2−1 ハゲ、そして、チビ




 王子と信長にマミエット計画を伝えて、それからすぐに僕は視界の確保に努めた。見えないままであったら再びいらぬ不幸な勘違いが生まれてしまうかもしれない。ハゲを笑う人間はクソである。僕はハゲを笑うクソにはなりたくない。……ぷっっ。

 細川珠実により相棒は無残な姿となってしまった。だが、かろうじてレンズだけは無事であった。だから、僕は信長から借りた眼鏡に相棒のレンズをはめ込むことにした。無理やりはめ込んだ。眼鏡のサイズ的には殆ど変わらないので無理矢理なんとかした。眼鏡さん、雑な扱いしてごめんよ、愛してる。こうして僕の視界は確保された。

 続いてクリアになった視界でもって、喜ばしいことに信長のヅラの無事も確認された。違和感は全くない。本当に良かった。

 だから僕は今度こそはと思い、信長に向けて満面の笑みでサムズアップをした。すると望外にも額に青筋を浮かべた信長に頭を叩かれた。

 粋な計らいだと思ってやったにも関わらず、返ってきた思わぬ仕打ちに僕は呆然とする。何が悪かったのか。これが炎上案件というやつなのだろうか。だが、考えているうちに段々とイライラしてきた。冷静に考えて悪いのはヅラをズラした信長であり、紛らわしい行動を取った信長である。結論、悪いのは信長である。

 僕はイライラを言葉に乗せて吐き出した。


「おいコラ、頭を叩くなハゲ!」


 信長の視線に剣呑さが宿る。だが僕は止まらない。


「身長が縮んだら、これ以上チビになってしまったらどう責任取ってくれるんだ、あぁん? てめえの頭も引っ叩いて毛髪砂漠化計画を促進させてやろうか? というか、髪の毛もっと引っこ抜いてやろうか、あぁん?」


 そう言って、言葉のついでに僕はちょっとだけ手も伸びかける。掴もうと、引っ張ろうと狙う。

 一方、信長も僕の言葉に反応して詰め寄り、見下ろして、睨みつけてくる。僕よりちょっとだけ、本当にちょっとだけ高い身長を生かしたささやかな反抗だ。怖くなんてないし心苦しくもない。十五センチなんて大した差ではない。本当に誤差だ。ほんとうだ。やい信長っ、手前のうっすい存在感じゃメンチ切っても威圧感ねぇんだよ。だから身長差なんて関係ねぇんだよ。

 一触即発、引っこ抜くのが先か叩いて凹むのが先か。負けてたまるもんか。 

 互いに睨み合い、機を狙い、騙し騙され、そして、隙を狙って手をヅラに伸ばし——、次の瞬間、僕の手は叩き落とされた。信長によってではない。般若のごとき形相の王子によってだ。王子は弄り合いは結構好きだが、喧嘩はとても嫌っている。そういう性分なのだろう。王子の表情は普段の穏やかなイケメンっぷりとのギャップも相まって、それはもう恐ろしかった。

 王子の睨みにより熱くなっていた僕らは強制的に凍えさせられる。

 僕と信長は一瞬だけアイコンタクトを取り、瞬間的に互いの怯えと停戦の意思を共有した。これは男の意地を賭けた闘いだ。だが、このままでは闘いを始める前に戦場を爆撃されてしまう。僕のカサ増し用のフサフサヘアーも信長のなけなしヘアーも燃え尽きてしまう。怒った王子はそれほどまでに恐ろしい。

 そして、クールダウンした僕ら二人は己の行いを反省した。お互いのウィークポイントを縮め引っ込め合う足の引っ張り合いは何も建設的ではない。冷静じゃなかった。申し訳ないことをした。

 おそらく向き合っている信長も同じ意思なのだろう。僕にはわかる。だってこんなにも穏やかな表情をしているんだもの。そして僕らは互いに謝罪の意を表すために、仲直りの儀式をとり行った。

 僕らは互いに眼鏡を手に持ち、そして、その眼鏡でタッチをする。眼鏡握手だ。

 眼鏡は絶対に裏切れない。眼鏡に誓って僕らは罪を悔やみ前に進む。

 そして僕と信長は仲良く席に座り、その光景に満足した王子は自分の班へと戻っていった。

 一件落着である。

 このように、上田信長は髪の毛が薄くて、影も薄いという強いキャラを持っているが、いたって普通のやつだ。身長も顔も頭脳も特に印象に残らないくらいで平均のちょっと下を彷徨っているなんの特徴もない存在感ゼロのやつだ。ちなみにだが、あのアホみたいな口調は名前由来らしい。なんでも、我は上田信長だから上杉謙信と武田信玄と織田信長の流れをひいているとかなんとか言い訳していた。その割には設定とか色々とブレブレで見苦しかった。奴は頭脳も髪の毛同様にダメかもしれない。まぁ、眼鏡を愛していなければ僕とは接点などかけらもなかったであろう人間だ。詳しいことは分からないし興味もない。そして、信長も今僕にとって親友と呼べる人間だ。細かいことなんてどうでもいい。世の中眼鏡が全て也。

