第2話

 中天ちゅうてんに差し掛かった日が静かに傾き始めた頃、慈雲はとある山村にたどり着いた。どことなく自身が庵を結ぶ村に似ている。日はまだ高いが、今宵はここに宿を求めようとふもとの集落へ向けて歩を進めた。

 街道筋には、所々に小さな地蔵がまつられている。その足元には、枯れかけた野の草花が無造作むぞうさに置かれていた。

 粗末そまつなつくりの家屋が点々と軒を並べている。程よく足も草臥くたびれてきたので、そろそろ宿を定めようとあたりを見回していると、ふと、彼方に無住むじゅうの荒れ寺があることに気付いた。


 『どことなく我が庵に似ておるな』


 心の中でつぶやくと、慈雲はその古寺へと足を向けた。


 境内けいだいの中は外から見るよりも広く感じられた。

 古びた本堂には安置あんちすべき木像もなく、その周辺には鬱蒼うっそうとした草木が雑然と生えていた。

 少しばかり足を踏み入れると、一面に生い茂るすすきの陰にちかけた囲いのようなものが目に入った。

 近づくとそれは水の枯れかけた古井戸であった。

 その先には、およそ誰も気づかないような小さな古塚が一つ。

 一瞬、その古塚に何か不思議な気配を感じたが、ただほほをなでる秋風の仕業しわざかと思い、それ以上は気に掛けることもなく苔むした参道をあてもなく歩き始めた。



 「申し、里の人」

 慈雲は、ふと面前を足早あしばやに過ぎようとする男を呼び止めた。

 明らかに他所よそから来たであろう僧侶の顔を、その者はいぶかしげに見つめた。

 「ここは何と申すお寺か」

 慈雲の問いに、その者はぶっきらぼうに「在原寺ありわらでらです」とだけ答え、その場を去っていった。

 在原といえば、伊勢物語などにその名を残す業平なりひらのこと。この寺こそ、かつて「紀有常きのありつねの娘」と契りを結んだ在原業平が、夫婦として住み馴れていた旧跡きゅうせきに他ならない。

 ふと心に浮かぶ伊勢物語の歌。


 『風吹けば沖つ白波龍田山たつたやま 夜半よわにや君が一人行くらん』


 昔日せきじつに繰り広げられたかつての物語。

 「ほう。その旧跡も、今は無住の古寺となったか―――」

 やがて日も暮れると、空には下弦げげんの月が浮かび上がる。

 慈雲は古びた本堂を今宵の宿と定めると、所々に草の生える板間の上に静かに座し、夫婦の後生ごしょうを弔うための祈りを捧げた。





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