『ゴッホの手紙』の衝撃

ネコ エレクトゥス

第1話

 最近世間の一連の騒動から距離を置いて、ペストの中のボッカチオの『デカメロン』の登場人物のような生活をしている。そうした生活をよく思わない人もいるかもしれないけどそんな生活の中にも豊かな発見がある。現代版『デカメロン』を読むつもりでちょっと付き合ってください。

 さて、現代の『デカメロン』の登場人物は先日読んだ小林秀雄の『本居宣長』上巻の続きを借りるために図書館に出かけました。だが不思議なことに下巻が貸し出し中になっている。上巻は僕が持っていたのにどこのどいつが下巻だけ借りていったのか。世の中不思議なことがあるもんだ。しょうがないから同じく小林秀雄の『ゴッホの手紙』を借りて帰ることにした。


 戦後の有名な日本の画家で山下清という人がいる。テレビドラマ『裸の大将』シリーズでも有名になった人で、自由奔放、天真爛漫で情熱的な絵を描く画家としてご存じの方も多いと思うし、またお好きな方も多いと思う。その彼がよく「日本のゴッホ」と評される。ゴッホと山下清のイメージをダブらせようとするのだろうが実はかなり違った。こういう僕もおそらく皆さんと同じでゴッホと山下清に同じものを見ようとしていた一人である。では何が違うのか。

 ゴッホが自分の絵画理論に常に関心を持っていたことはよく知られている。だからこそゴーギャンとの奇妙な友情があり、別れがあった。同時にゴッホがまじめな人で世のあり方を憂いていた人であったことも知られている。だからといってゴッホが山下清と同様の情熱的な画家であったことの妨げにはならない。だが『ゴッホの手紙』はその奥まで見せてくれる。

 結論を言うとこういうことになる。ちょっと誇張した表現になるのはお許し願いたい。山下清は世界から得た感動をそのまま筆の勢いに乗せた人だった。それに対しゴッホも世界から激しい印象を受けるのだが、彼の場合はそれをそのまま筆に乗せるのではなく、数値化し自分の方程式に入力するという作業が加わっていた。実際には彼の絵を描く作業はここで終わっている。後は情報処理を施された数値を出力するだけだ。ゴッホは絵を仕上げるのが非常に速かったことで知られているがその理由もよくわかる。なぜなら絵はすでに彼の頭の中で出来上がっていて、後はそれをプリントアウトするだけだったから。『ゴッホの手紙』はゴッホがいかに絵画理論に思いを巡らしていたかを教えてくれるのだが、それはゴッホの頭の中の方程式の精度を確認する作業だったと言えるのかもしれない。

 『ガリヴァー旅行記』で有名な小説家スウィフトの言葉を芥川龍之介が引用してた。

「僕はあの木と同じで頭から枯れて死ぬんだ。」

 それはスウィフトの言葉であると同時に芥川龍之介の言葉でもあったのだが、同時にゴッホの言葉でもあったと言っていいのかもしれない。それほどまでにゴッホは典型な近代ヨーロッパ人で頭脳の人だった。情熱の人ゴッホという印象がそのまま当てはまらない理由がお分かりいただけたんではないかと思う。彼もまた頭から枯れて死んだ。

 昔日本の企業がゴッホの『ひまわり』を100億円とかで買い取って話題になったが、ヨーロッパ的近代人であることの悲しみは果たして100億円では安いのか高いのか。


 それでは現代の『デカメロン』の登場人物はまた次の物語の中へ。

 

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