2−2 チビ、そして、オバケ
幽霊騒ぎなんてなかった。驚かせやがってこのクソチビ、絶対許さない。
やがて、気を取り直したのか、白井さんが信長に謝罪する。
「えぇっと、ごめんなさい、上田くん。気づかなくて」
「構わない。いつものことだ」
信長は慣れたことのように、振る舞う。傷つき、傷だらけになり、さらに嬲られた後でも女の子の前では虚勢を張る。我が親友は男の中の男だ。今後一週間くらいは今のセリフのモノマネで楽しめるかもしれない。
白井さんは信長の虚勢に更に自身の行動を悔いたのか落ち込みが激しくなる。
「えっ、あぁ、ええっと、ありがとう……はぁ、私、今日謝ってばっかりだ」
「あぁ……」
「休み時間に珠実とふざけてたら珠実を転ばせちゃったし、結果的に目黒くんの眼鏡壊しちゃったし、目黒くん泣かせちゃったし、上田くんにもひどいこと言っちゃうし……。私、人として最低だ……」
「……大丈夫。きっと良いことがあるはずだ」
何故か被害者なのに慰める側に回っている信長。こういうマウントの取られやすいところもキャラの強さの割にイマイチ存在感が伸びない原因だろう。
信長の慰めに白井さんは何故か涙をにじませていた。どうやら今日は辛いことでもあったらしい。しかし、僕ではなく信長に慰めを求めて正解だったな。僕ならば慰めを与える代わりに髪の毛を引っこ抜いていたよ。レートは一文字につき一本だろうか。よぉし、たっくさん喋っちゃうぞっ。……相棒よ、永遠に。
だが、冷静に見てみるとこの二人、何やらいい感じの雰囲気である。泣く女の子と慰める男の子、頭ポンポンとかハグとかそういう事やり出したらもう完全にピンク色である。まぁ頭ポンポンとかやり出したら大体キショいと思われるだけだ。なんならそれから数ヶ月以上その話を女子会で話されてキモがられて、キモがられたことが男子連中にも伝わって面白くもないのに何回もそのネタでいじられて、いじられていることを目撃した女子がまた女子会で話して……悪しき輪廻、僕が信長を邪魔をしてやろ……間違えた、僕が信長を助けてやろう。べ、別に羨ましくなんかないんだから。
僕は信長と白井さんの間に割って入り、質問をぶつける。
「ところで白井さん、なんで君は僕と信長の会話に割って入ってきたんだい?」
信長から恨むような、蔑むような目線を送られる。だが僕は気にしない。
僕らのやりとりに気づかない白井さんは、僕の質問に改めて答えた。
「今、調理実習中なんだけど」
僕は聞き返す。
「うん、それで?」
「それで⁉︎ はぁ……。ええっと、私と君たち、同じ班」
白井さんは呆れたような口調で返してきた。
僕はその態度にムカついたので無関心を装って聞き返す。
「へー、それで?」
「それで⁉︎ もう一人の子が今日お休みだから、班員は私たち三人しかいないんですぅ」
白井さんは口を尖らせて不満を口にする。可愛らしい。ちょっと楽しくなってきた。
僕は聞き返す。
「ほぉ、それで?」
「そ、れ、で⁉︎ それで、は、た、ら、け、ってことですぅ!」
「ほぉ。それで?」
「そ、れ、で⁉︎ だ、か、ら! ちょ——」
白井さんは爆発した。ちょっと思った以上にうるさい。うっとおしい。だから僕は信長の方へ体の向きを変えて話し始める。
「信長、それで、さっきの話の続きなんだが……」
「いいからはたらけ、この——!」
「ん?」
僕の態度に腹を立てたのか僕らの間に白井さんは割り込んできた。だが、肝心の彼女の声が小さくて聞き取れなかった。聞き取りたくなかったんじゃない。聞き取れなかったんだ。だから無意識に聞き返してしまった。ちょっと喧嘩腰で食い気味に聞き返してしまった。
すると、白井さんがその言葉を、禁断のフレーズを繰り返した。
「いいからはたらけ、このチビが!」
「チビ、だと……?」
僕は打ちひしがれる。目の前にいるのはチビだ。控えめに言っても中学生、ランドセルを背負っていても違和感ないチビだ。そんな奴が、僕のことを、チビだなんて……。
プツンとと頭の中で何かが切れた音がした。
「おいコラ! 誰がチビだ、このどチビ!」
「あぁん?」
「あぁん?」
僕と目の前のどチビは睨み合う。一触即発の緊張感。
悔しいが、僕は確かに小さい。だが、僕よりもさらにずっと小さいこいつにだけは言われたくない。目測で十センチは彼女の方が低い。十センチは天と地の差だ。まったく何様のつもりだ。
睨み合う僕ら。お互い一歩も引けない己のプライドをかけた戦い。
だが、そんな僕らの聖戦に思わぬ方向から援護射撃が放たれた。
「えーっと、こ、これほぼ全面的にメガネの言い分が間違ってるぜよ?」
信長の援護射撃、ただし白井さんへの。若干気圧され、どもりながらの指摘。……親友だって信じてたのに。この裏切り者。
僕は信長に言い放つ。
「知るかハゲ。今はこのどチビの対処で忙しいんだ、黙ってろハゲ」
