2−3 チビ、そして、調理実習
「お願いします。私に料理を教えて下さい」
白井さんが僕に頭を下げている。綺麗な九十度だ。お辞儀だ。頭が高い。土下座しろ。
僕らの調理実習班はどうやら三人だけであったらしい。僕と信長と白井さん。もう一人は欠席だったようだ。
料理が一切できない白井さんは僕らに働かせることで乗り切ろうとしたようだが、彼女は料理に関してグズであるくせにすぐに頭を下げなかった。その結果、無駄に時間を過ごすことになってしまった。そして、まこっちゃんに目をつけられた。それが、今回の成り行きのようだ。
というわけで、白井さんは僕らに頼らなければならないのだが、実は信長も料理はできない。料理は将の仕事ではないとか何とか。とりあえず、茶でもたててろバーカと言ったら、信長は茶の道は嗜んでおると言って家庭科室の隅で邪魔にならないようにこじんまりと作業し始めた。
まぁ、信長はどうでもいい。料理ができないわけでもない僕とポンコツチビ助。序列ははっきりしている。さて、これからどのようにしてやろうか。楽しい楽しい時間が幕を開けたのであった。
「さて、今日のお題は何だったかね、白井くん」
「カレーですっ!」
元気よく答える白井さん。その無邪気っぷりが小ささも相まって子供とおままごとをしているような気分になり微笑ましくなる。
僕も少しテンションを上げて次の質問を行う。
「では、カレーライスの作業工程を唱えなさい!」
「とぐと……たく?」
「えーっと、お米の話ね。まぁ、時間かかるし先に米を炊こうか」
白井さんはプリントを読み上げているだけなのに、それでもどこか怪しい雰囲気だ。だが良しとしよう。実践に勝る教材はない。
「それではプリントに書いてある通りに米を研いでみなさい」
そういって彼女に米研ぎを任せる。めんどくさいからやってほしい。なんで無洗米用意しないんだよクソ教師。
実践に勝る教材はない、そう思っている。だが、彼女は僕の想像をいとも簡単に越えてきた。
「えーっと、洗うんだから……」
そう言って彼女が手にしたのはタワシと洗剤。……は?
「ストップストップ、何持ってんの?」
「洗剤とタワシ!」
「何で?」
「洗い物に必要かなっと思って!」
白井さんは眩しい笑顔だ。本気でそう思っているのだろう。そのガチ具合がより一層僕の心を寂しくさせる。
頑張れ、自分。一瞬気が遠くなるも、もう一度勇気と希望を振り絞って白井さんに問いかける。気分は人質を取って立てこもる強盗をなんとかなだめているような感じだ。
「今から洗うのは、お米なんだ。食べ物なんだ。百歩譲って……千歩譲ってタワシはいいとしよう。洗剤……使いたい?」
「へっ……使おうよ。綺麗になるよ?」
僕は崩れ落ちた。強盗は恐怖政治を始めてしまった。
白井さんはよくわからないといった具合の反応だ。非常に純粋な反応である。
なんかまこっちゃんがあれだけ煽るのも頷ける。まさかここまで酷いとは。僕とは常識がカスリもしないようである。
色々と諦めた僕はすぐに行動を始めたのであった。
「いいよっ! 僕がやるよっ!」
米は僕が研ぐ。おててが荒れるけれども気にしない。白井さんへの料理講習はその後からだ。
悪いのはどう考えても彼女だ。しかしなぜか、彼女は不満げであった。口をアヒルのように尖らせるのが癖みたいである。可愛らしいが今は憎たらしい。もっと違う場面で気がつきたかった。
それから米を炊く工程を手早く終わらせた僕はカレーのルーを作り始めた。手早く終わらせないと、何が起こるかわからなかった。洗剤で米は炊けません。洗剤の量が足りないからってクレンザーを混ぜてはいけません。……僕はクレンザーの容器のラベルに描かれたニコちゃんマークの笑顔に苛立って仕方なかった。
彼女から洗剤とクレンザーとタワシとスポンジを取り上げた僕は、野菜の洗浄を命じる。食材を持つ彼女の手から豚肉も取り上げた僕は、改めて野菜の洗浄を命じる。
……じゃがいもとにんじんの皮むき、任せても大丈夫だろうか。そろそろ信長を呼び戻したほうがいいだろうか。まだ奴の方が常識がある。と思っていたのだが、教室の端に目を向けてみると、信長はどういう経緯だろうか家庭科の先生と二人で悟り開いていた。怖っ。呼び出すのはやめたほうがいいだろうなぁ。というかあれには関わりたくない。
カレー作りはまだ序盤も序盤。だがもう疲れ果てて逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
そんな時であった。ふと、すぐ近くから気合を込める声が聞こえてきた。
「はぁぁぁっっ!」
あのアホチビだ。彼女は振りかぶり……振りかぶり?
