第三章 三代目アルフレッド・ミラーの時代
⑨戦端
【三代目の重責】
よく、言われる事がある。
初代が立ち上げた会社を、二代目が育て、三代目が駄目にすると。これは、何も会社に限ったことではない。実際の歴史においても、似たような事例は多々あり、三代目までに崩落した国家はいくつも存在する。
まずは、マケドニア帝国である。フィリッポス二世が整え、アレキサンダー大王が拡大したこの帝国も、その後継者を決める争いの中で瓦解した。また、三国時代の魏も似たようなものである。曹操が魏という形を作り、曹丕が建国して地盤を固めたにもかかわらず、三代目の曹叡が放蕩をした。これによって、司馬一族に付け入る隙を与え、滅亡への道を歩むこととなる。
これに対して、その国家を磐石にする三代目もある。
まずは、カエサルが描き、アウグストゥスが完成させたローマ帝国の二代目皇帝ティベリウスである。彼は、要所要所を押さえ、倹約を奨励し、ローマ帝国を磐石にすることに専念した。これにより、ローマ帝国はカリグラの放蕩に耐えうるだけの力をつけ、五賢帝の時代までの足がかりを得ることとなる。また、室町幕府三代目将軍の足利義満は南北朝を統一し、中国との関係を改善することで、室町幕府の力を高めている。
このように、歴史は三代目にして大きな転換期を迎えることが多々ある。そのため、この三代目という人事は非常に重要なものとなる。では、この重要な時期を文輪三代目皇帝であるアルフレッド帝は、どのようにして過ごしたのであろうか。
まず、登位までの経緯を触れることにするが、デスフォート帝の登位について触れた折、辻杜帝が第二候補として彼を選んでいたことについては述べた。この時、デスフォートは代理執政官に任命されるが、一方のアルフレッドは二条里の下で将軍として働き、スペイン方面の安定化の為に二個軍団を与えられてそこを統治している。この時の働きを、二条里は報告書の中で、このように記している。
「アルフレッドは進攻だけでなく、守備においても、統治においても、十分に力を発揮する人物のようです。もし、次期皇帝を安定統治の得意な方にされるのであれば、その軍事顧問として、アルフレッドをつけるべきでしょう」
この後、アルフレッドは第一次ギジガナアニーニア戦役において、二条里らがサルスに進攻している間、ユヌピス王国の国境をギジガナアニーニアなどの攻撃から死守している。この時、彼は頬に三日月の傷を受け、それ以来、「月光のアルフレッド」と呼ばれることとなるが、この戦闘を耐え抜いた功績は大きかった。これについて、辻杜帝は自ら伝承旗を手渡すことで讃えている。この「伝承旗」は、戦において優れた戦功のあった者に上官や人民の与えるものであり、後に戦神といわれる事になる二条里でさえも、三本しか与えられていない。
このように、戦争でその力を発揮し続けたアルフレッドであったが、常任委員長就任後、政治でもそこそこの力量があることを示すこととなる。メスタエ戦役の際、守備と内政を任せられたアルフレッドは、周囲の想像以上に上手くそれを処理していった。後に、デスフォートはこのように語っている。
「メスタエ戦役で戦功を上げたものは多々いる。しかし、私も含めてアルフレッド常任委員長ほどによく働いた人物はいない」
こうして、デスフォート帝から多大の信頼を寄せられたアルフレッドは、その退位に伴って、三代目の皇帝に就任することとなる。四八歳の力を持った皇帝の誕生であった。
【第一回本国選挙】
二〇〇四年六月十日、この日は文輪政治上記念すべき日となった。それは、初めて大規模な国政選挙が行なわれ、そこで、執政官が選ばれたためである。
それまで、文輪の要職といえば皇帝の指名か、もしくは、両院の指名によって選出されていた。確かに、帝政である以上はこれでも差し障りはない。だが、文輪は共和制的な部分を多く抱えた帝政である。そのため、皇帝も常任委員長も、さらには、執政官も人民の意志によって選ばれるべきである。また、そういった法律も確固として存在していた。
それでも、それが実行されなかった理由は、建国期の混乱ゆえである。いくら高い理想を持っていたとしても、崩壊してしまえば国家に意味はない。そのため、文輪はこの重要な時を、専制を中心に進めていたのである。
