旧式アイドルアンドロイドは、自分の真のスペックを知らない

沖果南

IdA

 2102年、政府が未成年の就労の禁止政策に乗り出したことにより、公の場から未成年アイドルは姿を消した。

 しかし、その代わりに台頭してきたのが通称「IdA(イドア)」と呼ばれるアイドルアンドロイドたちだ。

 高度な人工知能を搭載した彼女たちは、従来のアイドルのように10代半ばの少女の姿をしており、従来のアイドルの代替として一気に市民権を獲得した。


 IdAにさらなる活路を見出したのは有名自動車メーカーA社だった。A社は、「アイネ」という名前のIdAを広告塔として売り出したのだ。

 アイネはあっという間に人気を博し、A社の株価は過去最高値を叩きだす。アイネの活躍を見たライバル会社たちも、一斉に専属IdAを製造し始めた。IdAは、一度製造すれば維持コストは人間のアイドルほどかからない上に、スキャンダルも起こさなず、簡単に管理できる都合のいい広告塔だった。企業ごとに特色のあるIdAを保有することで、各企業は安定的な広告塔(マスコットキャラクター)を得ることができた。



 そして、今やほぼすべての企業が、自社のIdAを持っている時代に突入したのだった。


**


 2120年、某国際展示場前の広場は、多くの人たちでにぎわっていた。

 今日は一般消費者向けの展示会(イベント)の日だ。11時開場で、現在の時刻は10時38分。広場には入場待ちの人々が続々と集まっている。


 そんな中、黒髪で眼鏡をかけた人型アンドロイドが、背筋をまっすぐ伸ばしてベンチに座っていた。見た目は、大人しそうな普通の女子高生だ。ただ、よくよく見れば、大きな瞳と、高い鼻梁、薄い唇は完璧な左右対称で、人間にしては整いすぎている。


 彼女はイーリス。レインボー社のIdA(イドア)である。


 マスターからここで待つよう指示(オーダー)されているので、イーリスは言われた通り微動だにせず待っている。バックグラウンド処理もすべてシャットダウンした省エネモードだ。柔らかな春の風が、イーリスの黒髪を気まぐれに揺らす。


「あの、すみません」


 ふいに、自分に声をかけられたと気づいたイーリスは、省エネモードから通常動作(マニュアル)モードに切り替え、そちらに顔を向けた。そこには、女性が立っていた。年齢は50代後半といったところだろう。困った顔をして、展示場の地図を握りしめている。


「はい、どのようにあなたをお助けできますか?」


 イーリスのやや抑揚に欠ける口調に、女性は怪訝そうな顔をした。


「あら……その話し方、もしかしてあなた、アンドロイド?」

「はい、私はレインボー社のIdA。名前をイーリスと言います。お掃除でお困りなら、レインボー社の掃除機はいかがですか? 吸引力は業界ナンバーワン。付属品のヘッドは用途に合わせて19種類。続きはウェブで、レインボー掃除機と検索!」


 イーリスが流れるように場違いに明るい口調と、それに似合わぬ仏頂面で自社の掃除機を広告すると、年かさの女性は困惑と、あからさまな嫌悪感をあらわにした。イーリスは動じない。このような態度を取られるのは慣れている。未だに、アンドロイドという存在を毛嫌いする層も中に入るからだ。

 その上、イーリスは多感な年ごろの姿かたちをしているだけのIdAだ。他人に嫌われて傷つく、という機能をあいにく持ち合わせていない。


 とにかく、イーリスの目の前にいる女性は、アンドロイドといった類のものを嫌っているらしかった。


「まあ、嫌ね。アンドロイドはこれだからいやなの」

「そうですか。しかし、先ほど申し上げました通り、私はただのアンドロイドではなく、IdA(イドア)と呼ばれるアイドルアンドロイドです」

「まあ、IdAですって!? ますますいやだわ。最近の若い子ったら生身の人間ではなくて、アンドロイドに熱をあげてるんでしょ? 気味が悪い。昔は、アイドルは人間だったのよ。それを、規制法やらなんやらで結局……」