 眼鏡以外の繋がりがないといえば我らが眼鏡愛好会のもう一人、王子も同じだ。王子正道。名前の通り正統派王子様な見た目とスペックの持ち主でケンカが結構強そうである。だから、僕や信長と違って友達はすごく多いし、かわいい彼女も最近まではいた。何やら価値観の不一致で別れたらしいが。ざまぁみろバーカ、アーホ、イケメーン。



 さて、余談はこの辺で置いておこう。ここは家庭科室。これから行われるのは調理実習。僕のマミエット計画の未来は五里霧中。

 細川珠実をダイエットさせて最高に眼鏡が似合う眼鏡美人に育て上げる計画、偉大なるマミエット計画は暗礁に乗り上げていた。

 課題はいくつかあるのだが、喫緊の課題は間違いなくコレだろう。


「さて、どうやって細川珠実と接点を持つか」


 僕は深刻気に独り言ちる。そう、僕には細川珠実との接点が一切ないのである。

 現在は家庭科の調理実習中だが、僕は実習そっちのけで考えていた。

 どうやったら細川珠実と接点を持てるのか。だが、一向に良案は浮かばない。 

 僕は細川珠実が痩せた姿に一目惚れした。だからこそ、なんとしてもマミエット計画を成功させたい。


「信長、本当にどうしたら良いと思う?」


 僕は横にいる信長に問いかける。今、僕と同じ班には信長はいたが、王子はいなかった。調理実習の班は男女二人ずつの四人で構成されている。そして、僕も信長も王子も男、三人とも一緒の班とはいかないのであった。こういう班分けパターンでは大抵の場合、交友の広い王子が別の班を作り、友達のいない僕と信長が一緒に組む。イケメン王子さま。ムカつくけど毎度どうもありがとう。

 僕の質問を受けて信長が口を開く。


「メガネ、貴殿は細川珠実についてダイエットの話しかしていないが、それ以外のパーソナルデータは存じているのか?」

「そんなの知ってるに決まって……なっ⁉︎」


 信長の言葉に僕は口をあんぐりと開ける。それと、同時に僕はショックに打ちひしがれていた。

 僕は彼女のことを何も知らないのだ。何が好きで、何が嫌いで、どんなことに興味を持っていて、どんな癖があって。ダイエットとは、本人の趣味嗜好、行動の傾向を踏まえた上で行わねば成立し得ない。僕は彼女を綺麗にしたいと思えど、本当に綺麗にしたいという熱意があったのだろうか。

 僕は打ちひしがれる。僕は馬鹿だ。これでは眼鏡を愛していると胸を張って言えるのだろうか。

 そうして、意気消沈していた時だった。横から女の子の声が恐る恐るといった様子で聞こえてきた。


「あ、あのっ……、ち、調理実習なんだけど……何してるの?」


 僕は横を見る。だが、誰もいない。

 少ししてもう一度声が発せられる。


「調理実習なんだけど……」


 僕は横を見る。だけど、誰もいない。本当にいない。

 まさか……い、いや、僕は信じない。でも、まさか、本当に……。


「……ゆ、幽霊?」

「下だアホ!」


 僕は言われるがままに下を見る。すると、そこにはチビがいた。間違えた。小さな女子がいた。お化けじゃなくて良かった。

 お化けなんか怖くないし。ビビってなんかないし。本当だし。あぁ、なんかイラついてきた。驚かせやがってこのクソチビが。僕は信長とこれからのことを真剣に話していたのだ。それなのに、この子はなんで邪魔をするのだ。僕はいくつも思い浮かぶ疑問をそのまま吐き出す。


「君……誰?」

「……白井清香しらい きよか


 小さな女の子もとい白井さんは少し悲しそうに自分の名前を言う。僕がクラスメイトの名前なんて覚えているわけないのに何をしょぼくれているのだろうか。僕は質問を続ける。 


「なんで僕と信長の会話に割って入ったの?」

「調理実習中なのに座ったままだから。ていうか、信長って誰?」

「え?」

「えっ?」


 両者の顔に疑問が浮かぶ。信長って誰だなんて、このチビは何を言っているのだろうか。


「信長なら、横にいるよ?」

「ん? へっ? 横にい……いやぁぁぁっ⁉︎」


 白井さんは信長を見て、そして悲鳴をあげる。まるで幽霊でも見たかのような驚きようだ。お化けなんでいないに決まってるだろ。

 白井さんの悲鳴に四方八方クラス中から視線が注がれる。だが、原因が僕たちだというのを察知されると何事もなかったかのように目を背けられる。

 信長は影が薄い。だから、すぐ近くにいる時でもどこにいるかわからないことが多々ある。班分けとかで存在を忘れられることなんてしょっちゅうだ。僕も出会って最初の頃はマジで識別できなかった。

 信長は白井さんに存在を気づかれなかった挙句、悲鳴を上げられたことに、ショックを受けたのか表情を消していく。その無表情、無感情っぷりが彼の影の薄さをさらに助長させていくのであった。


「ぎゃぁぁっ!」


 また、信長の犠牲者が出た。今度は先生だ。

 被害を受けた先生が涙目になっている。

 先生を泣かせた信長は生徒指導室行きだろうか、反省文だろうか。

 ザマァみろバァカ。

 たとえ眼鏡に誓おうと、僕は叩かれた恨みは忘れない。絶対に。




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