ケダモノは地に吠える

鏑木契月

第1話

「失恋だって」

 教室の隅に一人誰の目に止まらないように読書をしていると、先ほどまで雑多な話題であふれていた会話が一つの話題に収束していくのがわかった。

 話題の中心は何かと耳を傾けると、好奇の目にさらされている生徒が一人。

 彼女の名は、鷹野翼。

 彼女は髪を切っていた。

 カラーを変えただの、カールの仕方を変えただのといったちょっとしたイメチェンの話でなく、彼女のそれは苛烈さを極めていた。

 彼女はよく髪をいじる質で、赤、青と言った原色に染めたりしては元のブラウン色に戻したの繰り返しで髪は痛み艶を失っていったがそんなことは御構いなしといった様子だった。

 去年の夏休み明けだったか、彼女の髪が漆黒に染まった時があった。

「二年の美術部のサラサ先輩と出来てるらしいよ」という噂が立ち始めた時期だった。

 そのお相手というのが学内でも上位のクラスで顔が整っているそうで、頭の出来はさほど良くないが芸術の才はあるようで何度か全国コンクールに受賞した事があるらしかった。クラスの周りでもその先輩に手紙だのチョコだの貢いで気に入られようと必死になってる者が後をたたなかった。

 対して彼女は勉強がそこそこ出来て、スポーツの出来が良い。それでいて人当たりがよいのでクラス内のヒエラルキーのトップに君臨している。

 二人の間で進展があったことに気づかなかった私はそれを知った夜、声を殺して泣きながら自慰行為に及んだ後床に入った。

 その日の夜は彼女とベットで一日を過ごす夢をみた。それがかえって私を惨めな気持ちにさせたのはいうまでもない。

 ここ一年は大変に仲睦まじく二人で過ごしていたようで、こちらはその話題を聞くたびに防衛本能を発揮して気絶を繰り返す日々を送っていたわけなのだが……。

 昨日をもって、二人の関係は解消されたらしい。

 いつものような人当たりの良さ全開のオーラが今日に至っては全く他者を寄せ付けない様子だったので、よほどのお節介でなければ誰も彼女に挨拶する事が出来なかった。


 (仕掛けるなら今しかない)


 放課後、結局その日彼女に声を掛けられる猛者は一人も現れなかった。

 彼女が教室を出たタイミングを見計らって、私も教室を後にする。

 前を歩く彼女はいつもよりも小さく見えた。平時はクラスのリーダー格然とした立ち振る舞いから姐御とまで慕われている頼り甲斐のある大きな背中が、今では小さくしぼんで姐御と呼ばれた姿はなかった。

 彼女が廊下を歩いていても皆が皆彼女を認識できていないのか、やはり声をかける者は現れなかった。

 そんな彼女を、私は付かず離れずの距離を保って狙っているわけだ。

 弱った獲物を狙うのは弱肉強食の掟。卑怯者と罵られようが誰も彼女に声をかけないのなら、誰よりも先に彼女に寄り添い私が彼女の一番になるしかない、そんな考えが私の中で結論としてまとまっていた。

 学校から離れた、夕日に照らされた海が見渡せる砂浜沿いのコンクリート堤防を私と彼女で歩いていた。無論、一定の距離を保ったままでだったが。

 相変わらず重い足取りで前を歩く彼女に、追いつかないようについて歩くのは私の神経を削った。

 周りに障害物がないので隠れることもできず気配を悟らせないようにしていたし、今この場で私が声をかけることはあまりにも不誠実で身勝手なことではないかと今更ながらも自分を責めていたからだった。臆病風に吹かれた私は今この場で獲物を放棄してしまおうかと思っていた。

 すると突然目の前を歩いていた彼女が、雄叫びをあげながら堤防を駆け下りていった。テトラポットの山々を登りきるとその場で立ち尽くし、静かになった。その表情は穏やかではなかったが。