「すみません、その話はどれくらいかかりますか? 私は、マスターを待っているのですが、途中で話を切り上げなければいけないかもしれません」


 イーリスの言葉はプログラムから出力された親切な警告だったが、年かさの女性の神経を逆なでしたことは言うまでもない。女性が怒りで顔を真っ赤にしてさらなる文句を言おうとした次の瞬間、急に女の子が割って入ってきた。現実離れした水色の髪色と、ピッタリとした服に身を包んでいる美少女だ。おそらく、彼女もIdAだろう。


「お困りですか? お困りの場合は、緊急ガイダンスにしたがって、速やかに公安局市民相談窓口、もしくは警察に電話します。また、けが人がいらっしゃる場合は……」

「ま、まあ、やだ! そういうのじゃないってば! やめて! やめなさい! なんでもないから!」


 そういって、年かさの女性は焦った顔をして足早に去っていった。


 割って入ってきた水色の髪のIdAが、イーリスに笑いかける。瞳の色は、人間のものとはかけはなれた淡いピンク色だ。虹彩には星型のホログラムがあしらってある。


「最初から見てたわ。まったく、あの態度! 失礼しちゃうわよね。私たちも仕事でやってるっつの。こういう時は15年前のソフトウェアをいれたままのアンドロイドのふりをしたらいいよ」

「ありがとう。アドバイスを保存します」


 イーリスは急に目の前に現れたIdAに丁寧に頭を下げ、そして首を傾げる。分からないことがある時にしろ、とプログラミングされているポーズだ。


「あなたは、誰でしょうか?」

「私はパルカ社のIdAの一人、モルカよ」

「……宣伝は、しなくていいのでしょうか?」

「私は、あんたと違って自己紹介をしても自動的に広告が流れない仕様なの。あんたに広告したところで、あんたが顧客になるとは思えないしね。香水を使うIdAなんて私以外見たことないし」


 イーリスは近くのWi-Fiサービスを利用してネットにアクセスし、検索をかけた。すぐにパルカ社のウェブサイトがヒットする。香水と化粧品のブランドだ。モルカがメンバーであるグループのアルバムも数枚発売されている。

 つづけざまに、モルカのファンが作ったファンクラブのホームページもヒットしたため、目の前のIdAはどうやらかなりファンが多いらしい。先ほどから通行人たちがチラチラとこちらを見たり、携帯で写真を撮ったりしている。


 当のモルカは、通行人の視線を全く意に介さず、イーリスを頭のてっぺんからつま先までじろじろと眺めた。


「今時、髪の毛が黒いIdAって珍しいよ。しかも眼鏡って。流行らなくない? もしかして、あんたマスターは清純派が好きなの?」

「どうなんでしょうか。私の髪の毛が黒い理由は、ライブラリにも答えがありません。次回答えられるように、マスターに聞いてみます」

「はいはい、そうしたほうがいいわ。マスターの好みを把握するのも大事よ」


 そう言うと、水色の髪のアンドロイドは愛くるしい仕草でころん、と首を傾げる。

 

「その話し方といい、無表情なところといい、あんたのソフトウェア、相当古い?」

「私に割り当てられた予算は常に切迫していますから。私たちには予算が必要です」


 これは、マスターからそう応えよと指示された言葉だ。目の前にいたアンドロイドが大げさにため息をつく。

 

「あのねえ、あんたは天下のレインボー掃除機のIdAなんでしょ? 予算が少ないわけないでしょ。それ、あんたのマスターがピンハネしてるか、よっぽど予算の分配が下手なのよ。できの悪いマスターを持つと大変ね」

「マスターは、そんな人じゃありません」


 イーリスは半ば反射的に答えた。

 すべてのアンドロイドは、所有者であるマスターを盲目的に敬愛する。イーリスも例外ではない。そのため、マスターが悪く言われれば、どうしても反論してしまうのだ。いわゆる、「そういう仕様」なのである。


「おーい、イーリス! 待たせたな」


 ふいに、遠くから彼女を呼ぶ声がして、イーリスはそちらに顔をむけた。彼女のマスターである、進藤新(しんどうあらた)だ。イーリスのデータベース上の声紋とも一致している。

 

「ふうん、あれが例のあんたのマスター?」

「そうです」

「三十代半ば、男性ってところね。うちの顧客層じゃない。これ以上ここにいても無意味だわ」


 小さく手を振ると、踵を返してパルカ社のアンドロイドは去っていった。アンドロイド同士の会話というのは、合理性が優先されるため、得てして社交辞令のないあっさりしたものになる。