これを、アルフレッド帝はある程度まで緩和しようとした。無論、一度に全てを開放しようと考えたわけではない。事実、アルフレッド帝はデスフォート帝の指示通りにマンデラ法務官を三代目常任委員長に据えている。それでも、民主帝国への第一歩として、この選挙を実施しようと決定したのである。
この時、執政官候補として立候補したのは四人である。
まずは、典伍式東アジア担当官。法務官は辻杜帝時代に一度だけ経験している。彼はアルフレッド帝が支持を表明し、元々は部下であった前デスフォート帝からの推薦も受け、初めから一番の人気を獲得していた。その支持層は東アジアを中心に、中南米、アフリカ、旧アメリカ南部にまで広がったという。また、東アジア担当官との兼任という非常に過酷な条件であったにもかかわらず、典は積極的に執政官を目指した。
次に、オーガスト・ファットン内政官がこれに続く。オーガスタはデスフォート帝時代に一度、法務官の職を経験しており、その後は前デスフォート帝の懐刀として活躍した。この彼の支持母体は西欧と北欧であり、EUFP軍からの厚い信頼を得ていた。
さらに、好複里法務官がオーガストの後を追った。彼女は、中東方面隊の主力として帝政樹立戦争を戦い抜き、要塞攻略ではその才能を示した。この為、前デスフォート帝も彼女を重用し、メスタエ戦役では攻撃軍の一隊を率いさせている。そして、そこでも功績を挙げた好は、政治力を磨くために、オーガスタと交代で法務官の職に就いた。この彼女が頼りにしていたのは中東であり、ある程度の公平さを保ちつつも、部族間の政治も心得ている彼女に寄せられている信頼は厚かった。
そして、最後に名乗りを上げたのはサン・ラッター法務官兼北米統治官であった。彼は、元々EUFP軍の司令官を務める身であったのを変え、文輪政治界に参入した異色の経歴を持つ人物である。ただし、司令官としての腕前は上々であり、先を読む力と俊敏な判断力を買われて、デスフォートから要職に任ぜられている。この彼が支持母体とするのは北米と豪州であり、北米からはやや潤沢な資金が回されていた。
以上の四人がこの選挙に立候補したわけであるが、この他にも、立候補を要請された人物ならば多々あった。例えば、辻杜元皇帝や鈴村宗佑、一度は二条里の名前さえも挙がった。それでも、様々な理由で断られ、結局はこの四人での選挙戦となった。ただ、この立候補要請不受理が必ずしも悪いことであるとは言い切ることができない。なぜなら、頭が常に同じであることによる、組織の動脈硬化を防ぐことができるからである。
ただし、この選挙を行なうに当たって、一つだけ大きな問題が存在した。それは、識字率の低さである。旧先進諸国は、確かにある程度の識字率を維持していた。しかし、中には識字率の低い地域が存在し、そこでは、候補者の名前を読むことすら困難であった。そこで、アルフレッド帝は音声と候補者の写真を併用することにより、子供でも識別が可能なように工夫することにした。選挙権は十八歳からとされていたが、子供の頃から政治に近付かなければ、政治という感覚がなくなってしまう。これでは、帝国という概念が崩壊するのではないか、とアルフレッド帝は考えたのである。実際、歴史教育の際に政治的観念と共存を指導するように帝は通達している。
このような中で行なわれた執政官選出の為の本国選挙は、典伍式が群を抜いての一位当選となり、これに、サン・ラッターが続く形となった。六四歳と三二歳の異色の組み合わせであった。そして、執政官と東アジア担当官を兼任することとなる典の下には鈴村宗佑を副担当官としてつけ、法務官であったサンの後釜にはアンゼルム・ラットが就任した。ここに至ってこれ以降二十年の、皇帝となる人達がおよそ政治の表舞台に、姿を現すのであった。
【マーズ・テラフォーミング計画始動】
アルフレッド帝の登位から三ヵ月後の八月十日、世界に向けてある論文が発表された。それは、アメリカとイギリスの共同チームのまとめたものであり、今後百年の人口増加に関するものであった。それによると、地球の諸国家の統一と文輪帝国の福利厚生によって、人口増加率が一層高まる可能性があるとあった。そして、速やかに対処を行なわなければ、溢れた世界人口によって食糧危機が二十一世紀半ばには深刻化するという警告が発せられていた。