「ねぇ、私に何か用?」

 決して近くにいた訳ではなかったのに、ポツリと発したその問いはまっすぐと私に向けられたものだということがわかった。

 海に向かって堤防の巨大な石塊に立つ彼女の姿は先程までの沈痛とした雰囲気は消えていた。彼女の吹っ切れたかのような佇まいに、私は圧倒された。

 黙って跡をつけたことに腹を立てているのか、とにかく今の彼女がどんな言葉を投げるのかを考え出すと、私はさらに足がすくんでしまった。

 こちらが何も答えずにその場にとどまっていると、彼女はこちらに振り向きテトラポットの山々を戻り私の方に駆け寄ってきた。

「家、この辺りなの新堂さん?」

「ま、まあ、はい……」

 彼女が私のことを認識してくれていたことに喜び浮かれて、思わず嘘をついてしまった。

 本当は反対方向に家があるのだが、今ここで違うんですと認めたら何のために跡をつけてきたのかと質問されかねない。告白するためにつけてきましたなんて答えようものなら彼女はきっと、いや確実に私のことを軽蔑するだろう。

 今はまだ、その顔を向けられたくはない。

「ふーん、あっそ。どっちでもいいけど」

 こちらの言葉をいまいち信用してない彼女は特に軽蔑の表情をしなかった。

 かわりに私の顔をジロジロ見つめてきた。まつげが長く、瞳の奥は深淵を思わせるような漆黒、手入れの行き届いた艶のある肌。出来のいい瀬戸物のごとき彼女の顔を近くでみる機会なんて一生来ないと諦めていた私はその場で殺到しそうになったが、その場は私が持ってるちっぽけな理性で耐えしのいだ。

 そんな私の葛藤をよそに、まるで値踏みするかのようにみつめていた彼女はよし、と私に向かってこう言い放った。

「新堂さん、私の彼女になってよ」

「…………はい?」

「彼女になってよ。これ、LINEのアカウント追加して」素早くスマホを差し出しQRコードの画像を見せた彼女に対し、咄嗟にスマホでコードを読みとって彼女のアカウントに「友達追加」の申請を送った。ここまでの出来事があまりにも手際が良すぎたので、彼女から告白された、歓喜!!と感慨にふける間も無く、流れ作業のように終わってしまったので、「こんなものか」と思ってしまった。

 私の想定していたムードとは程遠い現実を突きつけられた私を置いて、彼女は別れを告げて帰っていってしまった。

 私はしばらく、その場に立ち尽くしたあと帰路に帰り、その夜彼女のアカウントとにらめっこしながら最初に送る言葉を探しているうちに寝てしまった。

 その夜私は久しぶりに出てきた彼女の夢を見て夢精した。






 思えばあの日がこの最悪な日々の始まりだったわけだが、舞い上がっていた当時の私はまだ知る由のないことだった。



 私は鷹野翼が好きだ。彼女の打算のない笑顔が好きだ。メイクが必要ないほど整ってる彼女の顔が好きだ。彼女の気分を象徴するかのような変幻自在なヘアスタイルにも似合う顔が好きだ。