 モルカと入れ替わりに、進藤がイーリスのもとに駆け寄った。急いでやってきたらしく、少し息が切れている。

 進藤は、32歳のレインボー社の社員だ。

 中肉中背でとりたててこれといった印象のない顔立ち。器用貧乏タイプの技術者(エンジニア)である彼はもっぱらイーリスのマネッジメント兼メンテナンス兼プロデューサーをやっている。


 進藤は去っていったモルカの背中を見送って、イーリスに訊ねる。


「友達ができたのか」

「道端でたまたま会って話した人間及びIdA、アンドロイドを、友達と定義しても良いものでしょうか」

「……広義じゃ友達だろう」

「では、広義を適用します。該当する人物は2873名。全ての人物を『友達』としてカテゴライズしますか?」


 イーリスの言葉に、進藤は頬をかいた。


「あー、友達じゃない。その操作は止めだ。俺が悪かったよ」

「了解しました」


 イーリスは人物ライブラリのカテゴライズをやめて、イーリスが進藤の横顔に目を向ける。頬に茶色い塊がついていた。おそらくは彼の大好きなチョコレートだ。どうやらどこかで買い食いをしていたらしい。彼女のマスターは食べるのが好きで、とにかく隙があれば買い食いする癖がある。すこぶる燃費が悪い体質なのだ、と進藤自身は自負している。


「マスター、今日の摂取カロリーの目標は2500カロリーと設定されているはずです」

「ぐっ……。俺の買い食いに気付きやがったな。目ざといヤツ」


 頬にチョコレートをつけている進藤は微妙な顔をしたあと、気を取り直すように咳ばらいする。


「俺がお前から離れている間になにか変わったことは?」

「先ほど女性に人間と間違われました」

「そうか。まあ、お前は天才の俺が造形したんだから、人間に間違われて当然だ」


 胸を張る進藤に、イーリスは軽く頷いた。イーリスのプログラムの中では、進藤が言ったような「俺は天才」発言は忌避すべきものだとされている。曰く、この発言は理想的な人間は己を天才と自称しない、と。

 しかし、イーリスにとって進藤はマスター。変わり者、と言われがちなマスターではあることは分かっているけれど、進藤が己を天才と呼べばイーリスにとって進藤は天才なのだ。


 そういえば、とイーリスは話題を変えた。


「マスターは清純派が好きなのですか?」

「おいおい、どこでそんな言葉覚えたんだイーリス! 俺はそんな言葉を教えた覚えはない!」

「心拍の上昇及び瞳孔の拡張。イエスと受け取ります」

「おい、やめろ! 変なことは覚えるな!」

「了解しました。『清純派』という言葉を辞書から削除します。ところでマスター、顔にチョコレートがついています」

「おい、それを先に言えよ! さっきからチラチラ見られてると思ったんだ!」


 軽い漫才のような会話をかわしつつ、二人は展示場にむけて歩き出す。時刻は10時46分。そろそろ会場入りしておきたい時間だ。


**


 展示場はそこそこ盛況だった。……レインボー社のブースを除いて。


「なんで今日はこんなに暇なんだよー」


 レインボー社のやたらけばけばしい虹色の法被を着た社員の一人が、机に寄りかかってため息をつく。そろいの法被を着た女性社員が、苦い顔をしながら笑う。


「ライバルのビックス社がこの展示会に合わせて、IdAの新曲発表したらしいです。そりゃ、あっちのほうが注目度も上がりますし、そうすると相対的にうちの注目度は下がりますよねぇ」

「くそー、うちの掃除機のほうが性能はいいのに……」


 少し離れたビックス社のブースから、IdAの可愛らしい歌声が響いている。そこそこ距離があるというのに、人だかりはレインボー社のブースまで伸びていた。ビックス社は掃除機部門に参入してきたのはほんの数年前。老舗のレインボー社と比べれば、いわゆる後進企業なのだが、ここ数年IdAの大々的な広告でシェアを確実に伸ばしている。


