手紙を送る。その内容はやはり、クラッタニア軍との共闘であった。それも、代理皇帝権を与えても構わないとしたのである。代理皇帝権とは、皇帝に準ずる者が与えられるものであり、皇帝と殆ど同等の権力を与える。その為、本来ならば最も信用の置ける者を就ける。それを、内乱で争う相手に与えても構わないとしたのである。元々、グラファードにも相当な軍事的な才能があった。現実的に考えれば、非常に有効であった。だが、これもグラファードは断った。やはり、帝国の行方は両雄の激突で決まるしかなかったのである。






  【両雄対峙】


 十月十日、二条里帝は五個軍団及び霧峯・内田下の六個軍団を率いて中国に上陸した。トレラニア戦役時に上陸した事のあった二条里にとっては、これが二度目の中国訪問となる。二条里帝は各地で歓迎を受けつつ北上した。因みに、この間に観光地を幾らか回っていたという説もあるが、二条里の古代中国好きを考えれば有り得ない話ではない。だが、いずれにせよ行軍の速度から考えれば、大してゆっくりとはしていない。寧ろ、早かった。故に、訪れていたとしても僅かな時間であった事だろう。

 十月二十三日、二条里はモンゴルに入った。これ以降度々彼我戦争の主戦場となるモンゴルであるが、この時、初めて文輪の陸軍を迎え入れたのである。

 このモンゴルへと入ってから、二条里は直に遊牧生活をしているモンゴル人達のすむゲルを回り始めた。無論、人心掌握の為である。だが、その方法ならばいかにも二条里帝らしいものである。何と、日本から運んできた酒を持ち込み、互いの酒を分かち合ったのである。当然、武器などは携帯しない。これが、見事に彼等の心を捕えたのである。しかし、この作戦には一つの難点があった。二日酔いである。

 十一月十日、終に二条里軍六個軍団とグラファード軍十二個軍団とが対面した。そして、直に陣営地の設営を命じると、彼自身は少数の供を従えて周囲の状況の視察に出かけた。二条里自身は、この目的を前回のような失態を二度と犯さないようにする為、としている。だが、二条里にしてみれば敵情視察も地勢調査も彼自身が行なう為、それと大した差異は無かったのである。それでも、彼には前回の失敗が強く心に残っていたのである。故に、この時はいつも以上の慎重さで調査に挑んだ。すると、前回と同じような仕掛けが施されていたのである。

 この時、この敵の策略を、二条里は逆手に取る事を考えた。即ち、掘られた穴を上から押し、崩れたところでそれを堀に改良したのである。この実行の為に、二条里は夜襲を決行している。その結果、二条里帝は一夜にしてグラファードの作戦を破ると同時に、要塞を建設してしまったのである。

 だが、グラファードもこの程度で諦めるような人物ではない。第二隊の合流を素直に待ったのである。第二隊の指揮官はムハマト・ケマルであったが、その量ならば十個軍団である。それだけの量があれば、一つの作戦が無に帰そうと、十分に戦えると考えたのである。

 これに対し、二条里帝もこの程度の工作で戦役が終結するとは考えていなかった。そこで、各方面に急いで間者を放つ。これが、見事にグラファード軍第二隊の接近を持ち帰ってきたのである。そして、それを聞くや否や、二条里は第五軍団に司令を出し、その夜に陣営地を出立した。

 この時、二条里帝は最強行軍で移動しているが、この移動こそ、これから長年に亘って破られる事の無い行軍速度の記録を打ち出している。これ以前の記録は、同じく二条里が三回目の執政官時代に打ち出した時速八十キロである。そして、この時の記録は時速百キロにも迫ったと言われている。当然、グラファードの動きを警戒しての事であるのは明らかである。その為、僅か三時間弱で向ってきていた十個軍団を捉えたのである。ここで、二条里帝は更にその足を活かし、手勢の半分を十個軍団の背後に回らせて挟み撃ちにしたのである。

 激戦ではあったものの、やはり、挟み撃ちを受けたムハマト軍の方が劣勢であった。それに、二条里帝の第五軍団は、二条里帝の指示を受ける事無く、更にその半分になった隊を半分に分けて側面をも包囲しようとしたのである。そして、それが右半分で成功した時、ムハマト軍の中で止まって戦う者は僅かであった。だが、その中でムハマトは一人奮戦し、死に場所を求めて二条里帝に一騎打ちを挑んだのである。これを、昔の部下として彼が根っからの武人であり、古代中国を尊敬していた事をよく知る二条里帝は受けたのである。

 モンゴルの草原に大将の首が飛んだ瞬間、全ての勝負は決まった。ムハマト軍は完全に壊滅し、十個軍団は水泡と消えたのである。だが、この時二条里帝は追撃を行わず、ムハマトらの死体を回収して引き返したのである。