 彼女の性から溢れ出るかのような快活な表情を見るのが私は好きだ。とにかく私は彼女の『外見』に惚れていた。

 だから私は、『彼女の中身』を見ていなかった。


「……新堂さん」

 昼休みの廊下を歩きながら鷹野翼が私に手を差し出す。

 それに答えて私は彼女の手に触れる。そこに翼が指の間にからませるように手を繋いできた。

 恋人繋ぎ。

 彼女の手は冷たく、しっとりとした潤いを持っていた。私が思いこがれた彼女の手がそこにあるのに、私の心はいたって冷静だった。

 廊下を歩いた少し先に、美術部の先輩、サラサが向かいを歩いてくる。

 すると翼が繋いでいた手を引き寄せて、私の体を密着するように歩いた。

 すれ違う私たちを、サラサ先輩はちらりと見向きもしなかった。

「もういいよ、新堂さん」パッと私の手を離す翼。バツが悪いように私も握っていた手を戻す。

 つい先日まで付き合っていたサラサ先輩と仲が悪化したその翌日に、私にさらっと流すように告白してきた翼がこんなことサラサ先輩の前で繰り返すようになってから一週間。



 つまり私は今、鷹野翼とサラサ先輩の仲直りのダシとして使われているというわけだ。



「新堂さん、ちょっと」

 教室のドアから手招きをする黒髪のウルフショートの美女、鷹野翼は私を廊下に出るように促していた。席を立ち彼女の後についていく私を、クラスの女子は面白くないといった顔をしているのが背中越しでも伝わってくる。

 もっとも、面白くないのは私も同じだった。

 突然の告白を受けてから翌日の朝、彼女に呼ばれた私は屋上につながる階段下でサラサ先輩とよりを戻したいから彼女役をやってくれると頼まれたとき、私はふたつ返事で了承した。たしかに本命の告白ではなかったので、多少心に傷がついたがそのうち付き合うフリを続けていけば共に過ごしていく中で吊り橋効果が発動して、恋に発展するのではないかと淡い期待をしていた。

 ただその期待が、期待のままで終わってしまった。

 それに気づいたのがそれから2日後で、サラサ先輩とすれ違うたびに私と翼は距離が近いというアピールを繰り返していた。

 その時翼が見ていたのは決まってサラサ先輩の方だった。

 私には目も向けてくれることもなかった。

 彼女にその気がないことを知った私は、それから彼女にお熱になることがなくなった。それまで抱いていた気持ちが嘘のように薄れていったのだった。


『新堂さん、今度の日曜カラオケに行ける?』

 LINEで送ってきた彼女のメッセージを見てもときめかなくなった私はただ『行けるよ』とだけ返した。

 学校から離れた街場のカラオケ店に、サラサ先輩がバイトしているらしく、そこに行ってこちらの仲を見せつけようという話だった。

 自分がただ2人の仲を取り持つための道具としてしか扱われてないことにもいい加減気にもしなくなっていた。

 

 私が彼女にお熱になっていたのはどうしてだったか。


 何もかもがどうでもいい話だった。


 当日、翼と2人で体を密着させながらカラオケ店に入ると受付にサラサ先輩が立っていた。

 何食わぬ顔で2時間パックを頼み、そのまま指定された部屋に向かう私と翼。ここでもサラサ先輩は眉も動かさず、その整った笑顔が崩れることはなかった。翼は先輩の様子を見て、もうよりを戻す計画が潰えたことを悟ったのか、入店した時の繕った笑顔が崩れていった。

 

 茶番もいいところだ。


 今この場で彼女の艶のある唇に口づけしたら、怒るだろうか。

 怒るだろう、関心を持ってない奴にいきなりされるのだから。


 それでこの場を離れられるのなら、彼女に嫌われたってかまいやしなかった。この時の私は言葉にならない怒りをぶつけたかった。

「新堂さん!!やめっ……!」

 強引に唇を奪い、そのまま舌を絡ませると翼は当然抵抗してきた。が、次第に翼もそれに従うように合わせてきて、お互いに気分が高揚してきた私は翼を押し倒し、派手めなシャツの中に手を伸ばして彼女の乳房に触れる私はようやく彼女の熱を感じることができた。どうやら私はここまでくるのが遅かったみたいだ。



 勢いよく部屋を入ってきた男性店員が、私たちの時間を遮り、現実に連れ戻しにきた。

2人で気まずさを抱えながら部屋を出ると、サラサ先輩はこちらに向けて微笑んだ。多分、あれが彼女の嘘偽りのない表情だったのだろう。

 

 その後翼は学校にめっきり来なくなり、クラスは新たなヒエラルキーを形成していった。

 


 私は今も翼と会ってはお互いの愛を確かめ合っている。



 多分これは世間一般からはずれた感情なのかもしれないが。

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ケダモノは地に吠える 鏑木契月 @Keigetsu_K

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