この二週間後の八月二十四日、アルフレッド帝は両院代表者会議を招集し、さらに、その場にレデトール共和国のメセデレセ先端技術管理官を招待した。それに加えて、世界各地から様々な研究者まで招待する。さながら、宇宙規模で開いた学会のような観があるが、実際には、帝国最初の巨大プロジェクトを話し合う場であった。そして、十八時間にも亘って行なわれた会議の末、アルフレッド帝は記者会見の場で開口一番に言った。
「本日の会議の結果、我々文輪帝国はマーズ・テラフォーミング計画を翌年より発動する。以後五十年で、文輪はマーズ・テラフォーミング特別担当官を設置し、レデトール星の協力を得て、火星を緑地化することを宣言する」
この会見の後、集まった記者の間からは、どよめきしか起こらなかったという。
このマーズ・テラフォーミング計画であるが、これは元々文輪が創案したものではない。既に帝国創設前には提案されていた計画であり、それを、文輪帝国が実施に移したというだけである。だが、これを実施に移したということは、その必要性が生じたということでもあるが、それ以上に、その余裕が少し生じたということであった。
それで、この計画の内容であるが、要は火星を緑地化し、そこに人類を移住させようという計画である。元々、火星には大気が存在したと考えられており、極地にはドライアイスが存在する。そこで、そのドライアイスを溶かして大気とし、その温室効果によって火星の気温を一定化させた上で、緑地化するというのがこの計画の大筋である。この計画はあまりに大きすぎるために、実行するのは難しいと考えられていたが、レデトールの科学技術と、現在の世界情勢なら可能であると、アルフレッド帝は睨んだのである。
また、先に述べた人口増加についての論文は、もはや、帝国を滅ぼしかねない大問題になっていた。これを解消するには、地球上の人口を減らすより他にはない。その為には、新たな土地の獲得が必須だったのである。
そして、この人類の存亡において大事を担う担当官には、前皇帝のデスフォート・クラッフスが選ばれる事となった。以後、デスフォートは他の重要な官職を兼ねながら、十年に亘ってこの大任を果たしてゆく事となる。その為、デスフォートに対する評価は、帝位に在った時代よりも、このマーズ・テラフォーミング特別担当官に在った時の方が遥かに高くなっている。
このようにして、アルフレッド帝は文輪帝国の礎の大きな部分を築き上げることになる。しかし、その彼に待っていたのは、進攻を目論む勢力との戦いであった。
【クラッタニア王国】
話が少し前に戻るが、辻杜帝が地球を統一した頃、宇宙の遥か彼方にも、同じく成立した国家が存在した。これが、文輪帝国初期の最大の敵となる、クラッタニア王国である。以後六十年に亘って、文輪と対峙してゆくこととなるこの王国であるが、初めのうちは決して、悪い関係ではなかった。むしろ、クラッタニア王国は二〇〇四年九月、文輪に対して救援要請を行なっている。
この当時、文輪はレデトール共和国とユヌピス王国という、二つの国家を同盟国に持つ国家であった。その勢力は、決して強いものとは言えなかったが、新興の国としては、宇宙の中でも大きな方であった。ちなみに、宇宙の中で当時、最強を誇っていたのはクロイス星とその同盟国である。そして、クラッタニア王国自体は、この中でも、最弱の部類に入る。その為、クラッタニア王国の頼れる国家自体が少なかったのである。むしろ、強すぎる国家であれば、逆手に取られて侵略される可能性さえもあった。
そこで、文輪帝国に目をつけたわけであるが、クラッタニア王国は、この機に文輪帝国自体を乗っ取ることさえ考えていたようである。正確な史書は存在しないが、クラッタニア王国の機密文章の中に、それを窺わせる行が含まれている。兎にも角にも、クラッタニア王国は救援要請を行なうために、フィリス・ヘルア特使を文輪皇帝の下に送ったのである。
これに対し、救援の要請を受けるのは初めてである文輪帝国は、最初からこれを受ける方針でいた。まず、皇帝のアルフレッドが賛意を示し、これに常任委員長と両執政官が続いた。この四人があっさりと要請受理の方向に向かったのは、機先を制するためであったろう。フィリス特使は、クラッタニアの次は文輪であると告げ、その証拠を次々と示したのである。また、レデトールからも、同じような情報が齎されていた。攻められる前に攻める必要が、彼らにはあったのである。