しかし信長も言い返す。
「黙れチビ。牛乳飲んでないからカルシウム不足なんじゃないですかぁ?」
信長の手痛い反撃に僕はムカついて殴り返したくなる。というか引っこ抜きたくなる。というか、牛乳と身長は関係ないし。だって毎日飲んでも伸びねぇし。毎日飲んでるから、このイライラもカルシウム不足じゃねぇし。
だが、僕がキレる前に彼女がキレた。
「チビって弄ってんじゃねぇよ! あと、身長と牛乳は関係ないよっ!」
悔しいがやっぱり彼女は分かってる。僕が彼女の言葉に頷いていると、まさかの攻撃に困惑している信長にさらに彼女は渾身の一撃を見舞った。
「だいたいチビでもデカくても存在してればそれだけで十分なんだよ! 黙ってろこの、オバケがっ!」
信長にクリティカルヒット。なんか泣きそうになっている。
あまりの展開に僕は硬直してしまった。そして、ちょっとだけ冷静さを取り戻して気がついた。助太刀に入っただけの親切な信長が二対一でボコられようとしていたのだ。哀れだ。これなら一本くらい引っこ抜いてもバレないだろうか。
しかし、心踊る抜き抜きフィーバータイムは訪れなかった。信長の尊厳は守られた。
代わりにやってきたのは、先生であった。
「おいおい。お前らだけ一切調理始めてないけど、何やってんだ?」
しかし、白井さんは違うのかもしれない。彼女はまこっちゃんにキツく言い放つ。
「うるさい黙れ」
先生に向けたものとは思えない容赦ない発言。だが、まこっちゃんの返しも容赦がなかった。
「俺は目黒と上田に言ってるんだ。清香は料理全くできないから関係ないだろ」
あれっ、何だろうこの仲良さそうな返し。
「で、できるし」
白井さんが先生に張り合って、挑発するように言う。
「私だって料理できるし」
虚勢を張っているのが見え見えな白井さん。対して、まこっちゃんは微笑ましそうな表情を向けながら、さらに煽る。
「そっか。できるようになったのかー。じゃあ、先生が手伝ってあげよっか?」
先生のニヤニヤっとした笑顔はそれはもう憎たらしかった。
関係ない僕でも腹立つ言い様。それを受けた白井さんはそれはもう、人様にお見せできるような形相ではなかった。
「いらない、帰れ」
彼女はぶっきらぼうに言い放つ。
その言葉にまこっちゃんはニヤリと口角を深めて、捨て台詞を吐く。
「はっはっは、頑張れよ。さぞかし清香さんの作る料理は美味しいんだろうなぁ。楽しみだなぁ」
挑発を最後に笑いながら立ち去っていくまこっちゃん。
普段はこんな感じではなくもっと爽やかなのだが、どうしたのだろうか。というか、この二人めちゃくちゃ仲良くないか。喧嘩中のカップルにしか見えないぞ。
信長を数的有利でタコ殴りにするつもりが、気づいたら先生と白井さんのイチャつく姿を見せられていた。なんか釈然としない。とりあえず十本くらい引っこ抜いてやろうか。
イラつく白井さん、なんか釈然としない僕。それに対して信長はなぜか僕以上に釈然としない様子だ。何かあったのだろか。
信長がなにやらしみじみと呟く。
「まこっちゃん先生ってあのような接し方する人だったのだなぁ」
「普段は優しくて親切な兄貴分みたいな感じだもんなぁ」
「そうそう、我と話す時はなんか別人みたいビビる故に……」
「ん?」
「ん?」
話が噛み合わないぞ。
僕の印象はほんとうに頼りになる兄貴分ってところだ。だけど、信長のはどういうことだろうか。
「信長、お前と話すときのまこっちゃん先生ってどういう感じなの?」
「……我はなにもしていない。ただただ立っているだけなのだ。それなのに、まこっちゃんは我が喋ったり動いたり、一挙手一投足に一々肩を跳ね上げ、時には悲鳴さえあげる。なぜだ……」
信長は悲しそうに続ける。
「つい先程の話である。我が白井さんに気付かれず、挙げ句の果てにオバケ扱いされて落ち込んでたら、すぐ近くで悲鳴が上がったでござる。振り返るとまこっちゃんが半泣きしていたでござる。我は更に落ち込んで、落ち込みすぎて一周回って人に優しくしようとしたにも関わらず、今度はお主らだ。オバケはないだろう、オバケはっ! なぜだ、なぜだ、なぜなのだっ……」
信長が嘆いている。
なんか事態を察してきた。
「もしかしてまこっちゃん先生が、あれだけ煽ってたのに白井さんの料理している様子見ないで別のところに行ったのって……」
あ、まこっちゃんがこっち向いた。白井さんの前に信長が立って無表情で見つめ返した。
「ヒィッ!」
悲鳴がこちらの方まで聞こえてきた。それと同時に、信長の顔がかわいそうなことになっていく。
信長、自信を持て。君は人にいいことをした。ほら横を見てみろ、憤怒の形相を浮かべていた白井さんがドン引きしている。君は世界からまた一つ憎しみの芽を摘み取ったのだ。
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