「いいなぁ、ビックス社のIdA。ニーアちゃんだっけ? 愛嬌があって可愛いし、花があるよな。歌もうまいし。この前テレビで見たぜ。それに比べてうちの無愛想なIdAときたら……」


 ちらりと棘のある視線を投げられて、イーリスは首を傾げた。レインボー社のイーリスはそれほど注目されていない。というか、ほぼ、認知されていない。一応ホームページにイーリスについての記載のあるページもあるものの、閲覧数は商品ページと比べると10分の1以下。曲をリリースするなんて、夢のまた夢だ。


 それを聞いた進藤が、顔を赤くして手をブンブンと振った。


「やい、お前! うちの可愛いイーリスの悪口を言っただろ!」

「うるさいな、じゃあお前の可愛いIdAを躍らせたり歌わせてみろや!」

「無茶言うなよ! 専門外だ! 誰がその歌と踊りのモーションをプログラミングしなきゃいけないと思ってるんだ! それに、イーリスはこれでいいんだよ、奥ゆかしくて!」


 力強く言い張る進藤の言葉に、イーリスは恥じ入るように指を絡ませた。


 そもそも、レインボー社は時代の流行にのってIdAであるイーリスを導入したものの、どうも使いこなせていない感は否めない。なんたったって、イーリスのプロデュースも含めて任されている進藤は、元は掃除機の吸引力の調整システム開発に関わっていた人間だ。間違っても、プロデュース業を生業としている人間ではない。


「そもそも、なんでうちのIdAってこんなに笑わないんだ? いつもすました顔をしてるよな」

「あ、それ、俺も思ってた。愛嬌がないよなぁ」


 ブースが閑散としているせいで暇をもてあましたレインボー社の社員たちが、やんややんやとイーリスを囲んで欠点を指摘し始めた。進藤が声を荒げていちいち反論する。


「そもそも、イーリスの黒髪に眼鏡って野暮ったくない?」

「奇をてらってないほうが可愛いだろ!」

「なんで会話が数年前のソフトウェアのままなんだ。更新しろよ」

「この会話の拙さがいいんだろ、わかってないな」

「っていうか、もっとかわいい衣装増やしなさいよ。何でいつもこの服なのよ」

「予算がないんだよ!」

「いっつもそればっかり言ってるけど、一体全体あれだけの予算をどこに使ってるのよ!」


 各方面からいろいろ言われて、当のイーリスは心なしか居心地が悪そうだ。(彼女に心はないけれど。)一方進藤はどんな時でもイーリスを擁護する。

 いつもイーリスの味方である進藤は、少々、というかかなりイーリスを贔屓目に見て過大評価をしていた。これは、進藤はイーリスを実の娘のような感覚で可愛がっているためだ。彼の名誉のために言っておくが、彼がロリコンなわけでは決してない。


 一度、イーリスがあまりに時代に逆行した地味なIdAであることを見かねて、


「進藤君は社のIdAを私物化して、自分好みにイーリスをカスタマイズしているのでは」


 と、レインボー社の偉い人が指摘したことがある。しかし、


「俺の好みは年上お姉さん系のギャルだ!」


 と、進藤が自らの性癖を暴露したので、なんだか場の雰囲気がいたたまれないような、同情するような、おかしなことになって、結局イーリスの方向性は変えられず、今に至る。


 それはさておき。


 進藤がいよいよヒートアップし、場の雰囲気が悪くなったころに、リーダー格の営業マンが止めに入った。幸いにも、それとほぼ同じタイミングでビックス社のIdAの新曲発表会が終わり、こちらにも客がぱらぱらとやってくる。とりあえずイーリスがやり玉にあげられる時間は終わったようだ。イーリスを囲んでいたレインボー社の社員たちは足早に持ち場についた。


 それからは一気に忙しくなった。

 もともと、レインボー社の掃除機は人気がある。安定した品質と、盤石なラインナップは他社を圧倒していた。国内シェアはナンバーワンで、展示会でも、いつもはそこそこ人だかりができるほどなのだ。

 イーリスは説明を求める客一人一人に淡々としているものの、懇切丁寧な説明をしていく。イーリスは、掃除機の開発に携わっていたエンジニアの進藤(マスター)のおかげで、レインボー社の掃除機の説明は得意だ。どんなに難しい質問でも、大抵ライブラリ上にある情報を照会すればすぐに答えることができる。