だが、ここで待ったをかける存在があった。それは、レデトール共和国の国家戦略担当官であったマヌソフである。彼は、文輪皇帝に対し、以下のような警告を行なった。
「クラッタニア王国の前身であるヤナレ王国は、星内を統一するに際して、敗北と混乱に乗じた国家です。もし、文輪帝国が敗北された際には、クラッタニア王国に併呑される可能性があります」
それでも、アルフレッド帝はレデトール星の協力を基に、クラッタニア王国への援軍を送ることにした。それに際して、アルフレッド帝は演説を行なっているが、その中で、軍団兵派遣の理由をこのように語っている。
「我々と同じように、建国されたばかりの国家を見殺しにするのは耐え難い。また、クラッタニアへの軍の派遣は、決してクラッタニアのためだけではない。我らが国益にも十分に適っている。外界の安定化こそが、我々の平和に繋がるのである」
こうして、アルフレッド帝は常任委員長と両執政官に後事を託し、十個軍団を率いてクラッタニア星へと向かったのであった。
【レデトール星訪問】
しかし、アルフレッド帝はクラッタニア星へと向かう途中で、寄り道をすることとなる。皇軍である十個軍団を皇軍司令官である千野春生将軍と柳沢陽介将軍とに任せ、アルフレッド帝自身はレデトール星に向かったのである。
突然の訪問であるが、これには二つの理由が在った。
一つ目の理由は、クラッタニア救援軍への協力に対する感謝である。クラッタニア王国に対して救援軍を送ると決定した文輪であったが、文輪には、クラッタニア星へと向かう交通手段が存在しなかった。そこで、アルフレッド帝はレデトール星に宇宙を進むための乗り物、即ち、宇宙輸送艦の提供を依頼したのである。これに対し、レデトール共和国は貸与という形ではあったものの、快くこれを了承し、宇宙輸送艦に加えて宇宙巡洋艦、宇宙戦艦なども提供したのである。これには、アルフレッド帝だけではなく、両院の総員が感激し、皇帝自らが感謝の意を伝えるために訪問することを決定したのである。
また、もう一つの理由は、レデトール星との同盟時に約束した、レデトール星との相互訪問を早期に実行したかったためである。確かに、デスフォート帝の時代にレデトール共和国と同盟を結びはした。それでも、相互の関係改善のためには、相互訪問は必要不可欠であると、アルフレッド帝は踏んだのである。特に、本国を空にする今、同盟関係の強化こそが、後顧の憂いを断つ最良の手段であると考えたのである。
このような中で行なわれたアルフレッド帝のレデトール訪問であったが、それは非常に良好な形であったとされる。二〇〇四年の十月二十日から二五日にかけてこの訪問は行なわれたが、その間中、アルフレッド帝の護衛には一切の仕事がなかったほどである。むしろ、皇帝自ら群衆の中に分け入り、レデトール市民との交流を深めたという。
また、レデトール星の歓迎も最恵国待遇であった。出迎えにはケーナ正統施政官をはじめ、レデトール共和国の高官全てが訪れたという。その後に行なわれた晩餐会では、レデトールの珍味と地球の珍味とがそれぞれ準備され、アルフレッド帝は大いに感激したという。加えて、晩餐会の途中には、レデトール星では最高級とされる、青のセルレと呼ばれる外套が贈られた。
このように、歓待と熱狂の中で行なわれた訪問において、それでも、アルフレッド帝が成すべき事を忘れる事はなかった。レデトール星滞在中、レデトールとの関係を構築しながらも、同時に、クラッタニアの王国の国情や、宇宙における国家勢力についての研究を絶やさなかったのである。加えて、本国ペルシア地方で起きた巨大地震に対し、その対応策と特別担当官を速やかに定め、送っている。そして、クラッタニア星において対峙する敵の情勢についても、事細かに調べていった。
このようにして、六日間を有効に利用したアルフレッド帝は、レデトールを離れてクラッタニア王国へと向かうのであった。
【フィルンツ星】
二〇〇四年の十一月一日、アルフレッド帝はクラッタニア星のメネルイス大陸に到着した。ただし、到着前後に行なわれた宇宙戦艦同士の決戦で、旗艦である「龍一」が大破。殿艦である「デスフォート」も廃艦こそ免れたものの、暫くは操艦さえ不可能な状態となった。その他、大小七八の艦のうち、無傷でクラッタニアに到着できたのは、僅かに七隻だけであった。文輪は陸戦こそ強かったものの、艦隊戦術自体は成立していなかった。