「やめろぉぉっ!」
僕は彼女へ必死に制止を呼びかける。
彼女は包丁を両手で握りしめて天高く振りかぶり、目の前の傷だらけのジャガイモを見据えて集中力を高めていた。まるで今から必殺技でも放ちそうな気迫だ。だが、その気迫は海とか雷とか切るために使う気迫であって、断じてジャガイモ相手には相応しくない。
「白井さんっ!」
僕は再度呼びかける。しかし、彼女はピクリとも反応しない。無駄に集中力が深いようだ。
僕は咄嗟に彼女の方向へと動き出す。
包丁を、安全に、迅速に、彼女から引き離さねば。
「はぁぁぁっっ!」
しかし、現実は無情であった。
彼女が勢いよく包丁を天から振り下ろそうとする。
「くそっ、間に合えぇっ!」
僕はなりふり構わず、彼女の愚行を止めようと包丁を持つ手に飛びつく。
実行に移された暁のことを想像するとマジで危ない。
そうして、必死に飛びつき……僕は彼女を止めることに成功した。
良かった。体を張った甲斐があった。彼女の愚行を無事に止め、けが人も人死にも出ずにことなきことを得た。
「はぁ……」
なんとか急場を乗り越えた僕はホッとため息を漏らす。
すると、間近から可愛らしい悲鳴が短く聞こえてきた。
「ひゃっ」
すぐ近くにあった彼女の顔が真っ赤に染まっている。
僕は彼女を後ろから飛びついて止めた。だが、それによって、図らずも、僕が白井さんを後ろから抱きしめるような形となってしまったのだ。
セクハラだろうか。
退学だろうか。
ビンタくらいで済ませてくれないかな。
男女が授業中にバックハグをしている。みんなが見ている場所で。
周りから好奇的な目をすごく感じた。彼女と同様に僕も顔に血が昇ってくる。
それからコンマ数秒、我に返り、僕は彼女からパッと離れる。
「ご、ごめん……」
こういう時、なんと声をかけたらいいのか。なんと謝ればいいのか。ビンタがそろそろ欲しいと思う僕はドMなのだろうか。
だが、僕の思いに反してしばらく、彼女は顔を真っ赤にして俯いていたままであった。
それからしばらく、白井さんはおとなしめであった。
やはり、気まずかった。お互いに意識してしまい、それを感じさせまいと気を遣って空回りして、さらに気まずくなって。かえって実習の作業は捗ったのだが、全く嬉しくなかった。
彼女も積極的に動くことが減って、指示に従順になったため、本当に作業が楽だった。
ちょっと具材を炒める時に塩と間違えて砂糖を持ってきたり、塩も砂糖も両方いらないと言ったら胡椒を持ってきて正解したことに驚いたり、驚いていたら胡椒をふりかけずに入れ物のキャップを外してドバドバしようとしてたり。あとは、ちょっと具材を煮るときに洗剤で煮ようとしてみたり、挙げ句の果てに固形ルーの代わりにクレンザーを持ち出したり。最後の方はクレンザー容器のラベルのニコちゃんマークの笑みも流石に陰っているように見えた。
本当に彼女はおとなしめであった。
そうして、なんとか作業を終えた僕らは実食タイムを迎えていた。
調理実習で最も楽しいひと時である、みんな大好き実食タイム。自分で作った料理は倍美味しいし、みんなで食べるご飯はさらに倍美味しい。ただ、それは食卓の空気が良好であればという条件付きだ。
いつの間にか教室から消えてしまっていた信長のせいで、僕と白井さんは二人っきりで向かい合って食事をすることになっていた。
「お、おいしいねっ」
「うん……」
僕がカレーを食べながら必死に紡いだ言葉も虚しく消えていく。
とても、気まずい。
他の班が楽しげな食事を終えて片付けを始める中、僕らの間には沈黙と気まずさが重く漂っていた。マジで信長どこに行ったんだ。早く帰ってきてくれ。お前の空気より軽い存在感も、今なら白井さんの体重よりは重くなれるはずだ。
黙々とスプーンを口に運びながら食を進める。やがて、もう少しで器も空になろうかという頃、重々しく彼女が口を開いた。
「目黒くん、料理上手なんだね」
白井さんは落ち込んでいて、今にも泣き出しそうだ。
「今日は本当にごめんね……。私、君に迷惑をかけてばっかりだ……」
謝罪の言葉がこぼれ落ちていく。最後の方は涙声が混じっていた。
僕は正直、この調理実習での惨状にムカついていた。結局ほぼ全部僕が作業を行ったし、ツッコミ疲れたし、赤面させられたし。
だけど、彼女はずっと一所懸命頑張っていた。空回りが甚だしかったけども。それでも、頑張っていたことは好感が持てた。
かといって、このまま彼女に慰めの言葉をかけるのも違う気がした。散々だったのは覆しようのない事実だし、僕は嘘が苦手である。多分慰めは毒になっても薬にはならない。