 十一月十四日の朝、二条里は陣営地に帰還した。それと同時に、グラファードは十個軍団の壊滅とムハマトの死を知ったのである。『アンチ・二条里』中ではこの時、グラファードがムハマトを惜しんで涙を流したとされている。また、『新史』の中では二条里帝が、満足したように笑みを浮かべているムハマトの首を前に涙を湛え、こう漏らしたという。

「この愛すべき友に自ら手を下したというのは非常に心苦しい。だが、もし常に倣って釈放していたとしても、彼は自らの命を恥の中で絶っていたであろう。そう考えると、彼にとっては良い事であったのかも知れない。何れにせよ、この事は私にとって一生残るジレンマを与える事だろう」

 敵対し合った二条里とグラファードであったが、武人という面では、この両者に共通する点は多かった。その好例が、このムハマトの死といえるであろう。そして、やはり内乱とは悲劇でしかないという事をも、このエピソードは物語っているようである。






  【モンゴル会戦】


 ムハマトの死体を日本に護送し、丁重に葬るように命じた後、二条里は静かに戦機を窺いつつ、グラファード軍とその援軍との合流を阻止していた。その為、グラファードは十二個軍団を抱えたまま、身動きが取れずにいたのである。逃げ道は確保していたものの、多大なる犠牲の出る可能性のある道であった。故に、グラファードは非常に焦っていたのである。

 ここで、グラファードは一計を案じ、脱出に成功する。その方法とは、二個軍団で二条里軍に突撃させ、その間に自分の精鋭である十個軍団を抱えて逃げたのである。因みに、この二個軍団の内約は現地兵などであったという。そして、グラファードに見捨てられ、敵の真ん中に残された兵士達は瞬く間に四方包囲された。この状況に、抵抗する者は一人もいなかった。武器を放り投げると彼等は二条里軍の前に降伏したのである。当然、二条里帝はこれを受け入れ、何と食料や酒などの『お土産』を持たせた上で全員を釈放したのである。

 この奇計により、グラファードは自己の精鋭を無傷のままで保つ事に成功する。だが、この策略は大きな犠牲を生まずにはいられなかったのである。それは、人心の離反である。この見捨てられたものの釈放されて助かった二個軍団は、夫々の故郷や家族の下に帰るや、自分達がグラファードに裏切られた事を話したのである。これが、無上の宣伝であるという事を二条里帝は強かにも計算していたのである。故に、この時はグラファードを追撃しなかったのであるが、それは、二条里帝にそれをする意思が無かった為である。

 この変化は直にグラファードに跳ね返ってきた。食料等の購入を申し出ても、相手が応じなくなったのである。合流後のグラファード軍は三十二個軍団と機動兵一万二千である。総兵力は二十万にも達していたのである。この数の兵士達に補給が無いというのは相当な痛手である。その為、グラファードは遠隔地から兵糧を購入するか略奪を行なうかしかなかったのである。無論、彼は軍を分割して口減らしを行なうなど考えもしなかった。ここにきて、グラファードは決戦を焦り始めたのである。

 一方、二条里帝の方は、日本から援軍の四個軍団と機動兵千が到着するのを待ってから悠々と追撃を開始した。軍団兵の欠員を補充しない癖のあった彼の総兵力は五万弱であったようである。補給の方は万全であり、少ない食料にも耐えうるように訓練を施されていた為、食糧不足の心配は何等必要がなかったのである。

 十一月二十九日、再びグラファードと二条里帝とが対峙した。今度は、少し西側の方であったようである。そこで、互いに戦機を窺う布陣と小競り合いの繰り返しを始めた。これで、一週間以上を要した。だが、この間にグラファード側では兵糧不足に対する不安が充満していた。実際には、十分にあったのであるが、人間は事実よりも可能性に不安を覚える。日に日にグラファード側の士気は衰えていっていた。これに、二条里帝が命じた補給の断絶が功を奏して、グラファード側の補給を食い止めたのである。これが、兵士達の不安を極大化させた。

 十二月十日、グラファードは全軍の布陣を終えるや否や、その先頭に立ち、兵士達に向って演説を始めた。長い為、その要旨が明確に現れている序文だけを紹介する。

「戦友諸君、ここまで正義の軍の為に尽くしてきてくれた事を感謝する。今、我等の眼前にはこの星を蹂躙しようとする、我等が常に討つべく戦ってきた憎き仇敵がいる。この敵をここまで誘き寄せるまでに幾多もの苦難を味わってきたが、それもこの一戦で終わる。さあ諸君、死力を尽くしてくれたまえ。今日ほどのよき日に死力を尽くすべきなのである。それこそが、私と諸君とに祖国を守った英雄としての栄光を輝かせる為の唯一の方法である……」