それでも、アルフレッド帝はクラッタニア星の到着直後に、敵陣営地を急襲するという荒業をやってのけている。文輪歴代皇帝の中でも、強力な積極戦法の担い手であった帝らしい戦い方であった。
ここで、いよいよ文輪軍はクラッタニア王国を襲った国と対峙することとなった。その国とは、宇宙の中でも勢いを増しつつある、フィルンツ帝国であった。
フィルンツ帝国は、クラッタニア星よりもさらに遠くに存在するフィルンツ星を母星とした小規模な帝国である。地球で言う一七一八年に星内部が統一され、それ以降は積極的な外交と進攻の繰り返しにより、その領土を拡大していた。
また、国内の統一にも力を注ぎ、帝国成立から一世紀の間は、絶える事のない内乱に苛まれたものの、一九〇〇年代には、星内部の価値観がおよそ整った。そういった面においては、地球進攻について内部で割れたレデトールや平行相違空間よりも、遥かに手ごわい相手であった。加えて、戦術の研究には余念がなく、急造の文輪軍団よりも、高級指揮官の能力は軒並み高かった。
そして、これこそ何よりも大切な、帝国内部の統一であるが、これも巧妙な利益の分配によって成功していた。富める地域は富み、搾取される地域は徹底的に搾取される。これを明確に区分し、さらには、それを環状に構成してゆくことによって、帝国内部が分裂した場合にも、本国内は余裕で守りきれるという形をとっていたのである。
このようなフィルンツ帝国が、対文輪軍団に投入したのは、三軍である二十八万であった。この大兵力を、フィルンツの雷と呼ばれるフェラント・メルス、フィルンツの甲殻の異名を持つチラ・ラスン、宇宙を統べる者ことゲヒト・ルーマンデという、強力な三将軍に率いさせた。そして、この三軍を率いるのはサス・タスタ大将。参謀総長にはオーメルフ・トスル・キスシスが選ばれ、当時のフィルンツが切りうる最高のカードを切ったのである。
以上のような軍容で挑んできたフィルンツ帝国に対し、アルフレッド帝は、それでも、六万という文輪軍団兵を増やすことはしていない。むしろ、これ以上の兵力をこの時点で抱え込む事は不可能であった。まず、移動手段がなく、加えて、補給の方法も少なかった。さらに、これ以上兵力を割けば、文輪本国の守りが薄くなり、ギジガナアニーニアに付け入られる可能性さえもあった。実際、ギジガナアニーニアにはフィルンツの特使が訪問した形跡があり、盛んに兵力の増強を行なっていた。これを、武力行使なしで防ぎきったのは、ひとえに、マンデラ常任委員長の奮闘のおかげである。彼は、裏から尽くせる限りの手を尽くし、ギジガナアニーニア内の情勢を不安定にした上で、ユヌピス王国との共同軍事演習という名目で、平行相違世界に軍団兵を集結させていた。このため、フィルンツ星の期待も虚しく、文輪本国への直接攻撃は夢に終わった。
だが、これだけで戦争が終わるなどという事はない。そこで、アルフレッド帝は敵軍の情勢を把握した上で、各個撃破を行う以外にないと踏んだのである。その為、クラッタニア星に到着すると共に行なった事は、敵陣営地の撃破による敵部隊の寸断であった。これに、フィルンツ軍も乗った。いや、乗らざるを得なかった。アルフレッド帝が攻めた陣営地は、フィルンツ帝国の三軍の要に当たり、ここを制圧されれば兵糧攻めに苦しめられるだけでなく、三軍の連携が取れないままに崩壊してしまう恐れがあった。
そこで、フィルンツのゲヒト将軍は自軍の守りに一万五千を残して、八万六千でアルフレッド帝と対峙した。一方、奪った陣営地などの守りのために、アルフレッド帝が抱える兵力は僅かに五個軍団である三万でしかなかった。それでも、アルフレッド帝に退くという概念はなかった。
十二月十七日に行なわれたこの両軍の対決は、キリキンデラの会戦と呼ばれることになる。この戦いにおいて、アルフレッドは七百の損失だけで勝利するという技をやってのけている。これが、デスフォートも見込んだアルフレッド帝の武将の才能であるが、この文輪の恐るべき戦果によって、フィルンツ軍は壊滅か後退かを迫られたのである。そして、この大軍が逃げ込んだのは、クラッタニア星のマー・ナラスタ島であった。
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