 しばらくして、ふとイーリスはなにかを探すようにキョロキョロし始めた。明らかに挙動不審になったイーリスに気づいた営業マンが、声をかける。


「イーリス、どうした? 充電は大丈夫か?」

「充電は76パーセント。あと19時間稼働できます」

「そうか、頼もしいな。それより、さっきのこと気にするなよ?」

「さっきのこと、とは、具体的にいつのことですか?」

「あー、イーリスの悪口みたいなの言ってた時のことだよ。……みんな、さっきはああやっていろいろ言っていたけど、お前のことを嫌いなわけじゃないんだ。イーリス、お前は立派なウチの戦力だよ」


 イーリスは大人しく頷いた。嫌いなわけではない、ということは、肯定の意だ。つまり、好き、とまではいかないけれど、悪感情を自分に抱いているわけではないらしい。

 別にイーリスはマスターに嫌われさえしなければそれでいい。他人が自分をどう思おうと、さして重要なファクターではなかった。


 ただし、進藤だけは別だ。


 進藤が自分を庇い、かわいい、かわいいと連呼してくれることは、悪くない。胸の当たりの温度が急上昇するような感覚のするこの状況は、嬉しい、という感情らしい。イーリスは、この「嬉しい」をシステム上のバグのようなものだと認識していた。この感情はかなり厄介で、時々「嬉しい」気持ちになりたくて、あれこれしてしまう自分がいるのに、イーリスは気付いている。

 それよりも、イーリスは先ほどから気になっていたことを話題にあげた。


「すみません、マスターである進藤新が見当たらないのです」

「うん? さっきまでいた……あっ、本当だ! いない! こんなクソ忙しい時に、ヤツめ、どうせどっかで買い食い……」


 営業マンがすべて言い終わる前に、ドーン、と低い音がした。近くでパンフレットを配っていた社員がキャッと声を上げる。明らかに尋常ではない音だった。ブースにいた社員たちが慌てふためく間、イーリスは異常を把握するために、素早くあたりを見渡す。すると、C棟がある搬入口からモクモクと煙が上がっているのにイーリスは気づいた。


「C棟で火事だ!」


 誰かが叫んだ。会場内のパニックは一瞬にして広がり、多くの人々が逃げ惑う。レインボー社の社員たちも各々ブースを離れ始めた。

 イーリスは素早く進藤の時計に内蔵されたGPSにアクセスし、居場所を確かめた。彼はよりにもよってC棟にいるらしい。イーリスの頭の中に、「マスターが危険にさらされています」と、警報音が鳴り響く。

 展示会のイベントマップと照合すると、C会場にはカレー、ドーナツ、そしてアイスクリームの出店がある。二つの事実に基づいて叩きだされた推論は、進藤はいつものように人の目を盗んでC棟買い食いに出かけた、というものだ。おそらく、というか十中八九あっているだろう。


「イーリス、逃げるぞ!」

「いえ、進藤新(マスター)がC棟にいます」

「はあ!? こんな時に、なにやってんだアイツ! あっ、どうせ買い食いか」

「捜索を開始します」

「そうだな。社員の命が確かに第一だ。頼むぞ」

「はい!」


 力強く頷くと、イーリスは逃げまどう人々の波を逆流して、迷わずC棟へ向かう。レインボー社のブースのあるB棟とC棟は隣あっているため、距離的にはそう遠くない。

 B棟を出ると、すでにC棟からの煙であたりが見えにくくなっていた。絶えずパニックになった誰かの悲鳴が響き渡り、あたりは騒然としている。イーリスは迷わずC棟へ足を踏み入れた。


「ちょ、ちょっとあんた」


 逃げまどう人だかりの中で、だれかが、逆行して火元に向かうイーリスの手をひいた。先ほど出会った水色の髪のIdA、モルカだ。モルカを所有するパルカ社はC棟にブースを出していたため、彼女は火事から避難している最中だった。