 これに対し、二条里帝の方も全軍を前にして演説を始めた。

「戦友諸君、私の為にここまで尽くしてきてくれた事を感謝する。そして、我侭である事は百も承知しているが、どうかもう一戦だけ私の為に共に戦っていただきたい。この一戦が私達に栄誉を回復させるのである。案ずる事はない。諸君の強さは信頼するのも恐縮至極と思うばかりであるという事は私が最も知っている。さあ、共に行こう」

 午前十一時十八分、グラファード側の喊声と共に決戦の火蓋が切って落とされた。両軍が共に中央へと向って突撃する。そこへ、二条里帝の一つ目の秘密兵器が登場した。

 それは通常、二段戦法と呼ばれる二人一組の攻撃法であるが、敵の攻撃に対し、前方の軍団兵が素早く屈み、後方の兵士が長剣で攻撃するというものである。通常、文輪は短剣二振りと長剣一振りとを装備するが、混戦では不利な長剣を用いる司令官は少ない。それを二条里帝は逆手に取ったのである。更には、その間に敵の後ろにいる敵の足を斬りつけるという事も可能であり、非常に強力なものであった。とはいえ、これは『二条里の軍団兵』であった為に可能であったのだが。

 だが、この奇抜な攻撃に対し、グラファード軍は十分に耐えていた。この様子を見たグラファードは機動兵に一丸となっての突撃を命じる。二条里軍の右脇腹を攻める為だ。これに対し、二条里帝も援軍の機動兵一千を投入する。が、その機動兵は左右に分かれて四散する。これによって、機動兵は更に加速した。

 しかし、その時機動兵の眼前に謎の一隊が結集していた。これに、四散したはずの機動兵が加わる。そして、グラファードの機動兵は挟み撃ちとなり、更には前方の一隊から側面を攻撃されて見事に四散したのである。

 この謎の一隊の正体であるが、実は、第五軍団であった。実はこの時、二条里は各軍団に命じて旗と隊列を変えさせたのである。即ち、旗の配置はいつもと同じようにした上で、九個軍団で前方二列を構成させ、残る第五軍団で第三列を組ませたのである。故に、旗だけを見れば例に漏れず、各軍団が纏まって三列を構成しているように見えるが、実際には、列によって軍団が変わっていたのである。そして、二条里の合図と共に急いで参集し、敵機動兵の攻撃を防いだのである。

 四散した機動兵を、しかし、二条里は追撃させず、勢いそのままにグラファード軍の後方に回らせたのである。その先には指揮官達の群れ。これに気付いたグラファードは慌てて陣営地へと戻った。

 これで全ての決着は付いた。それまでは猛攻に耐え切っていたグラファード軍も左からは機動兵に、後方からは第五軍団に攻められて完全に浮き足立ったのである。最早、止まって戦う事など不可能であった。次々と、邪魔な装備を捨てながらグラファードの軍団兵達の多くは敗走を始めたのである。この様子を陣営地で知ったグラファードは急いで、逃げ込んだ方とは反対側から僅かな兵士を連れて逃げ出した。

 だが、その中でグラファードの精鋭である十個軍団だけは必至に抵抗し、何とか戦いを続けていた。三方を包囲されながらも、彼等は司令官を信じて止まっていたのである。そこで、二条里帝は攻撃を緩めさせ、単純に包囲する事で留めたのである。そして、待った。すると、そこに降伏したグラファード陣営地の守備隊が到着し、グラファードが既に逃げた事を伝えたのである。これに絶望した兵士達は二条里軍に降伏した。

 その後、二条里帝は後処理を霧峯・内田の両氏に任せた上で、自ら第五軍団を率いてグラファードの追撃を開始した。しかし、それから十二時間後に彼に齎されたのはグラファードの自殺であった。しかも、それは略奪を行なっていたクラッタニアの兵士達と遭遇し、その戦闘の最中に自刎したというものであった。疑問に思われるかもしれないが、クラッタニア軍から公式に占領されたのがペルシアまでであり、その勢力圏はカザフ高原以東にまで及んでいたのである。

 明後日の夕方、二条里帝の下に一人の男が訪れた。彼は、全身に無数の傷を負いつつも布に包まれたものを大切に抱えていたのである。その様子で察した二条里帝はその包みを受け取って彼を軍医に預けると、その中身を確認した。そして、それは当にグラファードのものであったのである。


 この第二次文輪彼我戦争最後の戦いとなったモンゴル会戦での死者は二条里側が二百。グラファード側が四千七百であった。この中にグラファードも含まれている。そして、捕虜は八万七千であり、グラファード側で逃げ果せたのは九万八千であった。

 この戦いの直後、二条里帝はグラファードに対してホートリア(ホートロー星の征服者)という尊称を贈るように依頼している。そして、戦死者の埋葬を終えると、彼はグラファードの遺体と共に、首都日本へと引き返すのであった。

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