ならばどうするか。僕はずっと考えていた疑問を突きつけることから始めることにした。
「ねぇ、白井さん。料理苦手なんだよね? なんで、積極的に料理しようとしてたの?」
「そ、それは……」
彼女は口ごもる。
ちょっとだけ言い方がきつかっただろうか。萎縮させてしまっただろうか。言葉を変えてみよう。
「全部僕に任せればよかったのに。たぶん僕が白井さんの立場だったらそうする。でも、君はそうしなかった。理由があるんじゃない?」
まこっちゃんとの言い合いで張った意地もあるんだと思う。でも、それだけではないと感じていた。
僕の問いかけに、白井さんはおずおずと、それでもしっかりと話し出す。
「最初は意地だったの。先生にあんなこと言っちゃったから。でも、それだけじゃなくて……いつも先生には迷惑かけてるから、折角だから、私だってできるんだってところを見せたかったし、美味しいご飯をご馳走してちょっとでも恩返しできたらなって思ったの。でも、うまくいかなくて……。それに……」
気になる。あなたにとって先生ってなんですか。僕の頭の中の先生って文字は灰色で掠れて書かれているけど、白井さんの頭の中ではピンク色な上に語尾にハートマークが十個くらいついてるような気がして仕方ない。まこっちゃんと白井さんってどういう関係なの。付き合ってるのかよ。
まぁそれはさておき、彼女が落ち込んでいた原因が見えてきた。だから彼女の面倒な後悔話を遮ってでも一旦伝えよう。というか面倒すぎて聞いてられない。
「正直、今日の白井さんは全くもって役立たずだった」
彼女も身に沁みているのであろう。僕の追い打ちをかける言葉に顔を歪ませる。
だが、僕は彼女の表情の変化に構わず続ける。
「今日はそうだな……五パーセントだ。このカレーライスにおける白井さんの貢献度は五パーセントだけだ。このカレーライスにほとんど君は関係ない」
今度こそ彼女は本当にかわいそうな顔になってしまう。泣いて済む話じゃねぇんだよバーカ。……間違えた。女の子を泣かせちゃって、べ、別に、こ、興奮してなんかいないんだからねっ。
僕は少し焦りで早口になりながらも続ける。ここからが本題だ。
「だけど、今日の失敗を明日の君は幾分かは覚えているはずだ。明日、カレーライスを作ったとしたら君は六パーセント分は貢献できるに違いない」
白井さんが目の前のチビは何を言ってるんだというような疑問に満ちた表情で顔を上げる。チビは余計だバーカ。
「明後日は七パーセント、明々後日は八パーセント……九十五回積み上げればカレーライスマスターだ。まぁ、実際はもっと早くできるようになるだろうけど」
僕の言葉の最後の方には彼女の浮かない表情も少しは見られるようなものになってきていた。
「だから、まぁ……練習していけばいいんじゃないの? ある程度練習すれば大抵のことは中の下くらいまではできるようになるし」
そう言って僕は彼女から視線を切る。なんだか気恥ずかしくなってしまった。キツい時はよりキツかった時の記憶を思い出せ。最近で一番気恥ずかしかった思い出は——さっきの包丁振り下ろしストップの時のバックハグだ。あああぁぁぁっっ。よしっ、僕は大丈夫だ。
まぁ、とりあえず料理中に洗剤を突っ込みたがる女の作品を食べさせたらまこっちゃん先生が死ぬ。だから練習を促すことは悪いことではないと思う。
一人勝手に身悶えていると、表情を幾分か明るくした白井さんがこちらを見つめていた。
「練習しても、中の下か……。それに、そんなにカレーライスマスターには興味ないなぁ……」
どうやら白井さんにはカレーライスマスターへの誘いは響かなかったようだ。
だが、一拍置いて続けられた彼女の言葉に僕ははっとさせられた。
「でも、ありがと」
短い、たった四文字のお礼。でも、そこから白井さんの少し吹っ切れた様子が伝わってきて、僕も嬉しくなった。
お礼とともに、彼女は笑顔を浮かべていた。花のような笑顔。えくぼが魅力的だ。そんな彼女の笑みはちょっとだけ、いや、とても可愛いらしかった。たまには気恥ずかしい思いもしてみるものである。頑張った甲斐があった。
……気恥ずかしい、バックハグ、はぁ、はぁぁ、はぁぁっ、あああぁぁぁっっ。もう、お嫁にいけない。
からあげメガネと恋模様〜デブをダイエットさせて美少女育成しますっ⁉︎〜 ハネダタロウ @taro_haneda
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