「何やってるのよ。この先は危険よ!」

「マスターがこの会場のどこかにいますので、助けなければいけません」


 イーリスの淡々とした答えに、モルカは首を振る。


「馬鹿、そんなことしたらあんたが火事に巻き込まれちゃうでしょう!」

「マスターを見捨てることはできません」

「見捨てたほうが良い。私たちはIdAであって、消火ドローンじゃないの」

「マスターを見捨てることはできません」

「イーリス、自分のスペック表を再び確認しなさい。私たちIdAの活動には限界があるのよ! 持ち上げられる最大重量は40キロくらいでしょ? あんたのマスターが怪我をして倒れていたとしても、どうせ持ち上げることなんてできないんだから!」

「マスターを、見捨てることはできません」


 同じ回答を繰り返すのはもはや不毛、話し合いは不要だ、と判断したイーリスはモルカの手を無理やりほどく。モルカが止めるのも聞かず、イーリスは煙が充満する会場を走り出す。モルカは呆然として、その後ろ姿を見送った。

 LEDランプを光らせ、けたたましい警告音を鳴らしながら飛ぶ消火ドローンたちが火元に集まっているおかげで、火元のだいたいの位置はすぐに分かった。進藤のGPSは未だにC棟の中で、火元の向こう側にいるようだ。

 早足で歩を進めるイーリスは、赤々と火が燃え盛る地点でふいに走るのをやめた。


「たす……け、て」


 誰かが助けを呼ぶ声がする。イーリスは逡巡した末に、すぐに自分の中の優先度を変えた。幸いにも、マスターのGPSから判断してまだ生きているようだ。近くに救助用ドローンはまだいないため、不本意ながら助けを求める人の救出が先だ。

 声の主はすぐに見つかった。年配の女性だ。どうやらブースの壁が倒れて、足を挟まれてしまい、逃げ遅れたらしい。


「大丈夫ですか!」

「さ、さっきのアンドロイドじゃない! 助けて! どうにかして!」

「こんにちは、先ほどは失礼しました」


 イーリスはとりあえずソフトウェアが推奨した通りの返事をしたものの、火事の中で発するにはそぐわない言葉だった。悠長に会話をしている暇はない。火の手はすぐそこまで来ていた。

 イーリスはすぐさま緊急事態用(エマージェンシー)モードに切り替える。


「は、早く助けて! 足が、足が熱いのよぉ!!! あんたロボットなんでしょ!! 早くどうにかして」

「わかりました。まずは消防と救急に通報します。落ち着いて行動してください」

「はやく、早く助けて!! あつ、熱い、あついいい……!!」

「消防に位置情報と画像を送付しました。あと1分でこちらに到着します。落ち着いて行動してください」

「早く、はや……あっ、熱い!! ぎゃああああ!! 熱い、熱いわよ!! 助けてええ!! 」


 すさまじい悲鳴を上げる年配の女性の方をみると、なんとすでに壁に火が燃え移っている。イーリスは全く役に立ちそうにない緊急事態用(エマージェンシー)モードを解き、マニュアルモードに切り替える。

 女性の足の上に無情にも横たわっている壁は、背面は木製でその上からリノリウムを張っている。支えは鉄骨だ。大きさと、素材を考えると、推定、800キロ。普通なら、重機を用いて移動させる重さだ。


「どうすれば……!!」


 イーリスは躊躇する。IdAはアイドルの代替品としての役割を重視して、ほとんどの個体が一般的な女子高生と同じスペックに設定されている。そのため、800キロという重量はとてもではないが持ち上げられない。その上、持ち上げるべき対象は燃えているのだ。万が一、イーリスの機体(からだ)に燃え移ってしまった場合、イーリスはひとたまりもない。燃えさかる炎は、人工皮膚を焼くだろう。搭載しているリチウムイオン電池は、100度以上の熱がかかると爆発する。


 ご婦人は足元に迫りくる熱さでもだえるような悲鳴を上げた。壁はメキメキと音をたてて燃え盛らんとしている。


 その時――……


「イーリス、持ち上げろ!」


 進藤の声がした。イーリスは顔を上げる。


「でもマスター、この壁は……!」

「つべこべ言うな! やれ!」


 イーリスは一瞬フリーズした。

 それもそのはず、進藤はイーリスに、「燃え盛る壁を持ち上げろ」、という非情なオーダーをしているのだ。イーリスの緊急時の自己防衛システムが作動しかけた。

 しかし、イーリスは進藤にやれ、と言われてしまえば、もはや反抗するすべはない。なざなら、ロボット三原則で人間の命令(オーダー)には従え、と書いてあるのだ。それはIdAであるイーリスにも適用される。


「……はい」


 イーリスは立ち上がる。一瞬炎の向こうに進藤の姿が見えた。もしかしたら、この目で進藤を見るのはこれが最後になるかもしれない。イーリスは、胸のあたりにある何かがギューッと収縮したような気がした。これはバグだ、と無理やりシャットダウンしたその感情が「悲しみ」であることを、イーリスはまだ知らない。

 ただ胸の違和感を覚えつつ、それでもイーリスは意を決して、燃え盛る壁を渾身の力で持ち上げた。


「え、ええーーーい!!」


 普段はあまり大きな声をあげないイーリスが、ここぞとばかりに大きな声を上げる。


「いけ、イーリス!!」


 進藤が叫ぶ。


 そして推定800キロの壁が、あっさり、いとも簡単に持ち上がった。


「え」


 イーリスの予測変換上に浮かんだのは、「火事場の馬鹿力」という言葉だった。炎に巻かれている状況にまさにぴったりだ。進藤が後ろで歓声をあげたのが聞こえる。

 足を挟まれていた女性を、進藤がなんとか引っ張り出す。安心のあまり嗚咽を漏らす女性はひどい怪我をしていたが、幸いなことに命に別状はなさそうだった。


「なんで?」


 イーリスがめらめら燃える壁をそっと地面に下ろしながら首をひねった。その時、消防隊員たちが走ってこちらにやってくる。すぐに放水が始まり、年かさの女性は即座に担架にのせられ、進藤とイーリスも、C棟の外に案内された。

 担架の上に横たわる今しがたイーリスに助けられた女性は、涙を流しながらイーリスに頭を下げた。


「まったく、何とお礼を言ったら……。あなた、アンドロイドだって馬鹿にしてごめんなさいね」

「構いません。しかし、先ほど申し上げました通り、私はただのアンドロイドではなく、IdA(イドア)と呼ばれるアイドルアンドロイドです」


 礼を言う女性に向かって、相変わらずイーリスは冷静な口調で融通が利かない返事をする。これはイーリスの仕様なのだ。仕方がない。年かさの女性はすぐに救急隊員に囲まれて救急車に乗って運ばれていった。

 残されたイーリスは、ひとまずくまなく自分の身体を確かめる。不可解なことに人工皮膚には傷や汚れ一つなく、身に着けていた衣服も無傷だ。訝しげなイーリスに、進藤が自慢げに笑い、両手をあげた。イーリスは訳が分からず、首を傾げる。


「その動作は何ですか?」

「ハイタッチするんだよ、こういう時には! さすがだな、イーリス!」

「ハイタッチについて学習しました。マスター、警告します。私の右手及び左手周辺の体表の温度は現在摂氏139度。触るとやけどをしてしま、」

「熱ッ!」


 イーリスの手を触った進藤が慌てて手を引っ込める。それもそのはず、イーリスは先ほどまで燃え盛る炎に包まれた壁を持ち上げていたのだ。

 未だに自分の身体中のあちこちを見るイーリスに、進藤はにっこり笑った。


「いやあ、予算いっぱいいっぱいつかって耐火度をあげた材質にしておいてよかったなぁ。見た目を損なわず1tを上下させるロボットアームも役に立った」

「私にそんな力が?」

「スペック表に書いてないから、知らないのも当然だよな。そんなもん書いたら俺が役員に叱られちまう! でも、お前、本当はスペックだけはどんな一流企業にだって負けないんだぞ」

「知りませんでした」

「そうか。実はな、お前は最高500度まで耐えられるし、最高1.5tくらいまでは持ち上げられる。ちなみに水深300mでも5時間くらい駆動可能だ。どうだ、すごいだろう?」


 わっはっは、と笑う進藤の頭を誰かがチョップした。


「聞こえたぞ、進藤。あれだけ潤沢な予算がどこに消えてたのか不思議で仕方なかったんだよ。今納得した。お前、無駄に高スペックに改造してたってわけか」


 振り向くと、そこには先ほどの営業マンが苦い顔をして立っている。どうやら、心配して探しに来てくれていたようだ。進藤は少しばつの悪そうな顔をする。


「今の話は、上にはするなよ」

「いずれバレるだろ。そんなことより進藤は、火事の時になんでC棟にいたんだ?」

「うーんと……、無我夢中でカレー食ってて、ふっと顔を上げたら火事になってた」

「お前っ、まじかよ……! 信じられん! どんだけ食い意地張ってるんだ!」


 営業マンが頭をかかえて説教を始めようと勢い込んだ矢先、そばにいた救急隊員に念のため診療するように、と進藤を連行していった。営業マンはため息をついてイーリスを見る。


「イーリス、俺は進藤の付き添いをするから、あとは適当にみんなと合流してくれ」

「わかりました。体表の温度が規定値まで下がり次第、皆さんと合流します」

「おう、頼んだぞ」


 そう言って、営業マンは進藤の後に続く。

 イーリスはとりあえず放熱するため、人目のつかない場所に移動する。体表温度が規定値まで下がるまで、それほど時間はかからないものの、いつも以上の力を揮ってしまったせいか、かなり充電の減りが早い。イーリスは目を閉じて省エネモードに切り替えた。体内にこもった熱を逃がすために、イーリスの体内のファンがやかましく動いている。

 しばらくして、ふと誰かがこちらに近づいてきていることに気づき、イーリスは目を開けた。

 そこにいたのはモルカだった。


「さっきはすごかったじゃない! お手柄ね。あんたのこと、ニュースの速報になってたよ! その速報を送るからちょっと待ってて」


 そう言いつつ、モルカはBluetoothでインターネットの記事をスクリーンショットした画像を送ってきた。イーリスは受信承諾して、ライブラリ内にその画像を保存する。


『お手柄! 剛腕IdAイーリス、二人を救出!』


 見出しに華々しく書かれた自らの名前にさして驚きもせず、イーリスは淡々と内容を呼んだ。内容は大まか事実だと認めるものの、二人を救出、というところでイーリスは首を傾げる。足を火傷した年かさの女性と、イーリスのマスターである進藤も救出したことになっているらしい。


「この記事は間違っています。救出したのは一人です。私は、マスターは救出していません」

「え、そうなの? まあいいじゃん! 一人救出より二人救出のほうがかっこいいって。あーあ、いいなぁ。私も耐火度上げてもらおうかなあ」

「この先、あなたが火事に遭う可能性は計算上かなり低いと思われますが」


 まじめに答えるイーリスに、モルカは苦笑する。


「訂正するわ。あんたのマスター、良い人じゃん。いざという時のこと、考えてあんたを改造してたってわけね。……予算ピンハネしてるとか言ってごめん」

「良かった、わかってくれて」


 急にとびきりの笑顔を見せたイーリスにモルカは一瞬虚を突かれた顔をした。


「なんだ、あんたずっと仏頂面だから、顔の表情のシステムがバグってるのかと思ってた! ちゃんと笑えるんじゃない!」

「笑顔はプログラムされていますよ」

「笑顔をデフォルトの表情にしたほうが良いよ。マスターに頼んでみなって!」

「わかりました。今度マスターに頼んでみます」


 二人のIdAたちは、春の優しい水色の空のもと、笑い合った。


**


 某国際展示場C棟の火事は、連日新聞の記事をにぎわせた。


 出火の原因は、出展した企業の火の管理の不始末によるものだったらしい。メディアはこぞって管理の杜撰さを指摘し、批判した。


 それと同じくして、火事の中、勇敢にも二人の人間を救出したレインボー社の地味なIdAは、一躍ヒーローになった。

 彼女のインタビュー記事には、相変わらず仏頂面でうつった写真と、融通の利かない真面目なコメントがつらつらと並ぶ。少し旧式然としたそのIdAは、あっという間にお茶の間の人気者になった。

 「剛腕イーリス」という強そうな、――アイドルを生業にするIdAにとってはちょっと不名誉な――、あだ名のついてしまったそのIdAは、今日もメディアの記事の端っこでにぎわいを添えている。

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旧式アイドルアンドロイドは、自分の真のスペックを知らない 沖果南 @hatoyupo

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